活け造り
あれをありがたがって食べる精神構造が理解できない。
あれって何なんだろう?
「あたしはね、魚を殺さずに料理することができるんですよ」
という板前のテクニック自慢なのだろうか。
バカ舌の持ち主である僕が言うのもおこがましいが、
魚、こと刺身の味を決定的に左右するのは鮮度だと思う。
脂が乗っている、などというのは好みの問題だと思うけれど。
鮮度の落ちた魚の刺身のほうが美味しい、
というセンスはちょっと変なのだと思う。
ということは、
美味しい刺身の条件とは
「鮮度」+「板前の熟練した包丁サバキ」
ということになるのではないだろうか。
そこに「魚が生きていること」という要素は加わらないと思うのだが。
死んでいないから鮮度がいい?
どっちにしても刺身になる数分前、
もっと言えば数十秒前には魚は生きていたはずだ、そこが良心的なお店なら。
死んで(正確にはひらいて)から数十秒で、
味が劇的に変わるとはどうしても思えない。
「いやいや変わるんだって、これがね。
活け造りだけの特別な旨さってのがあるんだよなあ」
とのたまうおとっつあんがいたとしたら、
それは“活け造り”という物体、
もしくはそれが出てくる状況をありがたがっている証拠。
もちろん板前が
「いやいや変わるんですよ、これがね。
活け造りだけの特別な旨さってのがあるんですよ」
とは絶対に言って欲しくない。
そんなものはサービスの履き違えだ。
ぴくぴく引きつりながら、
わが身を食われて死んでゆく魚に倫理観や感情があるとは到底思えないが、
僕に言わせれば単なる悪趣味でしかない。
すごい技術なのかもしれないけれど、
後世に伝わってほしいなどとは思わない。
その状況でしか味わえない旨さなら必要ない。
それが日本の美意識だ、文化だなどとは言ってほしくないなあ。
でもありがたがる人がまだまだいるから、
職人はそれ専用の技術を磨いてしまうのかなあ。
むーん。
無視
D君は大学生の頃、
周りの人間から徹底的に無視された。
家族から。
学校の友達から。
バイト先の仲間から。
恋人から。
関わりのあるすべての人から。
それからきっかり一週間後、
無視は唐突に解除された。
無視していた人達は、
何事もなかったかのようにD君と話しはじめた。
問いただしても、
無視などしていない、気のせいだろうと言う。
「今思えば、誰かの作為だったのかもしれないですね」
D君はしみじみとそう言った。
けったいな夢 #.7
切り立った断崖絶壁の上で、
僕と津川雅彦とマイク眞木が北風を体いっぱいに受けている。
津川雅彦が僕に、
「今日から俺たちは義兄弟だ」
と言いながら靴べらを手渡した。
マイク眞木は、
「さあドラゴンを倒そうぜ」
と言いながら水なすの漬物と袋入りチキンラーメンをくれた。
僕は曖昧な微笑みを返しながら、
自分なりにこれらのアイテムをどう使ってドラゴンを倒すか考えはじめた。
という夢を見た。
絵本と少年
読者の方とコメントのやりとりをしていて、
ふと絵本のことが気になった。
子どもの頃、たくさんの絵本を読んだ。
僕は体が頑丈なほうではなかったので、
多くの時間を学校の図書室で過ごしたのだ。
こ難しい本も読んだけれど、
小休止、という感じで絵本もよく読んだ。
今でも心に残っている本は、そりゃもうたくさんある。
ベロ出しチョンマ。涙なくして読めない。
片足駝鳥のエルフ。これも涙なくして読めない。
モチモチの木。勇気って、殻を破らなきゃ生まれないんだな。
半日村。人は一人では生きられない。
猿の手。何十年も昔に書かれたとは思えない超本格的ホラー。マジ怖い。
ごんぎつね。優しさに気付いてあげられる人が、ほんとに優しい人。
百万回生きた猫。これは今も本棚にある。死んだ、ではなく、生きた猫。
ろくべえ、まってろよ。もうひたすらかわいい話だ。
ラインナップを見て、ふと思う。
何を考えて読んでたんだろう。
何を学び取っていたんだろう。
その頃からもう、現実と戦うことに嫌気がさしていたんだろうか。
ただ、覚えている景色がある。
四年生くらいだった。冬の午後だ。
図書館で絵本を読んで、感動して。
窓から校庭を眺めた。
クラスメートがサッカーをしていた。
ドッジボールをしていた。
なんだかわからないが、
ジャングルジムで込み入ったルールの遊びに興じていた。
どうして僕はみんなと違うことを考えてしまうんだろう。
そして違うことを考えているってこと、どうして隠してしまうんだろう。
僕もいつかあんなふうになれるんだろうか。
どうやったらなれるんだろう。
心中はその時見た雪雲のようにグレーだった。
ううん。ややこしいガキだったな。
絵本を読みたいな、と思ったらそんなことを思い出してしまった。
寒いっていやだねえ。ああ嫌だ嫌だ。
早く春にならないかな。
こうしている今も土の中で力を蓄えている新芽達。
もうしばらく待つのだよ。
えーと何の話だったんだろ。
ま、いいや。
狛犬(こまいぬ) その5
それは両手で釣り糸と針をしっかり握っていた。
そして黒い海面から、鼻の辺りまでを出している。
力のない両目は、それでもしっかりとA君を見つめていた。
紙のように真っ白い顔に、まばらな毛髪が海草のようにへばりついていた。
気付くとA君は竿を強く握り締めていた。
握りたくて握っているのではない。
手がこわばって離せないのだ。
体は金縛りにかかったようにほとんど動かせない。
両足はじりっじりっと前に滑っていく。
A君の言葉によると、
「滑り台の斜面に立っているよう」
だったらしい。
足を少しでも動かそうとすると、前に滑る。
一メートル先は、真っ暗な海である。
落ちたら助からない。A君は本能的に悟った。
これはやばい、と思い、A君はもう一度海面を見た。
黒い海面に浮かぶ頭は十数個に増えていた。
いずれも鼻から上を水から出し、
生命感のない目でA君を凝視している。
ひひひひひ、とか、ふふふふふ、といった、
陰に篭った嗤い声があちこちから聞こえた。
<あと少しだぞ>
<もうちょっとで落ちるぞ>
という声も聞こえた。
もう一歩も足を前に出せない。
覚悟を決めたA君は後ろにジャンプし、
リュックに飛びついた。
その瞬間、竿が手から離れた。
体はずるずる海に向かって滑り続ける。
A君はリュックから狛犬の面を取り出した。
そしてそれを被ると、
顔を海に向けた。
とたんに嗤い声が止んだ。
そのまま、おそらく十数秒。
強く瞑った目を開けた。
海面の頭は一つ残らず消えていた。
水を被ったように、全身が汗でぐっしょりだった。
奥さんに聞いてみると、
狛犬の面をリュックに入れたことなどまったく記憶にない、という。
かくしてその面は家宝となり、
朝に夕に、A君は手を合わせて毎日に感謝している。