3.11と私のおじいちゃん | 夫へ作る毎日愛情ごはんと幸せになるレシピ| 料理を通して家族の絆を育てる

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料理がしんどい方が楽しく作れるようなカウンセリング(相談にのる)がお仕事。お客様にとって無理がないか?を1番大切にしています。夫と猫と3人暮らし。※現在サービスを停止中

ナツです ^^


今日は一日中、ニュースで震災のこと

やっていますし


私も今日は色々思い出しました。

毎年この日にはブログを書いてないんですけど


今日は父方のおじいちゃんのことでも

書いてみようと思います^^



 2011年の3月11日は

私は山形県の祖父母の家に向かっていて

11時半頃新幹線で駅に着きました。


この日は病気で入院していた

おじいちゃんが念願の一時帰宅をすると

いう日程で、父も母も祖母も、

みんな気合が入ってました。


無事に家に着いてベッドに寝かせて

少しした時


地震が起きました。


私と母は別の部屋にいたんだけど

立てないほど揺れて訳が分からなくて


一回止まった時におじいちゃんの部屋へ

走りました!


無事でしたけども、問題が。

電気が止まったから

おじいちゃんの酸素の装置も止まったんです。

(命を繋いでる1番大事なもの)


すかさず母が、緊急用の設定をしてくれて

なんとか酸素ボンベがつながりました。


本当に冷や汗出た。

母がすごく一生懸命覚えるのを頑張ってたのを

知ってたんです。


母は責任重大で緊張したと思うけど

なんとかやってくれました!


電気とガスが確か止まってたかな。


病院に速攻電話して

車でおじいちゃんを迎えに

来てもらうことがなんとか決まって、

全員ほっとしたの覚えてます(汗)


おじいちゃんは若い時

気象庁に勤めていて

私たちが遊びに行くたびに


「いいか。そのうち

大きな地震が来るから

気をつけるんだぞ!!」


と、耳にタコができるぐらい

言ってました。専門分野なので

かなり詳しく教えてくれてた。


結局、おじいちゃんは2週間後に

亡くなってしまうんだけども


それは地震の影響ではなくて

寿命というか、体調も悪かったので

たまたまこういうタイミングで亡くなりました。


家族で言ってたのは


地震のことをいつも気にしていた

おじいちゃんが、この大地震の時に

亡くなるなんてね・・・。


何というか、

ストーリー性があるというか

わざわざおじいちゃん、このタイミング

選んだのかね。


なんてことを


私も思いました。


そんな訳で、

この時期が来ると


おじいちゃんの一時帰宅の時の

諸々を思い出します。


もちろんその他にも。


私と同じように経験した方も

たくさんいらっしゃると思うのですが


雪が降ってるのに

電気が使えないってかなりきつくて

とにかく4人でこたつの布団に

足突っ込んで朝まで寝たのとか

思い出します。


おじいちゃんが超買いだめしていた

トイレットペーパーやティッシュペーパーが

とても役立ったことや

(10組ずつぐらいはありました)


お風呂の水を溜めてあったから

トイレが使えたことなど。


あとは、この日をきっかけに

自宅での防災グッズの

見直しもできるといいですね。


私は毎日お風呂の水は

捨てないようにしていますし


あらゆるライトを夫が

集めていまして、

使い方を教わり。


お米は長期保存できるものを

わざわざ買って

ストックしたり


ダイソーの食品で

長期保存のレトルトカレーとかもあるので


この機会にチェックしてみてくださいませ^^


という訳で


私の3.11の記憶と

おじいちゃんの思い出でした。


ちなみに私は


おじいちゃんのことを

友達に話した時に


理想のタイプがおじいちゃんなんだねと

言われたことがあります 笑


とても男気があって

いつもおばあちゃんを守っていて

ひょうきんでみんなから愛される

おじいちゃんでした ^^




 

 

 


 

 

 

 

 

 

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