一昨日、京都競馬場で行われました牝馬

クラシック最終戦、2頭の女王対決と

言われた第29回秋華賞は1番人気の

チェルヴィニアが直線で鋭く伸びて優勝を

飾り、オークスとの2冠制覇を果たしました。

2着は外から猛然と追い込んだ5番人気の

ボンドガールが入り、2番人気のステレン

ボッシュは3着に終わりました。

今週は、京都競馬場でクラシック競走の

最終戦第85回菊花賞が行われます。

 

菊花賞はイギリスのセントレジャーを範に

とり、1938年に京都農林省賞典四歳呼馬

の名称で4歳 (現3歳)馬による重賞競走

として創設されました。

そして1948年より現名称の菊花賞となり

クラシック3冠競走の最終戦として

行われています。

昭和期から皐月賞は最も速い馬が勝つ

日本ダービーは最も運のある馬が勝つと

呼ばれるのに対し、菊花賞はスピードと

スタミナを兼ね備えた最も強い馬が勝つと

言われてきました。

また菊花賞の走行距離は3,000mの

長距離レースなのですが、菊花賞は

必ずと言っていいほど、スローペースに

なることが多く、そのため昭和の時代から

京都の3,000mはマイラーでも持つと

言われてきました。

 

思い出の馬は、若き天才福永洋一を背に

常識を覆した昭和46年第32回優勝馬

ニホンピロムーテーです。

ニホンピロムーテーの父は昭和を代表する

ステイヤー系種牡馬ムーティエで代表

産駒には幻の三冠馬と言われた二冠馬

タニノムーティエ、天皇賞馬カミノテシオや

レデースポート、ホースメンホープ、

フセノスズラン等がいます。

ニホンピロムーテーは昭和46年の

クラシック組で同期には疾風の差し脚と

言われた二冠馬ヒカルイマイ、天皇賞馬

ベルワイドやオンワードガイ、コーヨー

メジロゲッコウ、ヤシマライデン、ゼンマツ

フィドール、ヒデチカラ、ハスラー、ダコタ

ミリオンパラ等、昭和を代表する個性派の

馬達が名を連ねています。

ニホンピロムーテーは旧馬齢3歳秋の

京都でデビューし、連投を含めて新馬戦を

3戦するも2着2回、3着1回と惜敗し

初勝利は年が明けて4歳になってからの

5戦目の未勝利戦でした。

しかし、続く条件特別戦に勝って2連勝を

飾り、シンザン記念はフィドールの7着に

敗れましたが、続く条件特別を勝って3勝を

挙げ、続いて挑んだ毎日杯では関西の

クラシック有力馬フィドール、シバクサ、

シングン等をやぶって重賞初制覇を果たし

堂々とクラシックに名乗りを挙げました。

きさらぎ賞を勝ったヒカルイマイ共々

東上したニホンピロムーテーはオープン

競走で4着後、皐月賞に挑みましたが

ヒカルイマイの前に10着と大敗してしまい

ました。

そして続いて出走を予定していたNHK杯は

熱発のため回避するなど、体調も崩し、

本番の日本ダービーではまたしても

ヒカルイマイの前に8着に敗れてしまい

ました。

その後、ニホンピロムーテーは夏の函館に

遠征し、オープン競走に出走して1番

人気で勝つなど、復調の気配を見せ、

菊花賞を目指して関西に戻りました。

秋緒戦の神戸杯でスインホウシュウを

やぶって重賞2勝目を挙げると、続く

菊花賞トライアル京都新聞杯でもスイン

ホウシュウ、ヒカルイマイ、フィドール等を

やぶって優勝し、完全復活すると共に

重賞3勝目を獲得しました。

この京都新聞杯に出走し、3冠がかかって

いたヒカルイマイが屈腱炎を発症したため

菊花賞を回避してしまったこともあって

クラシック最終戦の菊花賞では、ニホンピロ

ムーテーが1番人気に推されました。

春の主役だった二冠馬ヒカルイマイが

いない中で、レースはミリオンパラの

出遅れでスタートし、シンテツオーが逃げ

エリモカップとスインホウシュウ、

ハーバーローヤルが先行集団を形成し、

その後ろからベルワイド、ニホンピロ

ムーテーが続き、ヤシマライデンは後方

