昨日、阪神競馬場で行われました

節目となる第70回大阪杯は、道中、

後方からレースを進めた1番人気の

クロワデュノールが、最後の直線で鋭く

伸びて力強く抜け出し、ゴール前で

メイショウタバルを差し切って優勝を

飾りました。

2着には最後まで逃げ粘った3番人気の

メイショウタバル入り、3着には2番人気の

ダノンデサイルが入りました。

今週は、阪神競馬場で牝馬クラシック

第一冠目、桜の女王決定戦、第86回

桜花賞が行われます。

桜花賞は、1939年にイギリスの

「1000ギニー」を範として、最もスピード

のある優秀な牝馬の選定および優秀な

繁殖牝馬を発掘するためのレースとして

4歳(現3歳)牝馬限定の競走「中山四歳

牝馬特別」を創設し、東京優駿競走

阪神優駿牝馬(現優駿牝馬)・横浜農林省

賞典四歳呼馬(現皐月賞)・京都農林省

賞典四歳呼馬(現菊花賞)と共にクラシック

競走のひとつとされました。

1947年からは名称を桜花賞に変更して

京都競馬場で施行されましたが、1950年

からは阪神競馬場で施行されています。

私は、毎年春を告げる満開の桜の中で

若い乙女たちによって繰り広げられる、

華やかさと美しさとスピード感あふれる

桜花賞が大好きです。

 

思い出の馬は、名人武邦彦騎手に初の

クラシックをもたらし、そして牝馬クラシック

初の二冠馬に輝いたアチーブスターです。

 

アチーブスターの父は昭和を代表する

長距離系種牡馬シプリアニで代表

産駒には有馬記念、天皇賞などを制した

女傑トウメイ、疾風の差し足と言われ

皐月賞、ダービーを制したヒカルイマイや

タカツバキ、シンモエダケ、アトラス、

ロッコーイチ、エクセルラナーなどの重賞

勝ち馬の他、地方競馬でも多くの重賞

勝ち馬を輩出しました。

 

アチーブスターは花の昭和47年の牝馬

クラシック組で、同期にはオークス馬

タケフブキ、最優秀3歳そして4歳牝馬に

選出されたトクザクラ、安田記念や

スプリンターズステークスを制した

快速馬キョウエイグリーンや悲運の名牝

タカイホーマ、シンモエダケ、カミノチドリ

などの重賞勝ち馬がいます。

 

アチーブスターは旧馬齢3歳秋の阪神で

デビューして7着に敗れ、その後は

未勝利戦での2着はあったものの、3歳戦

6戦するも勝つことは出来ませんでした。

年が明けて4歳になったアチーブスターは

デビュー以来8戦目となる未勝利戦で

4馬身差をつけて、初勝利を挙げました。

その後、条件特別戦で3戦するも敗退し、

デビュー以来12戦目となる3月の

条件戦で逃げ切りを決め、ようやく

2勝目を挙げました。

その後も条件特別の2戦で惨敗していた

アチーブスターは、格上となる重賞レース

当時の桜花賞トライアル阪神4歳牝馬特別

に強気に参戦すると、12頭中11番人気

ながら、既にシンザン記念を制するなど

7勝を挙げているシンモエダケの4着に

入る好走を見せ、ぎりぎりで桜花賞への

切符を手にしました。

なお、この昭和47年の上旬は馬インフル

エンザの流行により、関東地区の競馬

開催は不能となっていたため、クラシックも

延期となり、4月9日に予定されていた

桜花賞は5月21日に、オークスは

5月21日の予定から7月2日に

ずれ込むなど、混乱をきたしていました。

その影響で桜花賞トライアル阪神4歳

牝馬特別も同様に予定より遅く開催に

なりました。

 

この春のクラシック延期が功を奏したのか

アチーブスターは、ぎりぎりで桜の女王

決定戦、第32回桜花賞に駒を進める

ことが出来ました。

このレースには、シンザン記念や阪神4歳

牝馬特別を制し、既に8勝を挙げている

西の総大将シンモエダケ、京成杯3歳

ステークス 朝日杯3歳ステークスを制して

最優秀3歳牝馬に選出され、馬インフル

エンザを乗り越えて出走してきた東の

総大将トクザクラや後の重賞勝ち馬

キョウエイグリーンなどが出走。

1番人気はシンモエダケ、2番人気は

トクザクラでアチーブスターは名人武邦彦

騎手が騎乗することで、少し期待が持たれ

20頭中8番人気での出走となりました。

この年の桜花賞は、パワーのシンモエ

ダケかスピードのトクザクラかと言われ

この人気の2頭に注目が集まりました。

 

