昨日、東京競馬場で行われました伝統の
第170回天皇賞秋は道中最後方から
レースを進めた2番人気のドウデュースが
直線に入って、大外から一気に追い込んで
豪快に差し切って優勝を飾りました。
2着に9番人気のダービー馬タスティエーラ
3着に8番人気のホウオウビスケッツが入り
1番人気に推されたリバティアイランドは
直線で伸びず13着に敗れました。
今週は、東京競馬場で伝統の第62回
アルゼンチン共和国杯が行われます。
アルゼンチン共和国杯は日本とアルゼン
チンの友好と親善の一環として1963年に
アルゼンチンジョッキークラブカップ
(ARJC)の名称で創設されました。
1974年にアルゼンチンの競馬が
ジョッキークラブから国の管轄へ移管
されたことに伴い、1975年から現在の
名称になりました。
そして1984年のグレード制導入と重賞
格付けの全面見直しに伴い、それまで
年2回施行されていた伝統の秋の目黒
記念競走が廃止される代替として施行
時期を今までの5月から秋の目黒記念が
行われていた11月に移行し4歳(現3歳)
以上の馬によるハンデキャップ競走として
東京競馬場で施行されるようになりました。
思い出の馬は、鋭い追い込みでファンを
魅了した遅咲きの名ステイヤー アイフル
です。
アイフルの父は昭和を代表する
ステイヤー系種牡馬セダンで代表産駒
にはダービー馬コーネルランサー
天皇賞馬スリージャイアンツ、逃げる
精密機械トーヨーアサヒ、ハクエイホウ、
ヤシマライデン、ハーバーヤング等が
います。
アイフルは昭和49年のクラシック組で
同期には二冠馬キタノカチドキや
ダービー馬コーネルランサー、カーネル
シンボリ、快速馬ニシキエース、キクノオー
スルガスンプジョウ、インターグッド等が
います。
アイフルは旧馬齢3歳秋の東京で
デビューし、5頭立てで3頭が同着という
非常に稀なケースの新馬戦で初勝利を
挙げました。
その後、年が明けて4歳になった
アイフルは条件特別に勝って2勝目を
挙げ、クラシックへの登竜門弥生賞に
挑みましたが8着に終わり、クラシックへの
参戦は叶いませんでした。
そして、皮肉にもダービー当日の条件
特別でアイフルは3勝目を挙げました。
その後、アイフルは4戦連続で2着となり
年が明けて古馬となったアイフルは更に
2着や3着を繰り返し、堅実性はあった
ものの、なかなか勝つまでには至りません
でした。
4歳から5歳にかけて惜敗が続き、15戦
勝利から遠ざかったアイフルでしたが、
7月の中山の条件特別で勝つと、続く
新潟での条件特別も勝って連勝を飾り
次に挑んだクモハタ記念ではハーバー
ヤングの3着に終わったものの、暮れの
条件競走に勝って6勝目を挙げました。
年が明けて6歳になったアイフルは格上の
金杯に出走。
このレースには前年の有馬記念を制した
イシノアラシやヤマブキオー、ハーバー
ヤング、ホワイトフォンテン、イナボレス等、
重賞優勝馬が出走する中、4番人気に
推されたアイフルは、道中は中団を進み、
第4コーナーで仕掛けて先頭集団に迫り
直線に入ると鋭く伸びて抜け出して勝ち
重賞初制覇を果たしました。
その後、東京新聞杯2着、中山記念では
ヤマブキオーの2着、そして京王杯SHでも
再びヤマブキオーの3着に終わりましたが
続くアルゼンチン共和国杯では、中団から
レースを進めたアイフルは直線で鋭く
伸びて先頭に立ち、必死に追い込んで来る
ヤマブキオーとオウプレスをおさえて優勝。
2つ目の重賞を獲得しました。
この勝利で本格化を果たしたアイフルは
秋に向けての活躍が期待されました。
秋に入ってオープン競走でヤマブキオーを
やぶって勝ったアイフルは念願の古馬の
