先週行われました第63回アメリカJCCは3番人気に推された

キングオブコージが後方からのレース展開から、直線に入って

外から鋭く伸びてごぼう抜きを決め、一昨年5月の目黒記念

以来の重賞2勝目を飾りました。

キングオブコージは一昨年の目黒記念で重賞初制覇しましたが

続く京都大賞典で3着と波に乗った直後に右第1趾節種子骨の

骨折が判明、長期休養を余儀なくされました。

昨年のオールカマーで約1年ぶりにカムバックしましたが9着に

敗れ、続く中日新聞杯でも5着に敗れたものの、着実に調子を

上げていたようです。

1番人気に推されたオーソクレースは太め残りだったのか直線で

もうひとつ伸びを欠いて6着に敗れてしまいました。

次回の巻き返しに期待します。

今週は中山競馬場で第36回根岸ステークスが行われます。

根岸ステークスは1987年に旧4歳(現3歳)以上の馬による

ダートの重賞競走として創設されました。

競走名の「根岸」の由来は、江戸末期に日本初の近代競馬場

である根岸競馬場(後に横浜競馬場)が設置され、現在の

天皇賞や皐月賞等のGⅠレースを1942年まで行われました。

現在、跡地は根岸森林公園・根岸競馬記念公苑になっていて

今は1等馬見所のみ残っており、老朽化が進んでいるものの

その圧倒的な存在感は今でも古のロマンを現在に伝えています。

そして昨年の5月横浜市は、日本初の近代競馬場として知られる

旧根岸競馬場にあった観客スタンド「1等馬見(うまみ)所」(中区)

の本格的な活用に向けた検討を始めたとの記事が載りました。

隣接する米軍根岸住宅地区の返還につながる作業が始まった

ことを受けたもので、老朽化が進む馬見所を改修・保全した上で

活用の方向性を模索するとのことです。

ぜひこうした競馬の歴史上、貴重な建物はきちんと整備を行った

上で残して頂き、後世に伝えて行って欲しいと思います。

今週は、フェブラリーステークスの前哨戦として第36回根岸

ステークスが行われます。

実績上位のソリストサンダー、オメガレインボー、東京得意の

ヘリオス、上り馬クロパラントゥに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました第69回日経新春杯は3番人気のヨーホー

レイクが直線で先に抜け出した1番人気のステラヴェローチェと

一騎打ちになりましたが、ゴール前で接戦を制して優勝。

大阪杯、天皇賞春に向けて楽しみな馬が復活しました。

そして、今年もスタート直前に「場所が変わり、時が流れても

全馬の無事を祈って」という今は亡きテンポイントに敬意を表し

二度と悲劇が繰り返すことが無いことを祈りながら言ってくれた

実況アナウンサー言葉に心から感謝致します。

私達は時が流れても流星の貴公子テンポイントを忘れることは

ないでしょう。

これからもテンポイントが天国から全馬が無事に完走できるよう

見守ってくれていると思っています。

今週は中山競馬場で第63回アメリカジョッキークラブカップが

行われます。

アメリカジョッキークラブカップは1960年に日米友好の一環

としてニューヨークジョッキークラブから優勝杯の贈呈を受け

創設されました。

最近ではレース名をAJCCやアメリカJCCと表記していますが

昭和期ではAJC杯の略称が一般的でした。

そして西の日経新春杯と並んで大阪杯や春の天皇賞に向けて

今年緒戦として東の古馬達が参戦するレースでもあります。

 

