先週、東京競馬場で行われました

サラブレッド7906頭の頂点を決める競馬

の祭典、第91回東京優駿(日本ダービー)

は9番人気のダノンデサイルが直線で鋭く

抜け出し、そのままジャスティンミラノを

振り切って優勝。

2着には1番人気のジャスティンミラノ、

3着には7番人気のシンエンペラーが入り

唯一の牝馬として出走し、2番人気に

推されたレガレイラは5着に終わりました。

優勝騎手インタビューで横山典弘騎手は

ダノンデサイルの皐月賞の競走除外に

ついて、「皐月賞のあの時の自分の

決断は間違っていなかったんだなと。

厩舎スタッフとそこから立ち上げて、

ああいういうことがあっても、馬は大事に

していれば応えてくれると。すごい馬に

感謝です」と述べましたが、その横山騎手

の言葉に涙が出ました。

皐月賞での出走寸前での取り消しは

本当に勇気ある決断だったと思いますし

その決断があったからこそ、ダノン

デサイルも大事に至ることは無く、まさに

横山騎手のファインプレーだったと

思います。

だからこそダノンデサイルも今回、頑張って

騎手や関係者の人達に恩返しをしたのでは

ないでしょうか。

昨年、第4コーナーでスキルヴィングに

異変を感じながら、倒れるまで馬を

走らせて死なせた某騎手とは違い、

馬ファーストの横山騎手に本当に感謝です。

今回のダービーでは、原点ともいえる馬と

人が織り成すドラマを見させて頂きました。

ダノンデサイル、横山騎手、厩舎、牧場

関係者の皆様、本当におめでとう

ございます。

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦、

伝統の第74回安田記念が行われます。

安田記念は明治・大正・昭和にわたって

競馬に携わり、競馬法の制定や東京優駿

(日本ダービー)の創設などに尽力し、

日本中央競馬会の初代理事長も務めた

安田伊左衛門氏の功績を称えるため、

1951年に安田賞の名称で創設され

ました。

1958年に安田伊左衛門氏が亡くなった

ため、現在の名称に改称されました。

昭和期において、短距離系競走のレース

体系がまだ整備されていなかったため、

春に行われる安田記念が唯一、日本一の

マイル王決定戦として行われていました。

その後、1984年のグレード制導入に伴い

安田記念はGⅠに格付けされ、現在

中央競馬の上半期におけるマイル王

決定戦として位置づけられています。

 

思い出の馬は、東の可愛い子ちゃん

昭和52年第27回優勝馬スカッシュ

ソロンです。

スカッシュソロンの父は昭和を代表する

万能系種牡馬パーソロンで牡馬では

三冠馬シンボリルドルフ、ダービー馬

サクラショウリ、天皇賞馬メジロアサマ

牝馬ではオークス馬カネヒムロ、タケフブキ

ナスノチグサ、トウコウエルザ、桜花賞馬

ナスノカオリ等、数多くの名馬達を世に

送り出しました。

スカッシュソロンは旧馬齢3歳秋の東京の

新馬戦でデビューし、初戦は3着に敗れた

ものの、2戦目を圧勝で初勝利を挙げ、

続く条件特別戦にも勝って2連勝を飾り

ました。

年が明けて4歳になったスカッシュソロンは

新春4歳牝馬ステークスで後に桜花賞、

オークスに優勝して牝馬クラシック二冠馬

となるテイタニヤやベロナスポートを

やぶって3連勝し、一躍関東の牝馬

クラシック候補となって桜花賞を目指し、

西下しました。

西下後、当時の桜花賞トライアル阪神4歳

牝馬特別に参戦、関西期待のヤマカツ

クインをはじめ、桜花賞を目指す関西の

有力馬達との対決となりました。

レースは直線で内をついて先頭に立った

タイシオリをスカッシュソロンが大外から

追い込んで差し切って優勝し、ついに

桜花賞の本命馬に躍り出ました。

 

当然のごとく牝馬クラシック初戦の

桜花賞でスカッシュソロンは1番人気に

推され、2番人気にテイタニヤ、3番人気

にはクインリマンドが支持されました。

レースはスタートしてテイタニヤが出遅れ

ホクザンラッキーが先行して逃げる中、

スカッシュソロンは内を通って4、5番手を

進み、テイタニヤは後方からの競馬と

なりました。

第4コーナーでキミノダービー、ベロナ

スポート、クインリマンドが仕掛け、

テイタニヤも大外から差を詰めて直線へ。

クインリマンドが内をついて先頭に立ち

ましたが、大外からテイタニヤが鋭く伸びて

一気に差し切って優勝。

スカッシュソロンは終始、内々を通って

差を詰めましたが、直線で包まれる場面も

あって7着に敗れてしまいました。

 

