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2 Million a Year

MBAを目指していたあの頃、時代はどう動き、僕は何を考え、感じたのか。

MBA留学を目指す男の日々。

同僚が11月に結婚式を挙げるとのことで、二次会の司会を頼まれた。


帰ろうとPCを落とし、ジャケットを羽織り、突然の雨に他人の傘を拝借

しようとしたその時に、声を掛けられた。

社内には既に数人しか残ってない。このタイミングを狙ってたそうだ。

休憩室(別名タバコ部屋)に行こうと誘われるも、嫌煙家の僕にとって

嫌いな部屋なので、ちょっとたじろぎながらも、すぐ終わるとの彼の

誘いで中に入った。


名誉なことだし、来るべきときが来た!と言うのが率直な感想。いつかは

経験するんだろうな、とは思っていたが、彼の結婚式が初回になるとは。。


実は彼とは生年月日が全く同じで血液型も同じ。双子になるべく要素は

そろっていたようだが、育った環境の違いか、かたや人生の伴侶を得て

自分の道を歩み、かたや無謀な夢に向かっている最中。。この差って・・・


さーて、どう話そう。。

日本の大学の教育方法があまり好きでない。


それは教員の理論を尊重する姿勢に不満があったから。特に経済や
経営の分野において理論や研究が先行する必要は全く感じていないし

数百人相手のレクチャー中心のスタイルは、数十人規模の高校よりも

たちが悪い気もする。。


彼らに課せられた勤めは経済や産業界の成長を学術界からサポートし、

優秀な経済・経営人を育てるということにつきる。それなのに実務経験が

皆無という教員が多いのは・・・


それを痛感したのは、竹中平蔵の一件だった。尤も彼は一度官公庁を

経由して教授になっているようだが・・・


彼が小泉首相に招き入れられたのは2001年くらいだっただろうか。。
当時の僕はというと前職時代で、求人広告営業を担当、ITバブルが
崩壊した世間の不景気の煽りで求人をする企業も少なくなっていた。


当時は確か、かなり高失業率が話題になっていた。そこで彼がしきり

に発言したのが、「ベンチャー起業促進」である。市場がないなら作る

という考えだろうか。。。


失業率が高まれば、それだけ社会の労働市場の不安は大きくなる。
「失業はしたくない」「今が安泰ならしばらく動かない」というのが実情。
実際、求人数が少なくなっても、求人をする会社がなかったわけでは
ない。IT系でも、バブル崩壊の影響を受けなかった、あるいはそれを
乗り越えた企業がバブルの後遺症から抜け出すために積極的に人の
採用を行っていた。しかしそこには人が流れないのだ。


ITバブルが崩壊した印象が強い世間の潮流の中、好んでITの会社に
移る人と言うのは多くない。まして起業したばかりのベンチャーに誰が
行こうと思うだろうか。バイオベンチャーの起業だとしても、各技術が

ニッチ且つ専門的なバイオベンチャーにたやすく人が流れるわけがなく

大手もそういう企業にいけるような人材を簡単には手放さない。


彼に必要だったのは「ベンチャーをそう簡単につぶさない」サポートへの
注力と労働市場を安心させる政策の方が大事だと思っていた。

彼は現場を理解できていない、と率直に感じた。と同時に日本の大学の
教授になるプロセスを考えれば当然か、とも思った。


もちろん大学教育すべてを頭ごなしに否定するつもりはない。実際に
僕は大学時代に素晴らしい先生と出会った。
国際経済専門の廣野先生は国内外の団体に参加され、現地へ赴き
その経験に基づいた日本の立場をいつも力説されていた。


クラスは少人数。授業中は次々に学生をあて発言を求める。間違って
いようがいまいが、まずは学生に意見を述べさせる、これが廣野先生
のやり方だった。友人達はなぜかこの授業を取ってなく、一人。しかも
4年が多い中で3年生だった僕は、正直あてられるのは好きでなかった。
それでも、先生のリアルな話が面白くて欠席せずに毎回出席していた。


