Why MBA? 番外編 | 2 Million a Year

2 Million a Year

MBAを目指していたあの頃、時代はどう動き、僕は何を考え、感じたのか。

MBA留学を目指す男の日々。

現在の会社への転職を考え始めたのはいつだろうか。


ITバブルの崩壊とともに会社の急成長は止まり、社内的にも
かなりギスギスとした雰囲気に。
そしていつのまにか慕っていた先輩や同僚が会社を去っていく。
そんなこの会社のデフレスパイラルに僕の気分はまったのか、
会社のアラが見えてくる。


「仕組みがいけないから売れない。」
「社長は金のことしかいわない」


今思えば多少アマちゃんな考えではあるが、この事をきっかけに
市場を作る、売れる仕組みを作るマーケティングを、業務として
行いたい、そう思うようになった。


2002年の2月くらいであろうか。

社内唯一の女性取締役兼統括部長と僕は赤坂を一望できる窓際
の会議室で対峙していた。


「マーケティングをやらせてください」


その会社には営業企画部という部署があった。とはいえ、年に
数回のイベントの運営を中心に動いており、今の営業を支援する
本来の営業企画的なことはあまりしていなかった。というのも
雑誌という特性上、広告主と読者という2つの顧客を持つ立場。
彼らは読者向けのプロモートを中心に行っていたのだ。


「今のうちにその余裕はない」


それが彼女の答えだった。当然であろう、業績も低迷、正直僕も
好業績を残しているわけではなかった。そしてここでこの会社で
マーケティングに従事すると言う選択肢が消えた。


新聞でマーケティングの募集広告を目にする。募集主は外資の

エンタープライズソフトウェア企業。

時代はERPの再来とCRMの拡大期であった。アナリティカルな

CRMの分野ではTOPベンダ。業務を効率化するERPとは異なり

どの会社にでも必要な製品ではないが、それでもニーズはある。


こうして僕は現在の会社の門をたたいた。