ハイセイコーのブログ -3ページ目
昨日、福島競馬場で行われました
第75回ラジオNIKKEI賞は道中後方から
レースを進めた1番人気のサノノグレーター
が直線で鋭く伸びて鮮やかに差し切って
優勝を飾り、重賞初制覇を果たしました。
2着には逃げ粘った8番人気の
ディールメーカー、3着には2番人気の
リッツパーティーが入りました。

今週は、小倉競馬場で伝統の第61回
北九州記念が行われます。
北九州記念は4歳(現3歳)以上の競走馬
によるハンデキャップの重賞競走として
1966年に創設されました。
創設当初は小倉競馬場の芝2000mで
施行されましたが、1969年からは
芝1800mに短縮され、更に2006年
からは芝1200mに短縮され、サマー
スプリントシリーズに指定されると共に
スプリンターズステークスを目指す
前哨戦のひとつとしても位置づけられて
います。
思い出のレースは、小倉で蘇った
マンノタロが優勝した昭和59年
第19回、北九州記念です。
マンノタロの父は南半球の凱旋門賞と
称されるカルロス・ペリェグリーニ大賞を
制覇するなど現地で名馬として活躍し、
1970代に日本へ輸入された長距離系
種牡馬エルセンタウロで代表産駒には
日本では天皇賞馬ニチドウタローや
アスコットロイヤル、ラッキータウロなどの
重賞勝ち馬がいます。
マンノタロは、あのミスターシービーが
クラシック三冠に輝いた昭和58年の
クラシック組で同期には三冠馬ミスター
シービー、日本初のジャパンカップ
優勝馬カツラギエース、有馬記念を制した
リードホーユー、宝塚記念馬スズカコバン
マイルの王者ニホンピロウイナーや
シンブラウン、ビンゴカンタ、メジロ
モンスニー、ドウカンヤシマ、アスコット
エイト、ハヤテミグなどの重賞勝ち馬が
います。
マンノタロはデビューが遅れ、旧馬齢4歳
3月の阪神でデビューし、初戦の新馬戦は
3着だったものの、2戦目の新馬戦で
初勝利を挙げました。
その後、条件特別を勝って2勝目を挙げ
ましたが、春のクラシックに参戦することは
出来ませんでした。
秋に入って条件特別に勝って3勝目を
挙げたマンノタロは当時、菊花賞トライアル
だった京都新聞杯に出走し、15頭中の
7着に敗れたものの、クラシック最終戦
となる菊花賞に挑みました。
菊花賞では長距離血統に期待されたのか
21頭中の4番人気という穴人気に推され
ましたが、ミスターシービーの三冠達成の
前に10着に終わり、その後条件特別で
2戦しましたが、勝つことはできません
でした。
年が明けて古馬になったマンノタロは
小倉に遠征して条件特別に勝って4勝目を
挙げると、北九州記念に挑みました。
このレースには、前走の高松宮杯を制した
キョウエイレアや前年の阪神大賞典に
勝ったシンブラウン、前走の金鯱賞の
勝ち馬トーワカチドキ、スプリンターズ
ステークスを制し、1年半ぶりにカンバック
して来たシンウルフ、桜花賞2着馬の
ロングレザーなど、多彩なメンバーが
顔を揃えました。
1番人気は前走の金鯱賞を圧勝した
トーワカチドキが支持され、2番人気に
シンブラウンでマンノタロは11頭中の
6番人気での出走となりました。
レースは、好スタートを切ったキョウエイ
レアが先手をとって逃げ、2番手に
シンブラウン、その後ろからロングレザー
シンウルフが続き、トーワカチドキは
中団から、マンノタロは後方からという
展開で進みました。
第3コーナーでキョウエイレアが早くも
失速すると、今度は外からシンブラウンが
先頭に立って逃げ、第4コーナーでは
外からロングレザーとマンノタロが
仕掛けて先頭との差を詰める中、
シンブラウンが先頭で直線の勝負へ。
馬場の真ん中を通ってシンブラウンが
逃げ粘る中、内からサージツービート
