先週行われました第115回京都記念は、逃げた12番人気の

アフリカンゴールドが、そのまま逃げてゴールまで押し切って

優勝。

自身2年4ヶ月ぶりの白星と共に念願の重賞制覇となりました。

2着には内を突いた8番人気のタガノディアマンテが入り、

1番人気のユーバーレーベンは5着、2番人気レッドジェネシスは

13着という波乱の決着となりました。

応援していたマカヒキは残念ながら後方のままで11着に敗れて

しまいました。

早く静かに余生を送れる場所が見つかることを祈るばかりです。

今週は東京競馬場で今年初のGⅠ競走第39回フェブラリー

ステークスが行われます。

1984年に前身となる「フェブラリーハンデキャップ」が創設され、

JRAが施行するダート重賞競走では最も古い歴史を持つ競走

でもあります。

1994年にGⅡ昇格すると共に名称もフェブラリーステークスに

改称されました。

その後、中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大される中で

1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてGⅠに

格付けされ、国内の上半期のダート最強馬決定戦に位置付け

られました。

 

思い出の馬は、ダート戦線で開花したナリタハヤブサです。

ナリタハヤブサは平成2年のクラシック組で同期にはダービー馬

アイネスフウジンをはじめ、メジロライアン、メジロマックイーン

ハクタイセイ、ホワイトストーン等、錚々たるメンバーがいます。

ナリタハヤブサは旧3歳の秋の阪神開催でデビューし、新馬戦の

2戦目で初勝利をあげました。

その後条件特別では惜敗が続いたものの、年が明けて旧4歳に

なったナリタハヤブサはクラシック出走に向けてきさらぎ賞に

挑みましたがハクタイセイの3着に敗れてしまいました。

続くペガサスSを2着した後、東上しスプリングステークスに挑み

2着に入る等、クラシック制覇に向けて好発進しました。

しかしクラシック1冠目の皐月賞に出走するも12着と惨敗。

続くダービートライアルNHK杯も8着に敗れてしまいました。

秋になって朝日チャレンジCに参戦して4着に健闘しましたが

続く菊花賞トライアル京都新聞杯はメジロライアンの14着に

沈み、続くオープンステークスでも14着に惨敗してしまいました。

ナリタハヤブサはもともと蹄が非常に弱かったこともあって

この惨敗を機に、芝に比べて蹄に負担のかからないダート路線

への転向が図られ、この選択が新たなステージでの活躍に

繋がることになりました。

初ダート戦となったウインターSでは後の金杯優勝馬カリブ

ソングをやぶってレコードタイムで優勝し、重賞初制覇を

果たしました。

年が明けて古馬になったナリタハヤブサは1991年の緒戦として

フェブラリーステークスの前身のフェブラリーHに出走し、そして

ここでもレコードタイムで優勝して、重賞2連勝を飾りました。

しかし、その後ダート戦線でも惜敗する競馬が続きましたが、年末

のウインターSで前年に達成したレコードタイムを自ら更新して

連覇を達成し、見事1991年度のJRA賞最優秀ダートホースに

選出されました。

年が明けて旧6歳になったナリタハヤブサは60キロの斤量を

背負った前年優勝のフェブラリーHは3着に敗れましたが、4月の

帝王賞に中央競馬の代表としてマンジュデンカブト、ラシアン

ゴールドと共に出走しました。

地方競馬の代表としては大井の雄ハシルショウグンや当時の

サラブレッド系競走馬の日本新記録となるデビュー以来14連勝を

達成し、22戦21勝 2着1回という上山のオグリキャップと異名を

持つスルガスペインや50戦22勝のダイゴウガルダン等、地方の

つわもの達が参戦しました。

レースはハヤブサモンが逃げ、スルガスペインとダイゴウガルダン

が先行し、ダートの鬼ラシアンゴールドとハシルショウグンが

中団を進み、ナリタハヤブサは後方からという競馬になりました。

直線に入ってスルガスペインが成績に違わぬ粘りを見せる中、

ラシアンゴールドが交わして先頭に立ち、その外からナリタ

ハヤブサが追い込んで2頭が並んでゴールに入り、写真判定の

