先週行われました第53回マイラーズカップは直線に入って

1番人気に推されたホウオウアマゾンが抜け出して先頭に

立つ中、6番人気のソウルラッシュが直線で一気に外から

差し切って優勝。

1勝クラスからの4連勝で初重賞制覇を飾りました。

1番人気に推されたホウオウアマゾンは2着、3着には

4番人気のファルコニアが入り、2番人気のカラテは落鉄

の影響か、7着に敗れました。

今週は阪神競馬場で第165回天皇賞春が行われます。

天皇賞は、日本中央競馬会が春・秋に年2回施行する

中央競馬の重賞競走(GⅠ)で、第1回とされる「帝室

御賞典」は1937年(昭和12年)に行われているが

JRAが前身としている「エンペラーズカップ」まで遡ると

1905年(明治38年)に起源を持ち、日本で施行される

競馬の競走では最高の格付けとなるGⅠの中でも長い

歴史と伝統を持つ競走となっています。

帝室御賞典は戦局悪化のため1944年(昭和19年)秋に

中止され、終戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の

名称で再開され、同年秋から天皇賞と改称され現在に

至っています。

現在は賞金のほか、優勝賞品として皇室から楯が下賜

されており、天皇賞を「盾」と通称することもあります。

 

思い出の馬は昭和46年第63回天皇賞に優勝した

黒い重戦車メジロムサシです。

メジロムサシは昭和45年のクラシック組で同期には

あの2強と言われたタニノムーティエやアローエクスプレス

ダテテンリュウ等がいます。

メジロムサシは旧馬齢3歳の夏にデビューしましたが、3着

に敗れ、その後休養を挟んで翌年の4歳の2月に未勝利戦

に優勝するとその後、特別戦を含む連勝を飾り、3連勝で

クラシック戦線に名乗りを上げました。

しかし、この年は西には強豪のタニノムーティエ、東には

快速馬アローエクスプレスがいて、この2頭による激しい

戦いの中、春のクラシック戦線でメジロムサシの出る幕は

全くありませんでした。

それでも秋の菊花賞に向けて二冠馬タニノムーティエが

当時競走馬として致命傷になるノド鳴りを発症したことで

三冠制覇の夢は絶望となり、ライバルのアローエクスプレス

も感冒のため、セントライト記念の出走を取り消す等、

有力馬が次々と脱落していく事態となり、夏の北海道で

特別競走に連勝し、長距離血統のメジロムサシに期待が

寄せられましたが、この頃のメジロムサシは生まれつきの

性格の優しさと真面目さからレースになると責任を感じて

しまうのか、入れ込みが激しくなり、レース前に体力を

消耗してしまうという難点がありました。

その性格が災いして、期待された菊花賞でもダテテンリュウ

の4着に敗れ、結局クラシックは無冠に終わりました。

年が明けて古馬になったメジロムサシは関係者の努力に

よって徐々に入れ込む癖が解消して行きました。

2月の京王杯SHで韋駄天の異名を持つタマミの2着に

入ると、続く目黒記念では1つ先輩のメジロアサマを

やぶって、ついに重賞を初制覇して本格化を果たしました。

そしてメジロ一門が長年、盾の獲得に執念を燃やす天皇賞

に駒を進めました。

レース当日は、午前中に降った大雨の影響で馬場は

田んぼのような不良馬場となり、見た目にもかなりひどい

状態となっていました。

レースはスタートしてからシュンサクリュウとコンチネンタル