僕がMBAを目指す理由、その一つは、"ビジネススクール"だからだ。
そこで学ぶのは、学問でも理論でもない、リアルなビジネス。


ケーススタディでは、実際起きた事例を習ってのビジネス知識と経験を、
ディスカッションでは、スピーチやプレゼン能力に加え論理的な裏付けに
基づいた意思決定経験を。MBAであれば習得できると信じている。


スクール選びでは、Facultyのバックグラウンドとビジネスとの関わりを
重視する予定。招かれる産業界の講師陣も魅力の一つ。そして何より
クラスメイトのバックグラウンドが最大の魅力。できれば経験の長い人が
通うビジネススクールを選びたい。


この環境があれば、もちろん日本のMBAも視野に入ってくる。

先日、次世代DVD規格への統一化が破談になったというニュースを

目にした。今、次世代DVD規格は、電機だけでなくコンピューターや

映画業界を巻き込み、2つの陣営が主導権争いを繰り広げている。


ソニー・パナソニック中心の陣営 vs 東芝・NEC中心の陣営


今月はじめくらいにソニーの進めるブルーレイに収束するかのような

報道が流れたが、結局は譲れない点があり振り出しに戻ったらしい。


別に取り立てて興味のある話ではなかったが、この報道を見ていて

VHS vs ベータの主導権争いを思い出した。ベータはソニーが推進

していた規格で、当時は日本ビクターのVHSと主導権争いをしていた。

自分が小学生のころはまだベータをレンタルビデオ店で借りれた時代

だったが、今となっては皆無。つまりソニーが負けたのだ。


今回もこのまま両者が統合がされず、それぞれで製品化したとしても

十年後にははっきりと勝敗がついているのではないだろうか。そして

その規格はVHS同様、消費者によって決められる。同じことが出来る

ならば2つはいらない、と言うのが消費者だからだ。


これまでも様々な標準化の争いが起こっては、一方が消えていくか、

その立場を縮小されていった。

Excel vs Lotus1-2-3

Internet Explorer vs Netscape Navigator


しかし実はその消費者を動かすのは、他でもない供給者達である。

Microsoftは、PCに自社製品をバンドルして販売することで、自社の

製品の市場シェアを高めた。これは事実上、消費者は選ばされた形

になるのだが。。


今回の次世代DVDでも供給者側が、どちらかを選ばざるを得ない

状況を作り出せれば、あっという間にシェアを広げる可能性がある。

そしてその動きとして僕が注目したのが、ソニーのPlayStation3だ。


こちらもつい先日、ロスで開催されたE3でお披露目されたばかりだが、

このPS3のソフトにはブルーレイが使われるとのこと。

つまりPS3が市場に出て一気に消費者を掴んでしまえば、ブルーレイ

が主導権を握ると言うふうに現在は見ている。


DVDがここまで普及したのは、多少なりともPS2でDVD再生が可能に

なったことが影響していると思う。今回もPS3という武器によりソニーが

市場を押さえるのか、注目はしていきたい。


ただ、個人的にはDVD以上の容量が必要なのか?と本音は思っている。

ビデオは標準で最大2時間だったため、たまにタイタニックなど長い映画

は1本で収まらない。確かにいいシーンでビデオを入れ替えるというのは

なんとも味けない。また、レザーディスクは、LPレコード並みのサイズで

普及しなかった。(買わなくて良かった・・・)


しかし、DVDはタイタニックもダンスウィズウルブスも収録可能であるし

サイズもCDと同じ、既に5.1Chで映画並みの音響も実現している。

PS3のブルーレイディスクでのゲームでは、映画のようなグラフィックを

再現できるとのことだが、消費者がお茶の間でそれを必要と感じるには

少し時間がかかるのではないだろうか。

現にソニーは、確かDVDレコーダー全盛期のころ、PSX・すご録よりも

前にブルーレイ搭載の録画機を発売、失敗しフライングとなった。


とはいえ、ハリウッドの映画会社やAppleまでが絡んでくるというわけで

それだけ大きなことなんだろう。。今後の動向を見て行きたい。

09:00am   起床


10:00am   ハローワークへ

         できれば、生涯一切お世話になりたくない場所ではあるが、

         来月から予備校に通うにあたり、教育訓練給付金の対象に
         なっているかを 調べるために初めて訪問。

         「27歳のハローワーク」も・・・本日休業日。。。


10:30am   歯医者


11:00am   海に向けて出発

         初夏ってわけで車のBGMはMondoGrossoのNextWave。

         「BLAZE IT UP」が夏っぽくてマッチ。


01:00pm   海到着

         遠目からはそこそこの波に見えていたが、入ってみたら・・・

         これってもしかして大時化??