結果、2頭同着ということになりました。

勢いに乗ったナリタハヤブサは続く武蔵野Sでトップハンデの

60.5キロの斤量を背負いながらもレコードタイムで優勝し、

このレコードタイムは2001年にクロフネが更新するまで

維持されました。

しかし、この勝利がナリタハヤブサにとって中央競馬での最後の

勝利となりました。

2連勝の勢いで選出された宝塚記念に出走しましたが、大差の

9着に惨敗。

その後、ツキが落ちたのか年内で3戦しましたが、勝つことは

出来ませんでした。

年が明けて7歳になったナリタハヤブサは現役を続行しましたが

中京記念で2着に入る等、一瞬健在ぶりを示したものの、前年

優勝した帝王賞に参戦し、ハシルショウグンの8着に敗れたのを

最後に公営新潟競馬に移籍することになりました。

移籍後、いきなり3連勝で格の違いを示しましたが、1995年

4月の今は無くなってしまった三条競馬場の特別レースで

競走を中止し、これが現役最後のレースとなりました。

引退後は、種牡馬として7年間供用され、少ない産駒の中から

勝ち馬は出したものの、代表産駒には恵まれませんでした。

そして2003年2月27日 静かに17年間の生涯を終え、

天国に旅立って行きました。

今週は第39回フェブラリーステークスが行われます。

桜花賞馬ソダシがダート2戦目でどのような競馬をするのか

注目です。

また、前走の巻き返しを図るソリストサンダーとカフェファラオ、

休み明けの実力馬レッドルゼルに注目しています。

週末の天候が気になりますが、今週も全馬の無事を祈りながら

レースを見ます。

先週行われました第72回東京新聞杯は4番人気のイルーシヴ

パンサーが直線で一気に抜け出して優勝を飾り、4連勝で初重賞

制覇を果たしました。

2着には馬群を割って追い上げた2番人気のファインルージュが

入り、連覇がかかった1番人気のカラテはファインルージュに首差

届かず3着に終わりました。

今週は阪神競馬場で伝統の第115回京都記念が行われます

京都記念は1942年に5歳(現4歳)以上の古馬による春と秋の

年2回施行するハンデキャップ競走として創設されました。

第二次世界大戦の影響による中止や施行距離や競走条件等の

変更を経て春・秋年2回行っていましたが、1984年に秋の

競走が廃止され、以来年1回の施行となりました。

伝統のレースだけあって歴代優勝馬には古くはタケシバオー、

タニノチカラ、テンポイント、ティエムオペラオー、最近でもクロノ

ジェネシス、ラヴズオンリーユー等、名立たる名馬達の名前が

連なっています。

思い出の馬は関西の小さな巨人スカイリーダです。

スカイリーダは昭和48年クラシック組で同期にはハイセイコー、

タケホープ、イチフジイサミやホウシュウエイトがいます。

牡馬としては小さな410キロ台の馬体で旧3歳時の夏にデビュー

するもS新馬戦の2戦とも勝つことは出来ず、秋になって3戦目の

未勝利戦で初勝利をあげました。

年が明けて旧4歳になったスカイリーダは条件特別レースを

連勝し、また負かした馬の中には後に重賞戦線でも善戦した

シャダイオー等もいましたが、結局クラシック戦線に参戦する

ことはありませんでした。

その後も条件レースで惜敗が続いていましたが、秋になって

4勝目をあげ、ついに晴れてオープン馬入りを果たしました。

年が明けて古馬になったスカイリーダは古馬緒戦として後の日経

新春杯に参戦し、同期のホウシュウエイトや天皇賞馬ヤマニン

ウェーブに敗れはしたものの、3着に善戦しました。

そして続いて京都記念に出走しました。

この競走には前年の天皇賞馬で歴代最強馬として名前があがる

タニノチカラや天皇賞馬ヤマニンウェーブ、京都記念優勝馬

メジロスイセイ等の関西の実力馬が顔を揃えました。

このレースではタニノチカラの負担重量が61キロに対し、スカイ

リーダは52キロでタニノチカラとは9キロ差の負担重量での

参戦となりましたが、当日の1番人気はやはりタニノチカラで

スカイリーダは5番人気となりました。

当日は激しく雪が降り、馬場状態が悪化し重馬場となりました。

スタートして、エンジンの違いで先行するタニノチカラに対して