桜花賞後、疲れが出たため、オークスを

断念し、夏を休養したスカッシュソロンは

秋に復帰し、オープン競走で3着後、

当時の牝馬クラシック三冠目エリザベス

女王杯に参戦しましたが、ディアマンテの

5着に敗れ、牝馬クラシックを制することは

出来ませんでした。

年が明けて古馬になったスカッシュソロンは

牡馬と混合となる金杯や東京新聞杯等の

重賞レースに参戦しましたが、やはり

牡馬の壁は厚く、なかなか勝つことは

出来ませんでした。

その後、福島に遠征し、福島大賞典で

3着の後、春のマイル王決定戦、

安田記念に挑みました。

このレースには前年のエリザベス女王杯

優勝馬ディアマンテやフェアスポート、

トウフクセダン、セーヌスポート、トウカン

タケシバ、カミノリュウオー等、個性溢れる

顔ぶれが揃いました。

1番人気はフェアスポート、スカッシュ

ソロンは2番人気に推されました。

レースはスタートして、セーヌスポートが

持ち前のスピードを活かして逃げ、フェア

スポートは3,4番手、その後ろから

トウカンタケシバ続き、スカッシュソロンと

ディアマンテは中団から進み、トウフク

セダンとカミノリュウオーは後方からという

レース展開になりました。

第3コーナーでセーヌスポートが2番手

以下を更に引き離して逃げ、セーヌ

スポートが先頭のままで直線の勝負へ。

逃げ込みを図るセーヌスポートを

直線半ばで外から鋭い脚で差して来た

スカッシュソロンがセーヌスポートを一気に

交わして先頭に立ち、追い上げて来た

メイジガルボに3馬身半差をつけて圧勝、

2つ目の重賞制覇を果たしました。

しかし、今後のマイル路線での活躍が

期待されたスカッシュソロンでしたが、

この安田記念が最後のレースとなって

しまいました。

引退し、ふるさと北海道で繁殖にあがった

スカッシュソロンは15頭の産駒を輩出し

1994年に生まれた産駒が最後の

産駒となってしまいましたが、重賞を

勝つほどの代表産駒を輩出することは

出来ませんでした。

そして、繁殖を引退したスカッシュソロンが

その後、いつ、どのようにして亡くなった

のかという記録が無いのが本当に残念

です。

 

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦

第74回安田記念が行われます。

ナミュール、ソウルラッシュ、セリフォス、

パラレルヴィジョンに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

先週、東京競馬場で行われました牝馬

クラシック第2戦第85回優駿牝馬

(オークス)は2番人気のチェルヴィニアが

直線で大外から鋭く伸びて、内をついて

先頭に立ったステレンボッシュをゴール前

で差し切って優勝。

第85代樫の女王に輝きました。

2着には1番人気のステレンボッシュが入り

3着には3番人気のライトバックが入り

ました。

今週は、東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第91回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

東京優駿は1932年(昭和7年)に

イギリスのダービーステークスを範として

目黒競馬場にて創設されました。

後に創設された皐月賞・菊花賞と共に

三冠競走を構成しています。

そしてダービーに優勝することは、日本の

競馬に関わるすべてのホースマンが

憧れる最高の栄誉あるレースとされて

います。

昭和期では皐月賞は最も速い馬が勝つ、

菊花賞は最も強い馬が勝つ、ダービーは

運のある馬が勝つと言われていました。

日本の競馬における日本ダービーの

存在は特別で、創設期より日本競馬に

おける最大の栄誉ある大競走とされて

います。

その年の競馬を語る時は必ず東京優駿

(日本ダービー)優勝馬が挙げられるように

日本競馬界の象徴であり、ホースマンに

とっての最大の目標であるとことは創設

以来、変わっていません。

 

