先週行われました第59回弥生賞ディープインパクト記念は

3番人気のアスクビクターモアが直線で2番手から抜け出し、

2歳王者ドウデュースの猛追をおさえて重賞初制覇を飾り、

クラシックの有力候補に躍り出ました。

2着にはクビ差で昨年の最優秀2歳牡馬で1番人気の

ドウデュースが入り、3着には9番人気のボーンディスウェイが

入り、この上位3頭が皐月賞への優先出走権を得ました。

今週は中京競馬場で第58回金鯱賞が行われます。

金鯱賞は1965年に別定重量の重賞競走として中京競馬場の

ダート1800mで創設されました。

その後、1970年からは芝コースでの施行に変更され、負担重量

の変遷を経て1996年から再び別定かつ宝塚記念へのステップ

レースとなり、あわせて距離も2000mに変更されました。

一時期開催時期が11月末~12月となり、有馬記念へのステップ

レースになっていましたが、2017年からは開催時期が3月に

変更され、本競走の1着馬には大阪杯への優先出走権が付与

されることになりました。

 

思い出の馬は昭和49年第10回優勝馬ホウシュウミサイルです。

ホウシュウミサイルの父は菊花賞馬ダイコーターで内国産種牡馬

不遇の時代にニシノライデン、ホウシュウリッチ、キタノリキオー

プレジデントシチー等、多くの重賞勝ち馬を輩出し、シンザンと共に

内国産種牡馬として大健闘した名種牡馬でもありました。

また、ホウシュウミサイルの上田オーナーは、どうしても

ダービー馬の馬主になりたくて、昭和40年当時のNHK杯を

快勝してダービーの有力候補になったダイコーターをシンザンの

橋本オーナーから高額で譲り受けて世間を驚かせました。

上田オーナーはかつて持ち馬だった昭和29年皐月賞に勝って

ダービー優勝も確実と言われていたダイナナホウシユウが

他馬の不利を受けて4着に敗れて以来、ダービー制覇は

上田オーナーにとっての悲願となっていました。

しかし、本番のダービーでダイコーターは直線に入って良く

追い込んだものの、道悪に泣かされ、後に悲運の超特急と

言われたキーストンの2着に敗れてしまいました。

その結果、「ダービーを金で買うことは出来ない」と言う典型的な

例として今でも語り継がれることになってしまい、私も競馬を

見始めた頃、この話はよく耳にしました。

その後も上田オーナーはダービーに挑み続けましたが、

昭和46年のスインホウシュウと昭和48年のホウシュウエイト

による4着が最高で昭和49年のホウシュウミサイルに期待を

寄せていました。

ホウシュウミサイルは昭和49年のクラシック組で同期には二冠馬

キタノカチドキ、ダービー馬コーネルランサーの他カーネルシンボリ

ニシキエース、キクノオー、スルガスンプジョウ、バンブトンオール

ナスノカゲ、インターグッド等います。

ホウシュウミサイルは1973年夏の札幌でデビューして新馬戦を

快勝し、次の北海道3歳Sではカーネルシンボリの2着に敗れた

ものの、その後条件戦と特別競走を快勝して2連勝を飾り、一躍

関西期待の星キタノカチドキと共にクラシック候補に躍り出ました。

しかし、阪神3歳Sでキタノカチドキの6着に敗れ、年が明けて

旧馬齢4歳になって参戦したシンザン記念では3着、そして

きさらぎ賞で再びキタノカチドキに挑み、負けはしたものの2着に

健闘し、東上切符を手にしました。

しかし、キタノカチドキだけではなく、関東馬の壁は厚く、皐月賞

トライアルのスプリングSでは三度キタノカチドキの後塵を拝して

6着となり、続く皐月賞では12着に惨敗、そして迎えた本番の

ダービーでも8番人気に推されたものの、23頭立ての18着に

惨敗する等、この年も上田オーナーの悲願達成はなりません

でした。

そして、その後も上田オーナーは自分の持ち馬でダービー制覇を

