ハイセイコーのブログ -3ページ目
昨日、東京競馬場で行われました伝統の
ハンデ重賞第63回アルゼンチン共和国杯
は9番人気のミステリーウェイがスタート
してから果敢な逃げを展開し、4コーナーで
差を詰められるも、最後の直線でも再び
後続馬を引き離し、追い込んで来た
スティンガーグラスとディマイザキッドを
おさえ、逃げ切って重賞初勝利を挙げ
5年目の松本騎手もうれしい重賞初勝利と
なりました。
2着には追い込んで来た1番人気の
スティンガーグラス、3着には3番人気の
ディマイザキッドが入りました。

今週は、京都競馬場で節目となる伝統の
第50回エリザベス女王杯が行われます。
1975年にエリザベス女王が来日した
ことを記念して1976年にエリザベス
女王杯が創設され、1995年まで牝馬
クラシック3冠目という位置づけで4歳牝馬
限定競走として行われていました。
その後、1996年に牝馬競走体系の
見直しに伴い、競走条件が4歳牝馬から
4歳以上牝馬に変更され、施行距離も
芝2200mに短縮され、更にエリザベス
女王杯に代わる4歳牝馬三冠の最終戦
として新たに秋華賞が新設されたことに
伴い、エリザベス女王杯は牝馬クラシック
を歩んできた旧4歳牝馬と古馬牝馬による
日本一の女王を争うレースという位置づけ
になりました。
思い出の馬は、雷鳴轟く最後のサラ系
G1馬第9回優勝馬キョウワサンダーです。
キョウワサンダーの父は、産駒が全て芦毛
になるという特殊な遺伝構成を持つ
中距離系種牡馬ゼダーンで代表産駒には
中山大障害等に優勝した名障害馬
ヤマニンアピールやタニノスイセイ、
パッシングパワー等の重賞勝ち馬がいます。
また参考文献によりますとキョウワ
サンダーの5代母バウアーストツクは
豪州から輸入された繁殖牝馬なのですが
一説によると馬主が期限内に血統登録を
し忘れたため、血統登録がなされず、
バウアーストツクの子孫たちは純正の
サラブレッドとは認められないサラブレッド
系種として扱われることになってしまった
らしいとのこと。
更にバウアーストツクの牝系は菊花賞を
兄弟制覇したキタノオー・キタノオーザ兄弟
オークス馬アイテイオー、そしてサラ系
唯一の年度代表馬ヒカリデユールなどを
輩出した日本競馬史上に残る名牝系
でしたが、皆サラ系の烙印を押された
ことで繁殖としては不遇の扱いを受ける
ことになってしまいました。
キョウワサンダーもまた、そんなサラ系の
烙印の元に生まれた1頭でした。
キョウワサンダーはシンボリルドルフが
三冠馬に輝いた昭和59年組の牝馬
クラシック組で同期には桜花賞馬ダイアナ
ソロン、オークス馬トウカイローマンや
キクノペガサス、ロングレザー、ファイアー
ダンサーなどの重賞勝ち馬がいます。
キョウワサンダーは旧馬齢3歳秋の京都の
新馬戦でデビューしましたが8着に敗れ
その後5戦し、2着はあったものの、結局
3歳時に勝つことは出来ませんでした。
年が明け4歳になったキョウワサンダーは
13戦目でようやく未勝利戦で初勝利を
挙げました。
ようやく成績が安定して来たキョウワ
サンダーは条件戦を勝って2勝目を
挙げると、秋に入って格上となるサファイヤ
ステークスに挑戦しました。
このレースでキョウワサンダーは繰り
上げだったものの桜花賞馬ダイアナ
ソロンの2着に入り、オークス馬トウカイ
ローマンには先着しました。
続いてキョウワサンダーは条件戦で3着後
当時のエリザベス女王杯トライアルの
ローズステークスに参戦。
このレースにはダイアナソロン、トウカイ
ローマンも出走し、2頭とも敗れる中、
キョウワサンダーは8着に終わりました。
そして迎えた当時は牝馬クラシック最終戦
だったエリザベス女王杯にキョウワ
サンダーも何とか駒を進めることが
できました。
このレースには桜花賞馬ダイアナソロン
オークス馬トウカイローマン、トライアル
優勝馬ロングレザー、後の重賞勝ち馬
キクノペガサスやジムベルグ、ファイアー
ダンサー等が出走。
トライアル戦でダイアナソロンやトウカイ
ローマンが敗れたことで混沌となった
エリザベス女王杯でしたが。1番人気は
やはりダイアナソロンでキョウワサンダー
は実績の無さから21頭中の14番人気
という低評価での出走となりました。
レースはマーサレッドがスローペースで
逃げる中、ファイアーダンサーが先行し、
ジムベルグ、トウカイローマンは中団から
人気のダイアナソロンは中団の後ろから
キクノペガサス、ロングレザー、キョウワ
サンダーは後方からという展開に
なりました。
向こう正面でハッピーオールトンが競走を
中止する中、各馬が徐々に仕掛け、ジム
ベルグが3番手に上がり、ダイアナソロンも
トウカイローマンも先行との差を詰めて
直線の勝負へ。
直線に入ってジムベルグが先頭に立つと
馬場の真ん中からトウカイローマン、
内からダイアナソロン、外からキクノ
ペガサスが鋭く伸びて来る中、大外から
キョウワサンダーが一世一代の豪脚で
追い込み、最後はキョウワサンダーと
キクノペガサスの馬体を併せての激しい
叩き合いとなりましたが、ゴール前で
キョウワサンダーがキクノペガサスを
アタマ差振り切って優勝を飾り、牝馬
クラシック三冠目を獲得すると共に
悲願の重賞初制覇を果たしました。

