先週、阪神競馬場で行われました夏のグランプリ

競走第63回宝塚記念は2番人気のタイトルホルダー

がパンサラッサが超ハイペースで逃げる中、2番手を

追走し、第4コーナーからスパートすると直線で

先頭にたって、そのまま力の違いを見せつけて

驚異のレコードタイムで優勝。

GⅠ3勝目をあげると共に古馬の頂点たちました。

2着には5番人気のヒシイグアスが好レースを見せて

入り、3着には4番人気のデアリングタクトが外から

猛然と追い込んで、ゴール前で3番人気のディープ

ボンドをハナ差交わして入り、存在感を見せました。

1番人気に推されたエフフォーリアは追い込んでは

来たものの6着に敗れ、またしても1番人気が敗れる

レース結果となりました。

今週は、福島競馬場で第71回ラジオNIKKEI賞が

行われます。

ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の前哨戦

として4歳(現3歳)馬による重賞競走中山4歳

ステークスの名称で創設され、春のクラシック

シーズン終了後に施行されるようになりました。

レース名は日本短波賞中山4歳ステークスを経て

1961年から1978年まで日本短波賞、1979年

から2005年までラジオたんぱ賞となり、2006年

から現在の名称となっています。

出走資格が1955年から1967年まで規定に

「除東京優駿競走の勝馬」と記されていたため、

東京優駿(日本ダービー)の優勝馬は出走でき

ませんでした。

そのため敗者復活戦的な要素を持ち、規定が廃止

されてからも昔の名残で今でも残念ダービーという

俗称が残っています。

昭和人の私としては日本短波賞としてのイメージが

強く、やはりダービーで敗れた馬やダービーに出走

出来なかった馬達によるレースという感覚があります。

 

