昨日、京都競馬場で行われました
クラシック最終戦第85回菊花賞は2番
人気のアーバンシックが直線で鋭く伸びて
他馬を引き離して優勝を飾り、最後の
1冠を獲得しました。
2着に4番人気のヘデントール、3着には
7番人気のアドマイヤテラが入り、1番人気
に推されたダービー馬ダノンデサイルは
直線で追い込んで来たものの6着に敗れ
ました。
今週は、東京競馬場で伝統の第170回
天皇賞秋が行われます。
天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から
帝室御賞典という名称で行われました。
帝室御賞典は戦争のため昭和19年に
戦争のため中止され、昭和22年春に
平和賞の名称で再開し、同年秋からは
天皇賞と改称され現在に至っています。
そして創設以来、当初は1度優勝した馬は
再出走を認めないとされてきましたが、
昭和56年に制度が廃止され、過去の
優勝馬も再出走が可能になりました。
またその後、スタミナよりもスピードの強化
を重視する意見などにより、賛否両論が
あったものの、昭和59年から秋の天皇賞
は施行距離が2000mに短縮され、更に
古馬の最高峰として位置づけられてきた
天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬
も出走が可能になり、これにより各馬は
様々な選択肢が取れるようになりました。
天皇賞への再出走が可能となったことで
引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬
同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが
見られることで新たな天皇賞に変貌
しましたが、一方で距離が短くなったことで
東京競馬場での1周目のストレッチで沸き
起こる大歓声が聞けなくなったことが
残念であると共に強い馬よりスピード馬を
つくることが、本当に世界の競馬に対応
できるのかという懸念も生まれました。
中距離馬にも天皇盾の夢をということでは
仕方がないことかも知れません。
私個人としては古馬の最高峰という伝統は
継承して欲しかったと今でも思っています。
思い出の馬は、数奇な運命を辿った
昭和53年第78回優勝馬名牝トウメイの仔
テンメイです。
テンメイの父は長距離系種牡馬ルイス
デールで代表産駒には福島記念を勝った
シュランダーやキヨヒホウ等がいます。
母は天皇賞や有馬記念に優勝し、牝馬
初の年度代表馬にも輝き、私も子供心に
大好きだった名牝トウメイです。
テンメイは昭和52年のクラシック組で
同期には外車マルゼンスキー、ダービー馬
ラッキールーラ、菊花賞馬プレストウコウ、
有馬記念馬カネミノブ、皐月賞馬ハード
バージ、ヒシスピード等がいます。
名牝トウメイの仔として生まれ注目された
テンメイは旧馬齢3歳秋の京都で
デビューし、初戦の新馬戦は4着に敗れた
ものの、3戦目の未勝利戦で初勝利を
挙げました。
年が明けて4歳になったテンメイはその後
なかなか条件戦を勝つことは出来ず、春の
クラシック戦線への出走は叶いません
でした。
しかし、7月の中京で2勝目を挙げると
関西に戻って条件戦を2連勝して4勝目を
挙げ、ぎりぎりでクラシック最終戦菊花賞に
参戦することが出来ました。
この菊花賞には春のクラシック組から
ダービー馬ラッキールーラやカネミノブ、
菊花賞トライアルのセントライト記念や京都
新聞杯に優勝し本格化したプレストウコウ
等が参戦し、1番人気はダービー馬
ラッキールーラで、距離に疑問があると
思われていたプレストウコウは3番人気
となり、名牝トウメイの仔とはいえ、重賞
初挑戦となるテンメイは9番人気での
出走となりました。
レースは九州が生んだ快速馬オサイチ
セイダイが逃げ、その後ろからラッキー
ルーラが続き、カネミノブは4番手
プレストウコウは中団、そしてテンメイは
後方からの競馬となりました。
第3コーナーの手前でラッキールーラが
早くも先頭に立つと、テンメイも仕掛けて
一気に3番手まで上がっていきました。
第3コーナーの下りでテンメイとメグロ
モガミがラッキールーラを交わして
直線の勝負へ。
直線に入ってテンメイとメグロモガミが
競り合いを演じ、テンメイが僅かに先頭に
立つと、実況の杉本アナは「テンメイ先頭、
テンメイ先頭、テンメイが先頭だ、トウメイが
待っているぞ」と母の名前も出して
