先週行われました年度代表馬と突如現れた上り馬の頂上決戦

として注目された第66回大阪杯は8番人気のポタジェが、直線で

ジャックドールと先に抜け出したレイパパレを押さえて優勝し

大金星のGⅠ初制覇を成し遂げました。

連覇を狙った3番人気のレイパパレは直線で一旦先頭に立ち

ましたが首差の2着に敗れ、さらに鼻差の3着にはもう1頭の

上り馬7番人気のアリーヴォが入り、5連勝中でGⅠ初挑戦で

注目された2番人気のジャックドールは直線で粘ったものの

前半のペースが早かったのか、5着に敗れました。

また、1番人気に推された昨年の年度代表馬エフフォーリアは

後方からの競馬となりましたが、いつもの切れのある動きが

見られず、直線に入っても馬郡の中から抜け出せずに9着に

沈み、高松宮記念に続く2週連続の波乱の決着となり、まさに

春の嵐が吹き荒れました。

今週からは、いよいよ春のクラシックが開幕します。

そして今週は阪神競馬場で牝馬クラシック第一弾桜花賞が

行われます。

桜花賞は1939年にイギリスの「1000ギニー」を範として、最も

スピードのある優秀な牝馬の選定および優秀な繁殖牝馬を発掘

するためのレースとして4歳(現3歳)牝馬限定の競走「中山四歳

牝馬特別」を創設し、東京優駿競走・阪神優駿牝馬(現優駿牝馬)

横浜農林省賞典四歳呼馬(現皐月賞)・京都農林省賞典四歳呼馬

(現菊花賞)と共にクラシック競走のひとつとされました。

1947年からは名称を桜花賞に変更して京都競馬場で施行

されましたが、1950年からは阪神競馬場での施行が定着して

います。

私は競馬を見始めた当初から桜花賞が大好きで、春を告げる

満開の桜の中で若い乙女たちによる桜の女王を決める戦いは

華やかさと美しさとスピード感があって、毎年、本当に楽しみに

しています。

 