が先行し、その後ダテハクタカとスピーデーワンダーが続き

メジロムサシは中団、ダテテンリュウは後方からの競馬と

なりました。

1周目のホームストレッチで各馬、馬場が少しでも良い外を

まわりましたが、重馬場が得意なのか、オオクラ1頭があえて

馬場が悪い内ラチを走り、その時に発した杉本アナの

「内へ1頭オオクラ、あの昭和43年ヒカルタカイの2着に

入ったタイヨウを再現するのか目野騎手」という実況が

今でも耳に残っています。

杉本アナは○○を再現するのかとか、○○を思い出す等

瞬間的に過去のレースに照らし合わせてみたり、ドラマ

ティックに実況することがよくあり、いつも杉本アナの実況を

楽しみにしていました。

重馬場の利を活かしてオオクラとシュンサクリュウが先行

して、その直後にメジロムサシという展開で最後の直線に

入りました。

外からメジロムサシが猛追する中、重馬場得意のオオクラ

が直線では外をまわり、メジロムサシとの直線の叩き合い

となり、粘りに粘るオオクラをメジロムサシがゴール前で競り

勝ち、前年天皇賞秋のメジロアサマに続き、念願の天皇賞

優勝を飾りました。

本格化して古馬の頂点に立ったメジロムサシは次に当時は

お決まりのコースだった宝塚記念に出走し、目黒記念と

同様に直線で先輩のメジロアサマとの競り合いに勝って

優勝、メジロ一門の両横綱同士の戦いによるワンツー

フィニッシュの競馬に当時世間では、これはもはやメジロ

記念だと言われていました。

メジロムサシは続く高松宮杯に斤量61キロで出走しました

が、シュンサクオーのレコード勝ちの前にクビ差の2着の

惜敗となりましたが、斤量を物ともしないメジロムサシの強さ

が際立ったレースでした。

また、当時は重賞レースに勝つと斤量が重たく設定される

ため、出るレースも限られてしまいました。

そのせいかメジロムサシも休むことなく、斤量62キロに

も関わらず函館記念にも出走し、見事優勝を飾りました。

この年、メジロムサシは天皇賞や宝塚記念に優勝したにも

関わらず、休養させてもらえずに酷使され12戦しています。

10月のハリウッドターフクラブ賞(後の京都大賞典)では

またしてもメジロ記念と言われるように60キロを背負い

ながら、今度は先輩のメジロアサマに敗れはしたものの

2着に入る等、実力を示しましたが、暮れの有馬記念では

日本競馬を襲った感冒の影響もあり、トウメイの5着に

敗れてしまいました。

年が明けて旧馬齢6歳になったメジロムサシは海外遠征を

行う事が決まり、3月のオープン競走を勝った後渡航し、

野平騎手でフランスの凱旋門賞、当時行われていた

アメリカのワシントンDCインターナショナルに日本代表

として参戦しましたが、近年のような事前準備や調整も

分からないまま、当時は参加していたたため、繊細な性格

のメジロムサシには環境が合わず、体調を崩してしまい、

どちらのレースも全く振るわず18着と7着に惨敗してしまい

ました。

帰国後は、馬体の立て直しを図りましたが、以前のような

メジロムサシに戻ることはありませんでした。

それでも翌年、旧馬齢7歳になってからもメジロムサシは

現役を続け、同年秋のハリウッドターフクラブ賞ではタニノ

チカラの2着に入るなど古豪の意地を見せてくれましたが

勝利をあげるまでにはいきませんでした。

そしてついに当時行われていたクモハタ記念を最後に

