先週行われました無敗の三冠馬コントレイルのラストランと

史上初となる歴代ダービー馬4頭が一堂に会する夢の競演と

なった第41回ジャパンカップは無敗の三冠馬コントレイルが

直線でシャフリヤールとオーソリティを交わして力強く抜け出し、

まさにコントレイルらしい横綱相撲で圧勝。

ラストランを有終の美で飾りました。

2着には3番人気のオーソリティ、3着には2番人気のシャフリ

ヤールが入りました。

レース後涙をぬぐいながら帰って来て、スタンド前でファンに頭を

下げる福永騎手とコントレイルも最後だと判っているかのように

首を上下に振って観客に挨拶している姿に感動し、テレビを

見ながら泣きました。

福永騎手も今までのコントレイルとの思い出が蘇ったのでしょう。

本当に感動的なラストランでした。

私もテレビを見ながら泣きました。

コロナ禍の中で多くの人達に夢と希望を与えてくれたコント

レイル、本当にお疲れさまでした。

今週は中京競馬場で第22回チャンピオンズカップが行われます。

日本において1970年代より世界に通用する強い馬作りが

提唱され、1981年には念願の国際招待競走ジャパンカップが

創設されました。

その後1995より中央競馬と地方競馬の交流が飛躍的に

拡大されるようになるとダートにおける重賞競走が注目され、

日本のダート競走においてもダートの国際競走を開催しようという

気運が高まりを見せ、2000年にチャンピオンズカップの前身と

なる日本初のダート国際招待競走ジャパンカップダートが

創設されました。

そして2014年からは施行場を阪神から中京競馬場に移行し、

名称もチャンピオンズカップに変更され、回次はジャパンカップ

ダートから引き継いで通算されることになりました。

 