         サーファーなくせに、船酔いするんじゃねーか。って感じの

         コンディション。しかも、到着直前に曇り出す。。。


04:00pm   終了

         波のせいにはしたくないが。。波にはあまり満足いかず。。

         それでも、やっぱり海に浮かんでの日向ぼっこも悪くない。

         満足いったのは数本だけど、まぁこんな日もあるかな、と。

         前向きに考えることにしました。

         帰りの車の中ではSoulHeadの「LOVER, KNIGHT, MAN」

         これは夏の夕暮れっぽいから。


06:00pm   家に到着

         ワックスを半年振り(?)くらいにはがす。夏用のワックスを

         次回塗ることにする。記念にパシャ。

         surf board

         この機会にリペアも。左テール付近に大きな傷(!)を発見し

         ショックを受ける。手術が必要かも。。。


Why MBA?の最中ではあるが・・・本日(日付上は20日)は勤務先の

全社的なイベントがあった。所属するマーケティング主導のイベントで

あるため、いつも以上に早起き(5:20)をし、丸1日がかり(含打ち上げ)

のこの催しを終えて先ほど帰宅。


今回、マーケといううちの会社では普段表に出ない部署にめずらしく、

観客の前でプレゼンをする機会をいただいた。


自社ソリューションの紹介セッション 15分 × 2種 × 4回


途中は空きがあるものの、延べ2時間に及ぶプレゼンだった。


終わってみればよい経験をさせていただいた、という感想だが、やはり

人に自分の考えを上手く伝える、と言うのは非常に難しいということが

今回の経験でよく分かった。


これまでは、前職中にせいぜい数名に対して営業の提案を行うと言う

レベルでの実績しかない。それを100名規模の人を前にしできるだけ

多くの人に理解してもらえる工夫には骨を折った。


なによりもまず、自分が聞く立場になって考えるということ。IT業界には

ありがちな専門的な言葉の羅列でなく、一人でも多くの人にこの会社は

何をどう良くしてくれるのか、と言うのを理解してもらうことを重視した。


矛盾はするが、文字は少なくする。読ませず話を聞いてもらうためである。

そしてそれを補助する形でpptに動きをつけること。クリップアートや挿絵、

アニメーションを利用して、飽きさせない仕掛けをちりばめる。


そんなことは当然、と思われるかもしれないし、逆にそれは誤ったプレゼン

作成方法と言われるかもしれないが、それでもプレゼン中に、お客さんが

ウンウン、と頷いてくださったり、メモを取ってくださったり、ハンドアウトが

欲しいと言っていただけたことで、普通にメッセージが受け入れてもらえて

いるんだと言うことを実感した。


次回があるかはまだ分からないが、今感じる達成感はとてつもなく大きい。

現在の会社への転職を考え始めたのはいつだろうか。


ITバブルの崩壊とともに会社の急成長は止まり、社内的にも
かなりギスギスとした雰囲気に。
そしていつのまにか慕っていた先輩や同僚が会社を去っていく。
そんなこの会社のデフレスパイラルに僕の気分はまったのか、
会社のアラが見えてくる。


「仕組みがいけないから売れない。」
「社長は金のことしかいわない」


今思えば多少アマちゃんな考えではあるが、この事をきっかけに
市場を作る、売れる仕組みを作るマーケティングを、業務として
行いたい、そう思うようになった。


2002年の2月くらいであろうか。

社内唯一の女性取締役兼統括部長と僕は赤坂を一望できる窓際
の会議室で対峙していた。


「マーケティングをやらせてください」


その会社には営業企画部という部署があった。とはいえ、年に
数回のイベントの運営を中心に動いており、今の営業を支援する
本来の営業企画的なことはあまりしていなかった。というのも
雑誌という特性上、広告主と読者という2つの顧客を持つ立場。
彼らは読者向けのプロモートを中心に行っていたのだ。


