先週行われました第36回根岸ステークスは後方からレースを

進めた6番人気のテイエムサウスダンが直線で見事な差し

切りを決めて優勝、昨年の武蔵野Sの雪辱を果たしました。

2着には4番人気のヘリオスが入り、1番人気に推された

ソリストサンダーは直線で伸びを欠いて9着に敗れました。

また同日に東京競馬場でラブズオンリーユーの引退式が行われ

レース後にも関わらず残ってくれた多くのファンからの温かい拍手

に送られて、静かに競馬場に別れを告げました。

昨年の海外での前人未到のGⅠレース3勝は驚きと共に本当に

感動しました。

どうか北海道に帰って少しゆっくり休んで頂き、次のステージでも

ラブズオンリーユーが幸せに暮らしてくれることを心から祈って

います。本当にお疲れさまでした。

今週は東京競馬場で第72回東京新聞杯が行われます。

東京新聞杯は旧5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走として

「東京杯」の名称で1951年に創設されました。

当初は東京競馬場の芝2400mで天皇賞春の前後に行われて

いましたが、1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し、あわせて

施行時期も1月下旬 から2月上旬に行われるようになりました。

天皇賞春を意識していたレースだったためか、昭和30年代から

昭和40年代初期の優勝馬にはオートキツやコマツヒカリ等の

ダービー馬をはじめ、天皇賞馬タカマガハマやタケシバオー、

菊花賞馬アカネテンリュウ等、競馬史上に残る名立たる名馬達の

名前が連なっています。

私が見始めた昭和40年代中頃には施工距離も2000mになって

おり、当時の記憶では、どちらかというと金杯の再戦レースの

ような印象があります。

その後、1984年より施工距離も東京競馬場の芝1600mに

短縮され、このことにより天皇賞春に向けてというより、安田記念

に向けた春の古馬マイル路線に変わりました。

 