思い出の馬は、新時代の扉を開いた白い怪物クロフネです。

クロフネは惜しくも今年の1月に天国に旅立ちましたが、

アイドル馬ソダシの出現で再び脚光を浴びることになりました。

チャンピオンズカップもクロフネも平成での誕生だけに昭和人の

私が今更語る必要はないかも知れませんが。

クロフネはアメリカで生産され、日本で調教された外国産馬で

2001年に東京優駿(日本ダービー)が初めて外国産馬にも

開放される予定となっている中、馬主の金子さんが開放初年度の

ダービーを勝って欲しいという願いから、その昔の1853年に

浦賀へ来港し日本に開国を迫ったペリー率いるアメリカ艦隊の

通称「黒船」から名を取ってクロフネと命名されました。

クロフネは平成13年のクラシック組で同期には無敗のまま競馬場

を去り、幻の3冠馬と言われたアグネスタキオン、ダービー馬

ジャングルポケット、菊花賞馬マンハッタンカフェ、宝塚記念馬

ダンツフレームがいます。

クロフネは旧3歳秋に京都競馬場でデビューしましたが、初戦の

新馬戦では直線での位置取りが悪く、立て直して追い込むも

2着に敗れてしまいました。

しかし、新馬2戦目と特別競走をレコード勝ちし、続く重賞競走では

幻の3冠馬アグネスタキオンに敗れましたが、年が明けて

クラシック最終便の毎日杯に優勝し、関西のクラシック候補に

躍り出ました。

そして東京初見参となるNHKマイルCに出走、後方からレースを

進めるも、直線に入ると猛然と追い込むも誰もが届かないと

思いましたが、ゴール前で差し切って優勝。

見事、で1番人気に応えてGⅠ初制覇を果たすと共に外国産馬

初のダービー制覇も現実味を帯びてきました。

そして大目標だった平成13年の日本ダービーでは、皐月賞2着の

ダンツフレームや同3着のジャングルポケットが顔を揃える中、

クロフネは2番人気推されました。

新たな歴史が刻まれることになったダービーはスタートが

切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが

2番手集団、そしてジャングルポケットが中団を進み、その直後に

クロフネが追走するという展開になりました。

重馬場にもかかわらず、1000メートル通過タイムはダービー史上

最速のペースとなりましたが、第3コーナー過ぎからクロフネと

ダンツフレームが上位に進出して行き、最後の直線に入り

ましたが、仕掛けのタイミングを遅らせたジャングルポケットが

先に抜け出したクロフネとダンツフレームを一気に交わして

優勝を飾りました。

クロフネは距離の問題か、最後に伸びを欠いて5着に沈み、

目標だった外国産馬によるダービー初制覇はなりませんでした。

夏を無事に過ごしたクロフネはこの年より外国産馬に2頭の

出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に定め、9月の神戸

新聞杯から復帰しましたが、スタートから後手を踏み、道中も

折り合いを欠いたためか、最後の直線で猛然と追い込んだ

ものの3着に敗れてしまいました。

その後天皇賞出走を予定し調整していましたが、2頭の

外国産馬枠に入ることが出走することは出来ませんでした。

そのため、次の目標を翌年のダートGⅠフェブラリーステークスと

定めていたことと、天皇賞に合わせて馬体が仕上がっていたこと

から急遽、天皇賞前日に行われるGⅢ武蔵野ステークスに

出走することになりました。

そしてここから競馬関係者やファンが驚愕したクロフネ伝説が

始まります。

15番枠から好スタートを切ると中団を進んだクロフネは、

初めてのダート戦とは思えぬ動きを見せ第3コーナーで

仕掛けはじめると第4コーナーでは一気に先行するサウス

ヴィグラスに並びかけると最後の直線では後続を見る見るうちに

引き離し、前年のNHKマイルC優勝馬イーグルカフェに9馬身差

をつけての圧勝劇に東京競馬場のスタンドがどよめきました。

芝コースみたいな走破タイム1分33秒3は、従来の記録を

1秒2も更新するレコードタイムでの勝利でした。

そして、現在のチャンピオンズカップの前身であるダートの

国際招待競走ジャパンカップダートに出走しました。

この年は外国からも有力馬が参戦しましたが、クロフネが圧倒的

1番人気に支持されました。

クロフネはスタートして隣の馬と接触したためか後方からの競馬と

なりましたが、アメリカ馬2頭が競り合う中、馬なりのまま徐々に

順位を上げ、第3コーナーで3番手まで上がると、第4コーナー

では持ったままで先頭に躍り出て、直線に入ると他馬を引き離して

独走態勢となり、前年度優勝馬ウイングアローに7馬身差を

つけての圧勝。

史上初の芝とダートでのGⅠ制覇となりました。

更にここでの走破タイム2分5秒9は従来の記録を1秒3更新

する世界レコードとなりました。

武蔵野Sに続く、このクロフネの強さと走破タイムに競馬関係者と

ファンは驚愕し、府中の杜が揺れる程スタンドがどよめきました。

これほど外国産馬にどよめいたのは、マルゼンスキー以来

でしょうか。まさに黒船襲来そのものでした。

そして次なる目標をドバイワールドカップと定め、休養に入り

ました。

ファンの誰もがクロフネの世界での活躍を期待していました。

しかし、フェブラリーステークスに向けて調整されていたクロフネは

調教後、右前脚に熱を持っていることが判明、診断の結果は

競走馬にとって致命傷となる最悪の右前脚屈腱炎と診断され。

電撃の引退となってしまいました。

そして奇しくも翌年の1月にクロフネは最優秀ダートホースに

選出されました。

衝撃的な引退後、2002年より種牡馬となったクロフネは期待に

違わぬ活躍を見せてくれました。

最近のアイドル馬ソダシをはじめ、数多くの重賞勝ち馬を世に

送り出してくれました。

クロフネは、ここ数年体調が優れなかったようで、2020年をもって

種牡馬を引退し、余生を過ごしていましたが、2021年1月17日

老衰のため、静かに23年の生涯に幕を閉じました。

今週は中京競馬場で第22回チャンピオンズカップが行われます。

注目はやはり白毛のアイドル馬ソダシです。

父クロフネ同様、ここを勝って芝とダートのGⅠレースを制覇

できるか注目です。

あとは休養明けでもGⅠ馬カフェファラオ、実力馬サンライズ

ホープ、そして8歳の古豪エアスピネルに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。