先週、東京競馬場で行われました豪華なメンバーに

よる春のマイル王決定戦、伝統の安田記念は

中団でレースを進めた4番人気ソングラインが直線に

入って外から豪快に伸びて追い比べを制し、4度目の

挑戦で悲願のGⅠ初制覇となり、前走のヴィクトリア

マイルでの雪辱を果たしました。

2着には追い込んだ2番人気のシュネルマイスターが

クビ差で入り、3着にはアタマ差で8番人気のサリオス

が入りました。

3番人気ファインルージュは追い込んだものの5着、

そして、発送近くなって逆転で1番人気に推された

イルーシヴパンサーは直線で不利がありながら

追い込んだものの8着に敗れました。

この結果、GⅠ戦線で1番人気馬が11連敗となって

しまいました。

しかし、今年の安田記念は17着までが1秒差以内

という大激戦となり、とても見応えがありました。

今週は、開催が続いていましたGⅠ競走がひと休み

となり、GⅢエプソムカップが東京競馬場で行われます。

1983年に東京優駿(日本ダービー)が50回を

迎えたのを機に、東京競馬場と英国ダービーが

開催されるエプソム競馬場が姉妹競馬場として

提携した際に記念植樹(東京競馬場からは桜、

エプソム競馬場からは柏が贈られた)とカップの

交換が行われ、これを記念に1984年から

エプソムカップが創設され、東京競馬場では

エプソムカップ、エプソム競馬場では「The JRA

Condition Stakes」が行われるようになり、両競馬場

およびJRAと英国ジョッキークラブの親善が

図られています。

 

今週はGⅠ競走がひと休みということで、ちょっと

気が抜けてしまいますが、4歳勢からダービー卿CT

優勝馬タイムトゥヘヴン、好調なジャスティンカフェ

蘇りを期待したいガロアクリーク、そして2020年の

ダービー以来、脚部不安で長期休養に入り、2年ぶり

にカンバックして出走する令和2年第60回きさらぎ賞

を制したコルテジアに注目しています。

昔から、かつての実力馬で長期休養を経て競馬場に

帰って来てくれた馬に敬意を表して、どうしても

応援したくなってしまいます。

まずは、無事にレースを終えて欲しいと思っています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、6万人の大観衆の中東京競馬場で行われました

競馬の祭典、第89回東京優駿(日本ダービー)は

3番人気のドウデュースが、直線でアスクビクターモア

が抜け出す中、外から鋭く抜け出し、追い込んで来た

イクイノックスをおさえて優勝。

鞍上の武豊騎手はダービー6勝目となり、20代、30代

40代、50代でダービーを勝利し、最年長ダービー

ジョッキーとなりました。

2着には追い込んで来た2番人気のイクイノックスが

入り、先行して粘ったアスクビクターモアが3着、

1番人気のダノンベルーガも直線で内をついて追い

込むも4着に敗れ、皐月賞馬ジオグリフは距離が

影響したのか7着に敗れました。

6万人の歓声の中で行われました日本ダービーは

絵になる男、武騎手とドウデュースによる劇的な

ドラマで終わり、本当に感動しました。

そして、何事もなく全馬無事に完走できて、本当に

良かったです。

ただ、感動のダービーの後に伝統の目黒記念が

行われることは、毎年違和感があり、もったいないし

いかなる理由があるにせよ、伝統を重んじて欲しい

と思うのは、私だけでしょうか。

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦、伝統の

安田記念が行われます。

安田記念は明治・大正・昭和にわたって競馬に

携わり、競馬法の制定や東京優駿(日本ダービー)の

創設などに尽力し、日本中央競馬会の初代理事長も

務めた安田伊左衛門氏の功績を称えるため、1951年

当初は安田賞の名称で創設され、1958年に安田

伊左衛門氏が亡くなったため、現名称に改称されました。

創設当初は東京競馬場の芝1600mで4歳(現3歳)

以上の馬によるハンデキャップ競走として施行されて

いました。

昭和期においては、まだ短距離のレース体系が整備

されていなかったため、春に行われる安田記念が

唯一、日本一のマイル王決定戦として行われて

いました。

その後、1984年にグレード制が導入に伴い安田記念

はGⅠに格付けされ、現在中央競馬における上半期に

おけるマイル王決定戦として位置づけられています。

 

