朝礼スピーチのねた ブクロ -462ページ目

「望梅止渇」曹操の嘘!

 退役軍人の日(米国)でポッキー&プリッツ(日本)です!


 尖閣ビデオ流失やAPECテロ資料流失と嘘かまことか、信じられないような話が多い今日この頃です。たまにはすてきな嘘の話!


【活用場面】

 必要な嘘、嘘も方便!


 三国志で知られる武将曹操は、若くして機知・権謀には富んでいたがだが、放蕩を好み素行を治めなかったため世評は芳しくなかった。

 ただ太尉の橋玄だけは「天下は乱れようとしており、当代一の才の持主でなければ救う事はできない。天下をよく安んずるのは君である」などと曹操を高く評価していた。


 そんな曹操が部隊を率いて行軍をしていた時の話である。「望梅止渇」である。


 曹操が部隊を率いて遠征に行く途中、炎天下の長行軍に疲れ、兵達はフラフラの状態、とても目的地まで到着し、戦いに臨めるような状態ではありませんでした。余りにも、部下たちがのどの渇きを訴えるので、曹操は「あの丘を越えたところに梅の林があるからそこまで我慢してがんばれ。」と励まします。すると「梅」を連想した部下たちは口の中に唾液が広がって、のどの渇きが一時的に緩和され部隊は何とか無事目的地に到着したと言う話です。


 「梅」のすっぱさを利用した名案と言うかすてきな嘘ですね!基本的に嘘はいけませんが、人を救う嘘もあるんです。


第一次世界大戦 イゾンツォの戦い

 第四次イゾンツォの戦いは、1951年11月10日から12月2日にかけて、イタリア王国とオーストラリア=ハンガリー帝国との間で起こった、第一次世界大戦のイタリア戦線で行われた会戦のことです。


 第十二次イゾンツォの戦いとも言われるカポレットの戦い(1917年10月24日から11月9日)まで続き、カポレットの戦いでは、突撃部隊とオスカー・フォン・フーチェル(ドイツ帝国の軍人)によって編み出された浸透戦術の有効性を示した。

鬼平の統率

秋の火災予防期間に合わせて、火付盗賊改方の話


【活用場面】

 過去の経験を大切に!人心掌握、統率の極意


 「鬼平犯科帳」は池波正太郎氏の時代小説であるが、モデルとなった長谷川平蔵は実在の人物であり、只の捕物帖ではなく、多くの統率に必要な大切な事を教えてくれる。


 長谷川平蔵が火付盗賊改方長官であったのは、1787年から1795年の間。妾腹の子として生まれた平蔵は、本所界隈で放蕩無頼の時期を送る。時はあたかも1783年の浅間山大噴火や折からの大飢饉による農作物の不作により、インフレが起こっていいたころである。また、 各地で打ち壊しが頻発し、世情は酷く不穏であった。田沼意次の失脚(1786年)を受けて、1787年(天明7年)松平定信が老中に就任し、寛政の改革が始まったが、このような経済不安から犯罪も増加し、凶悪化していった。

 長谷川平蔵が火付盗賊改の長官となったのはこの年の10月である。


 火付盗賊改の長官となった平蔵は、盗賊どもから「鬼の平蔵」と恐れられる程、犯罪者にとっては天敵と言える程の高い検挙率をあげていた。その秘訣は、優れた情報網と人心掌握術にあったのではないかと思う。


 当時はすべての財産を失う火付け及び盗賊は重罪であり、平蔵はこれらの罪を激しく憎み、徹底した捜査を実施した。一方で、職人芸的な盗賊、所謂、貧しい者からは盗まない、殺傷をしない盗人には、更生の機会を与えるような優しいところもあった。平蔵本人も放蕩無頼の生活をしていた時期があり、当時の情報網や更生した盗人を上手に使い、検挙率は更に上がっていく。


 その盗人や役人達とのやり取り、ノミニュケーション(宴会)や人の使い方には、参考になるところばかりである。

 ただの捕物帖ではない、「鬼平犯科帳」を是非読んで頂きたい!


 ※ 鬼平の人気を象徴するように、本所界隈を巡る「鬼平ツアー」なるものも開催されていた。

鬼平犯科帳〈1〉 (文春文庫)/池波 正太郎
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