思い出の馬は、当時競馬関係者やファンの度肝を抜かれた

薄命の名牝テスコガビーです。

テスコガビーは昭和50年のクラシック組で牡馬の同期には

二冠馬カブラヤオー、有馬記念馬イシノアラシや天皇賞馬

エリモジョージやロングホーク、牝馬の同期には天馬トウショウ

ボーイの妹ソシアルトウショウ、悲劇の快速馬キシュウローレル

の妹キシューファイターやトウホーパール、カバリダナー等が

います。

テスコガビーの父は昭和の大種牡馬テスコボーイで、当時

安い種付け料で馬産地を助け、日本競馬の進展に多大に

貢献していましたので、馬産地では、お助けボーイと呼ばれて

いました。

テスコガビーは旧馬齢3歳の9月の東京でデビューし、前評判

どおり、新馬戦で2着馬に7馬身差をつけて圧勝し、続く3歳

ステークスも圧倒的なスピードで楽勝しました。

そして重賞初挑戦となった牡馬との混合の京成杯3歳ステークス

では、2着のイーデンアローに6馬身差をつけてレコードで圧勝し

重賞を初制覇、この成績により、この年の最優秀3歳牝馬に

選出されました。

年が明けて旧馬齢4歳になったテスコガビーは、初戦の京成杯

に挑み、出走馬中唯一の牝馬でしたが、たぐいまれなスピードで

後の重賞勝ち馬イシノマサル等、牡馬を一蹴して逃げ切って

優勝し、重賞2連勝を飾りました。

そして牝馬のクラシック路線ではめったに見ない東京4歳Sに

駒を進め、後の二冠馬カブラヤオーと夢の対決をすることに

なりました。

当日は重馬場で、やはりカブラヤオーが1番人気に推され、

テスコガビーは2番人気となりました。

レースはカブラヤオーが逃げて、テスコガビーはカブラヤオーを

終始マークしながらという展開になりました。

直線に入ると、カブラヤオー、テスコガビーと内をついて追い

込んできたテキサスシチーの3頭による激しい競り合いとなり

直線でカブラヤオーの寄られるという不利があったのが影響した

のか、テスコガビーはクビの差の2着に敗れ、牡馬相手に初の

敗戦を喫してしまいました。

でもカブラヤオーとテスコガビーによる最初で最後の対戦は、

競馬史上における名勝負として今も語り継がれています。

その後桜花賞を目指して西下したテスコガビーは桜花賞トライアル

阪神4歳牝馬特別に出走し、単勝支持率87.2%という圧倒的な

1番人気に推され、期待どおり2着のキシューファイター

に2馬身半をつけてレコードタイムで圧勝しました。

そして迎えた本番の桜花賞では、当然1番人気(単勝1.1倍)に

推され、当時行われていた単枠指定にもなりました。

レースは好スタートで飛び出したテスコガビーはすぐに先頭を

奪うと、そのスピードに他の馬達は全くついていけないレース

展開となり、直線に入っても他の21頭を突き放すばかりで

2着のジョーケンプトンに1.9秒の大差を付けて圧勝し、牝馬

クラシック1冠目を獲得しました。

レース実況していた杉本アナの

テスコガビー独走か、 ぐんぐんぐんぐん差が開く、差が開く

後ろからはな~んにも来ない、後ろからはな~んにも来ない

後ろからはな~んにも来ない、ジョーケンプトンがようやく2番手に

上がって来たか、 先頭はテスコガビー、これは強い強い強い

これは強い、赤の帽子ただ一つ ぐんぐんぐんぐんゴールに向かう

テスコガビー大楽勝、そして2着にはジョーケンプトン、いや~

恐れ入った、恐れ入りました タイム1分34秒9、桜花賞レコード

です。これは恐ろしい馬です。

という名実況は、今も語り草になっています。

その後、テスコガビーはオークスへ直行の予定でしたが、馬主の

要望により、オークストライアル4歳牝馬特別に出走しました。

しかし、桜花賞までの強行スケジュールの反動が出たのか、

直線でいつもの伸びを欠いて牝馬同士で初めての負けを喫し、