引退することが決まりました。

クモハタ記念には、ハイセイコーと同期のブルスイショーや

ヌアージターフ、ホワイトフォンテン等の若武者やコーヨー

等のレース巧者が参戦してきました。

この時のメジロムサシは全盛期からはほど遠い状態

でしたが、それでもファンはメジロムサシの奇跡の復活を

信じていたのか、それとも長年にわたって夢を見させて

くれたメジロムサシに敬意を表したのか、1番人気に

推しました。

その期待に応えるべく、メジロムサシも引退を惜しむファン

からの大歓声の中、4コーナーから直線に入って見せ場を

作ったものの、僅差で掲示板を外し、6着に敗れました。

それでもスタンドからは大きな拍手が送られ、私も感動して

最後までメジロムサシの姿を追いました。

当時司会をしていた川口浩さん、野添ひとみさん夫妻も

メジロムサシの健闘を称えていました。

引退後メジロムサシは、北海道の胆振種馬場で種牡馬生活

を開始し、長距離血統と当時の内国産種牡馬不遇の時代

の中で初年度産駒からメジロライデンが活躍し、期待され

ましたが、レース中の故障により死亡してしまうという不運に

見舞われてしまいました。

後年は北海道を追われ栃木県の那須種場所で種牡馬生活

を送ったため、最優秀アラブを受賞したアングロアラブの

ライトオスカーを出した程度に終わってしまいました。

私はメジロムサシが那須種場所にいた時に訪ねて会える

ことができました。

元気に運動していたメジロムサシを見ることや写真を撮る

ことができて、今では本当に良い思い出です。

その後メジロムサシは茨城県にある東京大学農学部付属

牧場で余生を送っていましたが、1989年3月17日

急性心不全のため、23歳の生涯を閉じました。

今週は今年も阪神競馬場で伝統の第165回天皇賞(春)

が行われます。

私は長年、伝統があって古馬の頂点を決める長丁場の

天皇賞が大好きです。

昔から菊花賞組が活躍する天皇賞というイメージがあって

やはり菊花賞馬タイトルホルダー、海外遠征で力をつけた

ディープボンドの他、4連勝で勢いに乗るテーオーロイヤル

アイアンバローズ、ハーツイストワールに注目しています。

伝統のレースにふさわしい好レースを期待しながら、そして

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週中山競馬場で行われました3冠初戦の第82回皐月賞

は5番人気のジオグリフが直線で抜け出したイクイノックス

をゴール前で差し切って優勝。

クラシック1冠目を制しました。

2着には3番人気のイクイノックスが入り、1番人気だった

昨年の最優秀2歳牡馬ドウデュースは追い込むものの

届かず3着に敗れました。

皐月賞も1番人気馬が敗れる結果となりました。

今週は、阪神競馬場で第53回マイラーズカップが

行われます。

マイラーズカップはマイル路線の拡充および短距離適性馬

にも活躍の場を設けることを目的として、1970年に創設

され、安田記念やヴィクトリアマイルの前哨戦として位置

づけられていて、春の短距離路線を歩む馬にとって重要な

レースとなっています。

昭和期においては、まだレース体系が今ほど整っておらず

出走できるレースも限られていたためか、歴代の優勝馬や

出走馬にはクラシック優勝馬をはじめ、現在のGⅠ優勝馬等

名立たる名馬達の名前が連なっています。

 

