ハイセイコーのブログ
昨日、春の東京開催を締めくくる第74回
府中牝馬ステークスは、スタートしてから
積極的にハナを奪って逃げた5番人気で
ハンデ56キロのセキトバイーストが
復活の走りを見せ、最後の直線に
入っても後続を寄せ付けず、独走で
3馬身差をつけて逃げ切り、2年連続の
制覇を果たしました。
2着には9番人気のウイントワイライト、
3着には14番人気ミアネーロが入り
1番人気に推されたヴァルキリーバースは
14着に大敗しました。

今週からは、舞台を東京から福島に移し
夏の福島開幕週の風物詩となっている
3歳重賞、第75回ラジオNIKKEI賞が
行われます。
ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の
前哨戦として4歳(現3歳)馬による重賞
競走中山4歳ステークスの名称で創設され
1954年からは春のクラシックシーズン
終了後に施行されるようになりました。
レース名の変遷は日本短波賞中山4歳
ステークスを経て、1961年からは日本
短波賞、1979年からはラジオたんぱ賞
となり、2006年からは現在の名称と
なっています。
出走資格が1955年から1967年までは
規定に「除東京優駿競走の勝馬」と
記されていたため、日本ダービーの
優勝馬は出走できませんでした。
そのため敗者復活戦的な要素を持ち、
規定が廃止されてからも昔の名残で
今でも残念ダービーという俗称が残って
います。
近年、ダービー組の出走はありませんが
私は、未だに日本短波賞と言ってしまい
やはりダービーで敗れた馬やダービーに
出走できなかった馬達による残念ダービー
というイメージが強いレースです。
思い出のレースは、アキビンゴが勝った
当時の名称、昭和57年第31回ラジオ
短波賞です。
アキビンゴの父はイエラパで代表産駒には
日経新春杯や札幌記念などに勝った
オーバーレインボーや地方競馬での
重賞勝ち馬がいます。
アキビンゴは昭和57年のクラシック組で
同期にはダービー馬バンブーアトラス、
菊花賞馬ホリスキー、皐月賞馬アズマ
ハンター、黄金の馬ハギノカムイオーや
アスワン、エリモローラ、イーストボーイ
ロングヒエン、マサヒコボーイ、アサカ
シルバーなどの重賞勝ち馬がいます。
アキビンゴは、旧馬齢3歳夏の新潟で
デビューし新馬戦をハナ差で勝利しました。
続いてアキビンゴは格上のレースとなる
新潟3歳ステークスに挑みましたが、
さすがにまだ荷が重たかったのか、後に
エリザベス女王杯などを制した名牝
ビクトリアクラウンの前に5着に敗れました。
その後、東京に戻ったアキビンゴは
4戦するも勝てず、3歳時は6戦1勝に
終わりました。
年が明けて4歳になったアキビンゴは
条件戦に勝って2勝目を挙げたものの
特別戦で敗れて3勝目を挙げることは
出来なかったため、春のクラシックへの
参戦は叶いませんでした。
それでも日本ダービーの前日に行われた
4歳ステークスに勝って意地を見せ、
3勝目を挙げました。
そしてアキビンゴは、日本ダービーに
出走できなかった無念を晴らすため、
昭和54年から舞台を福島に移して
行われている残念ダービーと言われた
ラジオ短波賞に挑みました。
このレースには、後に中山大障害を制し
最優秀障害馬にも選出されたメジロ
アンタレス、オークスにも出走した
ハーバーエリートやカネアスカなどが
出走。
1番人気はハーバーエリートが推され、
アキビンゴは2番人気での出走となり、
レース当日は、不良馬場という
悪コンディションの中で行われました。
レースはマルゼンタイヨーが先行し
2番手集団でパークスポート、テスコウルフ
カネアスカが差がなく続き、アキビンゴは
先行集団を見ながら5番手からという
競馬になりました。
直線の短い福島競馬場、更に不良馬場
ということもあって第3コーナー手前で
ペースが上がり、外からカネアスカ、
内からアキビンゴが仕掛け、4コーナーで
4頭が並ぶ形で直線の勝負へ。
直線に入って内をついたアキビンゴが
泥で赤い覆面を真っ黒にしながら一気に
先頭に立って後続馬を引き離し、外から
必死で追い込むカネアスカに3馬身半の
差をつけて優勝を飾り、ダービーに出走
できなかった無念を晴らすと共に重賞
初制覇を果たしました。