レースはスタートして強引にハナを奪って

キョウエイグリーンが逃げ、その後ろから

センコウクイン、センコウミドリが続き、

トクザクラは4番手から、シンモエダケと

アチーブスターは中団からという展開に

なりました。

キョウエイグリーンが超ハイペースで

他馬を引き離して逃げる中、第4コーナー

手前では、内々を通ってアチーブスター、

外からトクザクラも仕掛けて、徐々に差を

詰めて直線の勝負へ。

逃げ込みを図るキョウエイグリーンを

内からハジメローズ、真ん中からセンコウ

ミドリ、外からトクザクラが交わしに

かかると、内からアチーブスターが豪脚を

繰り出し、まさに異次元の追い込みで

一気に先頭に立ち、後続馬に3馬身差を

つけて圧勝。

重賞初制覇を成し遂げる共に、名人と

言われるもクラシックに縁がなかった

武邦彦騎手に初のクラシック制覇を

プレゼントしました。

通常は桜花賞後、優駿牝馬(オークス)を

目指すことになるのですが、そこまで期待

されていなかったのか、アチーブスターは

オークスへの出走のための登録が

行われていなかったため、オークスを

回避せざるを得ませんでした。

 

秋まで長期休養となってしまい無事に夏を

越したアチーブスターはオープン特別で

復帰するも7着に敗れ、続く神戸新聞杯で

6着後、当時の牝馬クラシック3冠目の

ビクトリアカップの前哨戦、京都牝馬

特別に出走しましたが、精彩を欠き

16頭中の9着に惨敗しました。

そして迎えた牝馬クラシック最終戦、

ビクトリアカップに挑みました。

このレースには、オークス馬タケフブキや

トクザクラは出走せず、今度こそはと牝馬

クラシック制覇を目指すタカイホーマや

春のクラシックを賑わしたシンモエダケや

タイラップなどが出走。

1番人気はタカイホーマが推され、成績が

上がらないアチーブスターは5番人気での

出走となりました。

レースは、スタートして大方の予想どおり

シュウエイホープが先頭に立って逃げ、

これに続く2番手には、いつも後方から

レースを進めるアチーブスターが続く

という予想外の展開となり、スタンドは

騒然となりました。

この2頭が先行して後続馬を引き離して

進むものの、スローペースでの展開となり

人気のタカイホーマは中団からの競馬と

なったため、他の有力馬はタカイホーマを

マークする形で後方から進む形となり、

この位置取りが勝負の明暗を分けることに

なりました。

そして勝負どころの第3コーナーに入った

ところでタカイホーマに異変が発生して

急激に失速し、しかしそこで停止させる

ことが出来ずに第4コーナーまで来るも、

コーナーを曲がり切ることが出来ずに

タカイホーマは崩れ落ちるかのように

転倒し、競走を中止しました。

終始2番手につけてレースを進めた

アチーブスターは、第4コーナーで先頭に

躍り出て、そのまま直線の勝負へ。

人気のタカイホーマが競走中止という

アクシデントの影響を受け、後方から

レースを進めたシンモエダケやタイラップは

追い上げが遅れてしまい、直線でようやく

追い上げてきたタイラップをアチーブ

スターはクビ差おさえて優勝を飾り、

牝馬クラシック二冠を達成しました。

 

その勝利の陰で、競走を中止した

タカイホーマの状態は酷く、脚の

第一指関節完全脱臼、右後ろ脚

浅屈腱断裂を起こしていて、更に折れた

骨が心臓に刺さってしまったことで

出血多量を起こし、それが原因で

死亡してしまいました。

わずか4年にも満たない本当に短い

生涯となってしまいました。

突然起こった悲劇にスタンドはどよめき、

若き名牝の死を多くの人が悼みました。

そして、この勝利がアチーブスターに

とっての最後の勝利になってしまうとは

この時、誰が思ったでしょうか。

牝馬クラシックの二冠を制したアチーブ

スターはトクザクラと共に、この年の

最優秀4歳牝馬に選出されました。

 

