先週行われました第26回秋華賞は4番人気の三冠牝馬

アパパネの娘アカイトリノムスメが優勝。

春のクラシック戦線では惜敗が続きましたが、ついに三冠目を

獲得することが出来ました。

さすが良血馬、見事な勝利でした。

2着には直線で追い込んで来た2番人気のファインルージュが

入り、圧倒的1番人気の純白のアイドル、ソダシは直線に入って

伸びずに馬群に沈みました。

フジテレビの競馬中継でレース直前に元騎手の細江さんが

ゲート前での各馬の様子についてコメントしましたが、その際

ソダシだけが厩務員さんに引かれてゲートまで連れて来られて

いる点を指摘し、何か嫌がっているのか、それとも何かあったの

かも知れませんと言っていたのが、今思えば当たっていたのだと

思います。

ソダシの異変に気付いた細江さんの馬を見る目、さすがで

凄いと思います。

敗因は何かにぶつけて歯がぐらついて出血していたためなのか、

坂のある2000mの距離が長かったのか、それとも何かあって

走るのを嫌がったのか、本当の理由はソダシしか判りません。

いずれにせよ大事に至らなかったようで良かったです。

今週はクラシック最終戦、第82回菊花賞が42年ぶりに

京都競馬場ではなく、阪神競馬場で行われます。

菊花賞はイギリスのセントレジャーを範にとり、1938年に京都

農林省賞典四歳呼馬の名称で4歳 (現3歳)馬による重賞競走

として創設されました。

そして1948年より現名称の菊花賞となり、クラシック三冠競走の

最終戦として行われています。

 

