今年も中央競馬が東西の金杯を皮切りにスタートしました。

東の中山金杯は4番人気のレッドガランが優勝

西の中京競馬場で行われた京都金杯は7番人気のザダルが

優勝し、東西共に例年同様に上位人気馬が敗れる荒れた

スタートとなりました。

そして新年早々、2018年のダービー馬ワグネリアンが

病死したとの、訃報が届きました。

歴代ダービー馬4頭が揃って出走したジャパンCが

最後のレースとなりました。

あの時、既に病に侵されていたのかと思うと胸が詰まる思いです。

私達はあなたの名を決して忘れません。

どうか天国でゆっくり休んで下さい。

お疲れさまでした。

今週は中京競馬場で第56回シンザン記念が行われます。

シンザン記念は、戦後初のクラシック三冠を制し、天皇賞、

有馬記念にも優勝した五冠馬シンザンを称えるため、

1967年にシンザン記念として創設されました。

他馬からのシンザンに対するヤキモチか、昭和期シンザン

記念に勝った馬はクラシックに縁がないと言われていました。

しかし、近年優勝馬からタニノギムレットやジェンティルドンナ

アーモンドアイ等のクラシック馬が誕生したことから、今では

クラシックレースの登竜門と言われるようになりました。

 

思い出の馬は、昭和58年第17回優勝馬メジロモンスニーです。

メジロモンスニーは昭和58年のクラシック組で同期には

あの三冠馬ミスターシービー、ジャパンカップ優勝馬カツラギ

エース、宝塚記念馬スズカコバン等がいます。

メジロモンスニーは旧馬齢3歳の夏の札幌でデビューするも

距離が短かったのか、ダートが合わなかったのか、苦戦が

続きましたが、3戦目の未勝利戦でようやく勝つことができました。

その後重賞レースに挑戦するも5着に敗れたものの、特別

レースに勝利する等、3歳にして8戦もして3勝をあげ、関西の

クラシック候補に名乗りをあげました。

年が明けて4歳になったメジロモンスニーは暮れに行われた

阪神3歳Sで僅差の最下位に敗れましたが、4歳初戦となる

シンザン記念では特別強い相手もいなかったせいもあってか

1番人気に推されました。

そして、その期待に応えるように格の違いを見せ、5馬身差の

圧勝でシンザン記念を制しました。

その後、メジロモンスニーはクラシックを目指し、東上し、

スプリングステークスに参戦するも4着に敗れました。

そして挑んだクラシック初戦の皐月賞で後の三冠馬ミスター

シービーと対決しました。

当日は雨で不良馬場でのレースとなりました。

レースはカツトップメーカーやカツラギエース、ルーキーオーが

激しく先行する中、ミスターシービーとメジロモンスニーは後方

からのレース展開となりました。

ミスターシービーが3コーナーから4コーナーにかけてまくり気味に

上がって行く中、メジロモンスニーも一緒に上がって行きましたが

ミスターシービーが不良馬場を物ともせずに切れ味鋭く抜け出して

先頭に立ってそのままゴールし優勝。

メジロモンスニーも追い込んで何とか2着に食い込みました。

そして迎えた日本ダービーではミスターシービーが圧倒的

1番人気に推される中、距離が伸びて逆転の可能性があると

見られたメジロモンスニーは2番人気に推されました。

スタートしてからイズミサンライズが先行し、ニシノスキーや

カツラギエース、マックスファイアーが続く中、メジロモンスニーは

後方を進みミスターシービーは最後方からのレース展開と

なりました。

3コーナー過ぎからミスターシービーが仕掛け、あっという間に