最高峰、秋の天皇賞に駒を進めました。
この天皇賞には有馬記念馬イシノアラシ
菊花賞馬コクサイプリンス、若き精鋭
ロングホーク、ハーバーヤングやライバル
ヤマブキオー等が出走しました。
1番人気はイシノアラシ、アイフルは4番
人気での出走となりました。
レースは大方の予想に反してホワイト
フォンテンではなく、ロングホークが逃げる
展開となりアイフルは中団、イシノアラシは
後方から進みました。
直線に入ってロングホークが逃げ脚を
伸ばす中、アイフルが鋭く追い込んで、
逃げるロングホークを捕らえ、外から
伸びてきたハーバーヤングをおさえて
優勝を飾り、念願の天皇賞制覇を果たし
ました。
この天皇賞制覇の勢いのまま、有馬
記念に出走しましたが、この年のスター
ホースであるトウショウボーイ、テンポイント
の一騎打ちの前に3着に終わりました。
年が明けて7歳になったアイフルは現役を
続行してアメリカジョッキークラブカップに
出走し、1番人気に推されましたが、前年の
菊花賞を人気薄で制したグリーングラスと
ヤマブキオーの前に3着に敗れ、続く
オープン競走でも再びヤマブキオーの
3着に敗れてしまいました。
しかし、次に出走した中山記念では逃げる
グレートセイカンを直線で内から鋭く伸びて
先頭に立ち、ヤマブキオーが伸びを欠く中
コクサイプリンスや追い込んで来たトウフク
セダンを振り切って優勝を飾り、重賞4勝目
を挙げました。
続いてアイフルは前年優勝したアルゼン
チン共和国杯にトップの斤量59キロを
背負って出走しました。
当日はあいにくの不良馬場でしたが、
アイフルは1番人気に推されました。
レースは中山記念と同じようにグレート
セイカンが逃げ、カミノリュウオーが
先行する中、第3コーナーで3番手に
つけたアイフルは直線に入って外を通って
鋭く伸びて、内をとおって粘り込みを図る
グレートセイカンを残り200mで交わして
先頭に立つと、更に差は広がり最後は
独走状態になって圧勝。
5つ目の重賞を獲得しました。
そして次に夏のグランプリ競走宝塚記念に
参戦しましたが、3強と言われたトウショウ
ボーイ、テンポイント、グリーングラスの
前に4着に敗れてしまい、この宝塚記念が
アイフルにとっての最後のレースとなり
ました。
レース後、アイフルは前脚の筋を痛め、
更にその後、不治の病と言われている
屈腱炎を発症したため、アイフルは競走
生活に別れを告げることになりました。
通算成績43戦12勝、2着13回、
3着10回、連帯率は6割近く、複勝率は
8割を超えという素晴らしい成績を残し
ました。
引退後は日本中央競馬会が購入し、
1978年から九州種馬場で種牡馬となり
ましたが、内国産種牡馬が不遇の時代
にあって長距離系、更に九州地区という
場所的なことからも繁殖牝馬にも恵まれず
代表産駒には恵まれませんでした。
記録によりますと
1982年に九州種馬場から離れると
10年間は繋養先を転々とし、廃用寸前の
危機もありましたが、アイフルを助けたい
とするファンの活動により日本軽種馬協会
那須種馬場に引き取られ、その後は
功労馬として元気に余生を過ごしました。
しかし1999年4月4日、アイフルは
放牧中に転倒し、自力で起き上がることが
出来なくなってしまったため、安楽死の
処置が取られ、持ち前の末脚で一気に
天国に駆け上がっていきました。
享年29歳でした。
今週は東京競馬場で第62回アルゼンチン
共和国杯が行われます。
セレシオン、ショウナンバシット、
サヴォーナ、ミクソロジーに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。