思い出の馬は、昭和44年第30回優勝馬アカネテンリュウです。

黒鹿毛の馬体で名前も日本的でカッコ良くて大好きな馬でした。

旧馬齢4歳の春の時点では全くの無名だった馬が夏から

急成長を遂げ、菊花賞に優勝したことから、その後昭和期では

夏からの上り馬のことを第二のアカネテンリュウとか、アカネ

テンリュウの再来とか言われていました。

昭和期、毎年この頃になるとJRAやマスコミでは第二のアカネ

テンリュウはいるかというキャッチフレーズを掲載していました。

アカネテンリュウは、私がまだ小さい頃初めて見た昭和44年の

日本ダービーの昭和44年クラシック組で同期にはミノル、トウメイ

メジロアサマ、ダイシンボルガード、リキエイカン、ワイルドモア等が

いましたが、初めて競馬を見た年の馬達のことは、何故か今でも

鮮明に覚えています。

アカネテンリュウは、旧馬齢3歳でデビューしましたが、なかなか

勝てずに初勝利は昭和44年の4月だったため、クラシック戦線に

参戦することは出来ませんでした。

その後東京、夏の函館シリーズで3連勝を飾り、ついに格上の

菊花賞トライアルのセントライト記念に挑戦し、7番人気であった

にも係わらず、春のクラシックの主役であったミノルをやぶって

優勝しました。

春は全くの無名だった馬が一躍注目されることになりました。

そして菊花賞の前哨戦の京都杯で2着となり、本番の菊花賞

では、堂々の1番人気となりました。

レースは重馬場という悪コンディションの中で行われ、ハクエイ

ホウやキングスピードが目まぐるしく入れ替わって逃げる中、

アカネテンリュウは中団を進みました。

レース実況では春先無名だったアカネテンリュウの実力には

まだ懐疑的だったのか、ベテラン保田騎手騎乗のミノルや

ダービー馬ダイシンボルガードに注目していたようでした。

4コーナーで一気に勝負に出たアカネテンリュウは直線で一気に

リキエイカン以下を引き離して優勝を飾りました。

春は無名だった馬が夏を越してついにクラシック三冠目を獲得し

菊花賞馬になりました。

この事実は競馬界にとって衝撃を与え、その後毎年この時期に

なると第二のアカネテンリュウはいるかと言われるように

なりました。

アカネテンリュウはこの勢いのまま、有馬記念に参戦し、歴戦の

古豪スピードシンボリを追いつめるも鼻差届かず、2着に敗れ

ましたが、その能力の高さにアカネテンリュウ時代の幕開けとも

言われました。

年が明けて古馬になったアカネテンリュウは期待されたものの

なかなか勝てず、春の天皇賞では1番人気に推されましたが、

同期のリキエイカンの5着に敗れてしまいました。

その後、日経賞やオープン戦等4連勝を飾り、秋の天皇賞に

挑みましたが、今度は同期のメジロアサマの3着に敗れました。

実況アナが敗れたアカネテンリュウの姿を見て「がっくり肩を

落としたアカネテンリュウ」と言ったのを今でも覚えています。

そして有馬記念に出走し、再び8歳の古豪スピードシンボリを

菊花賞馬ダテテンリュウと共に両テンリュウでクビ差追いつめるも

またしても2着に敗れてしまいました。

スピードシンボリは有馬記念初の2連覇を達成となりました。

そして、この2年連続で繰り広げられたスピードシンボリとアカネ

テンリュウの死闘は、競馬史上に残る名勝負として、これからも

語り継がれていくと思います。

6歳になったアカネテンリュウはAJC杯に優勝するも体調を崩して

休養を余儀なくされましたが、何とか夏の思い出の函館で復帰し、

秋の目黒記念ではダイシンボルガードやコンチネンタルを

やぶって優勝し、健在ぶりを示しました。

そして悲願の天皇盾獲得に向けて3回目の天皇賞に挑み

ましたが、同期にトウメイの10着に敗れてしまいました。

この頃、中央競馬では感冒が流行り、今思えばこの時既に

体調が良くなかったのではないかと思います。

現に有馬記念は感冒で出走を取り消しています。

7歳になったアカネテンリュウは現役を続けましたが、もう7歳の

アカネテンリュウには上がり目は無いのではと言われていました。

しかし、中山記念で2着になると続く東京新聞杯では雨女

ラファールをやぶって優勝し、古豪の健在ぶりを示しました。

そして悲願の天皇盾獲得を目指し、4度目の天皇賞に挑戦

しましたが、新鋭のベルワイドの3着に敗れました。

そしてこのレースがアカネテンリュウの最後のレースとなりました。

東京競馬場の大観衆の中で引退式が行われ、多くのファンから

彼の功績を称え、温かい拍手をもらい静かに競馬場を去りました。

引退後は種牡馬になったものの、内国産種牡馬の不遇の時代で

あったため、代表産駒には恵まれなかったことがとても残念です。

私もアカネテンリュウの大ファンであったため、どうしても会い

たくて、わずかな情報を頼りに那須種場所まで会いに行きました。

当時そこにはグリーングラスの父となったインターメゾもいました。

憧れのアカネテンリュウに会えた喜びと感動は、今でも忘れ

られません。

当時は学生が会いに来るのが珍しかったようで、牧場の方の

ご厚意により、アカネテンリュウと幸せなひと時を過ごすことが

出来ました。

牧場の人の話によるとアカネテンリュウはリンゴが大好きで

それも当時高級リンゴだったむつやゴールデンデリシャスでは

なく、雪の下というリンゴが好きとのことでした。

1985年1月15日腸閉塞のため、18年の生涯を閉じました。

今週は阪神競馬場で第82回菊花賞が行なわれます。

ダービー馬と皐月賞馬が無事でありながら、菊花賞に出走しない

ということが本当に残念です。

京都競馬場での菊花賞3000mは、何故かいつもスローペース

となるため、マイラーでも持つと言われていました。

今年は阪神競馬場になったため、長距離を嫌ったのでしょうか。

ダービー馬と皐月賞馬がクラシック最終戦で決着をつけるため、

出走し、夏の上り馬と共に戦って欲しかったと思います。

昔から皐月賞は最も速い馬が勝つ、ダービーは最も運のある馬が

勝つ、菊花賞は最も強い馬が勝つと言われてきました。

馬の適性に合わせたレース選択は時代の流れなのかも知れ

ませんが、このままでは菊花賞の距離も短くなってしまうのでは

危惧してしまいます。

注目はやはり春のクラシック戦線で活躍し、トライアルの神戸

新聞杯を勝ったステラヴェローチェです。

そして実力馬オーソクレースと素質がなかなか開花しない

グラティアス、上り馬モンテディオに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました第56回京都大賞典は最後の直線でキセキと