思い出の馬は私が初めて競馬を見て、その後夢中に

なった昭和44年に行われました第18回優勝馬

ハクエイホウです。

昭和44年は私が競馬を見始めた時だったためか

その頃の競走馬達は、何気にいろいろ印象に残って

います。

ハクエイホウは旧馬齢4歳の2月にデビューし、

新馬戦を圧勝するとその後も連勝し、3連勝で遅まき

のデビューながらダービーへの出走権を手にしました。

私が生で初めて競馬を見たのは昭和44年の日本

ダービーで、 このダービーには8頭のダービー馬

を送り出した名門尾形藤吉厩舎から尾形四天王と

言われたミノル、ハクエイホウ、メジロアサマが出走し

もう1頭の皐月賞優勝馬で黒い弾丸と言われた

ワイルドモアは故障のため、出走できませんでした。

当時28頭がフルゲートで見ている方は壮観でしたが

今思えば非常に危険だったと思います。

スタートしてすぐに応援していた1番人気のタカツバキ

が落馬するという波乱の展開の中、ハクエイホウは

大外27番枠から先頭に立ち、直線に入っても残り

200m地点まで逃げ粘りましたが、ダイシンボル

ガードとミノルに交わされ、惜しくも3着に敗れました。

この衝撃的だった日本ダービーを見て感度し、

その後、私は競馬そして競走馬の素晴らしさに

魅了され、現在に至っています。

続いて参戦した日本短波賞では当然1番人気となり

持ち前のスピードでギャロップやカネハヤテを

おさえて優勝、初重賞制覇を果たしました。

秋になって京都のオープン競走を勝って菊花賞に

駒を進め、3番人気に推されました。

菊花賞でも持ち前のスピードで先頭に立って

第4コーナーまで他馬を引っ張って逃げたものの

当時昇り龍と言われたアカネテンリュウのいっきの

まくり戦法の前に9着に沈みました。

しかし、続く今は無きクモハタ記念ではスピードの

違いを見せつけて圧勝し、重賞2勝目をあげました。

その後今思えば過酷なローテーションだったと思い

ますが、有馬記念に参戦し、歴史的名馬スピード

シンボリや菊花賞馬アカネテンリュウ、メジロタイヨウ

ニットエイト、マーチス、リュウズキ等の名立たる

名馬達を相手に向こう正面から先頭に立って果敢に

直線半ばまで逃げたものの、最後はつかまりスピード

シンボリとアカネテンリュウの歴史的名勝負の中、

僅差の7着に敗れました。

年が明けて古馬になったハクエイホウは活躍を期待

されましたが、4歳時の過酷なローテーションにより

体調を崩して休養を余儀なくされてしまいました。

秋に復活してオープン競走を勝ち、天皇賞秋に

挑みましたが、好調の時のハクエイホウの逃げでは

なく、向こう正面で先頭を譲り、同じ尾形厩舎四天王の

メジロアサマの前に12着と惨敗してしまいました。

ハクエイホウはもう燃え尽きてしまったとも言われ

ましたが、年が明けて6歳になったハクエイホウは

現役を続行し、金杯を3着として復調兆しを見せ、続く

オープン競走ではレコード勝ちをして、完全復活を

果たしました。

そして日本経済賞に参戦し、3番人気推されました。

レースは意外にもハクエイホウではなく、クリシバが

強引な逃げを行い、その後ろからハクエイホウが

先頭を伺う展開となり、ハイペースとなりました。

第3コーナーでハクエイホウとマキノホープが逃げる

クリシバを交わしに掛かると、ハクエイホウが突然

前のめりに倒れ込んで競走を中止し、内にいた

スイノオーザがこのアクシデントをまともに受けて

しまい、鞍上の丸目騎手が落馬して騎手生命を失う

大事故となってしまいました。

転倒し競走を中止したハクエイホウは左種子骨

靱帯断裂のため、数日後に安楽死の処置がとられ

わずか6年の生涯に幕を下ろしました。

当時は中距離の競走体系が整っていなかったため、

もし今の競走体系であれば、タラレバになりますが

ハクエイホウは持ち前の華麗なスピードで多くの

中距離路線の重賞を勝つことが出来たと思います。

そしてハクエイホウは生まれた時期が悪かった

昭和期における名中距離馬の一頭だと思っています。

今週は福島競馬場で残念クラシックとも言われる

第71回ラジオNIKKEI賞が行われます。

安定性のあるベジャール、クラシックの巻き返しを

図るボーンディスウェイとクロスマジェスティ

ソネットフレーズに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、東京競馬場で行われました第27回ユニコーン

ステークスは7番人気のペイシャエスが直線で内から

馬群を割って抜け出し、激戦を制して重賞初制覇を

飾りました。

2着には内をついて追い込んだ9番人気のセキフウが

3着には8番人気バトルクライが入り、1番人気の

リメイクは6着に敗れました。

今週は、阪神競馬場で春のGⅠ戦線を締めくくる

夏のグランプリレース「あなたのそして私の夢が走り

ます」の名実況でもおなじみの第63宝塚記念が

行われます。

宝塚記念は、有馬記念と同様にファン投票で出走馬を

決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として

関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で

企画され、阪神競馬場の新スタンドが落成した翌春の

1960に創設されました。

 