その後、年が明けて古馬になったアチーブ

スターは、ビクトリアカップ優勝後、重賞や

オープン競走12戦に参戦しましたが、

まるで4歳で燃え尽きたように、勝つことは

出来ず、それでも現役最後のレース

となった京都記念秋では、14頭中14番

人気という屈辱的な低評価の中で4着に

入り、牝馬クラシック二冠馬の意地を

最後に見せて引退しました。

 

引退後は、1975年から生まれ故郷の

牧場で繁殖牝馬となり、重賞勝ち馬は

輩出することは出来ませんでしたが、

オープン馬2頭をはじめとする勝ち馬を

輩出するなど、繁殖牝馬としても優秀な

成績を残しました。

 

記録によりますと

1984年に別の牧場に移り、1991年に

11番仔を誕生させたまでの記録は

ありますが、その後の記録が見当たらず、

アチーブスターが、その後、どのような

運命を辿ったかは、不明です。

牝馬クラシック二冠を達成し、名人武邦彦

騎手に初のクラシックをもたらす等、

頑張ったアチーブスターが幸せな余生を

おくれたことを、今はただ願うばかりです。

 

今週は、阪神競馬場で春の到来を告げる

牝馬クラシックの第一冠目、桜の女王

決定戦、第86回桜花賞が行われます。

スターアニス、ドリームコア、アランカール

スウィートハピネスに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、中京競馬場で行われました春の

GⅠ競走の開幕となるスプリント王決定戦

第56回高松宮記念は1番人気のサトノ

レーヴが直線で力強く抜け出し、最後は

2着馬に2馬身差をつけて勝ち、

史上2頭目の連覇を果たしました。

2着には15番人気のレッドモンレーヴ

3着には7番人気のウインカーネリアンが

入り、ラストランとなったナムラクレアは

直線で進路開かず6着に敗れましたが

最後まで一生懸命走る姿に感動しました。

悲願のGⅠ獲得はならなかったものの、

5年間の競走生活、本当にお疲れさま

でした。

今週は、阪神競馬場でGⅠ競走

節目となる第70回大阪杯が行われます。

大阪杯は1957年に5歳(現4歳)以上の

馬による重賞競走大阪盃競走として創設

されました。

その後、競走名は1964年にサンケイ

大阪杯と改称され、1989年からは

産経大阪杯となり、2017年にGⅠ競走に

昇格したことにより、名称を大阪杯に

改称しました。

 

思い出の馬は、真っ直ぐ走るよりも斜めに

走る方が調子は良かったと言われ、

重賞での斜行で2度の失格や数回の

処分歴がある個性派の名脇役

ニシノライデンです。

ニシノライデンの父は、昭和40年を

代表する菊花賞馬ダイコーターで

代表産駒にはキタノリキオー、ホウシュウ

ミサイル、ホウシュウリッチ、プレジデント

シチー、サクラエイリュウなど、内国産

種牡馬不遇の時代にあって、多くの

重賞勝ち馬を輩出する等、種牡馬としても

大活躍しました。

ニシノライデンは昭和59年のクラシック

組で、同期には皇帝シンボリルドルフ、

皇帝のライバルビゼンニシキ、宝塚記念を

制したスズパレードやスズマッハ、ロング

ハヤブサ、ダイゼンシルバー、ミスター

ルマン、ゴールドウェイ等の重賞勝ち馬が

います。

 

ニシノライデンは、旧馬齢4歳の1月の

中京でデビューし、新馬戦では4馬身差を

つけて圧勝。

その後、4戦目の条件戦と特別戦を

連勝して3勝目を挙げると、東上して

春のクラシックに出走しましたが、

皇帝シンボリルドルフの前に皐月賞6着

日本ダービーでは善戦するも5着に

終わりました。

 