思い出の馬は殺人ラップ、狂気の

ハイペースで今までの常識を覆した

カブラヤオーです。

カブラヤオーの父はファラモンドで

競走実績も乏しく、血統的には良血では

ありませんでしたが、中央競馬では

エリザベス女王杯を制したカブラヤオーの

妹ミスカブラヤやユーモンド、ケイリュウ

シンゲキの他、公営競馬では南関東の

三冠馬ゴールデンリボー、東京ダービーを

制したトキワタイヨウ、ダイエイモンド、

サンコーモンド等を輩出しました。

カブラヤオーは昭和50年クラシック組で

同期には牝馬ではテスコガビー、牡馬では

天皇賞馬エリモジョージ、ロングホーク、

ロングファスト、イシノマサル、ファイブワン、

ハーバーヤング等がいます。

 

カブラヤオーは旧馬齢3歳の秋の東京で

デビューしましたが、特に血統や見栄えが

良いわけでもなく、調教でも良い走りを

見せていなかったことから16頭中

7番人気という低評価だったものの

この新馬戦で2着と大健闘しました。

続く2戦目を圧勝して初勝利を挙げると

条件特別戦に参戦、しかしここでもまだ

13頭中8番人気という低評価でしたが

6馬身差をつけて圧勝。

この勝利で一気にカブラヤオーの評価は

激変し、これ以降カブラヤオーが引退する

まで常に1番人気に支持されることになり

ました。

年が明けて4歳になったカブラヤオーは

ダートで行われたジュニアカップで

10馬身差をつけて圧勝し、3連勝を飾ると

関東のクラシック候補として東京4歳

ステークスに参戦しました。

このレースには最優秀3歳牝馬に選出され

当時4連勝中の怪物牝馬テスコガビーも

参戦を表明したため、両馬の鞍上であった

菅原騎手が、どちらの馬に乗るかが話題と

なりましたが、菅原騎手の師匠である茂木

調教師のアドバイスにより、菅原騎手は

他厩舎のテスコガビーに騎乗することに

なりました。

レースはテスコガビーが最初にハナを切り

カブラヤオーも譲らず2頭の先行争いに

なりましたが、テスコガビーが共倒れを

避けて2番手に控えたため、向正面で

カブラヤオーが先頭に立ち、逃げる展開

になりました。

直線に入ってカブラヤオーは馬場の中央

から、テスコガビーは外から追い込んで

カブラヤオーに迫りましたがカブラヤオーも

譲らず、坂をあがったところで、内から追い

込んで来たイシノマサルにカブラヤオーが

驚き、大きく外に斜行してしまう場面もあり

ましたが、何とか体勢を立て直し、長い

テスコガビーとの叩き合いのすえ、

カブラヤオーがテスコガビーをクビ差

押さえて優勝、重賞初制覇を果たしました。

しかしこのレース以後、両馬が対戦する

ことは二度と無かったことから、

この東京4歳ステークスは伝説のレース

として今でも語り継がれています。

続いてカブラヤオーはクラシックの登竜門

である弥生賞に出走。

いつものような逃げを展開し、関西から

クラシック候補として参戦してきたロング

ホークを直線で突き放して優勝を飾り、

堂々とクラシックの主役に躍り出ました。

そして迎えたクラシック一冠目の皐月賞、

このレースには打倒カブラヤオーを

目指し、関西からロングホーク、ロング

ファスト、エリモジョージ等が参戦。

1番人気はもちろんカブラヤオーで

2番人気にはロングホークが推されました。

レースはレース前に逃げ宣言をしていた

レイクスプリンターが強引に先手を取りに

行って、カブラヤオーと競り合いを演じ、

前半の1000ⅿを58秒9という短距離

レースのような驚異のハイペースとなり

ました。

3番手にはイシノマサル、その後ろから

ロングファストが続き、ロングホークは

中団からという展開となりました。

このハイペースにより第3コーナーで

早くもレイクスプリンターが脱落し、その後

レイクスプリンターは脚を骨折して競走を

中止、レース後、予後不良と診断され

安楽死処分となってしまいました。

この状況からもいかに常識外れの

殺人ラップだったかが分かります。

第4コーナーでイシノマサル、ロングファスト

ロングホークが仕掛けてカブラヤオーと

並ぶようにして直線へ。

内からイシノマサル、真ん中からロング

ホークとロングファストがカブラヤオーを

包むように追い込んできました。

普通の馬だったなら、このハイペースで

力尽きて馬群に沈むところですが、

カブラヤオーは直線で更に伸びて、

ロングホークとロングファストを突き

放して優勝を飾り、クラシック第一冠目を

獲得しました。

このカブラヤオーの勝利に対し、競馬

