ヘリアカルライジングまで

 

あと

 

少し

 

わたしたちの

 

太陽が

 

母なる

 

シリウスと

 

ともに

 

昇り

 

いつも

 

大切に

 

見守られている

 

息子が

 

母と

 

息を合わせた

 

協演を

 

奏でるとき

 

世界には

 

いまだ見ぬ

 

壮麗な光景が

 

広がり

 

雲は

 

さまざまな

 

象徴をつくり

 

愛の波動で

 

満たされる

 

 

 

 

 

おままごとでは

 

お父さんは

 

いつもお仕事で

 

お母さんは

 

いつも

 

楽しそうに

 

ごはんを

 

つくっている

 

ステレオタイプな

 

それを

 

演じる

 

おもしろさが

 

わからなかったし

 

モデルも

 

いなかった

 

大人になったら

 

手ごろな人と

 

手ごろな時期に

 

おままごとを

 

実践する

 

そんな

 

大きな圧も

 

いまはあるのか

 

ないのか

 

とにかく

 

だれかのために

 

自分を

 

演じる必要なんて

 

なかったのだと

 

わかるいまでは

 

感じていた

 

つまらなさや

 

あほらしさも

 

自分の心が

 

素直に

 

反応していただけだったんだと

 

わかる

 

ありがたさ

 

結婚

 

出産

 

家族

 

ケセラセラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは

 

どこでもあるし

 

どこでもない

 

いつでもあるし

 

いつでもない

 

時と空の

 

はざまで

 

コクーンのように

 

静まる

 

永遠の静はなく

 

永遠の動も

 

ないのだから

 

 

 

未だ

 

そんなことを

 

恐れていたのか

 

夢が

 

嗤う

 

もう

 

とうに

 

断ち切ったと

 

思っていたのに

 

別の次元に

 

いると

 

思ったのに

 

水は

 

高きから

 

低きに

 

流れ

 

下へ行こうと

 

誘い

 

引き込もうとする

 

絡めとられるもんか

 

飛沫をあげ

 

逆流の

 

渦を

 

つくる

 

何度でも

 

バッハの

 

聖なる流れに

 

何度でも

 

モーツァルトの

 

聖なる周波数に

 

何度でも

 

ベートーヴェンの

 

困難に挑む情熱に

 

助けられ

 

ゲーテに

 

ヘッセの

 

ことばの力を借りて

 

息を吹き返し

 

底を蹴る

 

風よ

 

鳥よ

 

わたしを

 

高みへ

 

いざなって

 

ください

 

 

 

 

 

17のころ

 

ぐちゃぐちゃな

 

思考とともに

 

いつも

 

悩んで

 

傷ついて

 

強がって

 

蟹のような

 

かたい鎧で

 

武装して

 

内側は

 

泣き叫んでいた

 

世界は

 

いつだって

 

不公平で

 

自分だけが

 

幸せになっても

 

意味がないと

 

思い込んでいた

 

いまになっても

 

思考がこんがらがって

 

脳内配線工事が

 

必要になることが

 

あるけれど

 

世界の

 

ありようには

 

すべて

 

意味があることを

 

知ったから

 

自分を

 

無駄に

 

責めることは

 

しない

 

幸せは

 

独り占めしなければ

 

ひろがっていくし

 

この世界の

 

豊かさ

 

美しさは

 

めぐっていくから

 

せき止めなければ

 

循環する