名実況が飛び出し、私もテンメイを
応援していましたが、外からまさかの
グスタフの仔のプレストウコウが強襲し、
テンメイをゴール前で差し切って優勝。
テンメイは惜しくも2着に敗れてしまい
ました。
そしてテンメイは続くオープン競走で3着、
阪神大賞典でも2着と好走し、菊花賞が
フロックではないことを証明しました。
年が明けて古馬となったテンメイは
復帰戦のサンケイ大阪杯は8着に終わり
ましたが、母トウメイが2連覇した
マイラーズカップで牝馬二冠を制した
インターグロリアの2着に入るなど今後の
活躍が期待されました。
秋に復帰したテンメイはオープン競走を
2着とした後、東上し母も優勝した秋の
天皇賞に挑みました。
この天皇賞には菊花賞で敗れたプレス
トウコウやカシュウチカラ、重賞2連勝中の
リュウキコウや後の有馬記念馬カネミノブが
参戦しました。
1番人気はリュウキコウでテンメイは5番
人気での出走となりました。
昭和40年にシンザンが勝って以降、1番
人気の馬がことごとく敗れているという
秋の天皇賞。
この年の天皇賞も予想外のアクシデント
から始まりました。
枠入り直後にパワーシンボリがゲートに
噛みついてスタートできず、発走のやり直し
(カンパイ)という珍事が発生し、一旦
ゲートから出て、かなり走ってしまった
馬達は呼び戻され、発走前のファン
ファーレから再びやり直すという前代
未聞のトラブルが発生したことで、
場内は騒然となりました。
場内が騒然とする中、再スタートとなった
レースはダンケンジが最初のハナを奪って
逃げましたが、1週目の正面スタンド前で
大歓声に興奮したのか、プレストウコウが
暴走気味に先頭に立ち、向こう正面に
入ると10馬身近い差をつけて逃げるという
予想外の展開の中、ダンケンジ、カネミノブ
が続き、カシュウチカラとテンメイは後方
から、1番人気のリュウキコウは
最後方からという縦長の展開となりました。
第4コーナーで一気に各馬がプレストウコウ
との差をつめて直線の攻防へ。
プレストウコウが更に逃げ脚を伸ばす中
内からカシュウチカラ、外からテンメイと
リュウキコウが追い込み、最後はテンメイが
鋭く伸びて逃げるプレストウコウをゴール
前で半馬身差交わして優勝。
初重賞制覇が天皇賞となると共に、史上
初の母子天皇賞制覇を成し遂げました。
同一馬主、同一調教師、同一騎手による
勝利となったほか、母トウメイと同じ大外
12番枠からの半馬身差勝利という、
まさに偶然とは思えない、神に導かれた
運命の勝利となりました。
その後テンメイは阪神大賞典で1番人気に
推されましたが、6着に敗退してしまい
ました。
年が明けて6歳になったテンメイは現役を
続行したものの、重賞競走で敗退が続き
それでも中京で行われた京都大賞典で
後の菊花賞馬ハシハーミットやリュウ
キコウ、メジロイーグル等をやぶって
レコード勝ちする等、まだまだやれるという
姿を見せましたが、この勝利がテンメイに
とっての中央での最後の勝利となりました。
この年の有馬記念を最後に引退する予定
となっていましたが、長距離血統が
嫌われたのか、どこの牧場からも声が
掛からず、日本中央競馬会による買上も
実現しなかったため、テンメイは現役を
続行せざるを得なくなりました。
その後、テンメイを種牡馬として引き取る
という人物が現れたため、テンメイは宝塚
記念を最後に引退しました。
しかし、テンメイを種牡馬にする約束で
購入した方が約束を違え、岩手や水沢で
て競走馬生活を続けていることが判明。
この事実に馬主や調教師の元には抗議の
電話や手紙が殺到。
ついには「テンメイを守る会」が結成され、
ファンが地方で走るテンメイをずっと見守り
続け、引退後は「テンメイを守る会」に
テンメイは譲渡され、生まれ故郷の藤沢
牧場で種牡馬となりました。
しかし、内国産種牡馬不遇の時代にあって
ステイヤー系種牡馬のテンメイは繁殖牝馬
にも恵まれず、目立った活躍馬を送り出す
ことは出来ませんでした。
記録によりますと
1993年10月7日、左前脚骨折のため
安楽死の処置がとられ、母トウメイより
先に天国に旅立ってしまいました。
享年19歳でした。
今週は、東京競馬場で伝統の第170回
天皇賞秋が行われます。
ドウデュース、リバティアイランド
ソールオリエンス、ジャスティンパレス
に注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。