思い出のレースは、今でも伝説のレースとして語り継がれて

いる昭和50年に行われた第6回マイラーズカップです。

このレースには、皐月賞と菊花賞を制した二冠馬キタノカチ

ドキや後に競馬史上最強馬とも言われているタニノチカラ

そして悲運の名牝と言われたイットーの3頭が激突すると

いう競馬ファンにとっては、夢の大一番となりました。

この伝説のレースには数々のエピソードも残っています。

キタノカチドキの騎手は武豊騎手の父で名人武邦彦騎手

でしたが、当日は遠征先での騎乗のため、キタノカチドキの

手綱を取ることはできなくなりました。

そのため武邦彦の代わりに当時若手だった田島信行が

手綱を取ることになりました。

あまりの大役で緊張していた田島騎手に対し、服部調教師

が「キタノカチドキがレースを知っているから、ただ

つかまっていれば良い、キタノカチドキに競馬を教えて

もらってこい」とアドバイスを受けての騎乗だったそうです。

そして、タニノチカラは骨折した古傷の状態が悪く、出走を

ためらっていました。

しかし、この競走には前年のクラシック二冠馬で有馬記念

には不出走だったキタノカチドキや前走でタニノチカラ相手

に善戦したイットーが出走を表明したことで競馬ファンからも

タニノチカラの出走を望む声が多く寄せられ、これに応える

形で出走を決断しました。

当時は競馬を盛り上げるため、酷なローテーションでも出走

させるケースが多くありましたが、こういった無理な出走に

よってタニノムーティエ、タニノチカラ、テンポイント、ライス

シャワー等、多くの名馬達の競走生命が絶たれたと私は

思っています。

そしてイットーも最強牝馬としてクラシック獲得は間違いない

と言われていましたが、故障で春のクラシックには出られず

秋に復活をかけたレースでまたしても落馬の影響をもろに

受けて怪我をする等、2年連続で不運に見舞われていて

この年に復活をかけていました。

当日は不良馬場での競馬となり、負担重量は脚に不安が

あるタニノチカラが61キロ、キタノカチドキが60キロで牝馬

イットーは最軽量の52キロとなりました。

そして、脚に不安があるものの、タニノチカラがやはり1番

人気に推され、続いてイットー、キタノカチドキの順に

なりました。

3強対決となった大一番のレースは、タニノチカラが短距離

競走では致命傷となる出遅れ気味のスタートとなってしまい

ました。

スタートして牝馬のケイリュウシンゲキが、端をきって逃げ

イットーとキタノカチドキが続いて先行し、タニノチカラは

キタノカチドキとイットーをマークしながらの競馬となり

ました。

直線に入って、キタノカチドキが鋭く抜け出して先頭に立ち

そのキタノカチドキをイットーが追い、タニノチカラも外から

猛然と追い込みましたが、追い込み切れず、キタノカチドキ

が1馬身4分の1の差をつけて優勝。

2着には復活をかけるイットーが入り、タニノチカラはイットー

にハナ差届かず3着に敗れてしまいました。

3着に敗れたタニノチカラの田島日出雄騎手は、後のインタ

ビューでタニノチカラの脚さえ無事であったら、あの2頭に

負けることは絶対に無かったと答えています。

タニノチカラは、やはりこの無理な出走が祟り、レース後

繋靱帯炎を発症し、休養に入ったものの、二度と競馬場に

姿を現すことはありませんでした。

第6回マイラーズカップは、現在のGⅡレースではありますが

タニノチカラ、キタノカチドキ、イットーの3強が激突した

最初で最後のレースであり、今でも競馬史上に残る伝説の

名勝負として語り継がれています。

今週は阪神競馬場で第53回マイラーズカップが行われます。

実力馬カラテ、登り調子のエアファンディタ、巻き返しを図る

レッドベルオーブとホウオウアマゾンに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

散り行く桜の中で行われました牝馬クラシック第1冠桜の

女王決定戦、第82回桜花賞は中団からレースを進めた

7番人気のスターズオンアースが直線で先に抜け出し、

勝利目前だった

ウォーターナビレラをゴール前でハナ差交わして優勝。

見事桜の女王に輝きました。

2着にはハナ差で3番人気のウォーターナビレラが入り

3着には6番人気のナムラクレアが入り、1番人気の

ナミュールは10着、サークルオブライフは4着に敗れ

春のGⅠは3週連続の波乱の結果となりました。

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目第82回

皐月賞が行われます。

皐月賞は1939年に当時の日本競馬会がイギリスの

2000ギニーに範をとり、4歳 (現3歳)の牡馬・牝馬限定の

横浜農林省賞典四歳呼馬として創設され、第1回は横浜

競馬場で行われました。

そして東京優駿競走、阪神優駿牝馬 (現:優駿牝馬)、京都

農林省賞典四歳呼馬 (現:菊花賞)、中山四歳牝馬特別

 (現:桜花賞)と共に五大特殊競走として位置づけられ

東京優駿競走、京都農林省賞典四歳呼馬と共に日本の

クラシック三冠競走として確立しました。

終戦後の1947年からは名称を農林省賞典に変更され

1949年からは名称を皐月賞に変更され、翌年には施行

距離を芝2000mとなって現在に至っています。

そして皐月賞は現在、中央競馬における3歳クラシックの

第1戦として行われおり、東京優駿(日本ダービー)は最も

運のある馬が勝つ、菊花賞は最も強い馬が勝つと称される

のに対し、皐月賞は最も速い馬が勝つと言われ、最も

スピードのある優秀な競走馬を選定するための

チャンピオンレースとされています。

 