外からロングレザーとマンノタロが
追い込み、4頭が横一線になって
激しい競り合いになりましたが、ゴール
前で外から追い込んだマンノタロが
豪快に差し切って優勝を飾り、初重賞
制覇を果しました。

しかし、この勝利がマンノタロにとっての
最後の勝利になってしまいました。
続く小倉記念は3着に終わり、秋に入って
京都大賞典5着、続くオープン特別で
2着になった後、脚部不安が発生して
長期休養に入りました。
年が明けて6歳になったマンノタロは
中京の高松宮杯で復帰したものの
メジロモンスニーの7着に敗れ、続く
金鯱賞でも7着に終わりました。
その後、思い出の小倉に遠征し、連覇を
懸けて挑んだ北九州記念でしたが、
グローバルダイナの4着に敗れると
続く小倉記念でも5着に敗れました。
秋に入って準オープン特別で2着に入り
復調の兆しは見えたものの、勝つまでには
至らず、その後休養に入りました。
年が明けて7歳になったマンノタロは
現役を続行しましたが、2戦目の
準オープン特別で、しんがりの13着に
沈んだのがマンノタロにとっての現役
最後のレースとなりました。
その後、マンノタロがどのような運命を
辿ったかについては、残念ながら記録を
見つけることはできませんでした。
今週は、小倉競馬場で第61回
北九州記念が行われます。
フリッカージャブ、アンクルクロス、
デアヴェローチェ、ヤマニンアルリフラに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、春の東京開催を締めくくる第74回
府中牝馬ステークスは、スタートしてから
積極的にハナを奪って逃げた5番人気で
ハンデ56キロのセキトバイーストが
復活の走りを見せ、最後の直線に
入っても後続を寄せ付けず、独走で
3馬身差をつけて逃げ切り、2年連続の
制覇を果たしました。
2着には9番人気のウイントワイライト、
3着には14番人気ミアネーロが入り
1番人気に推されたヴァルキリーバースは
14着に大敗しました。

今週からは、舞台を東京から福島に移し
夏の福島開幕週の風物詩となっている
3歳重賞、第75回ラジオNIKKEI賞が
行われます。
ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の
前哨戦として4歳(現3歳)馬による重賞
競走中山4歳ステークスの名称で創設され
1954年からは春のクラシックシーズン
終了後に施行されるようになりました。
レース名の変遷は日本短波賞中山4歳
ステークスを経て、1961年からは日本
短波賞、1979年からはラジオたんぱ賞
となり、2006年からは現在の名称と
なっています。
出走資格が1955年から1967年までは
規定に「除東京優駿競走の勝馬」と
記されていたため、日本ダービーの
優勝馬は出走できませんでした。
そのため敗者復活戦的な要素を持ち、
規定が廃止されてからも昔の名残で
今でも残念ダービーという俗称が残って
います。
近年、ダービー組の出走はありませんが
私は、未だに日本短波賞と言ってしまい
やはりダービーで敗れた馬やダービーに
出走できなかった馬達による残念ダービー
というイメージが強いレースです。
思い出のレースは、アキビンゴが勝った
当時の名称、昭和57年第31回ラジオ
短波賞です。
アキビンゴの父はイエラパで代表産駒には
日経新春杯や札幌記念などに勝った
オーバーレインボーや地方競馬での
重賞勝ち馬がいます。
アキビンゴは昭和57年のクラシック組で
同期にはダービー馬バンブーアトラス、
菊花賞馬ホリスキー、皐月賞馬アズマ
ハンター、黄金の馬ハギノカムイオーや
アスワン、エリモローラ、イーストボーイ
ロングヒエン、マサヒコボーイ、アサカ