見ることなく、1987年86歳でこの世を去りました。

ダービー後、関西に戻ったホウシュウミサイルは、休養に入らず

当時行われていたオープン競走に出走してタケデンバード以下を

やぶってレコード勝ちし、金鯱賞に駒を進めました。

金鯱賞では今までの競走実績と距離の短縮が買われたのか

1番人気に推され、2番人気には同期でダービーに出走して

惨敗し、ホウシュウミサイルと同じようにオープン競走を勝って

参戦してきたニホンピロセダンが推されました。

レースはハイセイコー世代でダービーや菊花賞で逃げを打った

ボージェストやサチモシローが逃げると思われていましたが、

2頭とも逃げることはなく、代わりにホウシュウミサイルが

逃げる展開となりました。

14頭を引き連れてホウシュウミサイルが先頭で直線に向くと

そのスピードは衰えず、更に二の足を使って他馬を引き離して

そのまま先頭でゴールし、念願の初重賞を制覇しました。

その後小倉に遠征し、オープン特別競走では快速馬キシュウ

ローレルの4着に敗れたものの、続く小倉記念では同門で

先輩のホウシュウリッチやロッコーイチをやぶって優勝し、

重賞2勝目をあげました。

しかし、この勝利がホウシュウミサイルにとっての最後の勝利と

なりました。

秋に入って休む間もなく、菊花賞に向けて神戸新聞杯に出走

するも、またしてもキタノカチドキの軍門に降って10着と惨敗した

ため、菊花賞を断念し、相性の良い中京競馬場で12月に

行われるCBC賞に参戦し、2番人気に推されましたが、クラシック

レースを含めて休みなく走った疲れが出たのか、最下位の9着に

惨敗してしまいました。

そして、このレースがホウシュウミサイルにとっての最後のレース

となりました。

その後、故障を発症し休養に入ったと記憶していますが、当時は

関西馬の動向の情報を知るのはとても難しく、いつ引退し、その後

どこで余生を送ったのか、いつどのようにして亡くなったのか等

記録が残っていないのが本当に残念です。

今週は大阪杯に向けて第58回金鯱賞が中京競馬場で

行われます。

現在4連勝中で波に乗るジャックドール、昨年の4連敗からの

巻き返しを図り、連覇を狙うレイパパレ、今年緒戦となる

エリザベス女王杯優勝馬アカイイト、若い力で逆転を狙う

ステラリア、グラティアスに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながら、レースを見ます。

 

先週行われました伝統の第96回中山記念は2番人気に推された

パンサラッサがハイペースで大逃げを打ち、直線に入っても

脚色は衰えることなく差を開いて2馬身半差をつけて優勝。

2つ目の重賞を獲得しました。

2着には4番人気のカラテが入り、3着にはクビ差で3番人気の

アドマイヤハダル入り、1番人気のダノンザキッドはスタートの

出遅れが響いて7着に敗れました。

個性派の馬が少なくなった今、パンサラッサの今後の活躍が

期待されます。

今週は中山競馬場でクラシックの登竜門第59回弥生賞ディープ

インパクト記念が行われます。

弥生賞ディープインパクト記念は1964年に弥生賞という名称で

4歳(現3歳)馬限定の重賞競走として創設されました。

施行距離やコースは幾度かの変遷を経て、1984年より中山

競馬場芝2000mとして行われ、これによりクラシック戦線に

直結する重要な前哨戦として位置づけられています。

2020(令和2年)からは、2019年に亡くなった名馬ディープ

インパクトの功績を称え、同馬の重賞初勝利となった弥生賞の

競走名を改称し、弥生賞ディープインパクト記念として開催される

ことになりました。

そして長年に渡り、このレースの優勝馬からはダービーをはじめ

とするクラシックの優勝馬が数多く誕生しています。

 