その後、ニシノライデンは夏の北海道に

遠征して札幌記念を5着後、菊花賞を

目指し、菊花賞の前哨戦となる神戸

新聞杯に出走して2着に入ると、続く

当時の菊花賞トライアル京都新聞杯に

参戦しました。

レースは、ミスタールマンが逃げ、道中

中団を進んだ2番人気のニシノライデンは

第3コーナーで仕掛けて先行集団に取り

付き、最後の直線に入ると外から鋭く

伸びて抜け出すと、同じく抜け出した

アルファジェスとの競り合いを制して

優勝を飾り、初重賞制覇と共に菊花賞に

向けた有力候補に躍り出ました。

そして迎えた菊花賞、このレースには

三冠馬を目指すシンボリルドルフ

ダービー2着のスズマッハ、3着のフジノ

フウウンやゴールドウェイ、ロング

ハヤブサ、ミスタールマンなどが出走。

1番人気はシンボリルドルフで、ニシノ

ライデンは2番人気での出走となりました。

レースは、スタートしてロングハヤブサが

逃げ、ニシノライデンは中団から進み、

シンボリルドルフは後方からの競馬と

なりました。

向こう正面に入るとニシノライデンが

早くも4番手に上がり、第3コーナーで

シンボリルドルフも仕掛けると、ニシノ

ライデンも打倒シンボリルドルフを

目指し、勝負に出て、一気に先頭に

立って直線の勝負へ。

内をついてシンボリルドルフを負かしに

いく競馬をしたニシノライデンでしたが

直線で鋭い伸びを見せたシンボリルドルフ

に一気に交わされ、シンボリルドルフの

三冠達成の前に3着に敗れました。

そして、ニシノライデンは次に出走した

愛知杯では1番人気に応えられず、8着に

惨敗してしまいました。

 

年が明けて古馬になったニシノライデンは

ハンデ戦となる鳴尾記念に参戦。

1番人気はトップハンデのスズカコバンで

ニシノライデンは3番人気での出走と

なりました。

レースはシンブラウンが逃げ、ニシノ

ライデンは3番手から進み、スズカコバンは

後方からの競馬となりました。

第4コーナーではニシノライデンが

差をつめ、各馬一団となって直線の勝負へ。

シンブラウンが逃げ粘る中、外からニシノ

ライデンが鋭く伸びてシンブラウンに

並びかけ、2頭の競り合いになりましたが、

最後はニシノライデンがシンブラウンを

振り切り、2馬身差をつけて快勝。

2つ目の重賞を獲得しました。

その後、天皇賞春を目指したニシノ

ライデンは、サンケイ大阪杯で7着後

天皇賞春に挑戦しましたが、シンボリ

ルドルフの前に4着に敗れました。

夏を休養したニシノライデンは秋初戦

として朝日チャレンジカップに参戦。

このレースにはテンポイント一族の

ワカオライデン、エリザベス女王杯を制した

キョウワサンダーやマサヒコボーイ、

ナオキの仔チェリーテスコなどが出走。

ニシノライデンが1番人気に推されました。

レースはロングミラクルが逃げ、人気の

ニシノライデンは2番手から進み、

その後ろからワカオライデン、マサヒコ

ボーイ、チェリーテスコが続くという展開に

なりました。

第3コーナーでペースが速くなり、ニシノ

ライデン、ワカオライデン、チェリーテスコが

仕掛けてロングミラクルとの差をつめ、

直線の勝負へ。

逃げ込みを図るロングミラクルを内から

ワカオライデン、馬場の真ん中からニシノ

ライデン、外からチェリーテスコが追い込み

ワカオライデンが先頭に立つと、ニシノ

ライデンも追い上げるため、騎手の鞭が

入った時、その鞭に反応したニシノ

ライデンが外に大きくよれてチェリー

テスコの進路をふさぐ形となってしまい

ました。

最後はニシノライデンがワカオライデンに

競り勝って1着でゴールインしましたが、

審議のランプが点灯し、審議の結果、

直線でチェリーテスコの進路を妨害した

ということで、ニシノライデンは失格に

なってしまいました。

朝日チャレンジカップの雪辱を期すニシノ

ライデンは、次に京都大賞典に出走。

前走失格したとはいえ、1番人気に

支持されたニシノライデンは道中3番手を

進み、直線に入って大外をついて鋭く伸び

内をついて先に先頭に立ったヤマノ

シラギクを必死に追い込みましたが、

わずか及ばず2着に敗れました。

そして次にニシノライデンは、東上して

天皇賞秋に挑みましたが、距離が短すぎた

のか、12着に惨敗してしまいました。

 