先頭集団とっつき、直線に入ると規格外の切れ味であっと

いう間に先頭に立ち、他馬を寄せ付けず日本ダービーを圧勝し、

2冠目を制しました。

メジロモンスニーも何とかミスターシービーを目標に仕掛ける

ものの、ミスターシービーのスピードについて行けず、それでも

粘るビンゴカンタを押さえ、2着に入りました。

天皇賞に執念を燃やしたメジロ軍団でしたが、その後においても

メジロライアンが2着に敗れる等、ついにダービーを制することは

出来ませんでした。

夏を無事に超したメジロモンスニーは菊花賞トライアルの神戸

新聞杯に出走し、3着に敗れたものの、長距離向きの血統で

あった事から、菊花賞でミスターシービーを負かすのであれば

メジロモンスニーだろうと言われていました。

しかし、神戸新聞杯後に骨折が判明したため、菊花賞を断念し

ついにクラシックを制することは出来ませんでした。

1年間の休養後に復帰を果たしたものの、骨折の影響か以前の

ようなレースぶりが見られずに2戦連続で着外に敗れました。

その後再び休養に入り、年が明けて6歳になったメジロ

モンスニーは4月のオープン特別に出走し、シンザン記念以来の

勝利を飾りました。

そしてシンボリルドルフとミスターシービーの3冠馬2頭の対決が

注目される春の天皇賞に出走しましたが、2走ボケだったのか、

終始後方のままで9着に惨敗してしまいました。

そこに往年のメジロモンスニーの姿はありませんでした。

しかし続く当時の高松宮杯に出走すると、スズマッハやスズカコ

バン、ウインザーノット等を押さえて優勝し、久しぶりの重賞制覇

を果たしました。

この勝利で今後の古馬路線での活躍を期待されたメジロ

モンスニーでしたが、その後は脚部不安に悩まされ、1年間の

休養後、復帰し天皇賞春と高松宮杯に出走するも、往年の

走りは全く見られずに大敗し、高松宮杯を最後に静かに競馬場を

去りました。

引退後、種牡馬として繋養されるも代表産駒を輩出することは

出来ませんでした。

そして1995年に種牡馬を引退しましたが、その後のメジロ

モンスニーについてもまた、どのように生きて、いつ、どのように

亡くなったかの記録は残っていないのは、本当に残念です。

今週は中京競馬場で第56回シンザン記念が行われますが

ルメール騎手がグランアレグリアの再来と言っていた関東馬

ラスールとレッドベルアームの巻き返しに期待します。

このレースからクラシック馬が誕生するのか、シンザンへの敬意を

表すると共に今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われましたグランプリレース第66回有馬記念は

ファン投票1位で1番人気に推されたエフフォーリアが直線で

力強く抜け出してディープボンドとクロノジェネシスの追撃を

堂々と押さえて優勝し、日本一に輝きました。

エフフォーリアは馬体が充実し、まさに貫禄も出てきました。

今まで日本の競馬界を牽引してきたコントレイルやクロノ

ジェネシスが引退する中、来年の活躍が期待されます。

2着には5番人気のディープボンドが入り、グランプリ4連覇

そしてラストランとなったクロノジェネシスは直線で追い込むも

3着に敗れました。

同じくラストランとなった菊花賞馬キセキは4コーナーで一瞬

見せ場はあったものの10着に敗れました。

クロノジェネシスもキセキも最後まで頑張ってくれました。

クロノジェネシス、キセキ、本当にお疲れさまでした。

そしてありがとうございました。

次のステップでの活躍を期待しています。

 

