今年最初の3歳重賞第56回シンザン記念は、4番人気のマテン
ロウオリオンがいつの間にか好位から直線で抜け出して優勝し、
2連勝で重賞初制覇を飾りました。
タニノギムレットのように今後クラシックに乗れるか注目です。
2着には2番人気のソリタリオが入り、3着には接戦を制して3番
人気のレッドベルアームが入りました。
圧倒的1番人気に推されたラスールは道中から折り合いを欠き
更に直線でも進路が塞がれる等もあって7着に敗れました。
今週は今年も中京競馬場で第69回日経新春杯が行われます。
現在の日経新春杯は日本経済新春杯の名称で1954年に
創設され、1979より日経新春杯に改称されました。
東のアメリカジョッキークラブカップと並んで春の天皇賞に
向けて、今年緒戦として西の古馬達が参戦するレースでも
あります。
そして日経新春杯というと、あれから44年が経った今でも
流星の貴公子テンポイントの悲劇を思い出してしまいます。
私にとってこのレースは忘れられない、そして決して忘れては
いけないレースだと思っています。
あのテンポイントの悲劇以来、40年以上たった今でも毎年日経
新春杯のレースに限って発送直前に関西テレビの実況アナが
「今年も全馬とレースの無事を祈って」と言っているように
改めて全馬無事での完走とレース中に何事も起きないことを
祈る象徴的なレースとなっています。
思い出の馬は、あの怪物ハイセイコーの出現で競馬ブーム
となった昭和48年クラシック組で覆面の魔王の異名をとった
ホウシュウエイトです。
同期にはハイセイコーの他タケホープ、イチフジイサミ
カミノテシオ、シルバーランド、ディクタボーイ、スカイリーダや
同門のホウシュウリッチ等、錚々たるメンバーが揃っていました。
ホウシュウエイトの父はハイセイコーと同じチャイナロックで
関西ではデビュー前から注目されていました。
旧馬齢4歳でデビューし、新馬戦に勝ち、続くシンザン記念では
僅差でディクタボーイの2着に敗れましたが、4歳Sで優勝すると
毎日杯も制して重賞初制覇を果たし、オープン戦にも勝って
堂々、関西の総大将として東上し、クラシックに挑みました。
皐月賞では2番人気に推されましたが、怪物ハイセイコーの前に
3着に敗れ、続くダービーでは3番人気に推されましたが、
超ハイペースに巻き込まれたハイセイコーが直線で失速する中
ハイセイコーにも先着できず4着に敗れてしまいました。
夏を無事に超したホウシュウエイトは秋初戦として菊花賞
トライアル神戸新聞杯に参戦し、同門のホイシュウリッチの
2着に敗れたものの、関西の期待を背負って最後のクラシック
菊花賞に参戦し、3番人気に推されました。
当時、世間の話題がハイセイコー一色となっている中、レースは
サチモシローが逃げ、ホウシュウエイトは4,5番手、ホウシュウ
リッチは中段を進み、最後の直線に勝負をかけましたが、
ハイセイコーとタケホープの一騎打ちという歴史的名勝負となり
鼻差でタケホープがハイセイコーをやぶって優勝を飾り、
ホウシュウエイトは4着に敗れ、ついに関東馬の牙城を崩すことは
出来ませんでした。
菊花賞後、セントウルスSに出走すると格の違いを見せて圧勝、
しかし、続く阪神大賞典ではまた1番人気推されるも同期の
ディクタボーイの2着に敗れてしまいました。
そして年が明けて古馬になったホウシュウエイトは古馬緒戦
として日経新春杯の前身の日本経済新春杯に参戦し、ここでも
1番人気に推されると直線で天皇賞馬ヤマニンウエーブをクビ差
おさえて優勝、春の天皇賞に向けて好スタートを切りました。
しかし、その後脚部不安を発症したため、休養に入らざるを
得なくなり、春の天皇賞は断念することになりました。
そして夏の札幌開催で復帰すると札幌日経賞、オープン戦を
圧勝して2連勝を飾り、秋の天皇賞に向けて京都大賞典に
参戦しました。
このレースには有馬記念を目指すハイセイコーや天皇賞馬
タニノチカラ、同期のスカイリーダも出走し、ここでもホウシュウ