思い出の馬は、昭和49年第24回優勝馬で昭和の

イケイケ娘、快速馬キョウエイグリーンです。

キョウエイグリーンは、私が史上最強の世代と思って

います昭和47年のクラシック組で、同期には桜花賞と

ビクトリアカップに優勝した牝馬二冠馬アチーブスター

ダービー馬タケホープの姉のオークス馬タケフブキ

3歳王者トクザクラや京都に散った白い花タカイホーマ

がいます。

キョウエイグリーンは昭和を代表するスプリンター系

種牡馬マタドアの仔として旧馬齢3歳の夏の函館で

デビューし、新馬戦は惜敗したものの、2戦目の

未勝利戦では2着に8馬身差をつけて圧勝、その後

出世レースとも言われている条件特別のいちょう特別

オープン競走等に勝って3連勝を飾り、スピードの

違いを見せつけ、一躍牝馬クラシック候補に躍り

出ました。

年が明けて旧馬齢4歳になり、京成杯、クイーンカップ

では人気になりながら敗れたものの、オープン競走に

勝って、桜花賞に参戦しました。

当日は3番人気に推され、持ち前のスピードで逃げた

ものの、アチーブスターに差されての3着に敗れ、続く

牝馬クラシック二冠目のオークスにも参戦しましたが

ここはやはりスプリンター系の血が影響したのか、

タケフブキの13着に大敗してしまいました。

その後、休養に入り、秋に復帰してオープン競走と

クイーンSは2着に敗れたものの、そのスピードを

買われ、続くスプリンターズSでは1番人気に推され

ましたが、さすがにオープンの牡馬相手では荷が

重かったのか、ノボルトウコウの3着に終わりました。

続く牝馬東京タイムズ杯とダービー卿CTでは

同期でライバルのトクザクラの圧勝劇の前に敗れて

しまいました。

年が明けて古馬になったキョウエイグリーンは

オープン競走2着の後、中山牝馬Sを含む3連勝を

飾り、安田記念に挑みましたが、ハクホオショウの

17着に大敗してしまいました。

その後、夏の札幌での短距離Sに快勝すると、

その勢いのままにスプリンターズSに参戦。

ここでは持ち前のスピードを活かして、前年の優勝馬

ノボルトウコウをおさえてレコードタイムで圧勝し、

重賞初制覇を飾りました。

続く牝馬東京タイムズ杯では当然、1番人気となり

ましたが、不良馬場が響いたのか、スピード馬

特有?の突然の失速で13着に大敗してしまい

ました。

年が明けて6歳になったキョウエイグリーンは現役を

続行したものの、オープン競走2戦に敗れ、関屋記念

でも9着に惨敗する等、キョウエイグリーンは、峠を

越えてしまったと言われていました。

当時はまだ牝馬や短距離系のレース体系も整って

おらず、また重賞競走は牡馬との混合によるレース

しか無かったため、6歳まで現役を続ける牝馬は

とても少なかったと思います。

負けが続き、衰えが見えるキョウエイグリーンは続く

安田記念では9番人気となりました。

この安田記念には、サクライワイ、ホワイトフォンテン

チェッカーフラッグ、シカゴなどの名立たる快速馬や

名牝ニットウチドリやナスノチグサの他、メジロゲッコウ

やコーヨー、ラファールなどの古豪も参戦する等、豪華

なメンバーが顔を揃えました。

レースはホワイトフォンテンが逃げ、サクライワイや

シカゴが先行し、キョウエイグリーンは先行策を

取らずに中団でレースを進めました。

直線に入って、ホワイトフォンテンとサクライワイが

失速し、シカゴが粘る中、外からキョウエイグリーン

が鋭く伸びて先頭に立ち、名立たる重賞優勝馬達を

寄せ付けずにそのままゴールして、見事な優勝を

飾りました。

しかし、この優勝がキョウエイグリーンにとっての

最後の優勝となりました。

