フライドチキンと海のおと。 -50ページ目

追憶の味 その5

会社には五日間の休暇をもらい、
ヤンは久しぶりに実家に帰った。

「たまには顔を見せなさい」
というお袋さんからの電話の相手も面倒くさがり、
生返事を繰り返していた。



しばらく見ないうちにびっくりするほど歳をとったお袋さんが取り仕切って、
しめやかに葬式は執り行われた。


棺に入れられた親父さんは、すっかり老人になっていた。


(最後に会話を交わしたのは、一体いつだったんだろ?)


淡々と進められる式の中、
ヤンはぼんやりとそんなことを考えていた。




遺品の整理は、お袋さんと一緒に三日使って大体終えた。


「ほんと、あっけないもんだったよ」


五十年以上生きてきて親父さんが培ったものは、
お袋さんと二人がかりでたったの三日で片づいたのだ。


親父さんの使っていた本棚は料理の本でいっぱいだった。


ヤンはふと、本棚の一番端に目をやった。

ノートがあった。
ぼろぼろになった分厚い一冊のノートが。
ヤンは何気なく手に取り、中を見た。



絶句した。
中には、料理のレシピがボールペンでびっしりと書かれていたのだ。
<つづく>


追憶の味 その4

一日の業務を終えた後、
親父さんはいきつけの居酒屋で一人飲んでいた。

と、悪酔いしたチンピラ二人が親父さんにからみはじめた。


「おっさん。元ヤクザってマジかよ」


チンピラはなぜか、
隠していた親父さんの過去を知っていた。
最初は笑ってかわしていたが、
ついには一升瓶を割るなどして暴れはじめた。
親父さんは身体をはってチンピラを止めた。


手は出さなかった。
必死で作り上げたカタギの暮らしは簡単に
捨てられない。


しかし、振り上げた一升瓶をよけようとした時、
振った手がチンピラの目に当たった。
チンピラは逆上し、ナイフを出した。

ちんけな男だった。
酔っ払った勢いで出したナイフを引っ込められるほど、
チンピラは極道ではなかったのだ。
そしてまた親父さんは、
がむしゃらに突き出されたチンピラのナイフを避けられないほど歳をとっていた。



店主の通報は速かった。
それでも警官が到着したのは、
チンピラのナイフの刃が親父さんの胸に深く吸い込まれた後だった。


「なんかさ。どっかでわかってたんだよ。いつかこんな日が来るって」


ヤンは一人暮らしをはじめてからほとんど実家には帰っていなかった。


「それでも親父がヤクザって知った時はショックだったな」


離れたところで互いの時間を生きていた。
だからか、親父さんの死は


「悲しい、というよりは残念だ」


というのがヤンの実感だった。



「俺、親父と風呂に入ったことないんだぜ。
 刺青だらけの背中、見せたくなかったんだろなあ」


ヤンはさっぱりした口調で言う。


「電話でのお袋はさ、何いってんのかわかんなかったな。もうパニック状態でさ」


父親がチンピラに刺し殺された、
というショッキングな事件を聞いているのに、
なぜかヤンの頭を真っ先によぎったのは


(ああ。これでもうあのコロッケ、二度と食べられないんだな)


という、いささか場違いな思いだった。
<つづく>










追憶の味 その3

暴力に抗うには自分も暴力を振るうしかない。


ヤンはそう確信し、売られた喧嘩は必ず買った。
大怪我を負ってもやめなかった。
(左耳がちぎれてぶらりと垂れ下がったこともあるらしい。)


そしてその頃から家にもロクに帰らなくなる。




高校に入ってからは少し落ち着きを見せ、
のら犬のように誰彼かまわず喧嘩を売り買いすることもなくなった。

高校の入学式で、
最初にヤンを見た時に僕が抱いた印象は、


『シャーペンみたいに痩せたやつ』


だった。

屋上にタバコを吸いに行ったらヤンがいたのだ。
フェンスにもたれたヤンが僕に気づいた。


「ああ、ども」


みたいなことを言われた気がする。

そのまま一時間ほど話し込み、


「今日、ウチに来いよ」


と突然ヤンが言った。
僕は何となく流されるようにヤンの家に行き、
マルハ精肉店の存在とヤンのこと、
そしてヤンを取り巻くいろいろなことを知った。

ありがたいことに、
その時に生まれたヤンとの友情は今も続いている。




ヤンはなんとか高校を卒業すると、
同時に家を飛び出し、一人暮らしをはじめた。
そして大手スーパーに就職し、
店舗マネージャーになるために勉強をした。
業務の一環として、厨房にも立った。
ヤンはその頃から家業を継ごうと思って行動していたのだ。



数年間必死で業務を覚え、
家族から非難轟々だったコロッケをなんとか揚げられるようになった頃、
お袋さんから突然電話がかかってきた。


電話の向こうのお袋さんは小刻みに震える声で、
親父さんの訃報をヤンに告げた。
<つづく>







追憶の味 その2

親父さんの両手には、小指がなかった。


「昔ヘタをうったんだよ。でなきゃきっちり十本揃ってるさ」


ヤンはそう言っていた。
細かな経緯は知らないが(というか聞けないが)、
親父さんはヘタをうったものの、
組を抜けることができた。



ヤンと出会ったのが高校の頃で、
その時にも親父さんを見たが、
とても元ヤクザには見えなかった。
身体は大きいが、目尻の下がった柔和な顔をしていた。

しかし服の下には、


「首筋からケツにまでびっしり刺青がある」

らしい。



ヤンが小学生にあがる前に組を抜けた親父さんは、
苦労してお金を貯め、マルハ精肉店を立ち上げた。
もともとは料理人になりたかったそうだ。
親父さんの唯一の趣味は料理だった。




