先週、大雨警報が出される中、福島競馬場で行われ

ました夏の名物ハンデ戦第58回七夕賞は6番人気

のエヒトが直線で豪快に抜け出し、ヒートオンビートの

追撃をおさえて重賞初勝利を飾りました。

2着には1番人気に推されたヒートオンビートが入り

3着には2番人気のアンティシペイトが入りました。

今週は、函館競馬場で伝統の第58回函館記念

が行われます。

函館記念は、現行の函館記念が創設される以前

1951年から1964年まで函館記念という現在で

いうところのオープン特別競走という名称で競走が

施行されていて、優勝馬にはシラオキ、トラツクオー

タカオー、オンワードゼアなどといった名馬が名を

連ねています。

そして1965年に4歳(現3歳)以上の競走馬による

ハンデキャップの重賞競走として創設されました。

函館競馬場で行われる重賞競走では最も歴史が長く

昭和期における歴代優勝馬には名立たる名馬達が

名を連ねています。

 

思い出の馬は、昭和47年第8回優勝馬でいぶし銀の

ナイスガイと言われたオンワードガイです。

オンワードガイは昭和46年のクラシック組で同期には

二冠馬ヒカルイマイ、菊花賞馬ニホンピロムーテー

天皇賞馬ベルワイドやヤシマライデン、ゼンマツ等が

います。

父は内国産種牡馬で天皇賞や有馬記念等に優勝

した名馬オンワードゼアでオンワードガイは後に

オンワードゼアの代表産駒となりました。

オンワードガイは旧馬齢3歳の札幌でデビュー

しましたが、距離の短さとダートが合わなかったのか

4戦連続で2着が続きました。

しかし、東京に帰り未勝利を脱出すると条件特別に

勝って連勝し、その勢いのまま3歳ナンバーワン

決定戦の朝日杯3歳ステークスに出走。

ヤシマライデンやカツタイコウ、ベルワイド等の

後のライバル達をやぶって優勝し、一躍関東の

エースとしてクラシック候補に躍り出ました。

しかし、年が明けて4歳になったオンワードガイは

京成杯に出走するも4着に敗れてしまいました。

しかし、この後これまでの酷使されたことで体調を

崩し、それでも何とかダービーへの出走にこぎつけ

ましたが20着に惨敗してしまいました。

そして、この後、夏の札幌に参戦し、オープン競走

に勝って何とか菊花賞に駒を進め、善戦したものの

ニホンピロムーテーの3着に敗れてしまいました。

年が明けて古馬になったオンワードガイは活躍を

期待されましたが、重賞競走での惨敗が続きました。

ところが、夏の北海道、特に函館が合うのか函館

記念に出走すると、これまでの負けが嘘のように

直線で力強く抜け出し、コーヨーやタクマオーらを

おさえて優勝を飾りました。

その後オンワードガイは東京に戻って天皇賞や

有馬記念に参戦するも、持ち前のジリ脚のせいか

勝つまでには至りませんでした。

年が明けて6歳になったオンワードガイはAJC杯と

目黒記念に参戦するとメジロムサシやハクホオショウ

等の有力馬をやぶって重賞競走2連勝を飾りました。

しかし、今度こそと挑んだ天皇賞春では四泊流星

の貴公子タイテエムの前に5着に敗れました。

そして、この年も夏の北海道シリーズに参戦し、

オープン競走を快勝して秋の天皇賞に挑み、直線で

追い込んで善戦しましたが、タニノチカラの3着に

食い込むのが精一杯でした。

年が明けて7歳になったオンワードガイは現役を

続行しましたが、重賞競走で着順掲示板に載るのが

精一杯の成績が続き、オンワードガイはもう峠を

過ぎたと言われるようになりました。

しかし、また夏の北海道シリーズに参戦すると

息を吹き返し、大好きな函館競馬場での巴賞に出走

するとインターグットやエリモマーチスをやぶって

快勝し、復活を果たしました。

