先週、札幌競馬場で行われました第27回エルム
ステークスは、最後の直線で外から追い込んだ
9番人気のフルデプスリーダーが直線で先に抜け
出したウェルドーンを首差とらえて優勝を飾り、
初重賞制覇を果たしました。
2着には6番人気のウェルドーン、3着には
2番人気のオメガレインボーが入り、1番人気の
ブラッティーキッドは4着に敗れ、連勝は8でストップ
しました。
今週は、新潟競馬場で第57回関屋記念が行われ
ます。
関屋記念の競走名の関屋は1964年までの旧新潟
競馬場の所在地(新潟市関屋)に由来しています。
新潟競馬場が新潟市郊外の笹山に移転した翌年の
1966年に旧馬齢4歳以上の馬によるハンデキャップ
の重賞競走として創設されました。
新潟競馬場で施行される重賞競走では新潟記念の
次に古い歴史を持つ重賞競走です。
思い出の馬は、日本で初めてマイルで1分34台の
壁をやぶった快速馬ファイブワンです。
私の中では昭和期を代表する快速馬として記憶に
残っています。
ファイブワンは昭和50年のクラシック組で同期には
二冠馬カブラヤオーやロングホーク、ロングファスト
イシノアラシ、エリモジョージ等がいます。
父親は昭和期を代表するスプリンター系種牡馬
ミンシオでファイブワンも芝の短い距離を得意として
いました。
旧馬齢3歳暮れの新馬戦を圧勝し、4歳になると
ダートで行われました4歳短距離特別をレコードで
優勝する等、持ち前のスピードでクラシックの道を
切り開いていきました。
しかし、果敢に挑んだ皐月賞ではカブラヤオー
の前に距離も合わなかったのか、見せ場すら
作れずに20着に惨敗しました。
しかし、次に出走した残念ダービーの異名を持つ
日本短波賞では2着に入り、後の菊花賞馬コクサイ
プリンスやダービー3着馬ハーバーヤングに先着
する等、実力のあるところを見せました。
その後、夏の新潟開催に参戦し、関屋記念に
出走しました。
関屋記念にはオークス馬ナスノチグサをはじめ、
超音速の異名を持った快速馬古豪スガノホマレ
ローカルの雄サンヨウコウやイシノマサル等の
新旧の精鋭達が出走し、ファイブワンは9番人気に
推されました。
そんな強豪が揃う中で、勢いに乗るファイブワンは
直線で内に入ると、内をついてスルスルと抜け出し
ナスノチグサやサンヨウコウをおさえて優勝。
勝ち時計は、日本競馬のマイルにおいて、初めて
1分34秒を切るという快挙を成し遂げました。
当時では本当に驚くべきタイムであり、この鮮烈な
勝ち方により、ファイブワンは私の記憶の中では
今でも記録より昭和期を代表する快速馬として
記憶に残っています。
その後、秋競馬の重賞レースに参戦、好成績を
残したものの、勝ち星には恵まれませんでした。
年が明けて旧馬齢5歳になったファイブワンは
条件特別を勝ったものの、4歳時での酷使が影響
したのか、脚部不安を発症し、持ち前のスピード
が影を潜めてしまいました。
6歳になって条件戦でも敗戦が続きましたが、秋に
入って徐々に調子を取り戻し、暮れの条件特別戦で
2連勝を飾りました。
しかし、これが最後に燃え上がるろうそくの炎のように
ファイブワンにとっての最後の勝利となりました。
その後8歳まで現役を続けたファイブワンでしたが
17戦するものの、惨敗が続いたため、静かに
競馬場に別れを告げました。
ファイブワンは古馬になってから勢いがなくなり
ましたが、果たして早熟系だったのか、4歳時での
酷使が影響したのか、いずれにしても快速馬の
晩年は寂しさが感じられます。
引退後、ファイブワンは、ユウシオと共にミンシオの
代表産駒として種牡馬となりました。
内国産種牡馬が不遇の時代にあって、中央での
代表産駒は輩出できなかったものの、地方競馬での
重賞勝ち馬を輩出しただけでも、立派だった
と思います。
1991年に種牡馬を引退したとの記録がありましたが
その後、日本記録をつくったファイブワンが余生を
送れたのか、いつ亡くなったのかという記録が残って
いないのが残念です。
今週は新潟競馬場で夏の伝統レース第57回関屋
記念が行われます。
好調のウインカーネリアン、復活を図るダノンザキッド
素質馬スカイグルーヴと新鋭ワールドバローズに
注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

