コーランにふれる
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何人もの手が加えられている

今読んでいる『コーラン』(岩波文庫)がどういうプロセスで作られたか、振り返ってみる。

まずマホメットがアッラーから啓示を受ける。その啓示は信者たちの口伝えで伝承していき、ある時書物としてまとめられた。

19世紀になって、ヨーロッパの学者が書物として残っていたコーランを学術的にまとめ直した。

今回読んでいる『コーラン』(岩波文庫)は、その注釈である。

阿呆なのではないか。

嘘つきについての糾弾はなおも続く。

これだけ嘘つきについて言及しているということは、当時実際に信仰について嘘を付く人々がいたことをうかがわせる。

彼らに向かって、

「信仰せよ、みんなが信仰しているように」

と言えば、

「阿呆どもの真似をして信仰しろっていうのかね」

と、彼らも反論する。ここで、

なんたることか、自分たちこそ阿呆なのではないか。

と続くが、このやりとりで彼らと対立しているのが、アッラーなのかマホメットなのか、または別のイスラム教徒なのか、よくわからない。

実は全然信じてもいないのに。

信仰心のない者とは別に、アッラーを信じていると嘘をついている者もまた厳しく非難されている。
この嘘がダメであることには疑問の余地はないように思われる。

二章9節では、こうした嘘つきについて、

彼らの心の中には病患が宿っておる。

と指摘している。そしてその指摘に続けて、

願わくばアッラーがその病患を益々悪化させ給わんことを。

とあるが、この願いは随分とネガティブであり、手厳しいと感じた。
むしろこうした嘘つきにこそ、嘘をついた事情を斟酌して、救いの手を差し伸べて欲しいと思ってしまうが、これを許しておけない事情があったのだろうか。
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