そして2年ぶりの優勝を目指して函館記念に出走

し、7番人気ながら古豪オンワードガイの底力を

見せつけるように後輩のツキサムホマレや若き

精鋭のクリオンワード、ヌアージターフ相手に2着に

善戦しました。

この後東京に戻り、悲願の優勝を目指して5度目

の天皇賞に挑み、カミノテシオの差のない4着に

善戦したものの、天皇盾の獲得という悲願達成は

なりませんでした。

しかし、老いたとか衰えたと言われながらも

ホウシュウエイト、ナスノチグサ、タケクマヒカル

トーヨーアサヒ、ナオキ、ヤマブキオーらに先着

したオンワードガイは立派だったと思います。

年が明けて8歳になった古豪オンワードガイは

なおも現役を続行し、金杯に出走しました。

年齢的なこともあって6番人気となりましたが

直線で若き新鋭ウエスタンダッシュが鋭く抜け

出す中、古豪オンワードガイも最後の力を

振り絞って差し込み、人気のナスノチグサや

同期のキクノオー、ノボルトウコウに先着し2着に

入りました。

そしてこのレースが古豪オンワードガイに

とっての最後のレースとなりました。

馬格は450キロ程度で牡馬としては、それ程

大きくはありませんでしたが、全体的なバランスが

良く、私はオンワードガイも好きな馬の1頭でした。

私は当時自分でパドックにて撮影した綺麗な馬体

のオンワードガイの写真をもとに美術の授業での

いろいろな作品の制作に使わせてもらいました。

引退後、種牡馬になったオンワードガイは父内国産

種牡馬冷遇の時代で種付頭数も少ない中、中央

での重賞勝ち馬を出すことは出来ませんでしたが

何頭もの勝ち馬を輩出する等、とても頑張って

くれたと思います。

8歳まで現役で頑張ってくれたオンワードガイですが

1985年10月15日、17年の生涯に幕を閉じました。

死因が不明なのは残念です。

今週はオンワードガイも大好きだった函館競馬場で

第58回函館記念が行われます。

重賞レース出走組からサンレイポケット、スカー

フエイス、マイネルウィルトスとタイセイモンストルに

注目しています。

最近、レース中に痛ましい事故が発生しています。

どうか今週は全馬が無事でありますよう、祈りながら

レースを観ます。

先週、福島競馬場で行われました第71回ラジオ

NIKKEI賞は3番人気フェーングロッテンが直線に

入って内ラチ沿いを突いて抜け出しJRA重賞

初挑戦で優勝を飾りました。

2着には8番人気ショウナンマグマが逃げ粘り

3着にサトノヘリオスが入り、1番人気のボーン

ディスウェイは6着に敗れました。

そして小倉競馬場で行われました第58回

CBC賞は2番人気に推されたテイエムスパーダが

見事な逃げを展開し、驚異のレコードタイムで優勝。

ルーキーの今村聖奈騎手が史上5人目の重賞

初騎乗で優勝を飾りました。

これは2008年愛知杯の宮崎北斗騎手以来14年

ぶりの快挙で、藤田菜七子騎手以来JRA女性騎手

2人目となる重賞タイトルを手にしました。

彼女の馬を信じて想っての騎乗は本当に素晴らしく

今後の活躍が楽しみです。

今週は福島競馬場でいよいよ夏本番を思わせる

第58回七夕賞が行われます。

七夕賞は1965年に旧馬齢4歳(現3歳)以上の馬に

よる重賞競走として創設されました。

1969年や71年並びに1975年から1979年には

10月にされていたため、施行時期と名称が

合わないと理由で一時期レー^ス名を東北記念と

改称して施行していましたが、1980年からは施行

時期が夏季開催に戻されたことから七夕賞の

名称が復活し、2006年からは夏季競馬を盛り

上げるために設けられたサマーシリーズの第1戦に

指定されており、夏の中距離のチャンピオンを目指す

馬達が集結しています。

 