関係者は驚きを隠せませんでした。

この後、現在であれば日本ダービーに

直行することになりますが、過酷な皐月賞

だったにも関わらず、カブラヤオーは

当時のダービートライアルNHK杯に

出走しました。

このレースには皐月賞組からイシノマサル

ロングファスト、エリモジョージ等が参戦。

レースは不良馬場の中で行われました。

このレースではカブラヤオーの鼻を奪うと

宣言していたトップジローが宣言通り逃げ

カブラヤオーはダービーを意識したのか

不良馬場を嫌ったのか、4番手におさえ

馬場の少しでも良いところの外々をまわる

展開となりました。

第3コーナーでトップジローが後退し

馬群に消えていくと、やはりカブラヤオーが

第4コーナーでカネマフジを交わして

先頭に立って、直線の勝負へ。

カネマフジが内をついて差し返そうとする中

馬場の中央かカブラヤオーが突き放しに

かかり、外からロングファストが懸命に

追い込んで来たものの、カブラヤオーは

更に加速し、ロングファストに6馬身差を

つけて圧勝しました。

そしてカブラヤオーはクラシック二冠を狙い

第42回東京優駿競走(日本ダービー)に

出走しました。

この年のダービーはフルゲート28頭立てで

行われ、カブラヤオーは当然のことながら

キタノカチドキ以来の単枠指定(シード馬)

となり、1番人気に推されました。

スタートして菅原騎手はカブラヤオーに

出ムチをくれて先頭に立ちますが、今度は

トップジローがしつこくカブラヤオーに絡み

先頭を争う展開となりました。

両馬は競り合いを続け、前半1000mを

皐月賞の殺人ラップを更に上回る

58秒6で通過し、後続馬を10馬身近く

離す展開となりました。

トップジローがレイクスプリンターのように

壊れるのか、カブラヤオーが最後に失速

するのか、この前代未聞の暴走的逃げに

場内は騒然となりました。

先行集団にはイシノマサル、タイフウオー

がいて、その後ろからハクチカツ、そして

ロングホークとロングファストは中団を進み

ハーバーヤング、イシノアラシは

後方からというレース展開となりました。

第4コーナーでハクチカツが2番手に上がり

ロングホークとロングファストも差を詰めて

直線の勝負へ。

カブラヤオーが先頭で馬場の真ん中を

通る中、外からハクチカツ、内からロング

ホークとハーバーヤング、その後ろから

ロングファストが追い込みましたが、

カブラヤオーは、あの驚異のハイペース

だったにも関わらず、失速するどころか

他馬が近づくと、更に伸び脚をみせて

先頭を譲らず、ゴール前では完全に

後続馬を振り切って優勝を飾り、

第42代ダービー馬に輝きました。

後日、ダービーでの菅原騎手の出ムチを

使っての狂気の逃げについて、多くの

賛否両論がありましたが、それでも常識を

覆して逃げ切って勝ったカブラヤオーは

本当に素晴らしかったと思います。

夏を休養したカブラヤオーはシンザン

以来の三冠馬誕生を期待され菊花賞を

目指しましたが、菊花賞が迫る9月下旬に

左脚の爪を深く切りすぎたのが原因で

今でも不治の病と言われる屈腱炎を発症、

菊花賞を断念せざるを得なくなりました。

カブラヤオーの菊花賞断念を受け

菊花賞のレース前、杉本アナが

「夏を越すことの難しさ、三冠の難しさを

嫌というほど思い知らされて迎えました

第36回菊花賞です」と言っていたことが

今でも印象に残っています。

この年、カブラヤオーは、秋シーズンは

不出走だったものの、春の活躍が評価され

年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出され

ました。

 

休養後、年が明けて5歳になった

カブラヤオーは5月のオープン競走で復帰

斤量60キロを背負ったものの、見事に

逃げ切って復帰戦を勝利し、9連勝を飾り

ました。

続いて6月のオープン競走に今度は

斤量61キロを背負って出走しましたが、

スタート直後にゲートに頭をぶつけ、

脳震盪を起こすというアクシデントに

見舞われ、最下位の11着に大敗しました。

その後、夏の札幌に遠征し、短距離Sで

逃げ切り勝ちをおさめ、その後東京に

戻ってオープン競走で斤量62キロを

背負いながらも、スピリットスワプスや

トリデジョウ、フェアスポートをやぶって

快勝し、次なる目標である天皇賞秋を

目指しました。

しかし、天皇賞秋を前に再び屈腱炎を

発症し、二度と復帰することなく無念の

引退となってしまいました。

 