シルバーなどの重賞勝ち馬がいます。
アキビンゴは、旧馬齢3歳夏の新潟で
デビューし新馬戦をハナ差で勝利しました。
続いてアキビンゴは格上のレースとなる
新潟3歳ステークスに挑みましたが、
さすがにまだ荷が重たかったのか、後に
エリザベス女王杯などを制した名牝
ビクトリアクラウンの前に5着に敗れました。
その後、東京に戻ったアキビンゴは
4戦するも勝てず、3歳時は6戦1勝に
終わりました。
年が明けて4歳になったアキビンゴは
条件戦に勝って2勝目を挙げたものの
特別戦で敗れて3勝目を挙げることは
出来なかったため、春のクラシックへの
参戦は叶いませんでした。
それでも日本ダービーの前日に行われた
4歳ステークスに勝って意地を見せ、
3勝目を挙げました。
そしてアキビンゴは、日本ダービーに
出走できなかった無念を晴らすため、
昭和54年から舞台を福島に移して
行われている残念ダービーと言われた
ラジオ短波賞に挑みました。
このレースには、後に中山大障害を制し
最優秀障害馬にも選出されたメジロ
アンタレス、オークスにも出走した
ハーバーエリートやカネアスカなどが
出走。
1番人気はハーバーエリートが推され、
アキビンゴは2番人気での出走となり、
レース当日は、不良馬場という
悪コンディションの中で行われました。
レースはマルゼンタイヨーが先行し
2番手集団でパークスポート、テスコウルフ
カネアスカが差がなく続き、アキビンゴは
先行集団を見ながら5番手からという
競馬になりました。
直線の短い福島競馬場、更に不良馬場
ということもあって第3コーナー手前で
ペースが上がり、外からカネアスカ、
内からアキビンゴが仕掛け、4コーナーで
4頭が並ぶ形で直線の勝負へ。
直線に入って内をついたアキビンゴが
泥で赤い覆面を真っ黒にしながら一気に
先頭に立って後続馬を引き離し、外から
必死で追い込むカネアスカに3馬身半の
差をつけて優勝を飾り、ダービーに出走
できなかった無念を晴らすと共に重賞
初制覇を果たしました。

その後、アキビンゴは北海道に遠征し
古馬との初対戦となる函館記念に出走。
1番人気に支持されましたが14頭中の
11着に大敗してしまいました。
秋に入って秋の天皇賞を目指す古馬陣
との対戦となる毎日王冠に参戦。
12頭中8番人気という低評価でしたが
有馬記念を制したアンバーシャダイや
この秋の天皇賞を制するメジロティターンに
先着して3着に入る大健闘を見せました。
この毎日王冠での好走後、菊花賞を目指し
西下したアキビンゴは念願のクラシックに
出走し、21頭中6番人気に推され、勝つ
ことは出来ませんでしたが、それでも
ホリスキーの5着に入る健闘を見せました。
しかし、次に挑んだ有馬記念では最下位の
15着に終わりました。
年が明けて古馬になり、飛躍が期待された
アキビンゴでしたが、初戦の中山記念は
大差の5着に終わり、続くアルゼンチン
共和国杯では11着、安田記念も13着と
凡走を繰り返し、重賞初制覇を果たした
思い出の福島での吾妻小富士賞での
先頭から約5秒遅れという11着のしんがり
負けを喫してしまい、これがアキビンゴの
中央での最後のレースとなりました。
その後、アキビンゴがどのような運命を
辿ったかの記録が見当たらず、不明と
なってしまっているのが残念です。
今週は、福島競馬場で第75回ラジオ
NIKKEI賞が行われます。
ローベルクランツ、サウンドムーブ
リッツパーティー、クカイリモクに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、阪神競馬場で行われました春の
グランプリレース第67回宝塚記念は
レース直前のゲリラ豪雨によって馬場が
一気に良から重に変わり、更に生演奏で
