昨日、京都競馬場で行われました牝馬
クラシック最終戦、節目となる第30回
秋華賞は道中好位を進んだ2番人気の
桜花賞馬エンブロイダリーが逃げ粘る
エリカエクスプレスをゴール前で差し切って
優勝を飾り牝馬クラシック2冠に輝きました。
2着には逃げ粘った5番人気のエリカ
エクスプレス、3着には6番人気のパラディ
レーヌが入り、1番人気に推された
カムニャックは第4コーナーでは手応えが
無くなり、直線ではズルズルと後退し
16着に終わりました。
今週は、京都競馬場でクラシック競走の
三冠目、第86回菊花賞が行われます。
菊花賞はイギリスのセントレジャーを
範にとり、1938年に京都農林省賞典
四歳呼馬の名称で4歳 (現3歳)馬による
重賞競走として創設されました。
そして1948年より現名称の菊花賞となり
クラシック3冠競走の最終戦として
行われています。
昭和期から皐月賞は最も速い馬が勝つ
日本ダービーは最も運のある馬が勝つと
呼ばれるのに対し、菊花賞はスピードと
スタミナを兼ね備えた最も強い馬が勝つと
言われてきました。
また菊花賞の走行距離は3,000mの
長距離レースなのですが、菊花賞は
必ずと言っていいほど、スローペースに
なることが多く、そのため昭和の時代から
京都の3,000mはマイラーでも持つと
言われてきました。
思い出の馬は、中央競馬で史上初めての
芦毛馬によるクラシック制覇を成し遂げた
プレストウコウです。
プレストウコウの父は短距離系種牡馬
グスタフで代表産駒には新潟記念に
優勝したタケデンジャガーがいます。
また、兄には花の昭和47組でローカルの
鬼と言われたノボルトウコウがいます。
プレストウコウは昭和52年のクラシック組
で同期には外車マルゼンスキー、巨漢の
ダービー馬ラッキールーラ、皐月賞馬
ハードバージ、有馬記念を制したカネミノブ
天皇賞馬テンメイやリュウキコウ、
ヒシスピード、ヨシノリュウジン等の重賞
勝ち馬がいます。
プレストウコウは旧馬齢3歳秋の中山で
デビューし、初戦の新馬戦は1番人気に
応えられず6着に敗れたものの、3戦目の
未勝利戦で初勝利を挙げると、続く条件
特別戦を連勝して3連勝し、一躍クラシック
候補に名乗りを挙げました。
年が明けて4歳になったプレストウコウは
京成杯、東京4歳ステークス、弥生賞に
参戦するも、いずれも3着に敗れ、その後
クラシック一冠目の皐月賞に挑みましたが
ハードバージの13着に大敗してしまい
ました。
続いてプレストウコウは、後のダービー馬
ラッキールーラやデビューして3連勝中の
関西の秘密兵器ホリタエンジェル等も
参戦した当時のダービートライアル
NHK杯に参戦。
プレストウコウは中団でレースを進め、
第3コーナーで先頭に立ったラッキー
ルーラが最後の直線で逃げ込みを図る中
内をついたプレストウコウが鋭く伸びて
ラッキールーラを交わして先頭に立ち
更に内から伸びて来たホリタエンジェルを
おさえて優勝を飾り、重賞初制覇を果たし
ました。
続いてプレストウコウは、当時は残念
ダービーと言われた日本短波賞に出走し
外車マルゼンスキーに挑みましたが、全く
歯が立たず7馬身差をつけられ、それでも
何とか2着を確保しました。
夏を無事に越したプレストウコウは秋緒戦
後の天皇賞馬カシュウチカラや牝馬
二冠馬テイタニヤ、ディアマンテ等が参戦し
古馬との初対戦となる京王杯オータム
ハンデで1番人気に推されて出走。
道中、積極的に先行策をとって進み、
最後の直線で先頭に立ちましたが、
最後はカシュウチカラに半馬身交わされて
敗れてしまいましたが、僅差の2着と
大健闘しました。
続いてプレストウコウはセントライト記念に
駒を進め、春のクラシックで活躍した
カネミノブやダービー6着のアマミプリンス
を相手に積極的な先行策をとって逃げ
最後の直線でも失速することなく、更に
脚を伸ばして突き放し、カネミノブに
約2馬身差をつけて圧勝。
この勝利で、プレストウコウは、ついに
本格化しました。
その後プレストウコウは菊花賞を目指して
西下し、当時は菊花賞トライアルだった
京都新聞杯に出走しました。
このレースには春のクラシック組から
ダービー馬ラッキールーラやカネミノブ
ホリタエンジェル、リュウキコウ等が参戦し
1番人気はラッキールーラが支持され、