引退後は北海道で種牡馬となりましたが、

当時は内国産種牡馬不遇の時代でもあり、

カブラヤオーは良血ではなく、見栄えも

悪かったことから、当初は苦戦するだろうと

言われていました。

しかし、カブラヤオーはここでもその評価を

見事に覆し産駒からはエリザベス女王杯に

優勝したミヤマポピー、ダービー2着の

グランパスドリーム、京成杯3歳ステークス

を勝ったマイネルキャッスルや公営では

東京王冠賞に勝ったニシキノボーイ等、

多くの活躍馬を輩出しました。

 

記録によりますと

カブラヤオーは1996年に種牡馬を引退し、

引退後は栃木県の那須種馬場にて余生を

送っていましたが、2003年8月9日

老衰のため、31年の波乱の生涯に幕を

下ろしました。

13戦11勝という素晴らしい戦績と共に

カブラヤオーのあの驚異的な逃げは、

記録にも記憶にも残る名馬として今でも

語り継がれています。

 

今週は東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第91回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

皐月賞馬ジャスティンミラノ、ダノンエアズ

ロック、シンエンペラー、シックスペンスに

注目しています。

あのスキルヴィングの悲劇から1年が

経ちました。

二度とあのような悲劇が起きないよう

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

先週、東京競馬場で行われました春の

古馬牝馬マイル王決定戦、第19回

ヴィクトリアマイルは津村騎手騎乗の

14番人気のテンハッピーローズが最後の

直線で外から豪脚を繰り出し、一気に

先行馬をまとめて差し切って優勝。

私的にはダイユウサク以来のアッと驚く

G1レースとなり、改めて競馬に絶対は

無いを思い知らされました。

鞍上のデビュー21年目の津村騎手も

初のG1勝利となり、涙ながらの勝利騎手

インタビューに感動しました。

津村騎手、テンハッピーローズの関係者の

皆様、本当におめでとうございます。

2着には4番人気のフィアスプライド、

3着には1番人気のマスクトディーヴァが

入り、2番人気に推されたナミュールは

出遅れも響き、8着に敗れました。

また土曜日に行われました第69回

京王杯スプリングカップは1番人気の

ウインマーベルが直線でレッドモンレーヴ

との激しい競り合いを制して優勝。

春の阪急杯に続く重賞4勝目を飾りました。

2着にはハナ差で2番人気のレッドモン

レーヴが入り、3着には8番人気の

スズハロームが入りました。

今週は、東京競馬場で牝馬クラシック

第二冠目、第85回優秀牝馬(オークス)が

行われます。

優駿牝馬(オークス)は、1938年に

イギリスのオークスステークスを範として、

4歳(現3歳)牝馬限定の阪神優駿牝馬

競走として創設され、皐月賞、東京優駿

(日本ダービー)、菊花賞、桜花賞とともに

日本のクラシック競走のひとつとされて

います。

創設当初、桜花賞は最もスピードのある

繁殖牝馬の検定競走とされたのに対し、

優駿牝馬(オークス)はスピードと

スタミナを兼ね備えた繁殖牝馬を

選定するためのレースとされました。

施行場も1946年阪神競馬場から東京

競馬場に変更され、その際に名称も

優駿牝馬に改称され、1965年からは

オークスの副称が付けられ、現在に

至っています。

また、日本では優駿牝馬(オークス)の

優勝馬を樫の女王という通称で呼ぶことも

あります。

 