思い出の馬は昭和45年第6回優勝馬ハクセツです。

ハクセツは芦毛のかわいい容貌から白い美少女と

呼ばれ、あの歴史的名馬スピードシンボリが恋した

との逸話が残されています。

妹はやはり白い恋人と呼ばれたジョセツで、姉妹で

活躍し、名牝として名を残しています。

他に姉妹で活躍して私の記憶にあるのはナスノカオリ

ナスノチグサ、キシュウローレルとキシューファイター

ダンスパートナーとダンスインザムードでしょうか。

千葉県富里村で誕生したハクセツはとても小柄で

華奢な体格であったため、なかなか買い手が付かず

ようやく引き取り手がみつかるとハナミドリの名で

公営競馬でデビューしました。

その後、公営での成績から中央でも十分通用すると

判断され、ハクセツと改名され、旧馬齢4歳夏の福島

で中央デビューを果たしました。

中央初戦の当時行われていたオープン競走は4着に

敗れたものの、次の条件戦では当時2年目の若手

だった岡部騎手に乗り替わると、ハクセツの良さを

活かすため、後方待機策をとって直線で追い込む

やり方を取りました。

この乗り方が功を奏し、条件戦で直線に入って鋭い

追い込みを見せて先行馬達を差し切り、中央初勝利

を挙げました。

休養した後、秋のオープン競走は6着だったものの

牝馬東京タイムズ杯に出走、このレースには

オークス馬ルピナスやニットウヤヨイ等の強豪が

出走しました。

しかし、ハクセツは軽量の49kgだったものの

最後方待機から直線だけでルピナスやニットウ

ヤヨイ等の有力馬達を差し切って優勝し、重賞

初制覇を果たしました。

年が明けて古馬になったハクセツは金杯(東)に

出走。

ここでも重賞優勝馬の強豪フイニイやライトワールド

後の天皇賞馬メジロタイヨウ等、牡馬の一線級と

初めて相対しましたが、後方待機から直線で鋭い

切れ味で追い込んで先行馬達を差し切り、重賞

2連勝を飾りました。

この後、酷使された小さい馬体に負担が来たのか

調子を落としてしまい、3連敗しましたが、条件

特別で勝利をあげると安田記念に出走。

ここでも鋭い差し脚で勝ったかと思った瞬間、

ゴール前でハードウエイに交わされ、ハナ差の

2着に敗れてしまいました。

その後、オープン競走に勝ったものの、重賞レース

では追い込み馬特有の惜敗が続きました。

年が明けて旧馬齢6歳になったハクセツは現役を

続行し、前年優勝の金杯では3着に善戦しましたが

続く春に行われたオープン競走でアカネテンリュウを

前に惨敗し、引退が囁かれるようになりました。

ハクセツはもう峠を越したと言われる中、福島で

行われた七夕賞に出走しました。

しかし、競馬ファンは古豪ハクセツの復活を信じて

2番人気に推しました。

その期待に応えたのか、ハクセツは第3コーナー

から捲りを見せて直線に入り、ヒガシヒンドをクビ差

おさえてレコードタイムという見事で華やかな勝ち方

で優勝を飾りました。

しかし、この七夕賞でローソクの火のように最後に

鮮やかに燃えたのか、この後は重賞レースを4戦

したものの、いずれも敗れ、11月に出走した牝馬

ステークスでの最下位14着を最後に競走生活に

別れを告げました。

引退後は故郷千葉県の扶桑牧場で繁殖牝馬と

なりましたが、母親を超えるような産駒には結局

恵まれませんでした。

1987年の種付けを最後に繁殖生活からも引退。

翌1987年6月に23年の生涯の幕を閉じました。

今は白毛のソダシがアイドル的存在で人気が

ありますが、当時は私も競馬を見たての頃でしたが

白くて美しい姉妹ハクセツと妹ジョセツのことは特に

印象深く、記憶に残っています。

今週は福島競馬場で第58回七夕賞が行われます。

福島競馬場でレース毎に観客から拍手が沸き

起こっている光景に感動しています。

一線級と戦い成績を残しているヒートオンビート

調子が戻ってきたアンティシペイト、ヴァンケドミンゴ

ファルコメンに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、阪神競馬場で行われました夏のグランプリ

競走第63回宝塚記念は2番人気のタイトルホルダー

がパンサラッサが超ハイペースで逃げる中、2番手を

追走し、第4コーナーからスパートすると直線で

先頭にたって、そのまま力の違いを見せつけて

驚異のレコードタイムで優勝。

GⅠ3勝目をあげると共に古馬の頂点たちました。

2着には5番人気のヒシイグアスが好レースを見せて

入り、3着には4番人気のデアリングタクトが外から

猛然と追い込んで、ゴール前で3番人気のディープ

ボンドをハナ差交わして入り、存在感を見せました。

1番人気に推されたエフフォーリアは追い込んでは

来たものの6着に敗れ、またしても1番人気が敗れる

レース結果となりました。

今週は、福島競馬場で第71回ラジオNIKKEI賞が

行われます。

ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の前哨戦

として4歳(現3歳)馬による重賞競走中山4歳

ステークスの名称で創設され、春のクラシック

シーズン終了後に施行されるようになりました。

レース名は日本短波賞中山4歳ステークスを経て

1961年から1978年まで日本短波賞、1979年

から2005年までラジオたんぱ賞となり、2006年

から現在の名称となっています。

出走資格が1955年から1967年まで規定に

「除東京優駿競走の勝馬」と記されていたため、

東京優駿(日本ダービー)の優勝馬は出走でき

ませんでした。

そのため敗者復活戦的な要素を持ち、規定が廃止

されてからも昔の名残で今でも残念ダービーという

俗称が残っています。

昭和人の私としては日本短波賞としてのイメージが

強く、やはりダービーで敗れた馬やダービーに出走

出来なかった馬達によるレースという感覚があります。

 