アリストテレスが抜け出して一騎打ちかと思われたところを

外から8歳ダービー馬マカヒキがまとめて差し切って優勝。

マカヒキの5年1ヶ月ぶりの勝利と奇跡の復活劇に感動し、

テレビを見ながら涙涙でした。

そして東京競馬場でもレースを見守っていた観客から

マカヒキの勝利に拍手が沸いたとの記事を読んで感動し、

また涙してしまいました。

競馬にはこんなドラマがあるんですね。

まさに競馬ロマンです。

マカヒキが出るたびに応援と共に早くゆっくり余生を送らせて

あげたいと願っていました。

やはりマカヒキは立派な日本ダービー馬です。

マカヒキに勇気と希望と元気をもらいました。

関係者の皆様、本当におめでとうございます。

そして第72回毎日王冠は1番人気のシュネルマイスターが

直線で抜け出した2番人気のダノンキングリーを後方から

追い込み、ゴール前で鼻差とらえて優勝。

マイルGⅠ馬同士の一騎打ちは本当に見応えがありました。

またGⅡ毎日王冠で先日亡くなられたすぎやまこういちさんを

追悼して、すぎやまさん作曲のGⅠ入場行進とファンファーレが

流れました。

このJRAの粋な演出と計らいに感動し、涙涙でした。

今週は東京競馬場で牝馬クラシック3冠目の第26回秋華賞が

行われます。

昭和期、4歳(現3歳)の牝馬クラシック三冠路線の最終戦という

位置づけで1970年にビクトリアカップが創設されました。

その後1975年にエリザベス女王が来日したことを記念して

1976年にエリザベス女王杯が創設され、距離や競走条件は

ビクトリアカップを踏襲したものの、エリザベス女王への敬意を

表してなのか、ビクトリアカップからの続きではなく第1回として

行われ、1995年まで牝馬クラシック3冠目という位置づけで

4歳牝馬限定競走として行われていました。

その後、1996年に牝馬競走体系の見直しに伴い、競走条件が

4歳牝馬から4歳以上牝馬に変更され、施行距離も芝2200mに

短縮され、更にエリザベス女王杯に代わる4歳牝馬三冠の最終戦

として新たに秋華賞が新設されました。

 