「今のうちにその余裕はない」


それが彼女の答えだった。当然であろう、業績も低迷、正直僕も
好業績を残しているわけではなかった。そしてここでこの会社で
マーケティングに従事すると言う選択肢が消えた。


新聞でマーケティングの募集広告を目にする。募集主は外資の

エンタープライズソフトウェア企業。

時代はERPの再来とCRMの拡大期であった。アナリティカルな

CRMの分野ではTOPベンダ。業務を効率化するERPとは異なり

どの会社にでも必要な製品ではないが、それでもニーズはある。


こうして僕は現在の会社の門をたたいた。

幸運にも、就職した会社はキャリアアップ(主に転職)を雑誌を通じ
世間に投げかける立場。キャリアアップ情報のひとつとしてMBAが
特集として取り上げられることもしばしばあった。


また時はITバブルに沸く2000年。楽天の名前を日経新聞で見ない
日はないと言っても過言ではないくらいのIT景気の波は、ごく自然に
三木谷社長がHarvard MBA出身だという話を運んできた。


その後もDellの浜田社長、ユニクロの玉塚社長(Thunderbird MBA)
ローソンの新浪社長(Harvard MBA)といった時の若手の精鋭社長
がMBA出身であるという事実を知り、興味の度合いはいやがうえにも
向上する。


自分がMBAを意識しているから耳に入るのか、それともMBA出身者が
ビジネスで頭角を現しだしたのか・・・いずれにせよ日本のビジネスを
動かそうとしているのは、MBA取得者が多い。きっと他の人であれば
聞き流しているであろう○○MBA出身というプロフィール、それを僕は
このように何となく意識して社会を見るようになっていった。


学生時代に刷り込まれた印象をもったまま、という感は正直否めない
時期ではあったが、それでもMBAでの経験がビジネスにどう活かされ
そして日本を刺激するのか。


自分自身の想いをも刺激されつつ、ようやくここへ来て情報収集への
第一歩を踏み出していく。


なぜ、MBAを目指そうと思ったのか?
インタビューで必ず聞かれる項目として、これは周知の事実である。


今なぜ僕がこのMBAを目指すのか。正直漠然としている部分もある。
その漠然とした部分をきちんと形あるものとし、実際のインタビューで
思いが伝えられるようにするためにも、Why?を整理をしていきたい。


僕が始めてMBAという言葉を聞いたのは、確か高校生の頃である。
当時はMBAよりもマイケルジョーダンだとかラリーバードが活躍する

NBAの方に断然興味があったが、時代は既にバブル経済が崩壊し、
大卒の就職難が大きく取りざたされている頃。ホテルマンをしていた
父からこの言葉を聞いたと記憶している。


しかし、当時就職とはまだ無縁の歳。(中高大一貫教育下ゆえの甘さ)
MBAとは「就職に強い資格の一つ。」程度にしか思っていなかった。


大学に入っても世間は、就職氷河期などよばれ、依然として就職難。
当然ながら漠然と自分の社会人の姿を考え始める。何の資格もなくて
この不況を生き抜いていけるのか。そこでMBAを初めて意識するように
なった。


正直、就職活動を始める直前までMBAの留学を考えていた。しかし
①TOEFLの点数(当時英会話に通うもあまり語学力は身につかず)
②経済力(親の援助を請うにしても1000万円は非現実的)
③入学資格(社会人経験皆無の留学生に門戸は狭し)
という制約からこの段階でのMBAを諦め、人材系ベンチャーに内定。


内定後、既に単位を大学3年までで終了していたこと、卒論が必須でない
環境を利用し自費で4ヶ月間留学。英語力強化を図る。
つまりまだ、いや既にこの時に将来のMBA留学を睨んでいた。


2000年4月某日、入社して数日たったこの日に、関連会社の社長は9人の
新人に「将来どんな目標を持っているか話してくれ」と切り出す。そして僕は
その社長と9人の同期を前に高々とMBAの取得を宣言することになる。