思い出の馬はメジロを代表する馬の1頭でもあり、長年に渡り

タイトルに挑み続けた不屈の戦士メジロファントムです。

メジロファントムは旧3歳の12月にデビューし、初戦は7着に

敗れましたが、続く新馬第2戦では大差で圧勝し、初勝利を

あげました。

年が明けて旧4歳になっていきなり重賞京成杯に挑戦して

タケデンのハナ差の2着に入ったことで一躍クラシック候補に

躍り出ました。

しかし、その後東京4歳S、弥生賞に出走し善戦するも勝つことは

できず、本番のクラシックを前に骨折を発症し、休養に入りました。

結局、菊花賞には間に合わず、11月に条件特別で復帰を

果たし、格の違いを見せつけて圧勝しましたが、暮れの有馬

記念に出走するもカネミノブの13着に惨敗してしまいました。

年が明けて古馬になったメジロファントムは金杯でシービークロス

の僅差の2着に入ると、続く東京新聞杯では見事な差し切りを

決めて勝利を飾り、ついに初重賞を制覇しました。

この勝利により、誰しもがメジロファントムの今年活躍を期待

しましたが、その後重賞レースに出走し、人気を集め、宝塚記念

でも5着に入る等、善戦するものの、なかなか勝ちきれず7連敗

を喫してしまいました。

それでも準オープン特別レースで久しぶりの勝利をあげると、

目黒記念でも4着に食い込むなど、徐々に調子を上げてきました。

そして念願のGⅠ制覇に向け 天皇賞秋に挑みました。

この日の東京競馬場の馬場は雨により酷い不良馬場での

レースとなりました。

レースはチェリーリュウが単騎で大逃げをうち、1番人気に

推されたメジロイーグルが続き、メジロファントムは後方からの

レース展開となりました。

直線に入って不良馬場の影響で各馬が内外に別れて追う中、

内からスリージャイアンツが抜け出して先頭に立ちましたが

外からメジロファントムが猛然と追い込んで来て、一瞬スリー

ジャイアンツを交わしたかに見えましたが、併せ馬になったことで

スリージャイアンツが差し返し、結局メジロファントムはハナ差で

2着に惜敗してしまいました。

そして日本一をかけてグリーングラスのラストランとなる

有馬記念に挑みました。

ボールドエイカンが逃げ、カネミカサが先行し、メジロファントムは

いつもの後方からのレース展開となりました。

向こう正面で皐月賞馬ビンゴガルーが故障を発症して競走を中止

するという波乱の展開の中、4コーナーから得意のコーナーワーク

を使ってグリーングラスが先頭に立ち、このままゴールにと思った

瞬間、外からメジロファントムが猛然と差し切る勢いで追い込んで

きてグリーングラスに迫り、並んでゴールインしましたが、ここでも

わずかハナ差届かず、またしても2着に惜敗してしまいました。

もしタラレバを言えるのであれば、メジロファントムが逆に天皇賞秋

と有馬記念にハナ差で勝っていれば、間違いなく年度代表馬

に選出されていたでしょうし、メジロファントムのその後も変わって

いたかも知れないと思うと運命を分けたハナ差だったと言えます。

年が明け6歳になったメジロファントムは今年こそはと期待され

ましたが、骨折のため長期休養を余儀なくされてしまいました。

それでも毎日王冠で復帰し、何とか天皇賞秋に間に合いました。

レースはプリテイキャストが一世一代の大逃げという展開で

レースが進み、人気のカツラノハイセイコとホウヨウボーイが

どちらが先に動くかという駆け引きを行っている中、いつの間にか

プリテイキャストが楽な展開に持ち込み、慌てて各馬仕掛けるも

時すでに遅く、プリテイキャストがあれよあれよという間に

7馬身差をつけて逃げ切って優勝。

そんな中でもメジロファントムは何とか追い込んで2着に

入りました。

その後有馬記念でも善戦するも4着に敗れ、結局期待された

6歳で1勝もすることは出来ませんでした。

7歳になって重賞レース10戦に出走しましたが、天皇賞春と

宝塚記念に3着など、いつものように善戦はするものの、結局

勝つことは出来ませんでした。

年が明けて8歳時に再び骨折が判明し引退かと思われましたが

関係者の懸命な治療によって夏の函館で奇跡の復活を果たし

ました。

しかし、年齢もあってか函館のUHB杯3着、毎日王冠8着、

天皇賞秋は6着に敗れ、もうメジロファントムの時代は終わったと

言われましたが、続く目黒記念に出走すると最後の直線で

往年の追い込みで鮮やかに差し切って、何と3年2ヶ月ぶりに

優勝を飾り、自身2度目の重賞制覇を成し遂げ、不死鳥のごとく

奇跡の復活を果たしました。

しかし、これがメジロファントムにとって最後の勝利となりました。

有馬記念で10着に惨敗後、年が明けて9歳になったメジロ

ファントムは現役を続行し、それでもAJC杯では3着に入って

健在ぶりを示し、目黒記念では7着でしたが、サンケイ大阪杯5着

天皇賞春4着とメジロファントムらしく大健闘を見せてくれました。

しかし、2年ぶり3度目の宝塚記念では8着に敗れ、このレースを

最後に引退することが発表されました。

メジロファントムの引退式は宝塚記念後の6月に東京競馬場で

行われ、多くのファンから惜しまれつつ競馬場を去りました。

7年にもわたって現役を続け、通算成績44戦5勝、2着5回、

3着10回、重賞優勝は東京新聞杯と目黒記念の2勝でしたが

天皇賞に挑戦すること6回、有馬記念に挑戦すること5回、

そのうち3回2着に入っているというように勝利数は5勝でしたが

中身の濃い本当に立派な戦績だったと思います。

引退後は中央競馬会の種牡馬試験を受けたものの、種牡馬には

なれず、中央競馬会に寄贈されて東京競馬場において誘導馬

として第二の人生を歩むことになりました。

メジロファントムは誘導馬としてもいつも気品あふれ、風格ある

姿勢で後輩馬達の誘導を行い、最後まで立派に勤め上げました。

1995年2月19日高齢のため、誘導馬としても引退が決まり、

自ら優勝した目黒記念での誘導を立派に勤め上げ、誘導馬

としての使命を終えました。

当日の競馬中継もメジロファントムの誘導馬としての最後の

勇姿を映し出していました。

また当日は誘導馬であるにも関わらずパドックに登場し、多くの

ファンは彼の2回目の引退を惜しみました。

多くのファンからの温かい拍手に送られてメジロファントムは

今度こそ二度と帰ることのない競馬場に別れを告げました。

そして誘導馬引退後は功労馬として北海道で余生を過ごして

いましたが、2004年12月11日、余生を過ごしていたJRA

日高育成牧場で老衰のため、29年の生涯を閉じました。

記憶にも記録にも残る昭和を代表する名馬でした。

今週は東京競馬場で第72回東京新聞杯が行われます。

桜花賞3着、秋華賞2着のファインルージュ、昨年の覇者で

連覇を狙うカラテ、好調のプリンスリターン、一発逆転を秘めた

カテドラルに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながら、レースを見ます。