天皇賞秋後、西に戻ったニシノライデンは

暮れの西の大一番、阪神大賞典に駒を

進めました。

このレースにはオークス馬ノアノハコブネや

後の重賞勝ち馬フリートホープ等が出走し

ニシノライデンは1番人気に推されました。

レースはいつものようにシンブラウンが

逃げ、ニシノライデンは淡々と3番手を

追走する展開となりました。

1週目の正面スタンド前でノアノハコブネが

故障を発症して競走を中止するという

アクシデントが発生する中、ニシノライデン

は終始3番手を追走するという展開に

なりました。

第4コーナーで各馬が仕掛け、6頭が

一団となって直線の勝負へ。

直線に入って内をついたニシノライデンが

先頭に立つと、メジロヘンリー、フリート

ホープが必死で追い込んで来ましたが、

最後は、ニシノライデンがメジロヘンリーの

追い込みを何とかクビ差しのいで優勝を

飾り、3つ目の重賞を獲得しました。

この勢いのまま、ニシノライデンは

再度東上して有馬記念に挑みましたが、

またしてもシンボリルドルフの前に、善戦は

したものの3着に終わりました。

 

年が明けて6歳になったニシノライデンは

6歳の初戦、日経新春杯に出走したものの

4着に敗れてしまい、レース後には脚部

不安を発症したことで、長期休養を余儀なく

されてしまいました

 

年が明けて7歳になったニシノライデンは

現役を続行し、1年2ヶ月休養後、

この年から3月開催になった阪神大賞典で

復帰しましたが、さすがに長期休養明け

での長距離戦では息が持たなかったのか

9頭中、大差での8着に大敗してしまい

ました。

続いてニシノライデンは当時の名称の

サンケイ大阪杯に参戦。

このレースには天皇賞馬クシロキング、

エリザベス女王杯を制したリワードウイング

タケノコマヨシやラッキーオカメなどの

重賞勝ち馬が出走。

圧倒的1番人気にはクシロキングが推され

ニシノライデンは3番人気での出走と

なりました。

レースはシンブラウンが逃げ、ニシノ

ライデンは3、4番手を追走し、タケノ

コマヨシは中団から、クシロキングは

中団よりやや後方からという競馬に

なりました。

向こう正面では今度はマチカネエルベが

先頭に立つと、ニシノライデンも内をついて

ジリジリと差をつめました。

第3コーナーから第4コーナーにかけて

今度はワンダープロシードがマチカネ

エルベを交わして先頭に立つと、ニシノ

ライデン、クシロキング、タケノコマヨシも

仕掛けて先頭との差を詰めて直線の

勝負へ。

マチカネエルベとワンダープロシードが

競り合う中、馬場の真ん中からニシノ

ライデンが鋭く伸びて一気に先頭に立ち

外からクシロキングも猛然と追い込んで

来ましたが、ニシノライデンが天皇賞馬

クシロキングをおさえて優勝を飾り、

4つ目の重賞を獲得しました。

しかし、この勝利がニシノライデンに

とっての最後の勝利であり、最後の重賞

制覇となりました。

 

続いてニシノライデンは一昨年4着に

敗れた天皇賞春に挑みました。

このレースには二冠馬ミホシンザン

天皇賞馬クシロキングやスダホーク

メジロボアールなどの重賞勝ち馬や

無冠の帝王アサヒエンペラーが出走。

1番人気はミホシンザンでニシノライデンは

2番人気での出走となりました。

レースはいつものようにシンブラウンが

逃げ、スズタカヒーローとイチヨシマサルが

続き、ニシノライデンは4番手から、

そのニシノライデンをマークするように

ミホシンザン、アサヒエンペラーが続き

クシロキングは中団よりやや後方から

最後方はスダホークという展開で

進みました。

第3コーナーでミホシンザン、スダホーク

アサヒエンペラーが仕掛けて先頭との差を

詰め、ニシノライデンも勝負に出て外から

2番手に上がり、第4コーナーでは一気に

先頭に立って直線の勝負へ。

馬場の真ん中からニシノライデンが

後続馬を突き放しにかかりましたが、

外からアサヒエンペラーが追い込み

内に切れ込みながらミホシンザンが豪脚を

繰り出して先頭に躍り出ようとする中

ニシノライデンが最後の直線で急に外側に

斜行し、外を走っていたアサヒエンペラーの

進路を妨害してしまうアクシデントが発生。

この間にミホシンザンとニシノライデンが

ほぼ同時にゴールを駆け抜けました。

 