一度、ヤンは尋ねたことがあるらしい。
お父ちゃんのコロッケは、なんでそんなに美味しいの? と。
すると親父さんはむっとしたような口調で、


「一生懸命作ってるからだ」

という、適当な感じの返事をする。



流れるような鮮やかな手つきで、次々と生み出されるコロッケ。
一生懸命作っているわりにはなんだかオートメーションの機械を思わせる、
型にはまった動きでたくさんのコロッケを生み出す親父さんを見ていると、
ヤンの好奇心がざわざわと音をたてて騒いだ。
レシピを聞いたのだ。


「作り方? 作り方って……、
 湯がいたじゃがいもを潰して炒めたミンチと混ぜて……。
 パン粉をつけて揚げる。それだけだ。
 適当に作ってもそれなりに旨いもんなんだ」

親父さんはちょっと面倒くさそうにそう答えた。
そしてその後に必ず、


「お父ちゃんには料理の才能があるからな」

と、自慢げに付け加える。



そうして、素早い動きで次々とネタを作り、
旨いコロッケを揚げていくのだ。

ヤンも見様見まねで作ってみたことはあったが、
どうにもうまくいかない。
ぼろぼろになったり、味が無かったり、
変にぐにゃぐにゃに柔らかかったり。
そしてヤンが作った不味いコロッケを、
家族全員で渋い顔をして食べた。


「もうお前は今後一切台所に立つんじゃない!」

ヤンは親父さんに叱られた。



「一番いい時代だったのかもな」

大人になったヤンはそう言う。




中学に入ったヤンは壮絶ないじめを受けた。
きっかけは彼の出生にまつわることだった。
ともかくいじめに反発するためにヤンはグレはじめ、
クラスメートを殴りはじめた。
<つづく>

追憶の味 その1

先日、ヤンという高校時代の友達と会った。

待望の長男が誕生したので、
「顔を見に来なければぶっ飛ばす」
と半ば恐喝されたのだ。



食事をしながら昔話に華を咲かせていると、


「お前、それっぽいの文章で書けよ。得意だろ」


とヤンが言った。
ブログを始めたという話をするとさらに、


「そういうことは早く言えよ。書け書け。俺らのこと」

と言う。


「じゃあさ、親父さんの話、書いていいか?」


僕が聞くと、ヤンは一瞬沈黙したあと、


「いいよ」

と言った。


なのでこの場を借りて、
昔話をさせて頂くことにする。




マルハ精肉店。
ヤンの両親がこしらえた店の名前だ。
今はヤンと、美人の奥さんの二人で営んでいる。


「いらっしゃいませー!」
「今日のオススメは、この豚肩ロースですよ!」
「どうもありがとうございましたー!」


マルハ精肉店では、
今日もヤンと奥さんの元気な声が飛び交う。
見た感じ、ヤンはこの仕事が好きだ。


店頭には色々なお肉に加えてお総菜もある。
ハムカツ、メンチカツ。そしてコロッケ。

店頭での販売もするが、もちろんヤンは揚げる作業にも入る。
ヤンはコロッケを揚げるのが特に好きなようだ。

ヤンいわく、これは揚げる技術がけっこう必要らしい。

油にただぽんぽんネタを放り込むだけじゃない。
キレイに整えられた形を崩さないように、
鍋ハダから滑らせるように油に投入する。


油の温度も決まっている。
きっちり一八〇度。それ以上でも以下でもダメだ。
油に沈んでいたコロッケがほどよくキツネ色になり、
ぷかりと浮いてきたら頃合いだ。

メッシュのお玉でどんどん油切りトレイに上げていく。
コロッケの表面はちりちり、と音をたてている。
油切りのタイミングはバッチリ。
常に揚げたて。ネタはホクホクの男爵いもに自慢のミンチ。
これで旨くないはずがない。


実際、よく売れている。
ヤンの揚げた特製コロッケは好評だ。
僕も何度か食べたが、すごく旨い。十分納得のいく味である。


でも違う、とヤンは言う。


「ガキの頃によく食べたやつとは味が違うんだよ」


ヤンが少年時代に食べたコロッケは、彼の親父さんが揚げたものだ。

小学生の頃は学校から帰るともう腹が減っていて、
ランドセルを放り投げるとすぐに台所に駆け込んだ。
そしてコッペパンに縦に包丁を入れて二つに割った揚げたてのコロッケを挟み、
ソースをたっぷりかけたそいつをガブリとやりながら公園に駆け出していった。


「あのなかなか言葉にできねえ旨さ」


とヤンは言い、
あの旨さを再現できる料理人が一体何人いるんだろ? とも言った。


しかし、ヤンがそのコロッケをもう一度食べられる機会はない。永遠に。

彼の親父さんは、すでにこの世にはいないからだ。



ヤンの親父さんはヤクザだった。
<つづく>