は、ないのではないか(少なくとも司法試験系では)。
これまでの“必要性”シリーズの例(記事「基本書の必要性」「解釈と評価の構造・必要性」)に漏れず、その必要性を否定する記事になります。
これまでに、
記事「『理解』の危険性」
記事「『理解』とは何か」
記事「知識の“理解”≠知識が使える」
の“理解”三部作(というほどの大作ではないけど…プログレ好きとしては使ってみたい言葉(^▽^;))で、試験における“理解”の危険性・無意味さ等については表現し尽くしたつもり。
今回は、試験に至るまでの学習プロセスにおける“理解”について書こうと思う。
司法試験系でも、おそらく他の試験でも、受験生が知識を“理解”したくなる気持ちはよ~く分かる。
だって、私も司法試験受験生時代のうち、合格したH17の前年度までは、いわゆる“論点・論証”といった法解釈論について、論理的に“理解・納得”できなければ、図書館や大きな書店に足を運んで、関連しそうな書籍を片っ端から徹底的に調べまくっていたりしたから。
それで“理解・納得”できたときの解放感は、なかなか気持ちの良いものだよね~日々のきつい受験勉強における一服の清涼剤というか。
…でも、そこまで時間と労力をかけても、“理解・納得”できないことや、そもそも文献等に書かれていないことの方が多くない?負けたギャンブルを忘れやすく勝ったギャンブルばかりが記憶に残るのと同様、上記の強い解放感の記憶ばかりが残りやすいんだけど。
私はその方が圧倒的に多くて、受験生時代のメイン教材の疑問点に貼った付箋は、未だに100個以上残っている(それどころか、合格後も同じ教材の疑問点に付箋を貼り続けていたら、今は少なくとも数倍にはなっている)。
それでも旧司H16までは、論文過去問を解きながら、この作業を続けていた(cf.記事「H15勉強歴」の8月部分末尾)。
その結果、旧司H16論文では最低の総合G評価だったわけですよ…もちろん、この方法論だけが敗因だったわけではないけれども、少なくとも旧司H16論文本試験現場では、徹底的に調べて“理解・納得”したことが役立った認識はなかった。
旧司H16論文の再現答案を分析しても、解釈論はごくごく“普通”で合格ラインに達していて、しかも上位ほど薄い傾向が顕著だった(これは今に至るまで変わらないね)。徹底的に調べて“理解・納得”した私の目から見ると、本当にこいつ“理解・納得”して書いているのか?と疑問に思うような上位の再現答案すら散見された(cf.記事「H17闘争記録1~年内猛ダッシュ」の10月(成績通知到着~)部分の最初の方)。
そこで私は、上記のような“理解・納得”は、司法試験系合格には無駄・有害だったと反省した。
それ以来私は、解釈論等の法的知識については、“理解・納得”できなくても、司法試験系の問題を解くのに汎用的に使えると判断したなら使うのが、最も効率の良い勉強法だと考えている。
実際、使っているうちに“理解・納得”できることも結構あるしね(むしろこれが真の“理解・納得”だと思う→記事「知識の“理解”≠知識が使える」)。
法的な解釈論というのは、突き詰めると、比較的多くの人に“納得”してもらうために論理“的”に見せているにすぎず、“妥当な結論”先にありきの後付けの屁理屈にすぎないしね。
このような経験を持つ私から、受験生の皆さんに問いたい。
“理解・納得”できないところを“理解・納得”したい?
それは良い“批判力”や“論理ツッコミ力”をお持ちだ。
何回かは色々調べたり、誰かに質問・相談したりして、やってみるといい。
…しかし、“理解・納得”するのにかけた時間・労力に見合った効果が得られただろうか?
本気で試験に合格したいなら、そこまで検証して、限られた時間内の学習効果を最大化すべきだと思う(たまにはあくまで“息抜き・趣味”として、“理解・納得”による解放感を得ようとしてもいいとは思うけど)。
最近は変わってきているのかもしれないけど、少なくとも私が受けてきた小学校~中学校~高校~大学における学校教育は、実験・実技等を除いてその大半が、知識を“理解・納得”させた上で問題演習というカリキュラム構成になっていた。
だから、試験勉強も知識を“理解・納得”した上で問題演習というふうに思い込んでいる人が多いのかもしれない。
でも、中学・高校・大学受験の予備校・塾に通った経験のある人に聞きたいんだけど、そこでは
・問題演習後にその解説で“理解・納得”させる
とか、
・問題演習のプロセスを見せながら“理解・納得”させる
方式が当たり前じゃなかった?
少なくとも私が通っていた中学・大学受験の塾・予備校ではそうだったから、司法試験を受けようと決めたばかりの私は、そういう方式が少なくとも初学者向けには全くなかった司法試験業界に、ものすごい違和感を覚えたものだ。「こんなんで試験対策予備校といえるのか?大学のクッソつまらん講義と変わらないじゃないか…」と。
確かに、「学校教育が前提になっているから、中学・高校・大学受験の予備校・塾では問題演習→“理解・納得”という方式を実現できるのだ」という反論はそのとおり。
しかし、少なくとも4Aを使う限り、法的な問題は日本語(現代国語)の問題に収斂する。そして、前提になっている日本語(現代国語)力は、平均的な中学2~3年生くらいになれば既に備わっていると思う(平均的な高校1年生でも予備論文過去問が非常に良く解けるので)。
とすると、司法試験系においては、平均的な中学2~3年生以上なら、“理解・納得”先行学習の必要性は、ないのではないか。
むしろ、少なくとも試験対策としては、問題演習先行学習の有効性が教育学的に実証されてきていることも考えてほしい。
(cf)記事