思い出の馬は、闘将加賀騎手の乾坤一擲のまくり天馬を

やぶり、ダービー馬に輝いたクライムカイザーです。

クライムカイザーは、昭和51年のクラシック組で同期には3強

の名を欲しいままにしたトウショウボーイ、テンポイント、グリーン

グラスがいます。

クライムカイザーは1975年旧馬齢3歳の夏の札幌でデビューし

新馬緒戦は3着に敗れたものの、2戦目の新馬戦で勝ち上がり

続く条件特別戦ではレコード勝ちをおさめ、エリート路線に

乗りました。

しかし、その後、惜敗ながら朝日杯3歳S4着を含む重賞3連敗

となり、結局3歳時は7戦2勝という成績に終わりました。

年が明けて旧馬齢4歳になったクライムカイザーは京成杯に

参戦しで念願の重賞初制覇を果たし、関東のクラシック候補に

躍り出ました。

この時、後に皐月賞を制覇したトウショウボーイは、まだデビュー

していませんでした。

次に参戦した東京4歳ステークスでは関西の期待を一身に

集めて東上してきたテンポイントと激突しましたが、テンポイントの

2着に惜敗しました。

そして続いて弥生賞に出走し、レースはスタートしてから朝日杯

3歳Sの覇者ボールドシンボリが逃げ、クライムカイザーは後方

からの競馬となりましたが、3コーナーから4コーナーにかけて

クライムカイザーが一気にまくりながら追い上げて直線で先頭に

立つと、そのままボールドシンボリに2馬身差を付けて勝利し、

朝日杯3歳Sでの雪辱を果たしました。

そしてクラシック1冠目の皐月賞に挑みました。

このレースには5戦5勝の関西の雄テンポイントと1月に

デビューし、3戦3勝で挑む関東の期待トウショウボーイの無敗馬同士の激突が注目され、クライムカイザーは3番人気に推され

ました。

レースはいつものようにボールドシンボリが逃げて、トウショウ

ボーイが先行し、テンポイントは中団を進み、クライムカイザーは

後方からの競馬となりました。

直線に入るとトウショウボーイ鋭く抜け出し、期待どおり他馬を

突き放して圧勝劇を演じ、関西の雄テンポイントは何とか他馬と

競り合って2着を確保するのが精いっぱいでした。

クライムカイザーも3コーナーから4コーナーにかけて、一気に

まくる作戦に出ましたが、5着に敗れました。

そして運命の日本ダービーを迎えました。

ゲートが開き、27頭が一斉に伸び出すと馬体を寄せられると

怯むという弱点を避けるためか、それともスピードの違いなのか

トウショウボーイが早くも先頭に立って26頭を引っ張る展開となり

テンポイントは中団、クライムカイザーはいつものように後方から

というレース展開となりました。

直線に入ってトウショウボーイが他馬の引き離しにかかりましたが

3コーナーから4コーナーに一気に上がってきたクライムカイザー

が闘将加賀騎手の乾坤一擲の出し抜きを図ってトウショウボーイ

を抜き去って先頭に立ち、一瞬の出来事に怯んだトウショウボーイ

も再び追い上げてクライムカイザーとの差を縮めるも届かず、

1馬身1/2差をつけてクライムカイザーがダービーの栄光に輝き

ました。

レース後、加賀騎手の走路妨害ギリギリの強引な騎乗に対し、

審議になるかと思いましたが、結局審議の対象にはならず、

制裁も受けなかったものの、競馬関係者からは疑問の声が多く

寄せられました。

しかし、このダービーでの勝利がクライムカイザーにとっての

最後の勝利になるとは誰が予想できたでしょうか。

ダービーから1ヶ月半後にクライムカイザーは菊に向けて早くも

始動し、札幌記念に出走しました。

このレースにはトウショウボーイやグレートセイカンも参戦し、

ダービー馬、皐月賞馬、ダートの王者が一堂に会する豪華な

札幌記念になりました。

結果はダートの王者グレートセイカンが得意のダートで追い込む

トウショウボーイをクビ差おさえて優勝し、クライムカイザーは

2頭に大差をつけられ3着に敗れました。

続いて菊花賞トライアル神戸新聞杯と京都新聞杯に参戦して

トウショウボーイと対戦しましたが、いずれもトウショウボーイの

後塵を拝して2着に敗れました。

そして迎えた菊花賞ではトウショウボーイと共に当時行われて

いた単枠指定となって出走しました。

菊花賞にはトウショウボーイをはじめ、春の屈辱を晴らすため

最後のクラシック菊花賞に執念を燃やす貴公子テンポイント

や関西の秘密兵器コーヨーチカラ、小倉の星ミヤジマレンゴ

後の天皇賞馬ホクトボーイ、夏の上り馬グリーングラス等の

精鋭達が出走しました。

レースはダービーとは違ってトウショウボーイではなく、バンブー

ホマレが逃げ、トウショウボーイとテンポイントはお互いにマーク

しながら先行集団で進み、クライムカイザーは例によって後方から

の競馬となりました。