エイトは1番人気に推されました。
レースは終始、斤量57キロのタニノチカラが逃げる展開となり
斤量62キロを背負ったハイセイコーが2番手を進み、斤量
56キロのホウシュウエイトは3番手を進みました。
直線に入ってもタニノチカラのスピードは衰えず、ハイセイコー
は苦しいレースとなりました。
そして4馬身差をつけてタニノチカラが圧勝し、ハイセイコーと
ホウシュウエイト、スカイリーダの2着争いになりましたが、
ホウシュウエイトが何とか2着を確保し、ハイセイコーは62キロ
が明らかに影響し、僅差の4着に敗れました。
この年の競馬予想で故大橋巨泉氏はハイセイコーよりホウシュウ
エイトの方が強いとテレビで豪語していましたが、これまでの
成績を見ても判るとおり、私の贔屓目を差し引いてもホウシュウ
エイトよりハイセイコーの方が強かったということは明らかであり
大橋氏の評価は完全に間違っていたと思います。
そしてホウシュウエイトは秋の天皇賞を目指し、東上しました。
当時は天皇賞に1度優勝すると2度と出走することが
出来なかったため、タニノチカラとタケホープが出走することは無く
またハイセイコーもオープン戦後に鼻出血を発症して出走停止と
なったため、安定した実績を誇るホウシュウエイトが1番人気に
推されました。
レースは予想どおり、逃げる精密機械と呼ばれたトーヨーアサヒが
逃げる展開となり、有馬記念馬ストロングエイト、ナオキが先行し
ホウシュウエイトは中段を進みました。
4コーナーで3番手にあがったホウシュウエイトでしたが、直線で
伸びず、カミノテシオの5着に敗れてしまいました。
当時私は友人と毎年恒例で天皇賞を見に東京競馬場に行って
いて、パドックで各馬の写真を撮っていましたが、ホウシュウエイト
の脚にはきつくテーピング巻かれていて、昨年脚部不安で
休養して以来、常に脚部不安を抱えながら、レースに出走して
いたようです。
そしてホウシュウエイトはハイセイコーとタケホープが引退を表明し
最後の決戦となる有馬記念に出走しました。
レースはトーヨーアサヒをおさえて京都大賞典を再現するように
タニノチカラが逃げ、ホウシュウエイトもハイセイコーをマーク
するような展開となりましたが、タニノチカラの強さはすさまじく
一方的なレースとなって5馬身差をつけて圧勝しました。
そしてラストランのハイセイコーとタケホープは菊花賞を再現する
かのように直線で2着争いを演じて場内を沸かせ、今度は
ハイセイコーがタケホープをクビ差でやぶって2着に入り、
菊花賞の雪辱を果たしました。
ホウシュウエイトも何とか意地を見せて4着に入りましたが
この有馬記念がホウシュウエイにとっての最後のレースとなって
しまいました。
その後、心配されていた脚部不安が再発し、有馬記念後は
一走も出走することは出来ずに引退することになりました。
引退し、種牡馬になったホウシュウエイトでしたが、勝ち馬は
輩出するものの、代表産駒は中京3歳S優勝馬ニシノカブトザン
という結果に終わりました。
それでも平穏な生活を送っていたホウシュウエイトでしたが
1990年2月21日に脳出血のため、突然19年の生涯を閉じて
しまいました。
覆面の魔王と呼ばれた所以は、旧4歳の秋ごろからめんこが
勝負服と同じ黄色と黒のチェッカーフラッグ柄という当時では
珍しい派手なめんこをつけていたからです。
今週は中京競馬場で第69回日経新春杯が行われます。
春の天皇賞や大阪杯に向けて、昨年暮れの有馬記念でも4着に
善戦したステラヴェローチェ、エリザベス女王杯3着馬クラヴェルと
昨年の日本ダービー以来となり復活をかけるヨーホーレイクに
注目しています。
今年も京都ではなく中京競馬場で行われますが、昨年同様
実況アナにレース直前に「全馬の無事を祈って」と言って
頂けたら、嬉しいです。
44年の歳月が流れましたが、今は亡き流星の貴公子
テンポイントを想いながら、そして今週も全馬の無事を祈り
ながらレースを見ます。