プレストウコウは2番人気での出走と
なりました。
レースはラッキールーラが先手をとって
逃げ、プレストウコウは道中、内々を通って
中団から進むという展開となりました。
第4コーナーでは各馬が一斉に仕掛け
一団となって直線の勝負へ。
最後の直線、先頭のラッキールーラが逃げ
込みを図る中、内からプレストウコウが鋭く
伸びて、一気にラッキールーラを交わして
先頭に立ち、二の脚を使って差し返して来る
ラッキールーラをおさえ、レコードタイムで
勝って重賞2連勝を飾り、菊花賞の最有力
候補に躍り出ました。
そして迎えた本番の菊花賞、勢いに乗る
プレストウコウは当時あった単枠指定を
受け、クラシック最終戦の菊花賞に
挑みました。
皐月賞馬ハードバージがダービー後に
屈腱炎を発症して戦線を離脱する中
菊花賞にはダービー馬ラッキールーラや
カネミノブ、ホリタエンジェル、リュウキコウ
上り馬で名牝トウメイの仔テンメイ等が
参戦。
プレストウコウが1番人気となるかと思われ
ましたが、両親が短距離血統とレコード
勝ちの後の反動や芦毛馬はクラシック
未勝利といった要素が影響したのか、1番
人気は同じく単枠指定を受けたラッキー
ルーラで、プレストウコウは3番人気での
出走となりました。
レースはスタートして九州が生んだ快速馬
オサイチセイダイが果敢に先手を取って
逃げ、ラッキールーラは2番手を進み
4番手にカネミノブ、プレストウコウは7番手
テンメイとリュウキコウは後方からという
展開になりました。
向こう正面の山の上でラッキールーラが
押し出されるように早くも先頭に立つと
各馬も仕掛け、テンメイも3番手に上がり
第4コーナーでは1番人気のラッキー
ルーラが何と後退し始めるという中、
メグロモガミとテンメイが先頭争いを
しながら直線の勝負へ。
直線に入ってテンメイが先頭に立つと
場内からは大歓声が起こり、杉本アナの
「テンメイ先頭、テンメイ先頭、トウメイが
待っているぞ」という名実況の中、大外から
距離に疑問と言われたプレストウコウが
何ともの凄い脚で追い込んでテンメイを
一気に交わして先頭に立ち、昭和34年の
優勝馬ハククラマが記録したタイムを
18年ぶりにやぶって、レコードタイムで
優勝を飾りました。
このプレストウコウの勝利は、当時
血統に興味があって、研究していた私の
常識を覆し、改めて競馬の奥深さを思い
知ったレースでもありました。
因みにヴェンチアの仔クライムカイザーの
ダービーでの勝利にも驚かされましたが。
この後、プレストウコウは暮れのグランプリ
レース有馬記念に挑みましたが競馬史上に
残るテンポイントとトウショウボーイとの
一騎打ちとTTGの一角グリーングラスの
3頭による死闘の前に、歴戦の疲れと
レコードタイムでの勝利による疲れが出て
しまったのか、全く歯が立たず1秒2も
離された4着に敗れてしまいました。
しかし、菊花賞の勝利とこの秋の活躍が
高く評価されプレストウコウは、この年の
最優秀4歳牡馬に選出されました。
年が明けて古馬になったプレストウコウは
アメリカジョッキーカップから始動し、6頭中
4着に敗れたものの続くオープン競走では
トップの斤量61キロを背負いながらも
カシュウチカラやグリーングラスをやぶって
勝ち、天皇賞春を目指し、堂々と
西下しました。
この天皇賞春にはトウショウボーイが
引退し、テンポイントは不慮の事故で
この世を去ってしまった中、TTG時代の
最後の1頭となったグリーングラスや
カシュウチカラ、キングラナーク、トウフク
セダン、トウカンタケシバ等が出走。
1番人気はグリーングラスでプレストウコウ
は2番人気での出走となりました。
レースはビクトリアシチーとロングイチーの
先頭争いで始まり、プレストウコウは
まずは中団から進みましたが、1週目の
第3コーナーで郷原騎手が突然立ち
上がるような恰好となり1週目のホーム
ストレッチではプレストウコウにつかまって
いるのがやっとの状態となってしまい
競走を中止してしまいました。
原因は郷原騎手の準備ミスによって
レース中に前代未聞の鞍ズレを起こして
しまったとのことで、何も分からない
プレストウコウにとっては本当に不運な
出来事となってしまいました。
この後、休養に入ったプレストウコウは
秋に入って毎日王冠で復帰。
このレースにはカシュウチカラや同期の