直線に入ってテンポイントがトウショウボーイより先に抜け出して

先頭に立ち、大歓声の中テンポイントがついに勝つかと思われ

ましたが、コーナーワークを使って内から鋭く伸びてきたグリーン

グラスがいつの間にか先頭に立ち、そのままテンポイントの追撃を

おさえて、まさかの優勝を飾りました。

クライムカイザーは4コーナーで得意のまくり戦法をとったものの

5着に敗れてしまいました。

やはりマイラー血統のヴェンチアの仔で長丁場は向かなかった

のかも知れません。

この後、トウショウボーイとテンポイントは有馬記念に駒を進め

2年連続で名勝負を繰り広げました。

クライムカイザーは菊花賞後に疲れが出たため、休養を取りました。

年が明けて古馬になったクライムカイザーは天皇賞春を目指して

AJC杯からスタートを切りましたが、AJC杯ではグリーングラスに

再び敗れて5着、その後も目黒記念ではカシュウチカラの4着、

鳴尾記念はテンポイントの4着と入着はするものの、なかなか

勝つことは出来ませんでした。

そして迎えた大一番天皇賞春に参戦しましたがテンポイントの

悲願の優勝の前に5着に敗れ、脇役にまわってしまいました。

そして、続く宝塚記念では、トウショウボーイ、テンポイントの

ライバル対決の前に全く良いところなく最下位の6着に敗れ、

生涯で初めて掲示板を外してしまいました。

そしてこの宝塚記念がクライムカイザーにとっての最後のレース

なりました。

宝塚記念後に故障を発症したため、引退を余儀なくされ、静かに

競馬場に別れを告げました。

引退後は1979年より光伸牧場で種牡馬になり、内国産種牡馬

の不遇の時代でしたが、それでも毎年数頭に種付けという状況で

共同通信杯4歳S優勝馬マイネルブレーブを輩出しただけでも

立派だったと思います。

そして1994年に種牡馬を引退してからは光伸牧場の功労馬

として余生を送っていました。

1978年に不慮の事故のためテンポイントが亡くなり、宿敵

トウショウボーイも1992年に20歳でこの世を去り、そして

グリーングラスが死亡した3ヶ月後の2000年9月27日、

ライバル3頭の死を看取った後、心臓麻痺のため、28年の

生涯に幕を閉じました。

今週は中山競馬場で第59回弥生賞ディープインパクト記念が

行われます。

クラシックを占う上でとても重要なレースと言えます。

朝日FS優勝馬ドウデュース、北海道浦河町出身のジャスティン

ロック、きさらぎ賞の覇者マテンロウレオに注目しています。

今年も藤沢調教師をはじめ、競馬を盛り上げてくれた調教師達が

引退し、また新たな時代が始まります。

今週も全馬の無事を祈りながら競馬を見ます。

先週行われました今年のGⅠ開幕を告げる第39回フェブラリー

ステークスは2番人気のカフェファラオが直線で力強く抜け出し

コースレコードタイをマークして優勝。連覇を達成しました。

2着には根岸ステークスの覇者、5番人気のテイエムサウス

ダンが入り、白毛のアイドル馬ソダシが3着に頑張りました。

1番人気に推されたレッドルゼルは6着に敗れました。

今週は、中山競馬場で伝統の第96回中山記念が行われます。

1933年に創設された中山5歳馬特別競走を前身として

1936年に創設され、春季に行われる国内外の大レースを目指す

古馬達による伝統のレースとして定着しています。

そして2017年からは優勝馬に対しGⅠ大阪杯への優先出走権

が付与されています。

思い出の馬は長きに渡って戦い抜いた野武士ヤマブキオーです。

ヤマブキオーは昭和48年クラシック組で同期には競馬ブームを

巻き起こした怪物ハイセイコーやタケホープ、イチフジイサミの

当時3強と言われた3頭の他、ホウシュウエイトやディクタボーイ

がいます。

ヤマブキオーは旧年齢3歳の暮れの中京でデビューし、初戦は

敗れたものの2戦目の新馬戦を勝ち、クラシックに向けて順調に

スタートしたかに見えましたが、その後脚部不安により、クラシック

への出走は叶いませんでした。

旧4歳の秋に復帰するも、条件競走を2勝するに止まりました。

年が明けて古馬になったヤマブキオーは条件特別と当時

行われていたオープン競走に勝って2連勝を飾り、この勢いの

まま中京記念に参戦すると重賞勝ち馬ノボルトウコウや

トーヨーチカラをやぶって初重賞を制覇しました。

その後、天皇賞秋に参戦しましたが、距離が合わなかったのか

13着に惨敗してしまいました。

明けて6歳になったヤマブキオーは東京新聞杯に参戦しましたが

4着に敗退、その後脚部不安を発症して休養を余儀なく

されました。

その年の秋に復帰してダービー卿チャレンジTに出走すると

カーネルシンボリやアンセルモをやぶって優勝し、重賞2勝目を

獲得しました。

しかし、暮れの有馬記念に初めて参戦したものの、イシノアラシ