スカイリーダはいつものように後方からのレース展開となり、

そして最後の直線に入ってタニノチカラが先頭に立ち、このまま

力で押し切るかと思いましたが、外からスカイリーダが強襲して

2頭が並んでゴールに入り写真判定となりました。

判定の結果、スカイリーダがハナ差で勝利し、タニノチカラとの

負担重量が9キロ差あったものの、タニノチカラをやぶって

優勝するという大金星での重賞初勝利となりました。

この勝利で天皇賞春の有力候補に躍り出たスカイリーダ

でしたが、この後、脚部不安が発生し、長期の休養を余儀なく

されました。

秋に入って復帰し、緒戦のレースは7着に敗れましたが、続く

ハイセイコーが関西での現役最後のレースとなった京都大賞典に

参戦し、今度はタニノチカラに4馬身離され圧勝されたものの

直線で1番人気のホウシュウエイトと負担重量62キロの

ハイセイコーとの3頭による競り合いになり、ホウシュウエイトとは

ハナ差で負けたものの、このレースで杉本アナがミスター

サラブレットと言ったハイセイコーにはクビ差抑えて3着に入る等

大健闘しました。

そして当時は行われていた京都記念秋に参戦し、この時は

関西のエース馬ホウシュウエイト等が回避したこともあって、

重賞で初めて1番人気に推され、その期待に応えて、直線で

シュンサクオー以下を差し切って優勝し、見事京都記念の

春秋連覇を達成しました。

年が明けて旧6歳となったスカイリーダは金杯、日経新春杯と

続けて3着に敗れてしまいましたが、続くサンケイ大阪杯では

クリオンワード、ディクタボーイ、バンブトンオール等の実力馬を

おさえて優勝し、重賞3勝目をあげました。

その後、オープン競走2着を経て、ついに念願だった八大競走の

ひとつである天皇賞春に初出走しました。

このレースには二冠馬キタノカチドキをはじめ、イチフジイサミ、

ナオキ、ツキサムホマレ、バンブトンオールやフェアーリュウ等

錚々たるメンバーが顔を揃えました。

レースはスタート直後からバンブトンオールが逃げ、ナオキが

先行し、1番人気のキタノカチドキが中団を進み、その後ろに

イチフジイサミとスカイリーダがつける展開となりました。

向こう正面でスカイリーダがしんがりまで下がると実況の

杉本アナが昭和48年天皇賞春において、向こう正面で無冠の

貴公子タイテイムがしんがりまで下がってしまったものの、

直線に入って見事に差し切って優勝したことで、もしかしたら

スカイリーダも再現するのかという気持ちだったのでしょうか、

「スカイリーダがしんがりまで下がりました。タイテエムを思い出す

スカイリーダしんがりだ」の実況は杉本アナらしくて、今でも

とても印象に残っています。

直線に入ってイチフジイサミが抜け出して先頭に立ち、必死に

キタノカチドキが追い込みましたが、見事に昭和48年クラシック組

の3強の一角であったイチフジイサミが悲願の優勝を飾りました。

キタノカチドキは2着に敗れ、スカイリーダは大差をつけられ

6着に沈みました。

レース後、スカイリーダは右前脚の屈腱炎が判明し、長期休養に

入りました。

そして8月の北九州記念で復帰する予定でしたが、直前になって

再び屈腱炎を発症したため、レース直前で出走を取り消し、再び

競馬場に姿を現すことはありませんでした。

引退後、スカイリーダは生まれ故郷の稲原牧場で種牡馬となり

産駒に重賞勝ち馬は出なかったものの、初年度産駒からダイタク

プロスパア(神戸新聞杯4着、京都新聞杯4着、菊花賞5着)を

輩出する等、よく頑張ってくれたと思っています。

そして。スカイリーダは1987年10月1日付で用途変更となり

以後の消息は不明となりましたが、あるテレビ局の番組で

20歳を過ぎてからも、ある乗馬クラブで余生を過ごしている

スカイリーダの姿が映し出され、懐かしく、そしてホッとしたことを

覚えています。

今週は阪神競馬場で第115回京都記念が行われます。

オークス馬ユーバーレーベン、菊花賞以来となるレッドジェネシス

に注目すると共に、古豪マカヒキを心から応援しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました第36回根岸ステークスは後方からレースを