しかし、審議のランプが点灯し、長い写真

判定と審議が行われ、まずは

1着ミホシンザン、ハナ差で2着ニシノ

ライデンと表示されましたが、更に長い

審議の末、ニシノライデンは善戦むなしく

失格処分となってしまいました。

続いてニシノライデンは失格処分の

ショックが癒えないまま、宝塚記念に

挑みました。

このレースにはクシロキングやニッポー

テイオーの両天皇賞馬、安田記念を制した

フレッシュボイスやスズパレード、タケノ

コマヨシ、スダホークの重賞勝ち馬が

出走するなど、豪華メンバーが顔を

揃える中、ニシノライデンが1番人気に

推されました。

レースは、いつものようにシンブラウンが

先手を逃げ、2番手にニシノライデン、

3番手にニッポーテイオーが続き、

スズパレード、クシロキング、タケノコマヨシ

は中団から、フレッシュボイスは後方から

進み、最後方はスダホークという展開で

進みました。

第4コーナー手前でニシノライデンと

ニッポーテイオーが先頭争いを演じ、

スズパレードも差を詰めて直線の勝負へ。

直線に入ってニシノライデン、ニッポー

テイオー、スズパレードの3頭の叩き合いと

なりましたが、ゴール前でスズパレードが

抜け出して勝ち、ニシノライデンは2着の

ニッポーテイオーにハナ差およばず3着に

敗れました。

その後、ニシノライデンは再び脚部不安を

発症したため、宝塚記念を最後に、現役を

引退することになりました。

 

引退後、1988年からニシノライデンは

生まれ故郷の西山牧場で種牡馬になり、

馬主の厚意で少ないながらもそれなりの

繁殖牝馬が集められ種付けされたものの

結局、活躍馬を出すことは出来ません

でした。

 

記録によりますと

1996年に種牡馬を引退したニシノ

ライデンは、1997年以降は西山牧場で

功労馬として余生を送りました。

そして、2011年12月31日に老衰による

心臓麻痺により息を引き取り、30年の

生涯に幕を下ろしました。

 

今週は、阪神競馬場で中距離戦線の

精鋭たちが激突する節目となる

第70回大阪杯が行われます。

ダノンデサイル、クロワデュノール

ショウヘイ、レーベンスティールに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、阪神競馬場で行われました伝統の

第73回阪神大賞典は、道中、内でじっくり

待機していた1番人気のアドマイヤテラが

最後の直線で力強く抜け出し、コース

レコードタイムで圧勝。

鞍上の武豊騎手にデビューから40年

連続の重賞優勝をもたらしました。

2着には6番人気のアクアヴァーナル、

3着には2番人気のダノンシーマが

入りました。

今週は、中京競馬場で今年初の芝での

GⅠ競走となる伝統の第56回高松宮記念

が行われます。

高松宮記念は4歳(現3歳)以上の馬

による重賞として1967年創設された

中京大賞典を前身として1970年に

高松宮宣仁親王から優勝杯が下賜

されたのを機に1971年より高松宮杯に

改称して新設されました。

1995年までは毎年6月か7月に行われて

いましたが、1996年の競走体系の整備

により、距離を芝1200m短縮の上、

GⅠ競走に格上げされ、春の短距離王

決定戦として位置づけられました。

その後1998年に現名称の高松宮記念に

改称され、2000年からは施行時期も

現在の3月に変更されました。

昭和から平成前期においては、

宝塚記念の後に行われる前半戦の

最後を飾る重賞競走高松宮杯として

行われていたため、ハイセイコーをはじめ

トウショウボーイやナリタブライアン等、

競馬史上に残る名馬達が参戦しており、

数々のドラマや出来事が起こるレースでも

ありました。

 

思い出の馬は、片目の視力を失いながら

不屈の闘志で走り抜いたキョウエイレア

です。

キョウエイレアイの父はマイラー系種牡馬

マイスワローで日本での代表産駒には

きさらぎ賞を制したワカテンザンがいます。

キョウエイレアはデビュー後間もなくケガで

左目の視力を失ったため、出世も遅れ、

クラシックへの出走は叶いませんでしたが

同期には、ダービー馬バンブーアトラス

皐月賞馬アズマハンター、菊花賞馬

ホリスキー、黄金の馬ハギノカムイオーや

エリモローラ、アスワン、ワカテンザン、

アサカシルバー、ダイセキテイなどの

重賞勝ち馬がいます。

 

キョウエイレアは、デビューが遅くなり、

旧馬齢4歳3月の新馬戦でデビューするも

4着に敗れ、5戦目の未勝利戦でようやく

初勝利を挙げました。

しかし、キョウエイレアはデビュー後

間もなく、ケガで左目の視力を失うという

競走馬にとっては致命的な怪我を負って

しまいました。

ここで引退という道もありましたが、当時の

キョウエイレア陣営は引退という道は

選ばず、あくまでも競走馬としての道を

選び現役を続けました。

 