カネミノブが出走。
プレストウコウはトップの斤量62キロを
背負いながらも1番人気に支持されました。
レースはラッキーウェストが逃げ、プレス
トウコウは2番手を進み、その後ろから
カネミノブとカシュウチカラがプレストウコウ
をマークするように進みました。
第4コーナーでプレストウコウがラッキー
ウェストに並びかけ、直線の勝負へ。
直線に入ってプレストウコウが先頭に
立つとカシュウチカラには伸び脚は無く
カネミノブが必死に追い込むも、62キロを
背負ったプレストウコウが更に脚を
伸ばして突き放し、最後はカネミノブに
1馬身半差をつけて圧勝。
5つ目の重賞を獲得しました。
この勢いのまま、プレストウコウは
天皇賞春での屈辱を晴らすべく
天皇賞秋に参戦しました
このレースには菊花賞での借りを返すべく
参戦したトウメイの仔テンメイ、重賞2連勝
して本格化したリュウキコウ、天皇賞に
執念を燃やすカシュウチカラやカネミノブ
ハシコトブキ、古豪ロングファスト等、
多彩なメンバーが顔を揃えました。
しかし、またしてもプレストウコウは
前代未聞のアクシデントに巻き込まれて
しまいました。
レースはプレストウコウが絶好のスタートを
切って、スムーズに逃げる態勢に入って
いましたが枠入り直後にパワーシンボリが
ゲートに噛みついてスタートできず、発走の
やり直し(カンパイ)という前代未聞の
アクシデントが発生。
ゲートから出た馬たちを呼び戻し発走前の
ファンファーレから再びやり直しという
ことになってしまいました。
再スタートとなったレースではスタートを
待つ間にプレストウコウは興奮してしまい、
スタートした直後は良かったのですが、
1周目のスタンド前の大歓声で興奮して
引っ掛かってしまい豪腕郷原をもってしても
制御が利かなくなったプレストウコウは
暴走気味の大逃げを打つ波乱の展開と
なり、場内は騒然となりました。
向正面では10馬身の差をつけて大逃げを
打つプレストウコウ、ただでさえ血統的に
距離に疑問と言われていただけに、この時
誰もがプレストウコウの大敗を覚悟し、
レース途中で故障を起こすのではないかと
心配して見ていました。
場内が騒然となる中、プレストウコウは
後続馬に差を詰められながらも、先頭で
最後の直線へ。
直線に入ってもプレストウコウは失速する
ことなく逃げ粘り、外から懸命にテンメイが
鋭く伸びてプレストウコウを交わしにかかり
プレストウコウも必死で差し返しましたが
最後は菊花賞とは反対にテンメイがプレス
トウコウを半馬身差交わして優勝。
しかし、プレストウコウの東京3200mで
更にあのレース展開での驚異の2着には
多くのファンが驚かされました。
続いてプレストウコウは昨年と同様に暮れの
有馬記念に1番人気に推されて出走するも
12着に大敗。
レース後、天皇賞での無理が祟ったのか
球節炎を発症したため、長期休養を
余儀なくされてしまいました。
しかし、必死の治療もむなしく、球節炎は
最後まで完治することはなく、9ヶ月の
休養後、毎日王冠で復帰して4着に
入ったのを最後に、引退を決意し種牡馬と
なりました。
当時の内国産種牡馬不遇の時代にあって
プレストウコウは種牡馬入りしたものの、
種付け頭数に恵まれず、東京ダービーを
制したウインドミルを輩出したものの、
中央での代表産駒には恵まれません
でした。
そして、記録によりますと
1990年暮れ、プレストウコウはラッキー
ルーラ、カツトップエース共に海を渡って
韓国に輸出され、韓国の元堂牧場で
第3の馬生を始めました。
しかし、老齢と失明で種付け能力を失った
ため、1994年12月30日に安楽死処分が
とられました。
波乱万丈の馬生をおくったプレストウコウ、
韓国には動物に墓を建てて弔うという
風習がないため、プレストウコウの墓標は
存在しませんが、プレストウコウは今、
はるかに日本を望む小高い丘で静かに
眠っているとのことです。
今週は京都競馬場でクラシック3冠競走の
最終戦となる第86回菊花賞が行われます。
ダービー馬、皐月賞馬が出走しないのは
残念ですが、エリキング、エネルジコ
ジョバンニ、ショウヘイに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
