2021年の中央競馬の全日程が終了し、今年も

あとわずかとなりました。

今年もコロナ禍の中での開催となり、とても残念です。

そして、今年も数々の功績を残した名馬達が天国へと

旅立っていきました。

クロフネ(23歳) 1月17日 没

アメリカ合衆国で生産され、日本で調教された外国産馬で

2001年春にNHKマイルC、ジャパンCダートを含む2戦を

大差でレコード勝ちしました

エイシンサニー(34歳) 2月17日 没

1990年の優駿牝馬(オークス)、報知杯4歳牝馬特別に

優勝しました

アブクマポーロ(29歳) 2月21日 没

東京大賞典、帝王賞、川崎記念(2回)。NARグランプリの

年度代表馬部門を2年連続で受賞。ダートグレード競走初期に

地方競馬側の総大将として君臨し、地方競馬における最強馬の

1頭と言われています

シーザリオ(19歳) 2月27日 没

2005年の優駿牝馬(オークス)、アメリカンオークス招待Sに優勝

その年の最優秀3歳牝馬に選出されました。

繁殖牝馬としても菊花賞馬エピファネイア、皐月賞馬サートゥル

ナーリアを輩出しました

ジャングルポケット(23歳) 3月2日 没

2001年の東京優駿(日本ダービー)、ジャパンカップに優勝

その年の年度代表馬、最優秀3歳牡馬に選出されました。

種牡馬としても天皇賞馬ジャガーメイル、菊花賞馬オウケン

ブルースリ、オークス馬トールポピー等、多くの名馬を輩出

しました

ネオユニヴァース(21歳) 3月8日 没

2003年皐月賞と東京優駿(日本ダービー)に優勝

その年の最優秀3歳牡馬に選出されました

種牡馬としてもダービー馬ロジユニヴァース、有馬記念馬

ヴィクトワールピサ、皐月賞馬アンライバルド他、多くの

重賞勝ち馬を輩出しました

レガシーワールド(32歳) 8月18日 没

1993年、日本調教の騸馬として初めてジャパンカップに優勝

その他セントライト記念に優勝し、有馬記念では2着に健闘

ドゥラメンテ(9歳) 8月31日 没

2015年の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に優勝

その年の最優秀3歳牡馬に選出されました

種牡馬としても菊花賞馬タイトルホルダーを輩出しました

ウメノファイバー(25歳) 9月12日 没

1999年の優駿牝馬(オークス)、クイーンカップに優勝

その年の賞最優秀4歳牝馬に選出されました

アグネスデジタル(24歳) 12月8日 没

米国で生産、日本で調教された外国産馬として中央・地方

日本国外を転戦して芝とダートを問わず活躍した元祖二刀流の

馬でマイルCS、天皇賞(秋)、香港カップ、フェブラリーS、

安田記念等に優勝、GⅠレース6勝をあげました。

2001年度最優秀4歳以上牡馬に選出されました。

種牡馬としても2014年ジャパンダートダービーに優勝した

カゼノコ等などを輩出しました。

ノボトゥルー(25歳) 12月9日 没

米国生まれの日本の競走馬で2001年フェブラリーSに優勝

88戦11勝 無事これ名馬として長く活躍しました。

私達はあなた達から夢と勇気と希望をもらいました。

私達はあなた達の名前や功績を決して忘れることはありません。

天国でゆっくり休んで下さい。

長い間本当にお疲れさまでした。

そしてありがとうございました。

先週行われました第73回朝日杯フューチュリティステークスは

3番人気のドウデュースが直線でのセリフォスとの接戦に勝ち

デビューから3連勝でGⅠ初制覇を果たしました。

鞍上の武豊騎手は同レース22度目の挑戦で悲願の初優勝を

飾り、前人未到のGⅠ24競走の完全制覇へ王手をかけました。

2着には1番人気のセリフォスが入り、3着には4番人気の

ダノンスコーピオンが入りました。

武豊騎手、久しぶりのGⅠ優勝、本当におめでとうございます。

今週は中山競馬場でいよいよ今年の競馬のクライマックス

日本一決定戦有馬記念が行われます。

1955年、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が

中山競馬場の新スタンド竣工を機に暮れの中山競馬場で

日本ダービーに匹敵する大レースを行いたいと提案し、

当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する

方式が採用され、1956年(昭和31年)に中山グランプリの

名称で創設されました。

しかし、第1回中山グランプリの興奮も冷めやらぬ1957年1月に

創設者である有馬理事長が急逝したため、有馬氏の様々な

功績を称えるため、第2回開催から有馬記念に名称を変え、

これ以来、中央競馬の一年を締めくくるレースであり、ファンが

投票して選んだ名馬達による日本一決定戦のドリームレース

として定着しています。

 