行われる予定だったオリジナルの
ファンファーレが急遽中止になるという
異例づくしの中で行われ、道中2番手を
進んだ武豊騎手騎乗の2番人気の
メイショウタバルが直線で抜け出し、
追い込んで来たクロワデュノールを
おさえて優勝を飾り、宝塚記念、初の
父子での連覇を達成しました。
武騎手も言っていましたが、レース直前の
ゲリラ豪雨は故松本オーナーがメイショウ
タバルのために降らせたのではないかと
思うくらいでしたし、レース後はぴたりと
雨が止むなど、まさに神がかった
宝塚記念になりました。
2着には1番人気のクロワデュノールが入り
3着には3番人気のダノンデサイルが
入りました。

但し、日経賞を制したマイユニバースが
最後の直線で競走を中止し、その後
JRAより急性心不全のため死亡したとの
発表がありました。
日本ダービーで、4コーナーで馬の異変に
気付きながら最後まで走らせ、その馬が
倒れる寸前まで騎乗していた某外国人
騎手と違い、ダノンデサイルをはじめ
いつも馬ファーストの横山典騎手が
早めに馬を止めて下馬し、様子を確認
して退場した後、容態が急変し、亡くなって
しまったのが、本当に残念でなりません。
どうか天国でゆっくり休んでください。
お疲れさまでした。

今週は、東京競馬場で伝統の第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
府中牝馬ステークスは現在中央競馬で
行われる4歳(現3歳)以上の牝馬限定
重賞競走としては、最も長い歴史を持ち
1953年に東京牝馬特別の名称で
創設され、その後は牝馬特別、牝馬
東京タイムズ杯と名称の変遷を経て
1992年から現在の名称になりました。
創設時は東京競馬場の芝2000mでハンデ
キャップ競走として行われていましたが
距離は1955年より芝1600mに、負担
重量は1969年より別定に変更。
1996年にエリザベス女王杯が古馬にも
開放され4歳(現3歳)以上の牝馬限定戦に
改められると本競走は距離を芝1800mに
延長し、エリザベス女王杯の重要な前哨戦
として位置づけられ2014年から2024年
までは本競走の1着馬にエリザベス女王杯
への優先出走権が与えられていました。
2025年より、前年まで開催されていた
マーメイドステークスの競走条件を
引き継ぎ、開催時期を6月に、更に負担
重量をグレード別定からハンデキャップに
変更され、行われることになりました。
思い出のレースは、古馬の名牝が出走
する中で4歳馬の伏兵リンネルンドが
優勝した旧名称の昭和48年第21回
牝馬東京タイムズ杯です。
リンネルンドの父は、昭和を代表し、
日本の競馬の発展に多大な貢献をした
大種牡馬テスコボーイで代表産駒には
皐月賞馬ランドプリンス、二冠馬キタノ
カチドキ、天馬トウショウボーイ、天才少女
テスコガビー、天皇賞馬ホクトボーイと
サクラユタカオー、菊花賞馬インター
グシケン、エリザベス女王杯を制した
アグネステスコ、桜花賞馬ホースメン
テスコや快速馬ハギノカムイオーなど
挙げれば切りがない程、多くの名馬達を
この世に送り出しました。
そして、祖母にはオークスを制した
ヒロイチがいます。
リンネルンドは昭和48年の牝馬クラシック
組で、同期には牝馬クラシック二冠を制し
私も大好きだったニットウチドリ、オークスを
制したナスノチグサ、京都に散った悲劇の
快速馬キシュウローレルやレデースポート
キクノツバメ、ヒダコガネ、ケイスパーコ
ケイリュウシンゲキ、マミーブルーなどの
重賞勝ち馬がいます。
リンネルンドは旧馬齢3歳7月の東京で
デビューし、初戦の新馬戦は2着に敗れ
ましたが、4戦目の未勝利戦で初勝利を
挙げました。
その後、暮れの条件戦で2勝目を挙げ
