まとまりのないブログ -18ページ目

キッザニア東京ではたらく愛娘の姿に感涙

4歳の愛娘は、もうすでに3度目の訪問となるキッザニア東京に、初めて同行した。

思いがけず、ショッピングモールの中に広がる子供たちが主役の街に圧倒された。まず初めに立ち寄った三井住友銀行では、玄関から先、子供しか入店が出来ない。入場後わずか5分後の感涙だ。

4歳の愛娘が、今月で4歳になる友人の女の子と、ふたりで銀行に口座を開きに入るのである。この年齢まで育つ間に、どれだけ世話を焼き、何をするにも保護者としての務めを放棄した覚えはない。

それがあろうことか、子供だけで銀行で口座を開こうというのだから、この衝撃たるやなまなかでない。


八百屋で野菜の試食を勧めながら販売し(そして食べ)、ソフトクリーム屋でアイスを作り(そして食べ)、パン屋でパンを焼き(そして食べ)、クッキングスタジオで粗雑なアドバイザーに負けずオムライスを作り(そして食べ)・・・

食べてばっかりじゃないか!というツッコミを甘受しつつも、立派に仕事をこなしていた。

そしてランチ後には、はとバスのバスガイドを4歳の女の子ふたりが立派に務め上げ、さらに集英社のパビリオンでは眠い目を擦りながら必死に漫画のベタ塗りをした。それら全ての仕事ぶりにいちいち涙を流し、各パビリオンから誇らしげに出てくる愛娘の頭を撫でまくっていた。


例えそれが、大人たちのサポートを受けながらの仕事であったとしても、人間誰しも初めての仕事は人に支えられながら行うものだ。「仕事」が、高校生、大学生のアルバイト、ましてや大学卒業後の就職時ではなく、子供の頃から体験できることは本当に素晴らしいことであると運営者の想いに共感した。

また、各パビリオンを出展している企業も、将来的なリターンを見込んだものや、企業イメージの向上といった狙いがあったとしても、本当に素晴らしい企業活動であると、いつになく好感度を高めた。








Twitterアカウントを乗っ取られる・・・。

昨日、久しぶりの二日酔いのアンニュイな朝のまどろみを貪っているところに、二日酔いもぶっ飛ぶ衝撃的なメールが友人から飛び込んできた。


「ツイッターのアカウントがのっとられて、変なメッセージ送り続けてるよ(笑)DMまできた」



ツイッターのTLを流し読みするのもツラい状況だったで朝から見ていなかったのだが、確かに、3件のツイートと、フォロワーのほとんどに対してフィッシングサイトと思しきURLの載ったDMを送りつけていた。

まず、パスワードの変更をした上で、出来る限りの人たちに対してスパムDMのお詫びDMを送るが、あまりに量が多く全員に対応しきれないので、アカウントが乗っ取られた旨をお詫びと共にツイートした。

自分でのツイートはいつも通り出来る上、パスワードも以前のままだったのはせめてもの救い。


しかし、よくよく考えて、何でアカウントを乗っ取られたのかその原因が分からない以上、今後もスパムツイートの発信源になってしまう危険はぬぐえない。ので、アカウントごと削除することにした。


この場をお借りして、フォロワー関係者の皆さまに改めてお詫びします。


さして社会的地位も影響力のない立場の人間ではあるけれど、フォロワーの中には社会的な地位を持つパブリック・パーソンも多くいる。そういった方々に、私と同じような目に合わせてしまっては切腹ものだ。全く恐ろしいアクシデントである。

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それにしても、何故、乗っ取られるようなことが起こったのだろう。

ツイッター以外でツイッターアカウントを用いた記憶はないので、ツイッターの「アカウント名」と「パスワード」の組み合わせ、と言うよりも、「メールアドレス」と「パスワード」の組み合わせを盗まれたと考えるほうが自然な気がする。

ネット社会では、至る所で「パスワード」を打ち込むことになるが、パスワードは数パターンが決まっている。それ故、どこかからかその情報が漏れたのだろうか。


ところで、思い返してみて、今回のスパムツイートやDMが英語によるものだったというのが救いでもあり、恐ろしくもある。私のフォロワーの多くは、私が英語でツイートなんてしないと気付いているため、一目瞭然にスパムだと分かったと思う。さもあり得そうな日本語のツイートで、同様のフィッシングがされていたらと思うと、肝が冷える。

一方で、海外のハッカーなり、悪意ある連中に私のアカウント情報が漏れたというのはどういうことなのだろう。怖いので、今回用いていたパスワードは封印することに決めた。


また、こういった危険というのは、例えば企業のツイッターアカウントや、それ自体をビジネスに利用しているアカウントでも起こり得る話だ。

私は、ツイッター中毒者ではあるけれど、その中毒を断ち切ってアカウントの廃止処理をすれば済む話だが、ビジネスで用いているとなればそういう訳にもいくまい。



ネットの時代、こういうリスクが常にあるということを忘れてはいけない。教訓にする。




流行語の俎上には決して載らない、オヤジたちの流行語

外国人に日本語を教える時に、まず最初に教えるべきワードは、「ありがとう」でも「こんにちわ」でも「さようなら」でもない。

「どうも」

である。「どうも」は、先の言葉の意味を全て内包する大変便利な単語である。


実践では大変便利だが、当たり前過ぎる上に、活字での表現にイマイチしっくりこない為に日本語教育の場では忘れられがちだ。

ところで、この「どうも」には、良くも悪くも利き手との距離を縮める作用がある。その為、漫才師やナンパ師、訪問セールスマンたちの常套文句にもなっているが、最もポピュラーな利用シーンはオヤジたちの電話口での挨拶であろう。

「どうも、○○です。」
「どうもー。元気ー?久しぶりだねー」


私の観察では、2000年代あたりにオヤジたちの電話口で大流行をしていたように思うのだが、あまりに自然過ぎる為に流行語の俎上に載ることはなかった。はっきり言って、「どうも」は会話の導入時における究極のワードであり、これを超えるものは考えられない。


そんな中、なんと、2010年代から、最終形態とも思われていたこの「どうも」を凌ぐ究極のワードが表れたことにお気づきだろうか。メールという代替手段も一般化した現代において、電話は相手の状況を無視して突然、コミュニケーションを図るある意味、乱暴なコミュニケーション手段となった。

となると、いきなり

「どうもー」

なんて言われたら、(何だこいつは!今、こっちは会議中で忙しいんだよ!)となりがちだ。これを回避したいという時代の要請により、「こんにちは」「ひさしぶり」「俺とお前との間の話なんだけど」という意味だけではなく、「今、大丈夫?」的な意味合いが込められたワードがオヤジたちを中心に用いられ始めたのだ。

それがこれだ。



「あー」 又は、「あ゛ー」 又は、「ぅあー」



ん?にゃ


分かり辛いようなので、「どうも」をつけてみるとこうなる。


「あー、邦ちゃん、どもどもー」


さらに、ある意味、超丁寧な部類に入りそうな使い方としては、


「あ゛ー、○○ですけれども、今大丈夫ですか。どうも、どうも、どうも。実は先日の件なんですが・・・」


である。この「あー」に代表される一連の音が、まさに相手への思いやりを表すワードとしてオヤジたちの電話には欠かせなくなっている。是非、意識して傾聴いただきたい。




PS
蛇足だが、会話の途中にもしきりに「あー」を挟んでしまいがちなオヤジが増殖している。これは、会話のリズムを生むアウフタクト的な意味合いと、英国のジェントルマンがわざとどもることで紳士振るように、「あー」を定期的に入れることで相手との間合いを近くに保つ狙いがあるんじゃないかと分析している。