その後、アキビンゴは北海道に遠征し
古馬との初対戦となる函館記念に出走。
1番人気に支持されましたが14頭中の
11着に大敗してしまいました。
秋に入って秋の天皇賞を目指す古馬陣
との対戦となる毎日王冠に参戦。
12頭中8番人気という低評価でしたが
有馬記念を制したアンバーシャダイや
この秋の天皇賞を制するメジロティターンに
先着して3着に入る大健闘を見せました。
この毎日王冠での好走後、菊花賞を目指し
西下したアキビンゴは念願のクラシックに
出走し、21頭中6番人気に推され、勝つ
ことは出来ませんでしたが、それでも
ホリスキーの5着に入る健闘を見せました。
しかし、次に挑んだ有馬記念では最下位の
15着に終わりました。
年が明けて古馬になり、飛躍が期待された
アキビンゴでしたが、初戦の中山記念は
大差の5着に終わり、続くアルゼンチン
共和国杯では11着、安田記念も13着と
凡走を繰り返し、重賞初制覇を果たした
思い出の福島での吾妻小富士賞での
先頭から約5秒遅れという11着のしんがり
負けを喫してしまい、これがアキビンゴの
中央での最後のレースとなりました。
その後、アキビンゴがどのような運命を
辿ったかの記録が見当たらず、不明と
なってしまっているのが残念です。
今週は、福島競馬場で第75回ラジオ
NIKKEI賞が行われます。
ローベルクランツ、サウンドムーブ
リッツパーティー、クカイリモクに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、阪神競馬場で行われました春の
グランプリレース第67回宝塚記念は
レース直前のゲリラ豪雨によって馬場が
一気に良から重に変わり、更に生演奏で
行われる予定だったオリジナルの
ファンファーレが急遽中止になるという
異例づくしの中で行われ、道中2番手を
進んだ武豊騎手騎乗の2番人気の
メイショウタバルが直線で抜け出し、
追い込んで来たクロワデュノールを
おさえて優勝を飾り、宝塚記念、初の
父子での連覇を達成しました。
武騎手も言っていましたが、レース直前の
ゲリラ豪雨は故松本オーナーがメイショウ
タバルのために降らせたのではないかと
思うくらいでしたし、レース後はぴたりと
雨が止むなど、まさに神がかった
宝塚記念になりました。
2着には1番人気のクロワデュノールが入り
3着には3番人気のダノンデサイルが
入りました。

但し、日経賞を制したマイユニバースが
最後の直線で競走を中止し、その後
JRAより急性心不全のため死亡したとの
発表がありました。
日本ダービーで、4コーナーで馬の異変に
気付きながら最後まで走らせ、その馬が
倒れる寸前まで騎乗していた某外国人
騎手と違い、ダノンデサイルをはじめ
いつも馬ファーストの横山典騎手が
早めに馬を止めて下馬し、様子を確認
して退場した後、容態が急変し、亡くなって
しまったのが、本当に残念でなりません。
どうか天国でゆっくり休んでください。
お疲れさまでした。