続く連覇を狙ったスプリンターズSは無念の出走

取消となり、復帰戦のオープン競走ではタケクマ

ヒカルの3着に入ったものの、続くダービー卿CT

13着、クモハタ記念でもスルガスンプジョウの

7着に大敗し、このレースがキョウエイグリーンに

とっての最後のレースとなりました。

引退後は北海道に帰り繁殖入りしたものの、代表

産駒には恵まれませんでした。

1986年11月2日付けで用途変更となり、その後は

不明となっていることがとても残念です。

6歳まで頑張って走って安田記念にも優勝した名馬

キョウエイグリーンが繁殖を引退後、いつどのように

余生を過ごし、最後はどのように亡くなったのかの

記録が無いことが本当に残念です。

今週はダービーの興奮が冷めやらぬ中、東京

競馬場で第72回安田記念が行われます。

実力馬イルーシヴパンサー、上り馬ソングライン

巻き返しを図るファインルージュ、ソウルラッシュに

注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、東京競馬場で行われました第83回優駿牝馬

(オークス)は、サウンドヴィバーチェが他馬から顔を

蹴られたことにより、逸走してしまい、15分後に

競走除外になるという予想外の出来事が起こる中

3番人気の桜花賞馬スターズオンアースが桜花賞馬

の貫禄か、直線で鋭く伸びて抜け出し、第83代の

樫の女王に輝き、史上16頭目の牝馬クラシック2冠を

達成しました。

2着には10番人気の上り馬スタニングローズが入り

3着は4番人気で末脚鋭くナミュールが入り、ました。

1番人気のサークルオブライフは発送の遅れが

響いたのか、レース前から発汗が酷く、見せ場もなく

12着に終わりました。

今週は、いよいよ春のクラシックのクライマックス

競馬の祭典、第89回東京優駿(日本ダービー)が

東京競馬場で行われます。

東京優駿(日本ダービー)は1932年(昭和7年)に

イギリスの「ダービーステークス」を範として、目黒

競馬場にて創設されました。

後に創設された皐月賞・菊花賞とともに「三冠競走」を

構成していて4歳 (現3歳)牝馬による桜花賞・優駿

牝馬(オークス)を含めてクラシック競走とも総称

されています。

そしてダービーに優勝することは、日本の競馬に

関わるすべての関係者(ホースマン)が憧れる

最高の栄誉あるレースとされています。

昭和期では皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は

「最も強い馬が勝つ」、ダービーは「最も運のある馬が

勝つ」と言われていました。

そして日本の競馬における日本ダービーの存在は

特別で、創設期より日本競馬における最大の栄誉ある

大競走とされてきました。

しかし近年は日本ダービーを頂点とする従来の国内に

おける競走体系が様々な距離体系毎に王者を決定

する体系に遷移しており、全ての競走馬が必ずしも

日本ダービーを目指すということがなくなってきている

ことは事実であり、一抹の寂しさがありますが、

その年の競馬を語る時は必ず日本ダービー優勝馬が

挙げられるように、日本競馬界の象徴でありホース

マンにとって最大の目標であるとことは創設以来、

変わっていないと思っています。

思い出の馬は昭和46年第38回優勝馬で疾風の

差し脚の伝説のダービー馬ヒカルイマイです。

ヒカルイマイの母セイシュンは地方競馬で未勝利の

馬で母系をたどると血統不詳の「サラ系」という牝馬

にたどり着く血統だったため、ヒカルイマイは純粋な

サラブレッドと認められず、サラブレッド系種(サラ系)