思い出の馬は競馬界のエイトマン、ストロングエイトです。

ストロングエイトは私が競馬史上最強の世代と思っている

花の昭和47年のクラシック組で旧馬齢3歳の秋にデビューし

新馬と条件戦に勝っていきなり2連勝を飾り、クラシック候補と

なるはずでしたが、暮れに起こったの感冒騒動に巻き込まれて

休養を余儀なくされてしまいました。

年が明けて旧4歳になって特別戦に参戦しましたが、後の

菊花賞馬イシノヒカルの前に8着に敗れました。

それでも条件戦を勝って3勝し、何とか当時遅れて行われた

七夕ダービーに出走できたものの、最強世代メンバーの壁は厚く

ロングエースの前に13着に大敗しました。

夏を無事に超したストロングエイトは秋に復活をかけてセント

ライト記念に出走しましたが、8着に敗れ、結局この年は条件

特別の1勝に止まりました。

年が明けて古馬になったストロングエイトでしたが、条件特別戦で

一進一退の成績を繰り返し、なかなか勝ちきれませんでした。

6月になってようやく条件特別に勝つと続くと福島での条件特別

にも勝って2連勝を飾りました。

秋になって重賞戦線に参戦し、3戦目の目黒記念では天皇賞馬

ベルワイドの2着に健闘し、徐々に本領を発揮し始めました。

そして秋の天皇賞に挑みました。

名門尾形厩舎の1番人気ハクホウショウがスタート直後に故障を

発症して競走を中止するという波乱の中、直線でタニノチカラが

抜け出して圧勝、ついに眠れる巨人が古馬の頂点に立ちました。

ストロングエイトも4着に闘しました。

続く有馬記念にも挑むことになりましたが、このレースにはその年

のクラシックを賑わせた怪物ハイセイコーをはじめ、タニノチカラ、

ベルワイド、ヤマニンウエーブの3頭の天皇賞馬、牝馬クラシック

二冠を制した紅一点ニットウチドリ、重賞勝ち馬オンワードガイや

ナオキ、イチフジイサミ等、錚々たるメンバーが顔をそろえました。

レースは大方の予想通りニットウチドリの逃げで始まり、ストロング

エイトが2番手で追走し、その直後にナオキとハイセイコーが続き

そしてハイセイコーを徹底マークするようにタニノチカラが追走する

という展開になりました。

4コーナーでハイセイコーが上がっていくとタニノチカラも上がって

いき、直線に入りました。

直線に入ってハイセイコーとタニノチカラはお互いにけん制し合い

お互いに相手が仕掛けるタイミングで追い出そうとしたため、

両頭とも一瞬追い出すタイミングが遅れ、その間、自分のレースを

貫いたストロングエイトが逃げるニットウチドリをゴール前で

交わして優勝。

ハイセイコーやタニノチカラの他、この錚々たるメンバーに勝って

有馬記念を制するという大金星をあげました。

連複の配当金は有馬記念史上初となる万馬券となりました。

その後、ストロングエイトの勝利は展開に恵まれたとか、上位

人気馬がけん制し過ぎたためとか、当時はフロック視されましたが

まぐれで勝つほど有馬記念は甘くはなく、ストロングエイトは

着実に本格化していたのだと思います。

現に年が明けて6歳になったストロングエイトは目黒記念では

敗れたものの、春の天皇賞に向けた鳴尾記念では斤量59キロを

物ともせずに優勝し、春の天皇賞では一瞬ストロングエイトが

勝つかと思った瞬間、タケホープに交わされて2着になりましたが

有馬記念での優勝はフロックでは無かったことを証明しました。

続くハイセイコーが圧勝した宝塚記念にも参戦しましたが、

4コーナーの仕掛け所で杉本アナが「その後ろからようやく

ストロングエイト、今日はちょっと重いぞ」と言ったとおり、歴戦の

疲れが出たのか6着に敗れました。

宝塚記念での敗退後、秋になっても調子は戻らず、秋の天皇賞

有馬記念でも良いところなく敗れてしまいました。

年が明けて7歳になったストロングエイトはAJC杯を最後に

引退することを発表しました。

このレースでは秋の天皇賞を勝ったカミノテシオが圧倒的な

1番人気となり、衰えの見える古豪ストロングエイトでしたが

3番人気に推されました。

レースはスタート直後からストロングエイトが先行し、終始

マイペースに持ち込むと直線に入ってもスピードは衰えず

このレースがラストランだと判っているかのように往年の

ストロングエイトの走りで優勝し、有終の美を飾りました。

2月に東京競馬場で引退式が行われ、多くのファンからの

あたたかい拍手に送られて静かに競馬場を去りました。

引退後は生まれ故郷のハイランド牧場で種牡馬生活をおくり

少ない産駒の中から障害競走で活躍したスパークリングや

勝ち馬を輩出し、そこそこの種牡馬成績を上げました。

1989年に21歳で種牡馬を引退し、静かに余生を送って

いましたが、1992年に体調を崩し、懸命の治療の結果

1度は体調が良い方向に向かったものの、競走馬時代の

歴戦のダメージにより内臓が弱っていたことの影響で

1992年3月1日、現役時代は怪我が無かった程丈夫で

鋼鉄の体を持つと言われたストロングエイトもついに体力の

限界が来たのか、オーナーをはじめ牧場スタッフ一同が

見守る中、静かに天国に旅立って行きました。

享年24歳でした。

今週は中山競馬場で第63回アメリカジョッキークラブカップが

行われます。

やはり注目は菊花賞2着のオーソクレースです。

名立たるGⅠ馬達が引退する中、今年の活躍を期待する1頭です。

その他ではポタジェとキングオブコージでしょうか。

今年のAJCCは、例年に比べクラシック優勝馬もおらず、寂しい

メンバーのような気がします。

果たして今年の競馬を盛り上げてくれる新星が登場するのか。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