今週は、東京競馬場で伝統の第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
府中牝馬ステークスは現在中央競馬で
行われる4歳(現3歳)以上の牝馬限定
重賞競走としては、最も長い歴史を持ち
1953年に東京牝馬特別の名称で
創設され、その後は牝馬特別、牝馬
東京タイムズ杯と名称の変遷を経て
1992年から現在の名称になりました。
創設時は東京競馬場の芝2000mでハンデ
キャップ競走として行われていましたが
距離は1955年より芝1600mに、負担
重量は1969年より別定に変更。
1996年にエリザベス女王杯が古馬にも
開放され4歳(現3歳)以上の牝馬限定戦に
改められると本競走は距離を芝1800mに
延長し、エリザベス女王杯の重要な前哨戦
として位置づけられ2014年から2024年
までは本競走の1着馬にエリザベス女王杯
への優先出走権が与えられていました。
2025年より、前年まで開催されていた
マーメイドステークスの競走条件を
引き継ぎ、開催時期を6月に、更に負担
重量をグレード別定からハンデキャップに
変更され、行われることになりました。
思い出のレースは、古馬の名牝が出走
する中で4歳馬の伏兵リンネルンドが
優勝した旧名称の昭和48年第21回
牝馬東京タイムズ杯です。
リンネルンドの父は、昭和を代表し、
日本の競馬の発展に多大な貢献をした
大種牡馬テスコボーイで代表産駒には
皐月賞馬ランドプリンス、二冠馬キタノ
カチドキ、天馬トウショウボーイ、天才少女
テスコガビー、天皇賞馬ホクトボーイと
サクラユタカオー、菊花賞馬インター
グシケン、エリザベス女王杯を制した
アグネステスコ、桜花賞馬ホースメン
テスコや快速馬ハギノカムイオーなど
挙げれば切りがない程、多くの名馬達を
この世に送り出しました。
そして、祖母にはオークスを制した
ヒロイチがいます。
リンネルンドは昭和48年の牝馬クラシック
組で、同期には牝馬クラシック二冠を制し
私も大好きだったニットウチドリ、オークスを
制したナスノチグサ、京都に散った悲劇の
快速馬キシュウローレルやレデースポート
キクノツバメ、ヒダコガネ、ケイスパーコ
ケイリュウシンゲキ、マミーブルーなどの
重賞勝ち馬がいます。
リンネルンドは旧馬齢3歳7月の東京で
デビューし、初戦の新馬戦は2着に敗れ
ましたが、4戦目の未勝利戦で初勝利を
挙げました。
その後、暮れの条件戦で2勝目を挙げ
3歳時は9戦2勝に終わりました。
年が明けて4歳になったリンネルンドは
牝馬クラシックへの出走を目指して
いましたが、なかなか3勝目を挙げられず
それでも桜花賞の前哨戦クイーンカップで
後に3強と言われたニットウチドリ、ナスノ
チグサ、レデースポートに先着して2着に
入るなど健闘して見せました。
この年の牝馬クラシックはニットウチドリ
ナスノチグサ、レデースポートの牝馬3強
による戦いという様相を呈していました。
そんな状況の中、リンエルンドはオークスを
目指し、オークストライアルに出走するも
レデースポートの前に17頭中の14着に
大敗し、本番のオークスでも22頭中の
12着に終わりました。
その後、リンネルンドはオープン牡馬との
レースで3着に入る健闘を見せると、
秋に入ってクイーンステークスに参戦し
ヒダコガネの僅差の2着に入るなど、
能力のあるところを見せました。
しかし、続く条件特別では1番人気に
支持されながら12着に大敗して
しまいました。
続いてリンネルンドは、古馬牝馬との戦い
となる当時の名称牝馬東京タイムズ杯に
駒を進めました。
このレースには、スプリンターズステークス
を制し、後に安田記念も制する快速馬
キョウエイグリーンや雨女の異名を持ち
安田記念を制したラファールなどの古馬の
名牝2頭の他、ナオユキ、ポピーオン
ワードなどの古馬牝馬や同期のキクノ
ツバメなどの牝馬の精鋭達が参戦、
1番人気は快速馬キョウエイグリーン、
2馬人気はナオユキ、3番人気は
キクノツバメが支持され、リンネルンドは
前走の大敗が嫌われたのか、6番人気
での出走となりました。
レースはキョウエイグリーンが持ち前の
スピードを活かして外目を通って先頭に
立って逃げ、その後ろからトウコウアコ
ナオユキとラファールが続き、リンネ
ルンドは後方からという展開で進みました。
第4コーナーでシャダイカールとマルガ
リータも仕掛け、後続馬も一団となって
直線の勝負へ。
外をついたキョウエイグリーンが逃げ
込みを図る中、内をついたナオユキが
伸びて先頭の立つと、馬場の真ん中から
今度はリンネルンドが鋭く伸びて先頭に
立ち、ナオユキとの競り合いになりましたが
リンネルンドがナオユキをおさえて優勝を
飾り、初重賞制覇を果たしました。

この勝利で今後の活躍が期待された
リンネルンドでしたが、この勝利が
リンネルンドにとっての最後の勝利に
なってしまいました。
次のオープン競走もシカゴの2着に入り
年が明けて古馬となった初戦のオープン
競走でもオープン大将の異名を持つ
コーヨーの3着に入るなど健闘しました。
しかし、当時はまだ牝馬や短距離系の
レース体系が整っていなかったため、
リンネルンドは古馬牡馬との重賞競走に
出走せざるを得なく、苦戦が続きました。
結局、5歳時は16戦して条件特別での
2着が5回あっただけで、未勝利に
終わりました。
年が明けて6歳になったリンネルンドは
牝馬でありながら、活路を見いだすため
障害戦に出走させられましたが、
勝つことは出来ずに引退となりました。
引退後、繁殖牝馬となったリンネルンドは
4頭の牝馬を輩出し、うち2頭が
準オープン馬になるなど、繁殖牝馬
としても活躍しました。
記録によりますと
1984年4月19日、14歳の若さで
死亡したとあり、死因についての記載は
残念ながらありませんでした。
今週は、東京競馬場で第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
ヴァルキリーバース、ニシノティアモ
ルージュソリテール、セキトバイーストに
注目しています。
先週の宝塚記念のマイユニバースの
ような悲劇が起こらぬよう、今週も
全人馬の無事を祈りながらレースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました春の
マイル王決定戦第76回安田記念は
道中、2番手を進んだ武豊騎手騎乗の
8番人気のシックスペンスが最後の直線で
2番手から抜け出してGⅠ初勝利を
飾りました。
また武豊騎手はJRA・GⅠ最年長
勝利となり、安田記念はウオッカで制した
2009年以来17年ぶりの制覇となりました。
2着には外から追い込んだ1番人気の
ガイアフォースと逃げ粘った7番人気の
ワールズエンドが同着となりました。