思い出の馬は、秋華賞前身のエリザベス女王杯時代の1989年

第14回優勝馬サンドピアリスです。

サンドピアリスの父は、私が大ファンであった国民的アイドル馬

ハイセイコーです。

ハイセイコーの父チャイナロックは日本でハイセイコー、

タケシバオーやアカネテンリュウ、メジロタイヨウ、ホウシュウ

エイト等、数多くの重賞勝ち馬を輩出しましたが、当時の内国産

種牡馬不遇の時代であったため、引退して後継種牡馬になった

馬達は、苦戦を強いられていました。

そんな状況の中でもタケシバオーは頑張っていましたが、

クラシック馬を出すことは出来ませんでした。

ハイセイコーも血統的にどうかと心配もありましたが、産駒からは

カツラノハイセイコが日本ダービーや天皇賞に優勝して父の

無念を晴らしてくれました。

その後もハクタイセイが皐月賞に優勝して父子制覇を果たした他、

中央や地方において数多くの重賞勝ち馬を輩出しました。

サンドピアリスは旧馬齢4歳の春にデビューし、ダートでの

新馬戦を圧勝したものの、次に挑んだ桜花賞トライアルで

初芝の4歳牝馬特別や特別競走では惨敗しました。

それでも続くダートの条件戦で勝って2勝目をあげたものの、

続く京都4歳特別では大敗を期して春の戦いを終えました。

無事に夏を越したサンドピアリスは今まで勝ったことのある

ダートでの条件特別戦でスタートを切るも3戦続けて惨敗して

しまいました。

そんな状況ではありましたが、一口馬主や主戦ジョッキーである

岸騎手のためにとの考えもあって、何とか秋華賞の前身である

エリザベス女王杯に出走することが出来ました。

出走馬も桜花賞馬シャダイカグラ、オークス馬ライトカラーの他

メジロモントレーやファンドリポポ等重賞勝ち馬が揃い、豪華な

顔ぶれとなりました。

レースはスタートしてレディゴシップが逃げる展開となり、1番

人気のシャダイカグラが先行し、ライトカラー、メジロモントレーは

中団を行く中、サンドピアリスは後方からの競馬となりました。

3コーナーの勝負所でシャダイカグラが故障を発症して下がって

行き、ライトカラーとメジロモントレーも直線で勝負に出ましたが、

伸び脚が無く、ヤマフリアルやシンビクトリー等の伏兵馬が抜け

出してくるという波乱の展開の中、何と20頭中の20番人気だった

サンドピアリスが大外から強襲して各馬を一気に抜き去って

先頭に立ち、そのままゴールして優勝を飾りました。

当時実況した杉本アナも「これはゼッケン6番サンドピアリスで

間違いない」と驚きの言葉を発しました。

牡馬の菊花賞にあたる牝馬クラシック3冠目の当時エリザベス

女王杯で一世一代の脚を使って父ハイセイコーの無念を

晴らしてくれたのかも知れません。

私もハイセイコーの娘だけに応援はしていましたが、まさか

こんな強い勝ち方で優勝するとは思っていませんでした。

しかし、これがサンドピアリスにとっての最後の勝利となりました。

年が明けて古馬になったサンドピアリスは、当時まだ牝馬や

中距離のレース体系が整っていなかったため、牡馬と混合の

重賞レースに参戦して7戦し、京都大賞典ではスーパークリーク

に食い下がって3着になる等、小さな体で健闘するも勝つことは

できませんでした。

6歳となって繁殖入りが決まる中、日経新春杯で7着に敗れた

あと、2戦目の伝統の京都記念に出走、当然人気はなかった

ものの、後方から追い込んで2着になり、クラシック優勝馬の

意地を見せました。

そしてこのレースが現役最後のレースとなりました。

繁殖入りしてからは、9頭の産駒を輩出し、その中からはタマモ

ストロングという重賞勝ち馬を出すなど、小さな体で本当に良く

頑張ってくれたと思います。

そして、2007年6月14日に老衰のため、21年の生涯に幕を

閉じました。

今週は京都ではなく阪神競馬場で第26回秋華賞が行われます。

サトノレイナスの名前が無いのが残念ですが、GⅠレースに

ふさわしい豪華メンバーが揃いました。

注目はやはり純白のプリンセス桜花賞馬ソダシです。

白毛伝説はまだまだ続くのか、海外も注目しています。

また、良血の実力馬アカイトリノムスメとアンドヴァラナウト

そしてオークス馬ユーバーレーベンにも注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました最速日本一決定戦、第55回スプリンターズ

ステークスはスピードを活かして先行したモズスーパーフレアが

逃げ込みを図るところを3番人気の3歳馬ピクシーナイトが直線で

抜け出して、差し切って圧勝しました。

2着には2番人気のレシステンシアが入り、1番人気のダノン

スマッシュは休み明けが響いたのか6着に敗退しました。

3歳馬の優勝は14年ぶりとのことで、騎乗した福永騎手が

ビックリするほどの強さでした。

今後の短距離路線での活躍が楽しみです。

今週からは東京競馬場に舞台が移り、第72回伝統の毎日

王冠が行われます。

毎日王冠は4歳(現3歳)以上の馬による重賞競として

1950年に創設されました。

1981年にジャパンカップの創設に伴い、天皇賞(秋)の施行

時期が1ヶ月繰り上げられてからは天皇賞(秋)の前哨戦として

位置づけられ、1着馬に天皇賞(秋)の優先出走権が与えられて

います。

距離は創設当初芝2500mでしたが、1962年に芝2000mに

変更され、1984年から天皇賞(秋)の距離が2000mに短縮

されたことに伴い本競走も芝1800mに短縮され、現在に至って

います。

秋のマイルや中距離路線に向けた古馬や3歳の有力馬達が秋の

初戦として出走して来るため、天皇賞(秋)やマイルチャンピオン

シップ等の秋のGⅠ戦線を占う上で重要なレースになっています。

 