今年最初の3歳重賞第56回シンザン記念は、4番人気のマテン

ロウオリオンがいつの間にか好位から直線で抜け出して優勝し、

2連勝で重賞初制覇を飾りました。

タニノギムレットのように今後クラシックに乗れるか注目です。

2着には2番人気のソリタリオが入り、3着には接戦を制して3番

人気のレッドベルアームが入りました。

圧倒的1番人気に推されたラスールは道中から折り合いを欠き

更に直線でも進路が塞がれる等もあって7着に敗れました。

今週は今年も中京競馬場で第69回日経新春杯が行われます。

現在の日経新春杯は日本経済新春杯の名称で1954年に

創設され、1979より日経新春杯に改称されました。

東のアメリカジョッキークラブカップと並んで春の天皇賞に

向けて、今年緒戦として西の古馬達が参戦するレースでも

あります。

そして日経新春杯というと、あれから44年が経った今でも

流星の貴公子テンポイントの悲劇を思い出してしまいます。

私にとってこのレースは忘れられない、そして決して忘れては

いけないレースだと思っています。

あのテンポイントの悲劇以来、40年以上たった今でも毎年日経

新春杯のレースに限って発送直前に関西テレビの実況アナが

「今年も全馬とレースの無事を祈って」と言っているように

改めて全馬無事での完走とレース中に何事も起きないことを

祈る象徴的なレースとなっています。

思い出の馬は、あの怪物ハイセイコーの出現で競馬ブーム

となった昭和48年クラシック組で覆面の魔王の異名をとった

ホウシュウエイトです。

同期にはハイセイコーの他タケホープ、イチフジイサミ

カミノテシオ、シルバーランド、ディクタボーイ、スカイリーダや

同門のホウシュウリッチ等、錚々たるメンバーが揃っていました。

ホウシュウエイトの父はハイセイコーと同じチャイナロックで

関西ではデビュー前から注目されていました。

旧馬齢4歳でデビューし、新馬戦に勝ち、続くシンザン記念では

僅差でディクタボーイの2着に敗れましたが、4歳Sで優勝すると

毎日杯も制して重賞初制覇を果たし、オープン戦にも勝って

堂々、関西の総大将として東上し、クラシックに挑みました。

皐月賞では2番人気に推されましたが、怪物ハイセイコーの前に

3着に敗れ、続くダービーでは3番人気に推されましたが、

超ハイペースに巻き込まれたハイセイコーが直線で失速する中

ハイセイコーにも先着できず4着に敗れてしまいました。

夏を無事に超したホウシュウエイトは秋初戦として菊花賞

トライアル神戸新聞杯に参戦し、同門のホイシュウリッチの

2着に敗れたものの、関西の期待を背負って最後のクラシック

菊花賞に参戦し、3番人気に推されました。

当時、世間の話題がハイセイコー一色となっている中、レースは

サチモシローが逃げ、ホウシュウエイトは4,5番手、ホウシュウ

リッチは中段を進み、最後の直線に勝負をかけましたが、

ハイセイコーとタケホープの一騎打ちという歴史的名勝負となり

鼻差でタケホープがハイセイコーをやぶって優勝を飾り、

ホウシュウエイトは4着に敗れ、ついに関東馬の牙城を崩すことは

出来ませんでした。

菊花賞後、セントウルスSに出走すると格の違いを見せて圧勝、

しかし、続く阪神大賞典ではまた1番人気推されるも同期の

ディクタボーイの2着に敗れてしまいました。

そして年が明けて古馬になったホウシュウエイトは古馬緒戦

として日経新春杯の前身の日本経済新春杯に参戦し、ここでも

1番人気に推されると直線で天皇賞馬ヤマニンウエーブをクビ差

おさえて優勝、春の天皇賞に向けて好スタートを切りました。

しかし、その後脚部不安を発症したため、休養に入らざるを

得なくなり、春の天皇賞は断念することになりました。

そして夏の札幌開催で復帰すると札幌日経賞、オープン戦を

圧勝して2連勝を飾り、秋の天皇賞に向けて京都大賞典に

参戦しました。

このレースには有馬記念を目指すハイセイコーや天皇賞馬

タニノチカラ、同期のスカイリーダも出走し、ここでもホウシュウ

