ネタバレあり。書かずにおれない
しかも二日遅れですが。
「もう終わりか……。楽しかったなァ」
(ゲゲゲの女房・第144回『人生は活動写真のように』より)
この言葉を最期に、
修平(水木しげるのお父さん)が逝ってしまいました。
この言葉もぐっと来たが、
それ以上に最後の絹代(水木しげるのお母さん)と
しげるとのやり取りが、ほんと最高だった。
「お父さん、茂は叔父さんの生まれ変わりだと言っとった。
だけん、自分が叔父さんから受け継いだ、芸術関係のことは、
みんなあんたに伝えたかったんだわ。
……もうこれで、あんたが全部受け継いでくれたけん、
お父さん、安心してあの世でゆっくりできる」
その言葉にしげるは少し微笑み、
修平が片時も離さなかった叔父の形見の万年筆を、
自分の胸ポケットにそっと差す。
「……静養第一と言って、笑っとるなァ」
天国にいくことも、修平にとっては静養のひとつ。
こんな人なら、人生を活動写真のように楽しめるのなら、
最期に
「もう終わりか……。楽しかったなァ」
と言えるのかもしれないな。
い~や~。
それにしても。
泣いたな~。
ぼろぼろ泣いちゃったな~。
賛同者求ム!
徘徊老人
上司のMさんのマンションでは深夜、徘徊老人が出るという。
共用廊下を、よたよたと歩いているのだ。
その老人は顔一面、ピザのようなケロイドが張り付いている。
そして誰かを見つけると歩み寄り、
「おぉ、ばぁ、けぇ、だぁ、ぞぉっ」
としゃがれた声で言いながら、真っ赤な口を「かっ」と開ける。
かなり怖いらしい。
寝言王、降臨
明け方、奥さんが寝言で
「いいよいいよ」
と言った。
わりとしっかりした声だったので目が覚めてしまった。
体を起こしてぼんやりしていると、
「ずいぶんいいよ」
とまた言った。
「何がいいんだ?」
と聞き返したくなるくらい、はっきりした口調だった。
昔、友達と二人でマンションに住んでいた。
その同居人Tが寝言王だった。
「布団がっ」
と大きな声で言われて飛び起きたことがある。
Tを見ると、ぶうぶういびきをかきながら寝ている。
「……おい。布団が何だ?」
僕の問いかけには応えない。激睡中だ。
「布団はな、今てめえにな、ふんわりとな、かかってんだよ?」
つとめて優しくそう言い、僕は寝なおした。
なおもTは、
「いや、でも布団がさ……」
とぼやいていた。
他にもいろいろある。
「カブトムシ! カブトムシのツメ痛い!」(何してんだよ?)
とか、
「おまえ、ライダーマンの気持ち考えたことあんのか?」(その前にてめえ誰だよ?)
とか、
「あのコンニャクのしなりっぷりがさー」(だから何してんだよ?)
とか、
「俺さ、アルゼンチンで演歌のCD出すことになったんだ」(まず日本で出せよ)
とか、
「歯グキがちょっとねー」(知らねえよ)
とか、
「特盛り! いや、やっぱり大盛り」(遠慮するキャラかよ)
とか、
「いやーゴリラやっぱめちゃ強かったわ」(そのコメントできるてめえがめちゃ強いよ)
とか、
「ガンダーラで携帯って使えんの?」(たぶん電話自体ねえよ)
とか、
「ばかばか、次俺の番だよ!」(ほんとに何してんだよ?)