3着に敗れてしまいました。

続く牝馬クラシック2冠目のオークスでは、離延長と体調不良も

あって、1番人気に推されたものの、不安を抱えてのレースと

なりました。

しかし、スタートすると、すぐに先頭に立ってスローペースに持ち

込み直線では2着のソシアルトウショウに8馬身差をつけて、

ここでも圧勝劇を演じ、見事に牝馬二冠を達成しました。

しかし、オークスから4ヶ月後の9月にゲート練習中に右前球節

挫創で9針も縫う大怪我を負ってしまいました。

その後は順調に調教が進められましたが、牝馬3冠目のビクトリア

カップを目標に乗り始めた10月の調教中、今度は右後脚を捻挫

1年の休養を余儀なくされ、牝馬3冠達成はなりませんでした。

年が明けて5歳になったテスコガビーは5月の東京のオープン

競走で復帰しましたが、11頭立ての6着に惨敗してしまいました。

長期休養明けということもありましたが、テスコガビーに桜花賞や

オークスの頃の勢いや輝きは、もう無くなっていました。

続くレースに期待が持たれましたが、再び右後脚のトモを痛めて

しまい、北海道の牧場で再び休養に入りました。

この時に引退も検討されたとのことですが、オーナーの要望で

現役続行が決定し、12月に入り、調教が開始されました。

順調に調教が積まれていましたが、年が明けて6歳になった

昭和52年1月19日、調教中に突然前のめりに転倒。

前脚の故障かと思われましたが、診断の結果、心臓麻痺を

発症したことが判り、その場で死亡が確認されました。

享年6歳という短く儚い一生でした。

オークス後に故障して、休養した後にそのまま引退していれば

あの綺麗な馬体とスピードから必ず繁殖牝馬として世界に通じる

良い産駒が生まれたと思いますので、この日本の宝の損失は

本当に残念です。

テスコガビーの遺骸は、牧場の関係者によって埋葬され、簡素な

墓標が立てられました。

その後、遺骨は生まれ故郷の静内へ戻されて、2011年に

桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に改葬され、父テスコボーイ

と共に同じ場所で眠っています。

今週は、阪神競馬場で牝馬クラシック第一弾第82回桜花賞が

行われます。

2歳チャンピオンの実力馬サークルオブライフ、トライアル優勝馬

ナミュール、無敗のプレサージュリフト、堅実なナムラクレアに

注目しています。

いよいよ春の訪れと共にクラシックがスタートです。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週中京競馬場で行われました春のGⅠロードの開幕を告げる

第52回高松宮記念は、8番人気のナランフレグが直線に入って

内から鋭く伸びて差し切って、GⅠ初挑戦で優勝を飾り、鞍上の

丸田恭介騎手は、宗像義忠調教師と共に悲願のGⅠ初制覇と

なりました。

観客からの大きな拍手と歓声の中、涙をぬぐう丸田騎手に感動し

もらい泣きしてしまいました。

丸田騎手、宗像調教師、本当におめでとうございます。

2着には5番人気のロータスランド、3着には17番人気のキル

ロードが入り、逃げた1番人気のレシステンシアは重馬場が

合わなかったのか、直線で失速し6着に沈み、波乱の結果と

なりました。

今週は、中京競馬場で第66回大阪杯が行われます。

1957年に5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走大阪盃競走

として創設されました。

その後、競走名は1964年にサンケイ大阪杯と改称され、

1989年からは産経大阪杯となり、2017年にGⅠ競走に昇格

したことにより、名称を大阪杯と改称しました。

 