思い出の馬は昭和を代表する女傑トウメイです。

昭和44年代、ちょうど競馬をまだ良く判らないまま見始めた時、

今でも強く印象に残っている馬が何頭かいます。

ミノル、タカツバキ、アカネテンリュウ、メジロアサマとトウメイです。

トウメイは北海道の小さな牧場で生まれ、馬体重も400キロ前半

で小柄だったためか、当初はそれほど期待されていませんでした。

1968年8月の札幌でデビューし、新馬戦初戦は2着だった

ものの、新馬2戦目で勝ち上がり、その後も特別競走も勝つなど旧馬齢3歳時は6戦4勝という好成績をおさめてクラシックに

駒を進めました。

年が明けて4歳になったトウメイは、シンザン記念では2着だった

ものの、京都4歳特別に快勝し、桜花賞に挑みました。

1番人気に推されたトウメイは直線で鋭く抜け出して勝つかと

思われた瞬間、外からヒデコトブキが猛然と追い込んでトウメイを

捉えて交わして優勝し、トウメイは勝利目前で2着に敗れて

しまいました。

続くオークスでも1番人気に推されたものの、シャダイターキンの

一世一代の脚に3着に惜敗し、結局善戦したものの、牝馬

クラシックは無冠におわりました。

その後オープン競走には勝ったものの、牡馬との混合戦では

惜敗が続いていました。

明けて古馬になったトウメイはマイラーズカップで菊花賞馬

アカネテンリュウ、宝塚記念馬ダテホーライやミノルをやぶって

優勝しましたが、その後脚部不安は発生し休養を余儀なくされて

しまいました。

明けて6歳になったトウメイは1月に復帰し、最初は惜敗が

続きましたが、徐々に調子をあげ、前年優勝のマイラーズカップ

では、菊花賞馬ダテテンリュウをやぶって連覇を達成し、女傑ぶり

を発揮し始めました。

そして前年敗れた阪急杯では出走馬の中でトップ斤量の

58キロを背負って優勝し、更に牝馬東京タイムズでは小さい

馬体に59キロを背負いながら圧勝劇を演じました。

もはや誰もトウメイの勢いを止めることはできませんでした。

その勢いのまま、古馬最高峰の当時東京競馬場の3200mで

行われていました天皇賞に挑みました。

トウメイはこれまで優勝したレースは2000m以下であり、現に

オークスでは敗れていることから、当時、マスコミからは距離に

疑問があると評価されていました。

天皇賞での1番人気は天皇賞に執念を燃やすアカネテンリュウで

トウメイは距離への疑問から3番人気になりました。

スタートしてからすぐにゴールドライジン、ダイホウゲツ、

スピーデーワンダーが激しく先行争いを演じ、ダイシンボルガード

は中段でトウメイは中段より後方でレースを進めました。

直線に入ってスピーデーワンダーとダイホウゲツが逃げ込みを

図り、アカネテンリュウはいつもの伸び脚が見られず、ダービー馬

ダイシンボルガードが差し脚を伸ばしてくる中、外からトウメイが

鋭い脚で伸びて、逃げ粘るスピーデーワンダーを一気に交わして

先頭に立ち、アカネテンリュウやダイシンボルガードをやぶって

天皇賞制覇を果たしました。

その後トウメイは、ラストランとして有馬記念に参戦しました。

このレースにはアカネテンリュウ、メジロアサマ、メジロムサシ

ダイシンボルガード、ジョセツ等が出走を予定していましたが

この年は馬の感冒が流行したため、前日発売で1番人気だった

アカネテンリュウやメジロアサマ等の有力馬が出走を取り消して

しまい、6頭だての寂しい有馬記念になりました。

スタートして、サンセイソロンが逃げる展開となり、トウメイは

後方からの競馬となりました。

直線に入ってコンチネンタルとダイシンボルガードが抜け出す中

またしてもトウメイが大外から鋭く伸びて追い込み、コンチネンタル

とダイシンボルガードを一気に交わして先頭で立ち、見事

有馬記念制覇を果たしました。

因みに敗れたメジロムサシも既に感冒にかかっていたそうです。

この年の有馬記念はアカネテンリュウやメジロアサマ等の

有力馬が出走を取り消したことで、トウメイは運が良かったと

一部の評論家やマスコミに言われていましたが、天皇賞での

勝ちっぷりからも例えどの馬が出走してきても、本格化した当時の

トウメイに勝つことは出来なかったと私は今でも思っています。

トウメイは生涯戦績31戦16勝 2着10回 3着2回で掲示板を

一度も外したことが無いなど、本当に素晴らしい成績を残し、

まさに昭和を代表とする名牝であり女傑だったと思っています。

そしてトウメイは、牝馬でありながらこの年の年度代表馬と

最優秀5歳以上牝馬に選出されました。

引退したトウメイは北海道に帰って繁殖生活に入り、14頭の

産駒をこの世に送り出し、その中の代表産駒としては1978年に

史上初の天皇賞母子制覇を達成したテンメイを輩出しました。

母親としても立派だったと思います。

幕別牧場で余生を送っていたトウメイでしたが、1997年4月7日

31年間の生涯を終え、静かに天国へと旅立って行きました。

今年の競馬もいよいよクライマックス、第66回有馬記念が中山

競馬場で行われます。

クロノジェネシスの連覇そして有終の美か、天皇賞馬

エフフォーリア、菊花賞馬タイトルホルダーなどの3歳勢による

世代交代がなるか、注目です。

そしてラストランに全てをかけるキセキが最後にどのような

パフォーマンスをみせてくれるのかも楽しみです。

今年最後の大一番、何事も無いよう、全馬の無事を祈りながら

レースを見ます。