から進みました。

第1コーナーを回って、超スローペースに

耐えきれず、ハーバーローヤルが折り

合いを欠いておさえきれずに先頭に立つと

第2コーナーでその後にいたニホンピロ

ムーテーがハーバーローヤルを交わして

先頭に躍り出るという前代未聞の

展開となりました。

この光景に場内はどよめき、杉本アナも

「引っ掛かったのか、それとも福永騎手の

作戦か」と実況しました。

例年菊花賞はスローペースになる場合が

多く、それゆえに京都3000はマイラーでも

持つと今でも言われてきました。

それでも京都の坂はゆっくり上って、

ゆっくり下らなければならないのが常識と

なっていただけに、若き天才福永騎手と

ニホンピロムーテーの暴走ともいえる

一世一代のこの走りは今でも伝説として

語り継がれています。

福永騎手のこの作戦は功を奏し、先頭で

直線に入ったニホンピロムーテーは

失速することなく、スインホウシュウの

追撃を3/4馬身抑えて優勝を飾り、

第32代菊花賞馬に輝きました。

クラシックで1番人気に推された馬での

若き騎手による確信のもとで行われた

常識破りのこの大パフォーマンスは

凡人では到底できるはずもなく、天才

福永洋一ジョッキーだからこそ出来た

芸当だと評されています。

年が明けて古馬になったニホンピロ

ムーテーは春の天皇賞を目指して

始動し、京都金杯では1番人気に支持され

ましたが10着に大敗し、続くスワン

ステークスでも最下位の8着に敗れるなど

精彩を欠きました。

それでも続く中日新聞杯では斤量61キロ

を背負いながら優勝し、5つ目の重賞を

獲得しました。

しかし、ニホンピロムーテーは古馬に

なってから脚部不安を抱えたことから

満足な成績が挙げられなくなってしまい

ました。

年が明けて6歳になったニホンピロ

ムーテーは脚部不安を抱えながらも

現役を続行し、1月のオープン競走で

2着後、それでも続く京都記念では

ハマノパレードの2着に入るなど善戦し

菊花賞馬の存在感を示しました。

続いてニホンピロムーテーはサンケイ

大阪杯参戦。

このレースには前走の京都記念で敗れた

ハマノパレードや牝馬クラシック二冠を

制したアチーブスターが出走。

ハマノパレードとニホンピロムーテーの

一騎打ちと見られていました。

レースはシバタケの大逃げで始まり、

ハマノパレードとニホンピロムーテーは

お互いを牽制し合うように後方からの

競馬となりました。

第3コーナーでハマノパレードが仕掛けて

先頭集団との差を詰めるとニホンピロ

ムーテーも内から差を詰めて直線の

勝負へ。

直線に入ると内をついたニホンピロ

ムーテーが鋭く伸びて、シバタケを一気に

交わして先頭に立ち、外から必死に

追い込んで来るハマノパレードに

1馬身1/2差をつけて6つ目の重賞優勝を

飾りました。

しかし、この勝利がニホンピロムーテーに

とっての最後の勝利となりました。

秋になって脚部不安を抱えながら、

出走したサファイヤステークスで16頭中

大差の15着に敗れたのを最後にニホン

ピロムーテーは引退を決意し、競馬場に

別れを告げました。

1974年から種牡馬として供用された

ニホンピロムーテーでしたが、昭和期

内国産種牡馬受難の時代にあって、

長距離血統やムーティエ特有の気性の

激しさも嫌われたのか、産駒には

恵まれませんでした。

記録によりますと

残念ながら死因については不明ですが

1984年2月27日ニホンピロムーテーは

静かに天国に旅立って行ったとのことです。

享年17歳でした。

 

今週は京都競馬場でクラシック3冠競走の

最終戦となる第85回菊花賞が行われます。

ダノンデサイル、アーバンシック、コスモ

キュランダ、メリオーレムに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。