思い出の馬は昭和52年第21回優勝馬ゴールドイーグルです。

父は稀代のクセ馬と言われたカブトシローです。

ゴールドイーグルの父カブトシローは天皇賞、有馬記念等に

優勝した名馬で、私もさすがに生でのレースは見たことは

ありませんが、人気がある時は惨敗し、人気が無い時は突然

走る等、騎手からも、いつ走るかは本人(馬)に聞いてくれと

言われるほどの競馬史上に残る稀代のクセ馬として、今でも語り

継がれています。

ゴールドイーグルは地方競馬の大井所属で、あの怪物呼ばれた

ハイセイコーと同期で、昭和47年旧馬齢3歳の8月に大井競馬場

でデビューすると2着以下を大差でぶっちぎって優勝、その後の

2戦とも圧勝して3連勝を飾りました。

そして5戦目でハイセイコーと最初で最後の対戦をしました。

持ち前のスピードで逃げたものの、怪物ハイセイコーに2秒近く

離された大差で2着に敗れました。

年が明けて旧馬齢4歳になったゴールドイーグルは

ハイセイコーが中央入りを表明したことで南関東4歳馬の

トップの座につきました。

持ち前のスピードを生かして2連勝を記録し、続く黒潮盃でも

2着に6馬身差を付けて圧勝しました。

しかし、東京ダービーでは2番人気に推されながらも16着に

大敗し、その後休養に入りました。

年が明けて5歳になったゴールドイーグルは転厩し、紀尾井寺や

名古屋、笠松のレースでも活躍し、その後、中京競馬場の

芝コースで行われた特別戦でも圧勝したことで、芝コースへの

適性の高さも示しました。

そして、初めて開催される中央競馬からの中央競馬招待競走に

出走するため、1年ぶりに大井競馬場に凱旋し、中央の馬と

対決しました。

中央からは逃げる精密機械トーヨーアサヒ、ローカルの雄ノボル

トウコウやイナボレスなどの重賞勝ち馬の参戦しましたが、その

中央競馬一線級の強敵を相手に逃げを打ち、最後は

イナボレスに6馬身差を付けて圧勝、改めて能力の高さを

示しました。

その後、地方競馬での16戦11勝の好成績を引っ提げて

中央入りが決まり、関西の伊藤雄二厩舎に転厩しましたが、

脚部不安を発症して長期休養を余儀なくされてしまいました。

2年近くの休養の後、7歳になったゴールドイーグルは3月の

オープン競走で久しぶりにカンバックしたものの、6着に敗れて

しまいました。

しかし、続くマイラーズカップに出走し、逃げ粘って快速馬

シルバーランドの2着に入り、7歳といえども今後の活躍が

期待されましたが、再び脚部不安を発症して休養に入って

しまいました。

年が明けて8歳馬になったゴールドイーグルは天皇賞春への出走

を目指して仁川ステークスで復帰を果たし、3着にはいりました。

そして迎えた当時の名称であるサンケイ大阪杯に参戦し、

このレースには天皇賞馬エリモジョージや後の天皇賞馬

ホクトボーイ、小倉の雄フミノヒカリ、ナラサンザン等の重賞勝ち馬

が出走しました。

もう8歳馬で峠を越したと思われていたゴールドイーグルでしたが

父カブトシローの血が騒いだのか、衰えを知らない逃げで

見事に並みいる強豪たち下して、8歳にして中央重賞初制覇を

果たしました。

続く1番人気に推されたマイラーズカップでもホクトボーイや

ケイシュウフォードやバンブーホマレを下し、2着のロイヤル