思い出の馬は、私が競馬史上最強の世代と思っている花の昭和

47年組を代表する1頭のタケクマヒカルです。

タケクマヒカルは昭和46年8月、旧馬齢3歳でデビューし、新馬

初戦は後の重賞勝ち馬インターブレインの6着に敗れたものの

2戦目の新馬戦を勝ちあがり、続く特別レースとオープン戦に

勝って3連勝を飾り、オープン戦では5馬身差の圧勝劇を演じた

ことから、一躍クラシック候補として名乗りをあげました。

しかし、この昭和47年組には、後に多くの重賞優勝馬を輩出した

ことから競馬史上最強の世代と言われ、東西で多士済々の

馬達が揃っていたため、タケクマヒカルもダービーに出走するも

厚い壁に跳ね返されて9着に敗れました。

そして、続く当時は残念ダービーと呼ばれていた日本短波賞に

出走し、超音速スガノホマレの4着に敗れたものの、直線の

荒法師イシノヒカルや京都に散った白い花タカイホーマには

後塵を拝しましたが、後の重賞優勝馬でヒンドスタン最後の傑作

ハクホウショウをはじめとする悪魔の使いタケデンバード、

強烈な末脚を繰り出す後の目黒記念馬ヒロクニに先着する等、

善戦しました。

しかし、その後惜敗が続き、脚部不安もあって1年休養して

古馬になってカンバックしましたが、平場の条件戦を勝つに

止まりました。

旧馬齢6歳になったタケクマヒカルは条件特別競走を勝って

東京新聞杯に挑み、オークス馬ナスノチグサや後の天皇賞馬

イチフジイサミ等に先着してユウシオの2着に入りました。

そして続く京王杯SHで同じようにナスノチグサやイチフジイサミ

オープン大将コーヨーや白い逃亡者ホワイトフォンテンをやぶって

ついに重賞初制覇を飾りました。

本格化したタケクマヒカルは距離が伸びた日本経済賞でも、

その勢いは止まらず、天皇賞馬ベルワイドやイチフジイサミ、

スガノホマレ、ホワイトフォンテンに4馬身差をつけて圧勝し、

重賞2勝目を飾りました。

秋に入って初戦の京王杯AHではスガノホマレの世界レコードを

前に2着に敗れましたが、続く天皇賞の前哨戦である毎日王冠

では直線で力強く抜け出して、後の天皇賞馬カミノテシオや

スガノホマレ、ヌアージターフを抑えて優勝し、重賞3勝目を

飾りました。

この時のタケクマヒカルは馬体が充実し、本格化して本当に

強かったと思います。

そして、ついに天皇賞優勝の最有力候補として、当時はまだ

走行距離が3200mで行われていた第70回天皇賞(秋)に

出走し、覆面の魔王ホウシュウエイト、イチフジイサミに次ぐ

3番人気に推されましたが、やはり血統的に距離が長かったのか

12着に大敗してしまいました。

もし、当時天皇賞が今と同じように2000mで行われていた

ならば、私はタケクマヒカルが勝っていたと思います。

それほどタケクマヒカルは本格化していました。

これも今となっては歴史ロマンですが。

今後の活躍が期待されたタケクマヒカルでしたが、天皇賞後に

脚部不安が発生し、二度と競馬場に姿を現すことはありません

でした。

引退後、種牡馬になったものの、当時の内国産種牡馬は不遇の

時代であり、代表産駒を残すことは出来ませんでした。

種付けも昭和57年が最後となりました。

その後タケクマヒカルは、どのような馬生を送り、そしていつ、

どのようにして亡くなったのか、何の記録も残っていないのが

本当に残念です。

今週は東京競馬場で第72回毎日王冠が行われます。

秋の重賞戦線を占う上で重要なレースです。

鉄砲得意?の安田記念馬ダノンキングリーと海外を視界に

入れているヴァンドギャルドに注目しています。

また、3歳馬シュネルマイスターが夏を越して、どれだけ成長を

遂げているのかにも注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。