の5着に敗退しました。

明けて6歳になったヤマブキオーは金杯やAJCCでは敗れた

ものの条件特別競走を圧勝して、伝統の中山記念に参戦

しました。

この競走にはライバルのアイフルやノボルトウコウの他キクノオー

白い逃亡者ホワイトフォンテン等が出走してきました。

そしてこのレースでヤマブキオーは堂々の1人気に推されました。

レースはスタートでホワイトフォンテンが立ち遅れたため、

記憶ではカネオオエが先行し、向こう正面でようやくホワイト

フォンテンが先頭で逃げる展開となり、ヤマブキオーとアイフルは

いつものように後方からの競馬となりました。

直線に入って早めに仕掛けたヤマブキオーが先頭に立ち、後方

からものすごい勢いでアイフルが追い込んで来ましたが、その

追撃をおさえてヤマブキオーが優勝。

続く京王杯SHでも再びアイフルをやぶって優勝、4つ目の重賞を

獲得し、中距離の王者として本格化を果たしました。

その後アルゼンチン共和国杯でアイフルに敗れ、続く高松宮杯

ではフジノパーシアの2着に惜敗しましたが、金鯱賞では

負担重量60.5キロを背負いながらも接戦を制して勝ち、

5つ目の重賞を制覇しました。

しかし、天皇賞秋では距離の問題か、アイフルに敗れ、続く有馬

記念では何とかトウショウボーイの4着に入りましたが、最高峰の

タイトルを手にすることは出来ませんでした。

明けて7歳になったヤマブキオーは現役を続行し、AJCCは

グリーングラスの2着でしたが、得意のオープン競走に勝ち、

連覇を狙って中山記念に挑みましたが、今度はアイフルの

5着に敗れ、続くやはり連覇がかかった京王杯SHでも5着に

敗退してしまいました。

さすがに衰えが見え始めたヤマブキオーでしたが、夏の函館

シリーズに参戦すると巴賞では負担重量62キロを背負って勝ち

続く函館記念でも、何と負担重量63.5キロを背負いながらも

直線で持ち前の追い込みで鋭く抜け出して菊花賞馬コクサイ

プリンスやタイホウヒーロー、トウフクセダン等をやぶって優勝し

健在ぶりを示しました。

その後、休養を余儀なくされましたが、明けて8歳になった

ヤマブキオーは現役を続行し、緒戦のオープン競走に勝って、

3年連続3度目の中山記念に参戦、8歳馬にして1番人気に

推されましたが、3着に敗れてしまいました。

それでも続くオープン競走には勝ちましたが、再び休養に入る

ことになってしまいました。

満身創痍ながら、秋に復帰するもオープン競走4着、そして

3度目の有馬記念に果敢に挑みましたが最下位に惨敗し、

この有馬記念が長年に渡って戦ってきたヤマブキオーにとっての最後のレースとなりました。

ヤマブキオーは、出走したレースでは必ず外から追い込んで

来る馬で実況アナの「外からヤマブキオー、外からヤマブキオー」

という実況を何回も聞きましたし、アイフルと一緒に出走した

レースでは「外からアイフルとヤマブキオーが一緒になって

追い込んで来る」という実況も何回も聞いた気がします。

それ程、この2頭は必ず外から追い込んで来る馬でした。

通算成績47戦20勝 重賞6回優勝は本当に素晴らしい成績で

これから20勝できる馬は、現れることは無いと思います。

また、オープン競走に強かったことでヤマブキオーをオープン大将

という人もいますが、私の中ではオープン競走が強かった馬

と言えばコーヨーという名馬が思い出されます。

1979年1月15日に東京競馬場で引退式が行われ、多くの

ファンから別れを惜しまれて競馬場を去りました。

引退後は十勝軽種馬農協に寄贈され種牡馬となりました。

しかし、内国産種牡馬が不遇の時代であったため、代表産駒を

輩出することは出来ませんでした。

牧場めぐりで、当時情報が少ない中で何とか探して十勝種馬所

を訪ねた時、そこにはヤマブキオーとイシノヒカルがいました。

2頭とも私が大好きな馬だっただけに会えて本当に嬉しく

感激しました。

昔ながらの古い種場所で、それ程大きくない放牧場で2頭とも

静かに佇んでいました。

ヤマブキオーとイシノヒカルは何を見つめ、何を思っていた

のでしょうか。

両名馬の多大な功績からも、もっと良い環境で余生を過ごさせて

あげたかったと今でも思っています。

1984年8月6日、心臓麻痺のため繋養先の帯広畜産大学で

突然14年の生涯に幕を閉じ、持ち前の鋭い差し足で天国に

旅立って行きました。

今週は中山競馬場で第96回中山記念が行われます。

例年に比べ、少し小粒のメンバーのような気がしますが

実績上位のダノンザキッドと堅実な走りのアドマイヤハダル

実力馬カラテと復活を狙うガロアクリークに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。