思い出の馬は、昭和47年第32回優勝馬で花の

昭和47組のプリンス ランドプリンスです。

ランドプリンスは、私が競馬史上、最強の世代と思って

いる昭和47年のクラシック組で同期にはライバルだった

ダービー馬ロングエース、菊花賞馬イシノヒカル、

天皇賞馬タイテエムや幻の三冠馬ヒデハヤテの他、

タニノチカラやハクホウショウ、ストロングエイト、

スガノホマレ等、名前を上げれば切りがない程、

名馬達の名前が出てきます。

 

ランドプリンスは、旧馬齢3歳の札幌でデビューし、

評判どおりの強さで新馬戦に優勝しました。

その後関西に戻り、特別レース等、5戦するも2着に

入るのが精いっぱいで、なかなか2勝目をあげることは

出来ず、期待を裏切っていました。

年が明けて旧馬齢4歳になったランドプリンスは、3歳時

とは打って変わって、条件特別やオープン特別を4連勝し

一躍西のクラシック候補に名乗りを上げ東上して来ました。

昭和47年の春のクラシック戦線は前年末より関東で

大流行した馬インフルエンザの影響により、関東地区の

中央競馬開催が2ヶ月間中止となったため、日程が

大幅に変更され、5月に皐月賞、7月に日本ダービーが

行われることになりました。

東上初戦の3月に行われた京成杯では前年の

阪神3歳Sやきさらぎ賞に優勝し、4連勝中の関西の

総大将ヒデハヤテの前に2着に敗れてしまいました。

ヒデハヤテは、この年の不動のクラシックの本命と

目されていた最強馬で、疾風吹くとの異名を持って

いました。

しかし、ヒデハヤテは、このレース直後に脚部不安が

発生し、クラシックへの出走が危ぶまれる状態になり

ましたが、オーナーサイドの意向により、皐月賞に

向けてのトライアル戦スプリングステークスに強行

で出走しました。

しかし、この無理な選択がヒデハヤテの競走馬としての

生命を奪うことになってしまいました。

このレースでヒデハヤテは、タイテエムの2着に敗れて

しまい、その後、このレースに出走したことでヒデハヤテ

の脚の状態が更に悪化する結果となり、結局クラシック

戦線からの離脱を余儀なくされてしまいました。

タラレバを言うならば、もしヒデハヤテが無事だったら、

戦国クラシック戦線の様相は全然違っていたと思います。

なぜあそこでヒデハヤテに無理をさせてしまったのか、

今でも本当に残念です。

続く4月のオープンと5月の弥生賞にランドプリンスは参戦

しましたが、遅れて来た関西のエース ロングエースの

2着に敗れてしまいました。

そして遅れて5月の開催となったクラシック第1冠の

皐月賞に挑みました。

皐月賞ではデビューから5連勝中の関西の横綱ロング

エースが1番人気となり、もう1頭の横綱タイテエムが

2番人気に推され、ランドプリンスは3番人気となりました。

スタートして関東のトルーエクスプレスが逃げ、その

後ろからロングエース、ファインダイヤが先行し、ロング

エースをマークするようにタイテエムが続き、ランド

プリンスは中団、関東のイシノヒカルは後方からのレース

展開となりました。

直線に入って、逃げ粘るトルーエクスプレスをロング

エースとタイテエムが追い込むも、2頭とも伸びを欠き

逆に内をついたランドプリンスが勢いよく抜け出すと

大外から猛然と追い込んで来たイシノヒカルをおさえて

見事優勝を飾りました。

続く7月に開催された七夕ダービーに出走し、2冠目に

挑みました。。

ダービーではではロングエースが1番人気となり、ランド

プリンスが2番人気、タイテエムが3番人気と関西の

3強が人気を分け合う形となりました。

27頭が一斉にスタートすると快速馬スガノホマレが

逃げてレースを引っ張り、タイテエムは先行集団から

