朝礼スピーチのねた ブクロ -68ページ目

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米百俵を送ろう!

今日は、信用金庫に暑中見舞い、オウムとインコ、千葉・栃木県人の日に米百俵デーです。


【活用場面】

 損して得を取る。将来への投資!


米百俵と言えば、小泉総理の発言で脚光を浴びましたね!


江戸時代、長岡は牧野家という譜代大名が統治していました。戊辰戦争の際、会津藩討伐のために侵攻して来た西軍(新政府軍)に対して、長岡藩は国際法にのっとり中立を主張しました。


しかし、これは薩長に全く聞き入れられず、やむなく会津藩と共に東軍(奥羽越列藩同盟)として戦わざるを得ませんでした。残念ながら戦さに破れ、長岡の城下町は焦土と化し、長岡藩は7万4千石から2万4千石に減封されました。


戦後の長岡藩士の生活は窮乏を極めたため、支藩三根山藩から米百俵がお見舞いとして送られました。当時、藩政を担っていた大参事小林虎三郎は、将来のために教育の充実が第一であると考えていました。そして、彼はこの米百俵を藩士に分配せずに売却することを計画しました。その資金で学校を設立し、将来の長岡や日本を背負う人材を育成しようと考えたのです。


当然自分達に分配されると思っていた長岡藩士達は断固反対しましたが、彼はこれをようやく説得して国漢学校を設立しました。そして、藩士の子弟のみならず、町民や農民の子弟も入学させて、後の長岡の教育の礎を築きました。


魚を与えるより、魚の取り方を教えると言うことですねかね?


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黒船がやって来た!

今日は、ペリー上陸記念日、廃藩置県の日、内視鏡の日にゼラチン・ゼリーの日です。


【活用場面】

 史実は疑え!


幕末、日本に開国を迫ろうとアメリカからやってきたペリー提督。「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四はいで(4隻)夜も眠れず」と狂歌に詠まれたように、当時の日本人は巨大な黒船の襲来に大騒ぎだったようだが、じつは不安だったのは日本人だけではなかったようです。


実は、ペリー提督も同じだったことが記録に残っているのです。 というのも、このときの日本遠征では、当初、12隻の大艦隊を組んで遠征することが予定されていたのですが、実際は「たった四はい」。

これではペリー提督も不安でいたたまれず、夜も眠れなかったというわけなのです。


実際、幕府に対して終始、慎重な態度をとり続けたペリー提督。「武器を片手に開国を迫った」というイメージは、のちの明治政府がでっちあげたものだったようです。


思えば、教科書では、日本におしかけてきたり。軍艦で脅したり、不平等条約を結んだり。ちょっと乱暴者っぽく書かれていて、日本は被害者っぽくなってませんでしたか?ペリー提督にしてみれば、はるばるやって来てみると将軍と天皇のどっちが責任者かよくわからんし、なんか内戦起こりそうだし、うっかりするとサムライに斬られちゃうのでそりゃあ大変だったに違いありません。


国力の差を冷静にみれば、当時の植民地政策の時代に平等条約なんぞ結んだら、国に帰ったら大変な事になっていたでしょう。彼も提督と言う名のただの中間管理職似すぎませんからね。



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