スプリンタに6馬身差を付けて圧勝し、夢の天皇賞制覇に向けて

出走を果たすことになりました。

この天皇賞には、クラシックで涙を飲んだ貴公子テンポイントが

天皇賞制覇に執念を燃やして出走し、その他にも菊花賞馬

グリーングラスやコクサイプリンス、有馬記念馬イシノアラシ、

ダービー馬クライムカイザーやホクトボーイ等、錚々たる

メンバーが出走しました。

そんな中でゴールドイーグルはテンポイントとグリーングラス

についで3番人気に推されました。

スタート後、すぐに先頭に立って逃げを演じましたが、さすがに

距離が長かったのか、徐々に後退し、テンポイントの感動の

勝利の中で、最下位の14着に大敗してしまました。

その後、脚部不安が再発している事が判明したため、ついに

引退することになりました。

引退後は、北海道で種牡馬入りをしましたが、内国産種牡馬の

不遇の時代でしたので、代表産駒には恵まれず、1984年に

用途変更となり、その後、ゴールドイーグルが、どこでどうなったか

の記録が残っていないのは、とても残念です。

今週は阪神競馬場で第66回大阪杯が行われます。

最近は長距離の天皇賞より大阪杯を目指す有力馬が多くいて

昭和人の私は、今後、古馬のナンバーワンを決める天皇賞が

どうなって行ってしまうのか、とても心配です。

今年、初始動となる2冠馬エフフォーリア、5連勝中の上り馬

ジャックドール、いつまで走らせるつもりなのか、早く余生を

送らせてあげたい古豪マカヒキ、巻き返しを図るレイパパレに

注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました皐月賞トライアル 第71回フジテレビ賞

スプリングステークスは、5番人気に推されたビーアス

トニッシドが逃げ切って優勝し、重賞初制覇を飾りました。

2着には2番人気のアライバルがビーアストニッシドを

追いつめましたが、わずかハナ差及ばず入り、3着には

6番人気のサトノヘリオスが入り、この上位3頭が皐月賞への

優先出走権を得ました。

1番人気に推されたアサヒはスタート直前に気性の悪さを

見せて出遅れ、4コーナーでまくって勝負に出ましたが、

直線で脚が止まり、11着に惨敗しました。

今週は中京競馬場で今年初の芝のGⅠ競走で春の

スプリント王決定戦、第52回高松宮記念が行われます。

高松宮記念は4歳(現3歳)以上の馬による重賞として

1967年に創設された中京大賞典を前身として1970年に

高松宮宣仁親王から優勝杯が下賜されたのを機に、

1971年より高松宮杯に改称のうえ、新設されました。

1995年までは毎年6、7月に行われていましたが、

1996年の競走体系の整備により、本競走は距離を

芝1200m短縮のうえ、GⅠ競走に格上げされ、春の

短距離王決定戦として位置づけられました。

その後1998年には現名称の高松宮記念に改称され、

2000年からは施行時期も現在の3月に変更されました。

昭和期においては、宝塚記念の後に行われる前半戦の

最後を飾る重賞レース高松宮杯として行われていたため、

ハイセイコーをはじめ、トウショウボーイやナリタブライアン

等、競馬史上に残る名馬達が参戦しており、また数々の

ドラマや出来事が起こるレースでもありました。

 