思い出の馬は、昭和51年第17回優勝馬フジノ

パーシアです。

昭和期を代表する長距離系種牡馬の英ダービー馬

パーシアの仔として生まれたフジノパーシアは

昭和49年のクラシック組で同期には二冠馬キタノ

カチドキ、コーネルランサー、アイフルやイットー

トウコウエルザ等がいます。

フジノパーシアは旧馬齢3歳の暮れにデビューし

長距離血統の不利を克服して当時短い競走ばかり

だった新馬戦を圧勝したものの、その後球節炎を

発症したため、長期休養を余儀なくされました。

それでも秋に復活し、条件特別戦で連勝したものの

結局クラシック戦線に参戦することは出来ません

でした。

年が明けて古馬になったフジノパーシアは条件

特別を勝ってオープン入りを果たすと、その勢いの

ままに東京新聞杯でヤマブキオーやナスノチグサ等

の精鋭をやぶって初重賞制覇を果たし、ついに

素質が開花し、本格化しました。

その後は重賞戦線で2着を続ける等、惜敗が続き

ましたが、直線では確実に伸びてくる脚で安定した

成績を残しました。

そして秋に入り、オープン競走を連勝し、悲願の

天皇盾に挑みました。

私も当日、友人と共にパッドックで写真を撮るため

東京競馬場に足を運びました。

天皇賞秋の当日は、雨は降っていなかったものの

不良馬場となり、重賞を2連勝してきたキクノオーに

続き、フジノパーシアは2番人気に推されました。

道中、中団を進んだフジノパーシアは直線に入ると

他馬より内をつくと鋭く伸びて先頭に立ち、外から

伸びて来たカーネルシンボリの追撃をおさえて優勝。

念願の天皇盾を手に入れると共に、ついに八大

競走の勝ち馬となりました。

続く有馬記念では1番人気に推されたものの、

勝負師加賀騎手騎乗のイシノアラシの出し抜きに

会って2着に敗れました。

年が明けて旧馬齢6歳になったフジノパーシアは

最初の2戦は敗れたものの、ダイヤモンドステークス

で快勝すると、当時天皇賞に優勝すると2度と天皇賞

に出走することは出来なかったため、宝塚記念に

駒を進め、1番人気に推されました。

レースがスタートすると春の天皇賞馬エリモジョージ

が逃げ、続いてロングホーク、コクサイプリンスが

先行し、その後ろにロングファストが続き、フジノ

パーシアとイシノアラシは中団を進みました。

そして第4コーナーで徐々に先頭集団との差を

縮めていったフジノパーシアは直線に入ると内を

ついて鋭く伸びて一気に先頭に立つと二の足を

使って外から追い込んできたロングホークをおさえて

優勝を飾りました。

続く当時の高松宮杯でも今度は第4コーナーで

早めに先頭にたって後続を引き離し、外から物凄い

脚で追い込んで来るヤマブキオーをおさえて優勝。

古馬の頂点に立つと共に、まさにこの時フジノ

パーシアは向かうところ敵なしの絶頂期を迎えて

いました。

そして秋には日本代表としてワシントンDCインター

ナショナルに挑戦しました。

しかし、当時は輸送も馬への負担が大きく、環境にも

鳴らす時間が無いなどの悪条件もあり、また現地の

競馬場での観客の騒ぎで冷静さを欠いたフジノ

パーシアは十分な能力を発揮できないまま、6着に

敗れてしまいました。

その後帰国したフジノパーシアは有馬記念に参戦

したものの、遠征疲れもあって、あのトウショウ

ボーイとテンポイント2頭のスター馬の一騎打ちの中

8着と惨敗し、このレースがフジノパーシアにとっての

最後のレースとなり、静かに競馬場に別れを告げ

ました。

引退したフジノパーシアは、門別町で種牡馬生活を

開始し、当初は種付頭数も安定していましたが、

当時は内国産種牡馬受難の時代であったため、

種付頭数も減り、結局代表産駒には恵まれません

でした。

私のフジノパーシアに対するイメージは腹袋が

他馬に比べて大きくふっくらしている馬で、レース

では直線に入ると確実に伸びてくる脚とスタミナが

あり、昭和期を代表する名ステイヤーだったと

思います。

静かに余生を送っていたフジノパーシアでしたが

1987年11月1日突然、今まで落ち着いていた

持病の腹痛が悪化して苦しみだし、獣医が駆け

つけた来た時には、既に腸捻転を起こして手の

施しようがない状態だったため、やむなく安楽死の

処置が取られ、17年の生涯を静かに閉じました。

今週は阪神競馬場で夏のグランプリ競走第63回

宝塚記念が行われます。

今年に入って1番人気がことごとく敗れるという嫌な

展開になっていますが、それでもやはり天皇賞馬

タイトルホルダー、立て直しを図るエフフォーリア

海外遠征帰りのステイフーリッシュとオーソリティに

注目しています。

また心情的にはデアリングタクトを応援しています。

ライスシャワーの悲劇から27年の月日が流れました。

私達は決してライスシャワーを忘れる事はありません。

「あなたのそして私の夢が走る」宝塚記念、

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、英国エリザベス女王の即位70年を記念して

東京競馬場で行われました第39回エプソムカップは

4番人気のノースブリッジが直線で抜け出し、ガロア

クリークの追撃をおさえて優勝。

4度目の重賞挑戦で初タイトルを獲得しました。

2着には追い込んだもののクビ差で8番人気のガロア

クリークが入り、3着にはさらに首差で2番人気の

ダーリントンホールが入り、1番人気に推されたジャス

ティンカフェは重馬場が影響したのか4着に敗れました。

今週は東京競馬場で3歳馬ダート路線の登竜門

第27回ユニコーンステークスが行われます。

ユニコーンステークスは、1996年の中央競馬の

ダート路線の整備に伴って創設されました。

1999年から2001年にかけて、ダート路線の改編が

行われ、1999年から7月にジャパンダートダービーが

創設されたことに伴い、2001年に秋のスーパーダート

ダービーは廃止となりました。

ユニコーンステークスも2001年から6月に移動し、

現在は7月に行われるジャパンダートダービーの

前哨戦として位置づけられています。

 

今週は東京競馬場でジャパンダートダービーの

前哨戦となる第27回ユニコーンステークスが

行われます。

天候にも左右されるダート競走だけに梅雨の時期も

重なって難しいレースになりそうです。

もっか3連勝中のリメイク、ハセドンと北海道浦河町

生まれの2頭である海外遠征帰りのセキフウと巻き

返しを図るヴァルツァーシャルに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。