進み、中団にはロングエースとランドプリンス、ハクホウ

ショウが続き、後方からイシノヒカルという展開に

なりました。

直線に入るとタイテエムが先頭に立ち、外からランド

プリンス、内からロングエースが追い込み、競馬史上に

残る人気上位三頭による名勝負となりました。

最後はロングエースが首差でランドプリンスとタイテエム

を振り切って優勝し、ランドプリンスは惜しくも2着に敗れ

ダービーを制することはできませんでした。

夏を無事に超し、菊花賞に向けてランドプリンスは

秋初戦の神戸新聞杯からスタートしました。

このレースでランドプリンスは1番人気に推されましたが、

ライバルタイテエムの2着に敗れ、続く当時は秋に

行われていた菊花賞トライアル京都新聞杯でも

1番人気に推されたものの、最後のクラシック1冠菊花賞

に執念を燃やすタイテエムの4着に敗れてしまいました。

菊花賞では春の3強が顔をそろえ、好調のタイテエムが

1番人気ランドプリンスが2番人気、京都新聞杯6着の

ロングエースは調子が上がらず3番人気でレースを

迎えました。

レースは重馬場の中、マルブツスタンドとセントマーチス

が先行し、タイテエムは先行集団につけ、ロングエースは

中団を進み、ランドプリンスとイシノヒカルは後方からの

レース展開となりました。

向こう正面から3コーナーにかけては各馬激しく入れ

替わり、ランドプリンスは3コーナーで仕掛け、一気に

先頭集団に入り皐月賞と同じように内をつきました。

しかし、直線に入ると四泊流星のタイテエムが鋭く伸びて

先頭に立ち、このまま最後の1冠を執念で制するかと思い

ましたが大外からイシノヒカルが豪脚で強襲し、タイテエム

をゴール前でとらえて優勝しました。

ランドプリンスも頑張りましたが4着に敗れてしまいました。

この後、ランドプリンスはクラシック戦線での疲れを癒す

ため、休養に入りました。

暮れの有馬記念にはイシノヒカルとロングエースが参戦し、

見事イシノヒカルが菊花賞と同じような豪脚を披露して

優勝しました。

しかし、この後ロングエースが脚部不安を発症して引退し

イシノヒカルも脚部不安のため、戦線離脱してしまいました。

年が明けて古馬になったランドプリンスは天皇賞を目指し

4月のマイラーズカップで復帰したものの、かつての勢いは

なく、ライバルのタイテエムの5着に敗れ、続く天皇賞でも

本格化して悲願の天皇賞制覇をついに果たしたタイテエム

の13着に惨敗してしまいました。

そしてこの天皇賞がランドプリンスにとっての最後の

レースとなりました。

レース、後脚部の故障が判明したため、引退が

発表されました。

430キロの小さな体で強豪達とクラシックで死闘を繰り

広げてきたランドプリンスは、4歳で燃え尽きてしまった

のかも知れません。

引退後、ランドプリンスは種牡馬となりましたが、内国産

種牡馬は不遇の時代であり、またサラ系との血統的な

影響もあったせいか、代表産駒を送り出すことは

出来ませんでした。

そして昭和60年代に種牡馬を引退し、用途変更と

なった後、ランドプリンスがどのようになったかの記録が

ないのが、本当に残念です。

今週は、中山競馬場でクラシック1冠目の第82回

皐月賞が行われます。

春のクラシック戦線は春の嵐のように波乱の結果と

なっており、皐月賞も絶対的本名馬がいないため、

どの馬が優勝してもおかしくない状況となっています。

2歳チャンピオンのドウデュース、ホープフルS優勝馬で

まだ底を見せていないキラーアビリティ、無敗のダノン

ベルーガと未知の魅力のイクイノックスに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。