とされてしまいました。

そのため、購入者もなかなか見つからず処分される

寸前でようやく購入者が現れ、命が助かったものの

二流の血統の烙印と一生戦い続けなければならない

馬でもありました。

低い評価だったヒカルイマイは旧馬齢3歳の京都で

デビューし、5番人気ながらも2着馬に5馬身差を

つけて圧勝し、初勝利をあげました。

その後、特別競走、オープン競走に勝って3連勝を

飾り、無名のヒカルイマイは一躍関西のクラシック

候補に踊りでました。

その後は京都3歳S、オープン競走で2着に敗れた

ものの、3歳時は5戦3勝、2着2回という好成績で

終わりました。

年が明けて旧馬齢4歳になったヒカルイマイはシンザン

記念に参戦し、フィドールの4着に敗れましたが、

きさらぎ賞では破竹の勢いで6連勝中だったロングワン

をやぶって優勝、関西のクラシック候補として堂々と

東上を果たしました。

東上初戦のオープン競走2着後、皐月賞トライアルで

あるスプリングステークスに出走しましたが、メジロ

ゲッコウの4着に敗れてしまいました。

そして迎えたクラシック第1冠目の皐月賞に挑み、当日

ヒカルイマイは4番人気に推されました。

レースはエリモカップが逃げ、ハスラー、ニホンピロ

ムーテー、メジロゲッコウが先行し、その後ろにバンライ

フィドールがつける中、ヒカルイマイはいつもの後方から

の競馬となり、第4コーナーで仕掛けていきました。

直線に入ってバンライが抜け出して一気に先頭に

立つ中、ヒカルイマイは大外から一気に疾風の差し脚

で追い込み、粘るバンライを一気に交わしてクラシック

1冠目の皐月賞制覇を果たしました。

続く、当時ダービートライアルだったNHK杯に出走し

1番人気は関東期待のダコタに譲ったものの、レース

では、いつもの後方から進み、直線で今回は内を

ついて鋭く追い込んでダコタをクビ差かわして優勝。

二流血統として低い評価をされ続けたヒカルイマイは

ついにその実力を見せつける形になりました。

そして、迎えた東京優駿(日本ダービー)、フルゲート

の28頭が出走し、ヒカルイマイは皐月賞馬であり、

NHK杯にも優勝したにも関わらず、NHK杯2着だった

ダコタが何と単勝1番人気になり、ヒカルイマイは2番

人気という今では考えられない異例の状況となりました。

当時の背景としては、28頭という多頭数の中でいつも

最後方から行くヒカルイマイは不利ではということと、

若干の関東馬贔屓もあったのかも知れません。

レースは今では考えられない28頭が一斉にスタートし、

私はこの壮観な光景が大好きだったのですが、騎手の

方や競走馬達は命がけだったと後に聞かされ、

華やかに見える中で、過酷なレースを行っていて

今まで大事故が起きなくて良かったと思います。

ゲートが開くと28頭が一斉に飛び出し、シバクサが

逃げ、その後ろからハーバーロイヤル、ニホンピロ

ムーテーが先行し、ダコタ、バンライ、ベルワイド、

ハスラーは中団を進み、比較的スローペースの中

ヒカルイマイは後方からの競馬となりました。

当時、多頭数で行われていたダービーは後方から

行く馬は、直線で馬群をぬって出てくることは難しく

なるため、第4コーナーでは10番手以内にいないと

勝てないと言われていました。

ヒカルイマイは第3コーナーで最後方の後ろから2頭

までポジションを下げてしまい、第4コーナーでヒカル

イマイは大外に持ち出し、最後の直線に入りました。

終始2番手に付けていたハーバーローヤルが先頭に

立ち、ベルワイドとフィドール、ゼンマツが追い込みを

はかる中、大外からヒカルイマイが疾風のごとく、

ものすごい豪脚で直線だけで22頭を抜き去るという

過去にも例が無い、前代未聞の追い込みで2着の

ハーバーローヤルに1馬身4分の1の差を付けて

ダービーに優勝。

サラ系として二流血統の無名の馬が晴れて

クラシック2冠制覇を果たしました。

これ程強い勝ち方で二冠馬になったヒカルイマイは

無事に夏を越せば、菊花賞を制し、シンザン以来の

三冠達成は間違いないと言われていました。

ヒカルイマイはダービー後、休養に入り、秋に復帰して

緒戦のオープン競走を3着後、菊花賞トライアルの

京都新聞杯に出走しましたが、まさかの9着に

敗れてしまいました。

その後、当時も不治の病とされる屈腱炎を発症した

ことが判明し、長期休養に入りました。

関係者による必死の努力も空しく、症状は一進一退

を繰り返し、最終的には2年間休養したものの、

脚元の回復が思わしくないため、引退が決まり、

ファンの前に姿を現すことはありませんでした。

その後、北海道の新冠町で種牡馬となりました。

しかし、種牡馬としてはサラ系という血統がやはり

影響し皐月賞、ダービーを勝った二冠馬にも関わらず

また当時の内国産種牡馬不遇の時代でもあった

ことから、種付け頭数は極端に少なく、一時は廃用

という余生が危ぶまれた時期もありましたが、多くの

関係者の愛情と計らいにより九州の服部牧場で

種牡馬として再スタートを切ることができました。

しかし、結局代表産駒には恵まれませんでした。

そしてその後、ヒカルイマイの行く末を懸念した一般

ファンの有志による「ヒカルイマイの会」が結成され、

集められたお金が年に数回、飼料代として服部

牧場に仕送りされるなど、ヒカルイマイは本当に

多くのファンに最後まで愛された馬でした。

そして1992年7月21日、朝ヒカルイマイは普通に

放牧され元気でしたが、夜に厩舎に戻って来ると

厩舎前で動こうとしなくなり、何とか厩舎内に入れると

息づかいが荒くなり、カイバや水も飲めない状況に

陥ったため、獣医を呼ぼうとした瞬間、その場に倒れ

苦しまずに息を引き取りました。

享年25歳、死因は心臓麻痺だったようです。

その後、「ヒカルイマイの会」が緊急時に備えて積立て

いたお金を今までのお礼として服部牧場に送った

ところ、服部牧場は、その多くのヒカルイマイのファン

の優しい心情を受け取り、その資金で同年11月3日

同牧場内において、ヒカルイマイの立派な墓碑を

建立しました。

今週は東京競馬場で春のクラシックのクライマックス

競馬の祭典、第89回東京優駿(日本ダービー)が

行われます。

皐月賞上位組からイクイノックス、ダノンベルーガ

ドウデュース、巻き返しを図るアスクビクターモア

キラーアビリティに注目しています。

先週のオークスのように突然何が起こるか判りません。

昭和44年スタート直後に1番人気のタカツバキが

落馬という出来事もありました。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。