今週は阪神競馬場で春のG1戦線を
締めくくる第67回宝塚記念が行われます。
宝塚記念は有馬記念と同様にファン投票
で出走馬を決め、上半期の締めくくりを
飾る競走として関西地区の競馬を
華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され
阪神競馬場の新スタンドが落成した翌春の
昭和35年(1960年)に創設されました。
「あなたのそして私の夢が走ります」の
杉本アナの名実況でもおなじみの夏の
グランプリレースとして親しまれています。
思い出のレースは、私が初めて見た宝塚
記念で伊達一門の雄、ダテホーライが
優勝した昭和44年第10回宝塚記念です。
ダテホーライの父は皐月賞やNHK杯、
大阪杯、京都杯などの重賞を勝った
ウイルデイールで

代表産駒には菊花賞馬ダテテンリュウや
ダテハクタカなどがいます。
ダテホーライは昭和43年のクラシック組で
同期には史上最強馬として名前があがる
天皇賞馬タケシバオーや菊花賞馬
アサカオー、ダービー馬タニノハローモア
皐月賞馬マーチスやライトワールド、
メイジシローなどの重賞勝ち馬がいます。
ダテホーライは旧馬齢3歳夏の函館で
デビューし、初戦の新馬戦は3着に敗れた
ものの、2戦目で初勝利を挙げましたが
その後、勝ち星を挙げられず、3歳時は
8戦1勝に終わりました。
年が明けて4歳になったダテホーライは
条件特別に勝って2勝目を挙げると
続いて関西のクラシック登竜門きさらぎ賞
に挑戦しましたが、後の皐月賞馬
マーチスの前に5着に敗れました。
その後、3勝目を挙げたダテホーライ
でしたが、この年のクラシック戦線は、
東京競馬場の改修工事の影響で
皐月賞が5月、日本ダービーは7月の
開催になるなど、変則日程となっていて
ダテホーライは、まずは皐月賞を目指し
東上する予定でしたが、東上前の
オープン競走で失格になってしまった
ため、皐月賞には出走できませんでした。
その後、東上最終便となる毎日盃では
1番人気に応えて初重賞制覇を果たし、
東上したものの、この年のクラシック戦線は
関東のタケシバオーとアサカオー、関西の
マーチスとタニノハローモアという
競馬史上に名を残す最強の4頭による
争いとなっていて、ダテホーライは、
この4強に挑もうとしていました。
しかし、ようやく出走に漕ぎつけた本番の
東京優駿(ダービー)でも、不運がつき
まとい、レース前に左前釘傷という
アクシデントに見舞われ、競走除外に
なってしまい、結局、春のクラシックへの
参戦は叶いませんでした。
夏を越したダテホーライは菊花賞の前哨戦
朝日チャレンジカップ、京都杯で、いずれも
タニノハローモアの3着に入り、クラシック
最終戦の菊花賞に挑みました。
このレースには、海外遠征のため
4強の一角タケシバオーは不在でしたが
前哨戦を連勝したダービー馬タニノ
ハローモア、皐月賞馬マーチス、そして
アサカオーが参戦。
1番人気は札幌記念、当時存在した
ハリウッドターフクラブ賞を連勝してきた
皐月賞馬マーチスで、2番人気には
アサカオーが推され、長距離での逃げが
不安視されたのか、タニノハローモアは
3番人気で、ダテホーライは4番人気での
出走となりました。
レースは、予想どおりタニノハローモアの
逃げで始まり、ライトワールドは中団から
その後ろからダテホーライが続き、人気の
マーチスとアサカオーは後方からという
展開で進みました。
第3コーナーでマーチスが仕掛けて
上がっていくと、アサカオーもマーチスを
見るように上がっていき、第4コーナーでは
マーチス、アサカオー、ジンライが差を詰め
ダテホーライはまだ中団のままで、
タニノハローモアが先頭で直線の勝負へ。
直線に入って内と外に別れながら
横一線での追い比べになる中、外から
アサカオーが一気に伸びて先頭に立ち
馬場の真ん中からマーチス、内からは
ダテホーライが追い込み、3頭による
激しい叩き合いになりましたが、最後は
アサカオーが2頭を振り切って優勝を飾り
ダテホーライも必死にアサカオーに食い
下がりましたが、惜しくも2着に敗れました。