進めた6番人気のテイエムサウスダンが直線で見事な差し

切りを決めて優勝、昨年の武蔵野Sの雪辱を果たしました。

2着には4番人気のヘリオスが入り、1番人気に推された

ソリストサンダーは直線で伸びを欠いて9着に敗れました。

また同日に東京競馬場でラブズオンリーユーの引退式が行われ

レース後にも関わらず残ってくれた多くのファンからの温かい拍手

に送られて、静かに競馬場に別れを告げました。

昨年の海外での前人未到のGⅠレース3勝は驚きと共に本当に

感動しました。

どうか北海道に帰って少しゆっくり休んで頂き、次のステージでも

ラブズオンリーユーが幸せに暮らしてくれることを心から祈って

います。本当にお疲れさまでした。

今週は東京競馬場で第72回東京新聞杯が行われます。

東京新聞杯は旧5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走として

「東京杯」の名称で1951年に創設されました。

当初は東京競馬場の芝2400mで天皇賞春の前後に行われて

いましたが、1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し、あわせて

施行時期も1月下旬 から2月上旬に行われるようになりました。

天皇賞春を意識していたレースだったためか、昭和30年代から

昭和40年代初期の優勝馬にはオートキツやコマツヒカリ等の

ダービー馬をはじめ、天皇賞馬タカマガハマやタケシバオー、

菊花賞馬アカネテンリュウ等、競馬史上に残る名立たる名馬達の

名前が連なっています。

私が見始めた昭和40年代中頃には施工距離も2000mになって

おり、当時の記憶では、どちらかというと金杯の再戦レースの

ような印象があります。

その後、1984年より施工距離も東京競馬場の芝1600mに

短縮され、このことにより天皇賞春に向けてというより、安田記念

に向けた春の古馬マイル路線に変わりました。

 