3歳時は9戦2勝に終わりました。
年が明けて4歳になったリンネルンドは
牝馬クラシックへの出走を目指して
いましたが、なかなか3勝目を挙げられず
それでも桜花賞の前哨戦クイーンカップで
後に3強と言われたニットウチドリ、ナスノ
チグサ、レデースポートに先着して2着に
入るなど健闘して見せました。
この年の牝馬クラシックはニットウチドリ
ナスノチグサ、レデースポートの牝馬3強
による戦いという様相を呈していました。
そんな状況の中、リンエルンドはオークスを
目指し、オークストライアルに出走するも
レデースポートの前に17頭中の14着に
大敗し、本番のオークスでも22頭中の
12着に終わりました。
その後、リンネルンドはオープン牡馬との
レースで3着に入る健闘を見せると、
秋に入ってクイーンステークスに参戦し
ヒダコガネの僅差の2着に入るなど、
能力のあるところを見せました。
しかし、続く条件特別では1番人気に
支持されながら12着に大敗して
しまいました。
続いてリンネルンドは、古馬牝馬との戦い
となる当時の名称牝馬東京タイムズ杯に
駒を進めました。
このレースには、スプリンターズステークス
を制し、後に安田記念も制する快速馬
キョウエイグリーンや雨女の異名を持ち
安田記念を制したラファールなどの古馬の
名牝2頭の他、ナオユキ、ポピーオン
ワードなどの古馬牝馬や同期のキクノ
ツバメなどの牝馬の精鋭達が参戦、
1番人気は快速馬キョウエイグリーン、
2馬人気はナオユキ、3番人気は
キクノツバメが支持され、リンネルンドは
前走の大敗が嫌われたのか、6番人気
での出走となりました。
レースはキョウエイグリーンが持ち前の
スピードを活かして外目を通って先頭に
立って逃げ、その後ろからトウコウアコ
ナオユキとラファールが続き、リンネ
ルンドは後方からという展開で進みました。
第4コーナーでシャダイカールとマルガ
リータも仕掛け、後続馬も一団となって
直線の勝負へ。
外をついたキョウエイグリーンが逃げ
込みを図る中、内をついたナオユキが
伸びて先頭の立つと、馬場の真ん中から
今度はリンネルンドが鋭く伸びて先頭に
立ち、ナオユキとの競り合いになりましたが
リンネルンドがナオユキをおさえて優勝を
飾り、初重賞制覇を果たしました。

この勝利で今後の活躍が期待された
リンネルンドでしたが、この勝利が
リンネルンドにとっての最後の勝利に
なってしまいました。
次のオープン競走もシカゴの2着に入り
年が明けて古馬となった初戦のオープン
競走でもオープン大将の異名を持つ
コーヨーの3着に入るなど健闘しました。
しかし、当時はまだ牝馬や短距離系の
レース体系が整っていなかったため、
リンネルンドは古馬牡馬との重賞競走に
出走せざるを得なく、苦戦が続きました。
結局、5歳時は16戦して条件特別での
2着が5回あっただけで、未勝利に
終わりました。
年が明けて6歳になったリンネルンドは
牝馬でありながら、活路を見いだすため
障害戦に出走させられましたが、
勝つことは出来ずに引退となりました。
引退後、繁殖牝馬となったリンネルンドは
4頭の牝馬を輩出し、うち2頭が
準オープン馬になるなど、繁殖牝馬
としても活躍しました。
記録によりますと
1984年4月19日、14歳の若さで
死亡したとあり、死因についての記載は
残念ながらありませんでした。
今週は、東京競馬場で第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
ヴァルキリーバース、ニシノティアモ
ルージュソリテール、セキトバイーストに
注目しています。
先週の宝塚記念のマイユニバースの
ような悲劇が起こらぬよう、今週も
全人馬の無事を祈りながらレースを観ます。