当時、仕事もしたことのない僕がいきなりMBA取得を宣言したことを回りは

どう思ったのだろうか?戯言として聞き流したのがほとんどだろうか・・・

しかし、この日のこの発言は後のキャリアに大きく影響を与えることになる。

かねてよりCREWと勝手に命名したサーフィンサークルを

本格的な大人なサークルとして活動していくため、新たに

ロゴとネットコミュニティを立ち上げた。


もともと先日の合宿の際にCREW Tシャツはを作ろうという

話になっていたのでそれを睨んで動いたのがこの結果。

CREW LOGO  


ロゴはTシャツにしても耐えうる「シンプルさ」と「キュートさ」

この二つを追求し、案としてメンバーに提示中。


と同時に、Google Groupβ版を利用してCrew-Surf という名の

コミュニティを立ち上げた。皆あまり家でメールしない連中

だからあまり使われないかもしれないが、とりあえず設立。

メンバーしかアクセスできないクローズドなコミュニティだが

逆にうまく使えば、結束を固くする効果はあるはず・・・




会社には内緒だが、毎週日曜日に地元の小さな花屋で配達の
お手伝いをさせていただいている。最初は忙しいお盆の時期のみ
ヘルプで入るはずが、店長からのお願いもあり9ヶ月が経過した。
来月から予備校に通い始めるため、今月で一度終了となる。


ここでは、普段は経験することのない貴重な経験をいくつかさせて
いただいたが、一番の印象はCRMを目の当たりにした点だと思う。


ここの店長、齢73歳。バブル期までは不動産コンサルティングで
ゴルフ場などの開発や会員権の売買を行い、その後花屋に転身。
市場を仕切ったり、地方農協で花作りを教えたりと、かなりバック
グラウンドが多彩だが、根はやはり商売人。半端出ない記憶力を
武器にCRMを実践しているのである。


CRMはCustomer Relationship Managementの略であり、数年前に
ITの世界を中心に世界的に(恐らく)大流行した言葉(※)である。
日本語では無理やり「顧客関係管理」と訳されたりしたが、要は
「お客と良好な関係を構築して、売り上げを上げましょう」
ということ。一般的には八百屋の例が挙げられるケースが多いが、
僕は、花屋でそれを体験した。


花屋の近くには墓地が点在するため、お客さんも主に墓参客である。
つまり、近所の奥様が「自宅に花を」「お祝いの贈り物に」という一般の
花屋の顧客の割合が圧倒的に低いが、逆に墓参シーズン(!)には、
ある程度の固定客が見込める環境である。しかし、逆にライバルとなる
墓参客目当ての花屋も周囲にいくつか存在しているのだ。ここで花屋
のCRMが活きてくるのである。


この店長は、ともすれば年に数回しかこない客でもよく記憶しており、
お客さんが店先に立つと「今日も大きい花、お作りしましょうか?」
などと各顧客に、前回の経験に基づく最適な提案をするのである。


よく見ていると近所の人、地方からの来店者構わず、よく顧客と話す。
花のこと、気候のこと、地方ナンバー車であればその地域のこと。
そして子供が一緒であればお菓子を、数回来店したお客には小さな
鉢植えをあげている。


子供はお菓子のことを記憶しているようで、次は車から降りて店先に
顔をだすのだ。きっと「墓参りに行くならあの花屋で花を買おう」と親に
勧めているのだろう。これは、この子供の親からのLife Time Valueを
最大化していることになる。


また、前回鉢植えをあげたお客さんも、その記憶があるからか再び
立ち寄ってくださる。すると店長はすかさず
「前の花は、いつまでもった?」
なんて言葉をかけるものだから、再び話が盛り上がり、結果として
そのお客は固定客へとなっていくのある。


春のお彼岸のころに店長がふと
「うちには2000人くらい固定客がいるな」
と漏らしたことを強烈に記憶している。


もちろん2000人全てを記憶しているわけではないと思うが、それでも

根っからの商売人の店長はCRMを体ひとつで実現し、ここの店舗を

切り盛りするようになって数年来、少しずつではあるが着実に売上げ

を伸ばしているのである。


これをうちの会社で実現するのは・・・無理だろうな。。。


※当時、大規模な企業が各顧客を管理するためのソフトウェアが
大きく取り沙汰されたのと同時にこの言葉が爆発的に広まったため、
他のIT技術と同じように、いつしかあまり使いたがらない言葉へと
その位置づけが変わってしまった気がする。