とか、
「誰だよ水出しっぱなしなの! あ、俺?」(だいたいてめえだったよ)
とか、
「香田 晋と中山ヒデって似てねえ?」(それは似てると思う)
とか、
「臭っ」(むしろてめえの匂いが心配だよ)
とか。
まったくまったくうるさくってかなわねえ。
……いや、でもこうしてメモにとっておいてよかった。
ありがとうT君。
君の宇宙的な寝言のおかげで今日もブログが書けたよ。
でもね、今は立派な家庭を築いているT君。
君のこの癖が治っていないのなら、横で寝ている奥さんがかわいそうだね。
まあ、そう言っている僕が今朝奥さんに寝言で起こされたんだけど、さ。
しほりさん
最寄の駅の改札を出るとすぐに商店街がある。
道は三叉路になっており、西と北北西と南南西に伸びている。
家までの帰り道は南南西なのだが、
ちょっと寄り道したい時は西の道を選ぶ。
この道はアーケードになっていて、屋根が五十メートルくらい続く。
そこを抜けてすぐの右手には小高い鎮守の森がある。
森には、中腹までまっすぐに古い丸太でできた階段が伸びており、
その先には神社がある。
夏はここでお祭りなんかがある。
この神社へ続く階段の、道を挟んで真向かいに小さな文具屋がある。
建物は長屋風で古いのだが(数年前までは乾物屋だった)、
内装は「古い」というよりは「アンティーク」、
という言葉がしっくりくる造りになっている。
オーナーは「イタリアの旧市街をイメージした」と言う。
なるほど、いかにも古いヨーロッパの家にありそうな、
味わいのある木製の家具やショーケースが店のそこかしこに沈黙して座っている。
以前のオーナー、つまり現オーナーの親父さんが隠居し、
奥さんと二人で南国に移住してしまったらしい。
で、それまで商っていた乾物屋を閉め、
思い切ってオーナーの夢だった「こだわりの文具屋」をはじめたのだ。
ちなみにオーナーはまだ三十歳。若い。
その日、僕が店に行くとオーナーは不在だった。
「あ、こんにちは」
代わりに挨拶してくれたのは、しほりさんだった。
しほりさんはショーケースの上に帳簿のようなファイルを出していて、
難しい顔をしてそのファイルに何やら細かく書き込んでいた。
「オーナーはいないんですか?」
「今日はわたしだけなんです」
しほりさんは身長が一メートル七十センチくらいある。
そして思わずカロリーの高いお菓子を差し入れたくなるくらい細い。
僕はしほりさんの力のある目に多少おどおどしながら、
懐から万年筆を出し、彼女の前に置いた。
「オーナーじゃなきゃわからないかな」
「……いえ、聞いてますよ。研ぐんですよね?」
「そう。先がね、欠けちゃって」
しほりさんは猫みたいにちょっと吊りあがった大きな目をきら、と光らせた。
「あらら。見事ですね」
万年筆の先端は三ミリくらい、ぽっきりと折れてしまっている。
コンクリートの床に落っことしてしまったのだ。
「しほりさんは、万年筆を研げるの?」
「あら」
彼女はさらに目を大きく開いた。
「研ぐだけなら、わたしの方がうまいんですよ」
「店長よりも?」
「店長よりも」
そう言いながらしほりさんは、
薄く作られたカルピスみたいな色のシャツの胸ポケットに僕の万年筆を差し込んだ。
それは僕にとって永久歯みたいに大切な万年筆なので、
正直言えば熟練の店長に研いでほしかった。
でもしほりさんがそう言うなら、と僕は彼女に任せることにした。
「いつ頃取りに来たらいいかな」
僕が尋ねると、しほりさんはそうですね、と首をかしげ、
「四日後……いや! 三日後にお願いします」
と言った。
「三日後……いや! 四日後に」
ならわかるけど、その逆を言う気持ちが少しわからなかった。
職人的プライド、というやつか。
で、今日に至る。
しほりさんに修理を依頼してから、ちょうど一週間。
店に行っていないので、
万年筆がどうなっているのかわからない。
どうしてもしほりさんの目を見ると気圧されてしまって、
(本人には全然そんな気はないんだろうけど)
「まだできてません。……三日後に必ず!」
と言われたらあっさり納得してしまいそうだし、
すぐにその万年筆を使う用事もないのだ。
でもできれば早いとこ、きれいに仕上げて返してほしい。
何たってそれは僕にとって永久歯みたいに大切な万年筆なのである。
スーツケース
同僚のT女史は、電車の中で視線を感じたという。
仕事の帰り、遅い時間だ。
車内に人はほとんどいない。
ドアの前に小柄な中年男が立っているだけだ。
男は身体の横に、
高さ一メートルくらいの大きなスーツケースを置いていた。
男はぼんやり外の景色を見ていた。
つまり視線は、スーツケースから感じる。
Tさんは目を凝らした。
スーツケースの閉じられたファスナーの隙間から、
女の目がTさんを見ていた。
暗い目だ。きついメイクをしていた。
Tさんが驚いて見つめなおすと、
その目はゆっくりと瞬きをした。
「ねえ、ちょっと!」
男に呼びかけた瞬間、電車は駅に着いた。
男はTさんを無視し、
スーツケースを引きずるようにしながら、
緩慢な動きで電車を出た。
車内にはTさんだけが残された。
間もなく最寄り駅だった。