フライドチキンと海のおと。 -47ページ目

ピンクのふにふに

『肉球専門病院』
/村澤徹一著




商店街に『ぴないさーら』というカフェがある。
ここのコーヒーがとても好きなので、一人でよく訪れる。
面白い本なんか持って。
こないだはそこで「アマゾン漂流生活」(高野潤著/平凡社)を読んでいた。
体験者だけが語ることを許された、
アマゾンの纏いつくような湿度の描写が見事で、
僕はぐいぐい本の中に引き込まれていた。


と、「ほうほう」と言いながら僕の前に座るおじさんがいる。
このお店の常連さんで、エゾさんという人だ。


「読んでますな。いいですな」


と言いながらエゾさんは、銀の握りがついたステッキを椅子の背に持たせかけ、
カバンから一冊の本を引っ張り出すと僕の前に置いた。


「今月のオススメです」


エゾさんはにやりと笑った。


「珍品ですよ」
「はあ」


彼はこんな感じで、
この店で僕の姿を見つけると持っている本を薦めてくる。
そのさまは腕の良いソムリエのように見えなくもない。



くだんの本だが、タイトルは


「肉球専門病院」


とあった。
なんだこれ。というしかないタイトルだ。


「ふふふふふ」


と笑いながら去ってゆくエゾさんを尻目に、
僕はさっそくその本を読みはじめた。


著者は昭和十年生まれ。
大学で生物学を習得した。
大の動物好きで、また病的な“肉球マニア”らしい。
この本では主に犬と猫、たまにげっ歯類の肉球が持つ魅力に迫っている。
愛好家がたくさんいることは知っていたが、
僕自身は肉球に差し迫った愛情は感じない性質なので、
この著者のあふれんばかりの肉球愛を受け入れることはできなかった。


前半では、様々な角度から肉球についての学術的見地(この辺り退屈だった)を述べていて、
後半は、いわゆる肉球の楽しみ方について言及している。


まあ、「見る」「触る」「嗅ぐ」辺りまででした、僕が理解できたのは。


そのあと「口に含む」「しゃぶる」「筆でこそばす」「顔を踏ませる」と続き、
「毎日カタを取り記録する」「靴下を履かせてムレさせる」
「マドラーのように飲み物をかき混ぜさせる」と展開する。

そしてさらに愛はどんどん激しさを増してゆき、ついには
「オノレの肛門に突っ込む」
とまで語る。うげげ。

そしてそして最終的には……恐ろしいというか、エグくてここには書けない。
タイトルは「肉球専門病院」とあるが、
専門の病院が必要なのはあんたじゃないのか、と心配になる。
ちなみになんでタイトルに「病院」とあるのか、
その理由についての記述はない。



後日、僕は「ぴないさーら」でエゾさんを待ち伏せした。
エゾさんは僕を見つけると、にこにこしながらやってきた。


「ソムリエ。ワイン選びに失敗しましたね」
「……ということは。お読みにならなかったのですか」
「いいえ。読みましたとも。僕は薦められた本は必ず読むことにしてんです」
「ならいいじゃないですか」


エゾさんは僕が返した本をカバンにしまい、
また「ふふふふふ」と笑いながら去っていった。
ええ読みましたよ、最後まで。



僕はとりあえずコーヒーを頼み、
エゾさんの変態性と、かの本の著者が持つ変態性の関係についてしばらく考えた。
でもぶっちぎりで想像を凌駕しているので、すぐに考えるのをやめた。
もちろんまだ答えは出ていない。
とにかく僕はここのコーヒーが好きなのだ。


餓鬼玉 その2

「おまえ、何を拾ってきた?」



おばあさんはK君にそう詰め寄る。
そしてK君の襟首を掴むと、
文字通り引きずりながら玄関を飛び出した。
K君はそのまま近くの神社まで連れて来られたのだが、
昔からよく知っているその神社が、その時だけは


「とてもいやな、不吉なもの」


に見えたという。


おばあさんは鳥居の真下にK君をしゃがませると、
背中を平手で何度も叩いた。
思わず咳き込んでしまうほどの強さで。
K君は直前に食べたものを全部吐いた。
吐くものがなくなっても、うげうげといいながら胃液を吐いた。


すると、まさに「ぽんっ」という感じで、
K君の口から黒い玉が出た。
それはスーパーボールくらいの大きさで、ほぼ真円に近い球だった。
そんなものを食べた覚えは、もちろんK君にはない。


「えらい大きなって」


おばあさんはそう言うと、
K君の吐瀉物にまみれたその玉を拾い上げてハンカチに包み、懐にしまった。



それっきり、K君の大食はけろりと治った。
最近のK君のお気に入りは、
「ミニうどんセット(ミニ親子丼付)」である。

餓鬼玉 その1

これもK君の話。


高校の頃、K君は突然大食になった。
何の前触れもなく。ごく一時的に、ではあったけれど。


こんな具合だ。
朝しっかり食べて学校へ行き、
二時間目の授業が終わった時にはもう腹が鳴っている。
休み時間、学食でカツ丼をかきこむ。
そして昼休みには、耐えられないほど腹が減っている。
弁当とうどんを食べる。
放課後、部活(K君は美術部だ)の前にまた玉子丼を食べる。
部活が終わり、家に帰り着く頃には空腹で足元も覚束ない。
晩御飯は、丼のような茶碗で三杯おかわりをする。
ほとんどのおかずをK君が一人で食べ、家族に文句を言われる。
寝る前にも、食パンを一斤くらい食べないと夜中に目が覚めてしまう。