思い出の馬は、後に華麗なる一族の祖とも言われましたが、

現役の時は悲運の名牝と言われたイットーです。

私から見て、当時の牝馬の名前としては珍しい名前だと

思っていましたが、名前の由来は一刀両断から来ている

ようです。

イットーはシンザンの故郷でもある北海道浦河町の荻伏牧場

で生まれ、生れ出た時から将来の活躍が期待できる素質

ある馬に見えたそうです。

旧馬齢3歳の時、京都でデビューし、期待どおりに新馬戦

では、8馬身差をつけて逃げ切って優勝、続く特別戦も

勝って連勝し、エリート路線に乗りました。

続く阪神3歳ステークスでは後の二冠馬で関西の雄キタノ

カチドキの2着に敗れたものの、その年の最優秀3歳牝馬に

選出されました。

年が明けて旧馬齢4歳になったイットーは緒戦の紅梅賞を

6馬身差で勝ち、桜花賞の最有力候補に躍り出ました。

しかし、ここで最初の不運に襲われます。

競走後に左前脚骨膜炎を発症し、更に左肩も痛め、長期の

休養をを余儀なくされてしまいました。

これにより優勝は確実と言われた牝馬クラシックの桜花賞、オークスを断念せざるを得なくなりました。

半年の休養後の8月、夏の函館で復帰し、緒戦のオープン

競走をメジロゲッコウやヌアージターフ等の古馬を相手に

何とレコードタイムで勝利しました。

そして牝馬クラシック最終戦となる秋華賞の前身である

ビクトリアカップに向け、その前哨戦となる京都牝馬特別に

参戦しました。

このレースでは何と50パーセントを超える単勝支持を

集めました。

この競走には、一歳年上で最優秀3歳牝馬に選出された

キシュウローレルも出走し、2世代の3歳牝馬のチャンピオン

同士の対決となり、注目を集めました。

しかし、ここで2度目の不運に見舞われてしまいます。

スピードが最高速になる最終コーナーの手前でキシュウ

ローレルが左前脚を骨折して転倒し、直後を走っていた

イットーは、このあおりをもろに受けて後退し、完走は

したものの10着に敗れ、右後脚を7針縫う大怪我を

負ってしまいました。

そして骨折して転倒したキシュウローレルは気力で立ち

上がり、競走馬の本能か、骨折した脚をぶらつかせながら

必死にゴールを目指して走る姿にファンは涙し、場内からは

早く止めてあげてとの悲鳴があがり、騒然となりました。

実況の杉本アナも早く止めてあげて欲しいですねと涙声で

訴えていました。

この名牝キシュウローレルの悲劇は競馬史上に残る

悲しい出来事として、今でも語り継がれています。

これで最後の牝馬クラシックのビクトリアカップの出走も

断念せざるを得なくなりました。

その後、年末のセントウルステークス出走したものの、

前走の事故の影響か、他馬を怖がる素振りを見せ、3着に

敗れてしまいました。

この後、馬体調整のため、一時休養し、翌年の3月の

オープン競走で復帰し、前年の最優秀5歳以上牡馬に

選出され、後に史上最強馬として名前が上がるタニノチカラと

競り合いを演じたものの、半馬身差の2着に敗れて

しまいました。

続くマイラーズカップではタニノチカラの他、関西の雄キタノ

カチドキも参戦し、競馬史上に残る3強対決として注目を

集めました。

当日は不良馬場の中、斤量52キロのイットーは、好位を

維持しながらレースを運び、先に抜け出した斤量60キロの

キタノカチドキに敗れたものの、当時体調が良くなかった

斤量61キロのタニノチカラにはハナ差競り落として2着に

入りました。

続くスワンステークスでは圧倒的1番人気に推され、

レースでは好位から抜け出すと横綱相撲で圧勝し、遅ればせ

ながら10戦目にして初の重賞制覇を果たしました。

しかし、続く阪急杯では斤量56キロが影響したのか、

まさかの3着に敗退してしまいました。

そしてイットーは大舞台である高松宮杯に挑みました。

スタートしてからイットーが逃げる展開となり、4コーナーに

向かって、なおも逃げ続けるイットーに実況の吉村アナは

「まだイットーが逃げている、まだイットーが逃げている、

悲運の名馬と言われたこの馬がはたして中京競馬場で

蘇るかどうか」と実況し、イットーがそのまま逃げ切って

勝つと、「イットーが勝ったぁ、蘇った」と絶叫し、私も当時

その実況とイットーの復活劇にとても感動しました。

その後、秋緒戦のサファイヤステークスを快勝して阪急杯

で敗れたシルバーネロに雪辱を果たしました。

続く朝日チャレンジカップではロングホークがレコード勝利

の中、ハナ差の2着と健闘しました。

そして前年アクシデントに見舞われた因縁の京都牝馬特別

に出走、他馬よりも4キロ以上重い斤量59キロでしたが、

1番人気に推されましたが、斤量が影響したのか4着に

敗れてしまいました。

このレースで3度目の不運に見舞われます。

レース後、4コーナー付近で左前脚に故障を発症したとの

ことで、またしても因縁の京都牝馬特別で故障を発症する

ことになりました。

そして、この故障が致命傷となり、このレースがイットーに

とっての最後のレースとなってしまいました。

それでもこの年の活躍が評価され、イットーは最優秀

5歳以上牝馬に選出されました。

引退後は故郷・荻伏牧場で繁殖牝馬となると初仔ハギノ

トップレディが快速馬として大活躍し、母イットーが出走

できなかった桜花賞エリザベス女王杯(ビクトリアカップの

後継競走)を制して二冠牝馬となり、母イットーの無念を

晴らしました、

更にテスコボーイとの産駒ハギノカムイオーも宝塚記念や

高松宮杯に優勝する等、大活躍し引退後は種牡馬に

なりました。

また娘のハギノトップレディは繁殖牝馬となってからGⅠ競走

2勝のダイイチルビー産む等、繁殖牝馬としても母娘そろって

大活躍し、弟のニッポーキングやシルクテンザンオー等も

重賞を勝つなど、今も続く華麗なる一族を築きあげました。

イットーは1996年の種付け(不受胎)を以て繁殖を引退し

以後は大功労馬として余生を過ごしていましたが、

1997年5月21日発症していた蹄葉炎の悪化したため、

関係者が見守る中、安楽死の措置が執られ、27年間の

生涯に幕を閉じました。

今週は中京競馬場で第52回高松宮記念が行われます。

実力馬レシステンシアと素質馬メイケイエール、上り調子の

グレナディアガーズ、未知の魅力のレイハリアに注目して

います。

時は流れてレース名等が変わってもハマノパレードの

悲劇が二度と起こらないよう、今週も全馬の無事を祈りながら

レースを見ます。