思い出の馬はメジロを代表する馬の1頭でもあり、長年に渡り

タイトルに挑み続けた不屈の戦士メジロファントムです。

メジロファントムは旧3歳の12月にデビューし、初戦は7着に

敗れましたが、続く新馬第2戦では大差で圧勝し、初勝利を

あげました。

年が明けて旧4歳になっていきなり重賞京成杯に挑戦して

タケデンのハナ差の2着に入ったことで一躍クラシック候補に

躍り出ました。

しかし、その後東京4歳S、弥生賞に出走し善戦するも勝つことは

できず、本番のクラシックを前に骨折を発症し、休養に入りました。

結局、菊花賞には間に合わず、11月に条件特別で復帰を

果たし、格の違いを見せつけて圧勝しましたが、暮れの有馬

記念に出走するもカネミノブの13着に惨敗してしまいました。

年が明けて古馬になったメジロファントムは金杯でシービークロス

の僅差の2着に入ると、続く東京新聞杯では見事な差し切りを

決めて勝利を飾り、ついに初重賞を制覇しました。

この勝利により、誰しもがメジロファントムの今年活躍を期待

しましたが、その後重賞レースに出走し、人気を集め、宝塚記念

でも5着に入る等、善戦するものの、なかなか勝ちきれず7連敗

を喫してしまいました。

それでも準オープン特別レースで久しぶりの勝利をあげると、

目黒記念でも4着に食い込むなど、徐々に調子を上げてきました。

そして念願のGⅠ制覇に向け 天皇賞秋に挑みました。

この日の東京競馬場の馬場は雨により酷い不良馬場での

レースとなりました。

レースはチェリーリュウが単騎で大逃げをうち、1番人気に

推されたメジロイーグルが続き、メジロファントムは後方からの

レース展開となりました。

直線に入って不良馬場の影響で各馬が内外に別れて追う中、

内からスリージャイアンツが抜け出して先頭に立ちましたが

外からメジロファントムが猛然と追い込んで来て、一瞬スリー

ジャイアンツを交わしたかに見えましたが、併せ馬になったことで

スリージャイアンツが差し返し、結局メジロファントムはハナ差で

2着に惜敗してしまいました。

そして日本一をかけてグリーングラスのラストランとなる

有馬記念に挑みました。

ボールドエイカンが逃げ、カネミカサが先行し、メジロファントムは

いつもの後方からのレース展開となりました。

向こう正面で皐月賞馬ビンゴガルーが故障を発症して競走を中止

するという波乱の展開の中、4コーナーから得意のコーナーワーク

を使ってグリーングラスが先頭に立ち、このままゴールにと思った

瞬間、外からメジロファントムが猛然と差し切る勢いで追い込んで

きてグリーングラスに迫り、並んでゴールインしましたが、ここでも

わずかハナ差届かず、またしても2着に惜敗してしまいました。

もしタラレバを言えるのであれば、メジロファントムが逆に天皇賞秋

と有馬記念にハナ差で勝っていれば、間違いなく年度代表馬

に選出されていたでしょうし、メジロファントムのその後も変わって

いたかも知れないと思うと運命を分けたハナ差だったと言えます。

年が明け6歳になったメジロファントムは今年こそはと期待され

ましたが、骨折のため長期休養を余儀なくされてしまいました。

それでも毎日王冠で復帰し、何とか天皇賞秋に間に合いました。

レースはプリテイキャストが一世一代の大逃げという展開で

レースが進み、人気のカツラノハイセイコとホウヨウボーイが

どちらが先に動くかという駆け引きを行っている中、いつの間にか

プリテイキャストが楽な展開に持ち込み、慌てて各馬仕掛けるも

時すでに遅く、プリテイキャストがあれよあれよという間に

7馬身差をつけて逃げ切って優勝。

そんな中でもメジロファントムは何とか追い込んで2着に

入りました。

その後有馬記念でも善戦するも4着に敗れ、結局期待された

6歳で1勝もすることは出来ませんでした。

7歳になって重賞レース10戦に出走しましたが、天皇賞春と

宝塚記念に3着など、いつものように善戦はするものの、結局

勝つことは出来ませんでした。

年が明けて8歳時に再び骨折が判明し引退かと思われましたが

関係者の懸命な治療によって夏の函館で奇跡の復活を果たし

ました。

しかし、年齢もあってか函館のUHB杯3着、毎日王冠8着、

天皇賞秋は6着に敗れ、もうメジロファントムの時代は終わったと

言われましたが、続く目黒記念に出走すると最後の直線で

往年の追い込みで鮮やかに差し切って、何と3年2ヶ月ぶりに

優勝を飾り、自身2度目の重賞制覇を成し遂げ、不死鳥のごとく

奇跡の復活を果たしました。

しかし、これがメジロファントムにとって最後の勝利となりました。

有馬記念で10着に惨敗後、年が明けて9歳になったメジロ

ファントムは現役を続行し、それでもAJC杯では3着に入って

健在ぶりを示し、目黒記念では7着でしたが、サンケイ大阪杯5着

天皇賞春4着とメジロファントムらしく大健闘を見せてくれました。

しかし、2年ぶり3度目の宝塚記念では8着に敗れ、このレースを

最後に引退することが発表されました。

メジロファントムの引退式は宝塚記念後の6月に東京競馬場で

行われ、多くのファンから惜しまれつつ競馬場を去りました。

7年にもわたって現役を続け、通算成績44戦5勝、2着5回、

3着10回、重賞優勝は東京新聞杯と目黒記念の2勝でしたが

天皇賞に挑戦すること6回、有馬記念に挑戦すること5回、

そのうち3回2着に入っているというように勝利数は5勝でしたが

中身の濃い本当に立派な戦績だったと思います。

引退後は中央競馬会の種牡馬試験を受けたものの、種牡馬には

なれず、中央競馬会に寄贈されて東京競馬場において誘導馬

として第二の人生を歩むことになりました。

メジロファントムは誘導馬としてもいつも気品あふれ、風格ある

姿勢で後輩馬達の誘導を行い、最後まで立派に勤め上げました。

1995年2月19日高齢のため、誘導馬としても引退が決まり、

自ら優勝した目黒記念での誘導を立派に勤め上げ、誘導馬

としての使命を終えました。

当日の競馬中継もメジロファントムの誘導馬としての最後の

勇姿を映し出していました。

また当日は誘導馬であるにも関わらずパドックに登場し、多くの

ファンは彼の2回目の引退を惜しみました。

多くのファンからの温かい拍手に送られてメジロファントムは

今度こそ二度と帰ることのない競馬場に別れを告げました。

そして誘導馬引退後は功労馬として北海道で余生を過ごして

いましたが、2004年12月11日、余生を過ごしていたJRA

日高育成牧場で老衰のため、29年の生涯を閉じました。

記憶にも記録にも残る昭和を代表する名馬でした。

今週は東京競馬場で第72回東京新聞杯が行われます。

桜花賞3着、秋華賞2着のファインルージュ、昨年の覇者で

連覇を狙うカラテ、好調のプリンスリターン、一発逆転を秘めた

カテドラルに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながら、レースを見ます。