こんな日が何日か続いた。
ちなみにK君は身長が一メートル六十五センチくらいで、
体重は五十キロに満たない。
すごくスレンダーだ。
身体も胃も小さい。

本来は小食で、
ダイエット中の女の子のような弁当箱を使っていた彼のことだ。
育ち盛りということを差し引いても、あきらかに異常である。



一週間ほどして、
旅行に行っていたおばあさんが帰ってきた。
例の祈祷師のおばあさんだ。


家に入るなり、おばあさんはK君の部屋に駆け込んだ。
<つづく>

暴走族

珍しいことだけど、
昨日は夜中に暴走族がぶんぶかぶんぶかぶんぶか。



ってゆうかうるさくって眠れやしねえ。



こんな静かな町を走ってんじゃないよ。
こんな人の少ない町で「反逆」なんて旗、たててんじゃないよ。



ったくぶんぶかぶんぶかぶんぶかぶーん、とよ。



バイクが好きなのはわかる。
爆音に包まれたいのも、まあしょうがない。

でも。

他人を爆音に巻き込むのは、本当にかんべんしてほしい。



馬力全開で、一体何をアピールしたいんだ?
パラリララリラという音に、
一体どんなメッセージを込めているんだ?
どうして自分の心にしかない言葉を使って伝えようとしないんだ?
何かを表現するのにその方法しか考えつかなかったのか?
自分が気持ちいい音なら他人も気持ちいい音だろうと、
本気で思っているのか?
幼稚きわまりない、どこまでも自己中心的な発想だ。



「人に聞かせたいのではない、自分で爆音を感じたいだけだ」


というのなら、山の中を走ってくれ山の中を。



む……それなら動物たちがかわいそうか。



やっぱり暴走族よ、人に迷惑をかけるのはやめなさい。
自分のロマンにアカの他人を引きずりこむんじゃない。



ったくぶんぶかぶんぶかぶんぶかぶーん、とよ。




それから昨日の記事ですが、
興奮して書いたので文章がめちゃ乱れてます……。
なのに誹謗中傷の一つもなく、
たくさんのあたたかいコメント、
本当にありがとうございます。
コメントをいただける限り、
僕は何度でも想像力の大海原に漕ぎ出して行きます。


ほら、そこの木の陰に。

見ていない方、ごめんなさい。
我が家では「ゲゲゲの女房」を一週間分撮りだめして、
土曜日か日曜日にまとめて見ている。
で、毎週ハンカチがびたびたになるくらい泣いている。


そもそも水木しげる作品が子どもの頃からすごく好きで、
のちに水木しげるのエッセイなども読みはじめた。
読み進むにつれ、その生き方というか、
リアルなことと神秘的なことに対する氏のとらまえ方にシンパシーを感じた。


その辺はドラマでももちろん(多少の演出はありつつも)紹介されている。
それだけに、今週の話は見ていて辛かった。



ざっと紹介すると(ネタバレあり)こんな感じだ。


ゲゲゲの鬼太郎ブームも終焉を向かえ、
水木しげるのもとには原稿依頼が激減する。
それが起因してか、水木しげるが神秘に対し疑問を抱きはじめる。
「俺が妖怪だと思っとったもんは、一体何だったんだろうな……」と。
あの水木しげるが、妖怪の存在を疑いはじめたのだ。



このあたり、見ていて泣きそうになった。
僕は水木しげるの妖怪画を見て大人になった。
学校に行く意味がどうしてもわからなくて、
図書館にこもっていた小学校四年生の頃も、
僕は親のカタキのように妖怪図鑑を見ていた。
パンクロックに出会った中学生の頃も、
僕はライブハウスからの帰路で妖怪の気配を感じていた。
何日も家に帰らなかった高校の頃も、
僕は古本屋で水木しげるの妖怪マンガを買って読んでいた。


だから水木しげるに、妖怪の存在を疑われるのは辛い。
ともしびを見失うようなものだ。



だが結局、とある事情で山におもむいた水木しげるは、
そこで「妖怪あずき洗い」を目撃する。
同じ頃、娘の喜子は修学旅行先で「妖怪目々連」に出逢う。
水木は再び妖怪の存在を確信し、俄然パワーを取り戻す。
そして妖怪図録の刊行に向かって猛烈にペンを走らせる。



このあたり、見ていて完全に泣いてしまった。

なあんだ。いるんじゃない。
やっぱり妖怪っているんじゃない。

いつも僕のブログを読んでくださっている皆さん。
皆さんにヘンな目で見られるかもしれない。ごめんなさい。
でも僕にはどこか、妖怪の存在を確信している部分があるんです。
四十前男子(というかミドルエイジ)としてあるまじきことかもしれんけど。
第一、いると考えた方が絶対におもしろいし、
それ以前に実際それとおぼしき生き物を僕は見ているのだ。
(詳しくはこのブログの初期の頃の「赤い小人の話」をご参照ください)


僕の周りにも、神秘に対し
「そんなもの、なーんも珍しいことじゃないよ」
という人が多い。
彼らは、口を揃えてこう言う。

「それは、この世界のすぐそばにある。
 そばにあって、なんら不思議なものではない」

こちらが少しあきれてしまうくらい、
きっぱりと言い切るのだ。

オカルティックな話ではない。
それらが元々は生活のすぐそばにあって、
人間がちょっとばかり夜を明るくしてしまったので、
昼間の月のように見えづらくなってしまっただけ、らしい。
そういう話を聞くと、妙にうれしくなる。
夜にぶらぶら歩くのがまたちょっぴり楽しくなる。


でも女性の方々はご注意を。
僕のブログに再三登場するようなヘンな人達も、
暗闇には潜んでいるのだから。