思い出の馬は私が初めて競馬を見て、その後夢中に

なった昭和44年に行われました第18回優勝馬

ハクエイホウです。

昭和44年は私が競馬を見始めた時だったためか

その頃の競走馬達は、何気にいろいろ印象に残って

います。

ハクエイホウは旧馬齢4歳の2月にデビューし、

新馬戦を圧勝するとその後も連勝し、3連勝で遅まき

のデビューながらダービーへの出走権を手にしました。

私が生で初めて競馬を見たのは昭和44年の日本

ダービーで、 このダービーには8頭のダービー馬

を送り出した名門尾形藤吉厩舎から尾形四天王と

言われたミノル、ハクエイホウ、メジロアサマが出走し

もう1頭の皐月賞優勝馬で黒い弾丸と言われた

ワイルドモアは故障のため、出走できませんでした。

当時28頭がフルゲートで見ている方は壮観でしたが

今思えば非常に危険だったと思います。

スタートしてすぐに応援していた1番人気のタカツバキ

が落馬するという波乱の展開の中、ハクエイホウは

大外27番枠から先頭に立ち、直線に入っても残り

200m地点まで逃げ粘りましたが、ダイシンボル

ガードとミノルに交わされ、惜しくも3着に敗れました。

この衝撃的だった日本ダービーを見て感度し、

その後、私は競馬そして競走馬の素晴らしさに

魅了され、現在に至っています。

続いて参戦した日本短波賞では当然1番人気となり

持ち前のスピードでギャロップやカネハヤテを

おさえて優勝、初重賞制覇を果たしました。

秋になって京都のオープン競走を勝って菊花賞に

駒を進め、3番人気に推されました。

菊花賞でも持ち前のスピードで先頭に立って

第4コーナーまで他馬を引っ張って逃げたものの

当時昇り龍と言われたアカネテンリュウのいっきの

まくり戦法の前に9着に沈みました。

しかし、続く今は無きクモハタ記念ではスピードの

違いを見せつけて圧勝し、重賞2勝目をあげました。

その後今思えば過酷なローテーションだったと思い

ますが、有馬記念に参戦し、歴史的名馬スピード

シンボリや菊花賞馬アカネテンリュウ、メジロタイヨウ

ニットエイト、マーチス、リュウズキ等の名立たる

名馬達を相手に向こう正面から先頭に立って果敢に

直線半ばまで逃げたものの、最後はつかまりスピード

シンボリとアカネテンリュウの歴史的名勝負の中、

僅差の7着に敗れました。

年が明けて古馬になったハクエイホウは活躍を期待

されましたが、4歳時の過酷なローテーションにより

体調を崩して休養を余儀なくされてしまいました。

秋に復活してオープン競走を勝ち、天皇賞秋に

挑みましたが、好調の時のハクエイホウの逃げでは

なく、向こう正面で先頭を譲り、同じ尾形厩舎四天王の

メジロアサマの前に12着と惨敗してしまいました。

ハクエイホウはもう燃え尽きてしまったとも言われ

ましたが、年が明けて6歳になったハクエイホウは

現役を続行し、金杯を3着として復調兆しを見せ、続く

オープン競走ではレコード勝ちをして、完全復活を

果たしました。

そして日本経済賞に参戦し、3番人気推されました。

レースは意外にもハクエイホウではなく、クリシバが

強引な逃げを行い、その後ろからハクエイホウが

先頭を伺う展開となり、ハイペースとなりました。

第3コーナーでハクエイホウとマキノホープが逃げる

クリシバを交わしに掛かると、ハクエイホウが突然

前のめりに倒れ込んで競走を中止し、内にいた

スイノオーザがこのアクシデントをまともに受けて

しまい、鞍上の丸目騎手が落馬して騎手生命を失う

大事故となってしまいました。

転倒し競走を中止したハクエイホウは左種子骨

靱帯断裂のため、数日後に安楽死の処置がとられ

わずか6年の生涯に幕を下ろしました。

当時は中距離の競走体系が整っていなかったため、

もし今の競走体系であれば、タラレバになりますが

ハクエイホウは持ち前の華麗なスピードで多くの

中距離路線の重賞を勝つことが出来たと思います。

そしてハクエイホウは生まれた時期が悪かった

昭和期における名中距離馬の一頭だと思っています。

今週は福島競馬場で残念クラシックとも言われる

第71回ラジオNIKKEI賞が行われます。

安定性のあるベジャール、クラシックの巻き返しを

図るボーンディスウェイとクロスマジェスティ

ソネットフレーズに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。