その後、ダテホーライは中京のダートでの
オープン競走をレコード勝ちし、当時
暮れに行われていた阪神大賞典で
1番人気に推されましたが、3着に
終わりました。
年が明けて古馬になったダテホーライは
古馬初戦の日本経済新春杯で、4歳時に
なかなか勝てなかったタニノハローモアを
クビ差抑えて勝利し、続く中京記念では
タニノハローモアの3着に敗れたものの、
次の当時存在した中京大賞典では再び
タニノハローモアを4着に沈めて勝ち、続く
サンケイ大阪杯ではトップハンデ62キロを
背負ったアサカオーに勝って重賞2連勝を
飾りました。
そして、勢いのまま挑んだ春の天皇賞では
海外遠征から帰り、馬体を立て直して
本格化したタケシバオーの前に4着に
敗れました。
続いてダテホーライは、私が初めて見た
宝塚記念に駒を進めました。
この年の宝塚記念はファン投票で上位に
選ばれたアサカオー、タケシバオーや
タニノハローモアは出走せず、夏の
グランプリ競走である宝塚記念としては
今では考えられない、わずか4頭立てと
なってしまいました。
1馬人気はマーチスで、ダテホーライは
2番人気での出走となりました。
レースは、スタートして大方の予想通り
ダイイチオーが先手を取って逃げ、その
ダイイチオーをマーチス、ダテホーライ
メジロシンゲンが追う形になりました。
向こう正面に入って、メジロシンゲンが
2番手に上がり、その後ろからマーチス
ダテホーライが続きました
第3コーナーで今度はダテホーライが
2番手に上がり、マーチスが3番手と
騎手同士による激しい駆け引きが展開
されました。
第4コーナーで逃げるダイイチオーを
ダテホーライとマーチスが仕掛けて
差を詰め、3頭が並んで直線の勝負へ。
内を通って逃げ込みを図るダイイチオーを
馬場の真ん中からダテホーライ、外から
マーチスが追い込み、3頭による激しい
叩き合いになりましたが、ゴール前で
ダテホーライが突き抜け、最後は
マーチスに1馬身の差をつけて、レコード
タイムで優勝を飾りました。

次に鳴尾記念に出走しましたが、雨での
不良馬場の中、斤量61キロが響いたのか
10頭中の4着に敗れてしまいました。
その後、秋に入って朝日チャレンジカップに
出走し、トップハンデ61キロを背負い
ながらも、レコードタイムで快勝。
この後、秋の天皇賞や有馬記念を目指し
東上予定でしたが、歴戦の疲れからか
脚の骨折のため、長期休養を余儀なく
されてしまいました。
年が明けて6歳になったダテホーライは
現役を続行、約7ヶ月の休養後、阪神での
マイラーズカップで復帰し、トップ斤量を
背負いながらアカネテンリュウやミノルに
先着してトウメイの半馬身差の2着に入り
存在感を示しました。
この好走により、続く春の天皇賞では
有力候補となりましたが、また不運にも
左肩跛行のため、出走取消となり、
これがダテホーライにとっての現役最後の
記録となってしまいました。
引退後、種牡馬となったダテホーライは
1972年から繋養され、中央では重賞
競走の勝ち馬は出せなかったものの
地方競馬では、帝王賞、羽田盃、浦和
桜花賞に勝ったコーナンルビーを送り
出すなど、内国産種牡馬不遇の時代の
中で大健闘を見せたと思います。
記録によりますと
1979年4月23日、ダテホーライは
13年10ヶ月の生涯を終え、天国に
旅立って行きました。
今週は阪神競馬場で夏のグランプリ
競走「あなたのそして私の夢が走る」
第67回宝塚記念が行われます。
クロワデュノール、ダノンデサイル
メイショウタバル、ミュージアムマイルに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

