もともと「理解」の効用についてかなり否定的な捉え方をしていた俺から見て、「理解」とは何かについて、おもしろいネタが入ったので書いてみる。
①前期修習におけるある科目の起案を題材とした、教官との会話の一部の要旨。
教「本質的理解ができていないから、実務修習期間中に○○か△△を読むといい。」
俺「(インプットは嫌だと思い)起案では本質的な理解まで書く時間がないので…。」
教「ん~…そうだとしても、本質的な理解をしているようには見えないんだよね…。」
②実務に出てからは役立つだろうと思って一応○○は買ったが、実務修習期間中に読むことなど全くなし。
①の科目について、「理解」を深めようとする勉強(そもそも具体的にどんな勉強なのかも想像できないが)も全くしておらず、問題演習をほんの少しやっただけ。
③後期修習における①と同じ科目の起案について、①とは違う教官のコメント
「深い理解が起案にコンパクトに現れていると思います。」
以上の①~③から考えられる可能性は、
・起案の書き方や時間配分が上達し、深い「理解」まで示せるようになった
・教官=採点者によって「理解」の捉え方が異なる
・本当は①で深い「理解」まで示せていたが、教官が見抜いていなかった
・本当は③で深い「理解」なんて示せていないが、教官が勘違いしている
・実は、無意識のうちに実務修習期間中に「理解」が深まった
くらいか。
いずれにせよ、「理解」という概念のあやふやさは分かるよね。
だから、「理解」を幹として試験対策を立てることは、二回試験や司法試験だけでなく、どの試験においても危険だと思う。
他方、採点者が、受験生の「理解」という主観的かつ曖昧な力まで判定できていると思い込むのも、少々傲慢だと言わざるを得ない。
まあ、何となく感を表現しやすい言葉だというのは分かるけど、できるだけ、より明確な言葉に言い換えるべきだと思う。
①前期修習におけるある科目の起案を題材とした、教官との会話の一部の要旨。
教「本質的理解ができていないから、実務修習期間中に○○か△△を読むといい。」
俺「(インプットは嫌だと思い)起案では本質的な理解まで書く時間がないので…。」
教「ん~…そうだとしても、本質的な理解をしているようには見えないんだよね…。」
②実務に出てからは役立つだろうと思って一応○○は買ったが、実務修習期間中に読むことなど全くなし。
①の科目について、「理解」を深めようとする勉強(そもそも具体的にどんな勉強なのかも想像できないが)も全くしておらず、問題演習をほんの少しやっただけ。
③後期修習における①と同じ科目の起案について、①とは違う教官のコメント
「深い理解が起案にコンパクトに現れていると思います。」
以上の①~③から考えられる可能性は、
・起案の書き方や時間配分が上達し、深い「理解」まで示せるようになった
・教官=採点者によって「理解」の捉え方が異なる
・本当は①で深い「理解」まで示せていたが、教官が見抜いていなかった
・本当は③で深い「理解」なんて示せていないが、教官が勘違いしている
・実は、無意識のうちに実務修習期間中に「理解」が深まった
くらいか。
いずれにせよ、「理解」という概念のあやふやさは分かるよね。
だから、「理解」を幹として試験対策を立てることは、二回試験や司法試験だけでなく、どの試験においても危険だと思う。
他方、採点者が、受験生の「理解」という主観的かつ曖昧な力まで判定できていると思い込むのも、少々傲慢だと言わざるを得ない。
まあ、何となく感を表現しやすい言葉だというのは分かるけど、できるだけ、より明確な言葉に言い換えるべきだと思う。