キョウエイレアは4歳時に11戦して何とか

3勝を挙げ、準オープン馬になりました。

年が明けて古馬になったキョウエイレアは

準オープン特別では2着に入るものの、

なかなか勝ちきれませんでしたが、夏の

小倉に遠征して条件特別を連勝して

通算5勝目を挙げると、小倉記念に1番

人気に支持され出走しましたが、13頭中

大差の9着に大敗してしまいました。

その後、準オープン特別で2着に入るなど

善戦はしましたが、勝ち星を挙げることは

出来ませんでした。

 

年が明けて6歳になったキョウエイレアは

年初めのダートでの準オープン特別で

6勝目を挙げオープン入りすると、続いて

ダートの重賞レース、当時の名称

フェブラリーハンデキャップに挑みましたが

不良でのダートが影響したのか17頭中

16着という大敗に終わりました、

しかし、続いて出走した芝とダートの

オープン特別を連勝すると、続くエプソム

カップでは僅差の5着に入るなど善戦し、

オープンクラスでの成績も安定してきました。

そして次にキョウエイレアは、中京で

行われる大一番、当時の名称である

高松宮杯に参戦しました。

このレースには、宝塚記念を制し、後に

ジャパンカップを日本馬で初めて勝つ

カツラギエースや後に宝塚記念を制する

スズカコバン、牝馬ながらJRA全10場を

走り抜けた名牝ヤマノシラギクなどが出走。

1番人気はスズカコバン、2番人気は

カツラギエースという宝塚記念組が

支持され、充実著しいキョウエイレアは

3番人気での出走となりました。

戦前の予想ではカツラギエースとスズカ

コバンによる宝塚記念の再戦と言われて

いました。

レースは、あっさりハナを奪ったキョウエイ

レアの逃げで始まり、2番手にブルー

ギャラクシー、人気のカツラギエースは

3番手から、スズカコバンは中団からという

展開で進みました。

左目が見えないキョウエイレアにとっては

左回りは非常に危険を伴うものでしたが

楽に単騎による逃げとなりました。

第3コーナーにかかるとカツラギエースと

スズカコバンの両頭が牽制し合いながら

一気に仕掛けるも、キョウエイレアは

快調な逃げを展開して直線の勝負へ。

左目のハンデを背負いながらも内をついて

逃げ込みを図るキョウエイレアを大外から

カツラギエースとスズカコバン、内からは

ヤマノシラギクが追い込みましたが、

キョウエイレアの勢いは止まらず、スズカ

コバンの追撃を振り切ってキョウエイレアが

優勝を飾り、念願の初重賞制覇を

果たしました。

しかし、この高松宮杯での優勝が

キョウエイレアにとっての最初で最後の

重賞制覇であり、最後の勝利となって

しまいました。

その後、北九州記念でしんがりの11着に

敗れると、秋に入ってオールカマーでは

アサカシルバーの3着に入る好走を

見せ、次の天皇賞秋では大外から

果敢な逃げを展開し、先頭のままで

直線に入って大いに見せ場を作った

キョウエイレアでしたが、直線半で馬群に

沈み15頭中の13着に終わりました。

その後、7歳まで現役を続け、重賞に挑み

続けたキョウエイレアでしたが、7歳で

出走した重賞レースは3戦とも大敗が続き

エプソムカップでの11頭中の10着を

最後に引退しました。

デビュー間もなく左目の視力を失い、特に

左回りの競馬では内ラチが見えづらく

怖かったのではないかと思うキョウエイ

レアでしたが、左回りでは18戦4勝2着4回

右回りでは16戦5勝で、どちらの回りも

支障なくこなし、通算34戦9勝という

立派な成績を残しました。

引退後、種牡馬になったキョウエイレア

でしたが、片目が見えないことがネックと

なったのか、種牡馬としては不適正となって

しまいました。

記録によりますと

1986年に種牡馬引退とだけなっていて

その後、キョウエイレアがどのような運命を

辿ったかの記録は見つけられませんでした。

片目が見えなくても頑張って走り続けた

キョウエイレア、何とか幸せな余生を送って

くれたことを願うばかりです。

 

今週は中京競馬場で第56回高松宮記念

が行われます。

ラストランとなるナムラクレア、サトノレーヴ

パンジャタワー、インビンシビルパパに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。