思い出の馬は、姉弟でクラシック制覇を

果たした昭和47年第33回優勝馬

タケフブキです。

タケフブキの父は昭和を代表する万能型

種牡馬パーソロンで、三冠馬シンボリ

ルドルフ、ダービー馬サクラショウリ、

天皇賞馬メジロアサマをはじめ、桜花賞馬

ナスノカオリ、優駿牝馬優勝馬ナスノ

チグサやトウコウエルザ、ヤマブキオー等

数多くの名馬を輩出しました。

また、タケフブキの1歳下の半弟には

東京優駿(日本ダービー)や菊花賞、

天皇賞春に優勝したタケホープがいます。

タケフブキは昭和47年の牝馬クラシック組

で同期には悲劇の名牝タカイホーマや

桜花賞馬アチーブスター、トクザクラ、

キョウエイグリーン、シンモエダケ等が

います。

タケフブキはシンザンの故郷谷川牧場の

生産馬で旧馬齢3歳秋の中山でデビューし

新馬戦を快勝しました。

なお、この新馬戦には後に菊花賞、有馬

記念を制し、年度代表馬にも選出され

直線の荒法師と言われたイシノヒカルも

出走していて5着に敗れています。

そして続いて、いきなり重賞レース京成杯

3歳ステークスに参戦しました。

このレースには後に3歳チャンピオンに

輝くトクザクラやノボルトウコウ、スガノ

ホマレ等が出走し、タケフブキは

トクザクラが圧勝する中、3着に入り

能力が高いところを見せました。

年が明けて4歳になったタケフブキでしたが

昭和47年初頭は馬インフルエンザが

大流行し、関東地区での競馬開催が2ヶ月

中止になるなど日程が大きく順延される

こととなり、タケフブキも3月からの再始動

となりました。

緒戦の条件特別は15着と大敗しましたが

2戦目の条件特別で勝利し、2勝目を

あげました。

その後、カーネーションCでタカイホーマの

4着になると、続いて当時のオークス

トライアルだった4歳牝馬特別に出走。

14頭中12番人気でしたが、1番人気に

応えて快勝したタカイホーマの2着に入り

ついに大一番優駿牝馬(オークス)に

駒を進めました。

この優駿牝馬(オークス)には手続きの

不手際から桜花賞馬アチーブスターは

出走できず桜花賞で1番人気に推された

シンモエダケもトライアルで惨敗したことで

オークスを断念する中、天皇賞馬ヒカル

タカイを兄に持ち4歳牝馬特別を快勝した

関東のエース、タカイホーマが1番人気に

推され、2番人気はナオユキ、タケフブキは

3番人気に推されました。

1頭が出走を取り消して18頭で行われた

優駿牝馬オークスはゲートが開きスタート

すると快速馬キョウエイグリーンが

スピードを活かして先頭に立ち、その後ろ

からセンコウミドリ、カミノチドリが続き、

人気のタカイホーマとナオユキは中団から

進み、タケフブキとシャダイカールは

後方からというレース展開となりました。

向こう正面で今度はセンコウクインが

先頭を奪い、タカイホーマ、タケフブキが

外から差を詰めて直線へ。

直線に入って横一線となる中、内をついた

カンツォーネ、真ん中からタカイホーマが

鋭く伸び、大外からタケフブキも追い込み

タカイホーマとタケフブキの一騎打ちに

なりましたが、最後はタケフブキが鋭く

抜け出してタカイホーマを振り切って

優勝、第33代樫の女王に輝きました。

なお騎乗した嶋田功騎手は、このタケ

フブキに続いて翌昭和48年のナスノ

チグサ、昭和49年人気薄のトウコウ

エルザでオークス3連覇を果たすことに

なり、更にこの3頭はいずれも父が

パーソロンという快挙を成し遂げました。

そして翌年、タケフブキの弟タケホープが

人気薄ながら日本ダービーで怪物

ハイセイコーを姉のタケフブキを彷彿

させる鋭い差し足で差し切って勝利し

更に菊花賞も制して姉弟クラシック制覇を

成し遂げました。

今後の活躍が期待されたタケフブキ

でしたが、その後は凡走を繰り返し、

年が明けて5歳になったタケフブキは

8戦したものの勝つことは出来ず、6歳に

なってからも現役を続行しましたが、

オークス優勝で燃え尽きてしまったのか、

2戦しても勝つことは出来ず、条件特別戦

での6着を最後に引退し、故郷谷川牧場に

繁殖牝馬として帰ることになりました。

タケフブキは9頭の産駒を輩出し、

重賞入着馬2頭を誕生させたものの、

重賞勝ち馬を出すことは出来ませんでした。

 

記録によりますと

1995年1月15日 タケフブキは余生を

送っていた谷川牧場で26年の生涯を終え

天国に旅立って行きました。

今週は東京競馬場で牝馬クラシックの

二冠目第85回優駿牝馬(オークス)が

行われます。

桜花賞馬ステレンボッシュ、巻き返しを図る

チェルヴィニアとクイーンズウォーク、

アドマイヤベルに注目しています。

第85代樫の女王に輝くのは、どの馬か

今週も全馬の無事を祈りながらレースを

観ます。