エイトは1番人気に推されました。

レースは終始、斤量57キロのタニノチカラが逃げる展開となり

斤量62キロを背負ったハイセイコーが2番手を進み、斤量

56キロのホウシュウエイトは3番手を進みました。

直線に入ってもタニノチカラのスピードは衰えず、ハイセイコー

は苦しいレースとなりました。

そして4馬身差をつけてタニノチカラが圧勝し、ハイセイコーと

ホウシュウエイト、スカイリーダの2着争いになりましたが、

ホウシュウエイトが何とか2着を確保し、ハイセイコーは62キロ

が明らかに影響し、僅差の4着に敗れました。

この年の競馬予想で故大橋巨泉氏はハイセイコーよりホウシュウ

エイトの方が強いとテレビで豪語していましたが、これまでの

成績を見ても判るとおり、私の贔屓目を差し引いてもホウシュウ

エイトよりハイセイコーの方が強かったということは明らかであり

大橋氏の評価は完全に間違っていたと思います。

そしてホウシュウエイトは秋の天皇賞を目指し、東上しました。

当時は天皇賞に1度優勝すると2度と出走することが

出来なかったため、タニノチカラとタケホープが出走することは無く

またハイセイコーもオープン戦後に鼻出血を発症して出走停止と

なったため、安定した実績を誇るホウシュウエイトが1番人気に

推されました。

レースは予想どおり、逃げる精密機械と呼ばれたトーヨーアサヒが

逃げる展開となり、有馬記念馬ストロングエイト、ナオキが先行し

ホウシュウエイトは中段を進みました。

4コーナーで3番手にあがったホウシュウエイトでしたが、直線で

伸びず、カミノテシオの5着に敗れてしまいました。

当時私は友人と毎年恒例で天皇賞を見に東京競馬場に行って

いて、パドックで各馬の写真を撮っていましたが、ホウシュウエイト

の脚にはきつくテーピング巻かれていて、昨年脚部不安で

休養して以来、常に脚部不安を抱えながら、レースに出走して

いたようです。

そしてホウシュウエイトはハイセイコーとタケホープが引退を表明し

最後の決戦となる有馬記念に出走しました。

レースはトーヨーアサヒをおさえて京都大賞典を再現するように

タニノチカラが逃げ、ホウシュウエイトもハイセイコーをマーク

するような展開となりましたが、タニノチカラの強さはすさまじく

一方的なレースとなって5馬身差をつけて圧勝しました。

そしてラストランのハイセイコーとタケホープは菊花賞を再現する

かのように直線で2着争いを演じて場内を沸かせ、今度は

ハイセイコーがタケホープをクビ差でやぶって2着に入り、

菊花賞の雪辱を果たしました。

ホウシュウエイトも何とか意地を見せて4着に入りましたが

この有馬記念がホウシュウエイにとっての最後のレースとなって

しまいました。

その後、心配されていた脚部不安が再発し、有馬記念後は

一走も出走することは出来ずに引退することになりました。

引退し、種牡馬になったホウシュウエイトでしたが、勝ち馬は

輩出するものの、代表産駒は中京3歳S優勝馬ニシノカブトザン

という結果に終わりました。

それでも平穏な生活を送っていたホウシュウエイトでしたが

1990年2月21日に脳出血のため、突然19年の生涯を閉じて

しまいました。

覆面の魔王と呼ばれた所以は、旧4歳の秋ごろからめんこが

勝負服と同じ黄色と黒のチェッカーフラッグ柄という当時では

珍しい派手なめんこをつけていたからです。

今週は中京競馬場で第69回日経新春杯が行われます。

春の天皇賞や大阪杯に向けて、昨年暮れの有馬記念でも4着に

善戦したステラヴェローチェ、エリザベス女王杯3着馬クラヴェルと

昨年の日本ダービー以来となり復活をかけるヨーホーレイクに

注目しています。

今年も京都ではなく中京競馬場で行われますが、昨年同様

実況アナにレース直前に「全馬の無事を祈って」と言って

頂けたら、嬉しいです。

44年の歳月が流れましたが、今は亡き流星の貴公子

テンポイントを想いながら、そして今週も全馬の無事を祈り

ながらレースを見ます。