こんばんは。

昨日はサントリーホールで開催された「第11回 全音楽界による音楽会」にいってきました。

出演者の皆さまの熱唱&熱演に感動したコンサート!

3時間を超える濃密でぜいたくな時間をすごさせていただきました。

 

このコンサートは東日本大震災の年から20年間、2031年まで続けるというプロジェクトです。

東日本大震災で遺児、孤児となった方たちが、夢を叶える支援をすることを目的のひとつにしていて、その年に生まれた方が成人される年ということなのでしょう。

もちろんひとつのゴールに到達したら、また新たな計画がスタートできるかもしれませんね。

 

 

 

毎回、終演後に、今回集まった義援金の金額が公表されますが、

今年は、21,266,363円となり、2000万円を超えました。

ひとりひとりの力はわずかでも、この1日のイベントでこれだけの資金を集めることができるなんて、すごいことですね。

健康上、この日は立つことがお辛い状態だった三枝成彰さんが、”ここは立って言わせてください”と、スタッフの方に支えられて

立ちあがってメッセージを読まれる姿に、三枝さんの人柄を感じ、そして、こんなにも熱い熱い情熱があるからこそ、ここまでこのプロジェクトを支えてきたのだなあと、感じ入ったのです。

 

 

 

わたしがこのコンサートに参加させていただくようになったのは、2016年の第5回から。

われらがKiinaが初めて出演することになったことがきっかけですが、個人的に子どもの頃から大好きなサントリーホールで、”氷川きよし”の歌声がどんなふうに響くのだろうかと、ほんとうにわくわくしたことが思い出されます。

曲目は「きよしのズンドコ節」で、ペンライトも振らせていただいたのですが、その後、クラシックの殿堂で、やはりぺンライトはどうかしら? ということになり、”ご遠慮ください”というルールができたようです(笑)。

 

今回、MCの永井美奈子さんが、開演前の前説で、”ペンライトはご遠慮ください”といいかけて、”今回は氷川きよしさんは出演されないので、お持ちの方はいらっしゃらないですかね?”というようなことをおっしゃったので、思わず、クスリ(笑)。

 

でも、来年はぜひ出演してほしいですね。
 

 

以下は、過去記事を振り返ってみましょう!

 

2016年3月11日に開催された第5回に初めて出演されました。

 

その翌年は、サントリーホールが長期間の改装工事をすることになったため、1年お休みすることになりました。

プロジェクトに賛同し、ホールを無償で貸してくださってきたこともあり、サントリーホールで開催することにこだわっての決断だったそうです。

 

そのため第6回は2018年に開催され、2回目のご出演となったKiinaは「勝負の花道}を歌唱されました。

 

 

このときは、その翌日、栗原文化会館で開催された「NHKのど自慢」にゲスト出演されたので、観覧にも参加したのです。

前夜、帰宅が遅かったので、前ノリするお友だちに入場整理券を託して、わたしは少しゆっくり目に家を出たのですが、途中でたまたまご一緒した方が、到着して引き換えたところ、なんと1列が当たり、”4枚引き換えたから、よかったら”と、わたしと先にいっていた友人の分もくださったのでした。

 

 

そして、2019年の第7回では「大丈夫」を歌われたのでした。

 

 

この翌日は、「大丈夫・最上の船頭」の発売日!

サンシャインシティ 噴水広場で発売記念イベントが開催されました。

もう~、kiinaも、わたしたちファンも忙しかったですね(喜)。

 

 

 

2020年はコロナ禍で開催できず

2021年に第8回を開催しました。Kiinaは、「南風」を歌ってくださいました。

 

 

 
そして、2022年の第9回にも出演を予定していたKiinaでしたが、声帯ポリープの治療のため、出演見合わせとなりました。
「森を抜けて」を歌唱する予定で、東京女声合唱団と、Voice of Japan(VOJA)の皆さんがコーラスで共演し、湯川れい子先生と「森を抜けて」を書いてくださった林真理子さんも一緒に合唱される予定だったそうです。
 

 

 

 

 

来年は、ぜひ皆さまとの共演を実現させてほしいですね。

 

 

さて、皆さま、ブログを少しお休みいただいていましたが、おかげさまで元気にしています。

 

2000年からのKiinaの足跡を振り返っていきたいと思いながら、ブログの更新自体ができなくてごめんなさい。

今月中にはスタートしたいと思っています。

 

振り返りきらないうちに、Kiinaに会える日が来ることを期待して書いていったらいいかなと思えたので、気持ちが固まりました。

またそのときに、書きますが、”氷川きよし”は、氷川きよしだけのものではなく、あなたのものであり、わたしのものでもあるのだと思えたのです。

だからこそ、わたしの、あなたの、そしてKiinaのものである”氷川きよし”について、書いてみたいという思いがようやく明確なものになったのです。

 

 

 

鳥山明先生が旅立たれました。

先生には、感謝しかありません。

夢見る力をくださり、ありがとうございます。