その後、キョウワサンダーは東上し、
シンボリルドルフ、ミスターシービー、
カツラギエースが出走した暮れの大一番
有馬記念に果敢に挑みましたが、
シンボリルドルフの前に10着に
大敗しました。
年が明け古馬になったキョウワサンダーは
9ヶ月の長期休養後、秋競馬に入って
牡馬との対戦となる朝日チャレンジカップ
京都大賞典に挑みましたが、牡馬の壁は
高く、どちらもブービーの8着、7着に
終わりました。
しかし続くエリザベス女王杯と同じ京都の
芝2400mのオープン特別では6頭立て
ではありましたが、牡馬を蹴散らして
1年ぶりに勝利を挙げ、決してエリザベス
女王杯での優勝がフロックではなかった
ということを証明し、このレースを最後に
ターフに別れを告げました。
記録によりますと
キョウワサンダーは、引退後は故郷の
協和牧場で繁殖入りしましたが
初仔を産んだ後、僅か7歳という若さで
急逝してしまいました。
そして、唯一の産駒も未勝利のまま引退
してしまったため、彼女の系譜は途絶えて
しまいました。
今週は、京都競馬場で節目となる
第50回エリザベス女王杯が行われます。
レガレイラ、ココナッツブラウン、
パラディレーヌ、フェアエールングに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました伝統の
第172回天皇賞秋は道中、中団を進んだ
1番人気のマスカレードボールが、最後の
直線残り100メートルで鋭く抜け出して
優勝を飾り、G1初制覇を果たしました。
2着には3番人気の皐月賞馬ミュージアム
マイル、3着には古馬の意地か8番人気の
ジャスティンパレスが入りました。

また、アメリカカリフォルニア州のデルマー
競馬場で開催された米国競馬の祭典、
第42回ブリーダーズカップクラシックで
日本馬フォーエバーヤングが第3コーナー
で先頭に立つと、最後の直線でも後続馬を
突き放し、追い込んで来た昨年の覇者
シエラレオーネを振り切って優勝。
日本競馬界にとって長年の悲願だった
日本調教馬として初制覇を果たし、ついに
ダート世界一の座を獲得するという歴史的
快挙を成し遂げました。

私も長年競馬を見て来て、多くの名馬達が
渡米して何度も敗れる姿を見てきました。
ついに夢にまで見たこの日が来てくれて
本当に嬉しい限りです。
フォーエバーヤングの関係者の皆様
本当におめでとうございます!
どうか人馬共無事に帰国されることを
祈っています。
本当にお疲れさまでした。
今週は、東京競馬場で伝統の第63回
アルゼンチン共和国杯が行われます。
アルゼンチン共和国杯は日本とアルゼン
チンの友好と親善の一環として1963年に
アルゼンチンジョッキークラブカップ
(ARJC)の名称で創設されました。
1974年にアルゼンチンの競馬が
ジョッキークラブから国の管轄へ移管
されたことに伴い、1975年から現在の
名称になりました。
そして1984年のグレード制導入と重賞
格付けの全面見直しに伴い、それまで
年2回施行されていた伝統の秋の目黒
記念競走が廃止される代替として施行
時期を今までの5月から秋の目黒記念が
行われていた11月に移行し4歳(現3歳)
以上の馬によるハンデキャップ競走として
東京競馬場で施行されるようになりました。
思い出の馬は、年度代表馬でありながら
行方不明になってしまったカネミノブです。
カネミノブの父は昭和を代表する
マイラー系種牡馬バーバーで
代表産駒にはスルガスンプジョウ、
カネミカサ、カネオオエ、ヨネミノル、
ハザマファースト等の重賞勝ち馬や
ハイセイコーと死闘を演じたカネイコマ等
中央競馬、地方競馬ともに多くの活躍馬を
輩出しました。
また、母は昭和46年のオークスを勝った
名牝カネヒムロで、カネミノブは青森で
誕生しました。
カネミノブは昭和52年のクラシック組で
同期には外車マルゼンスキー、巨漢の
ダービー馬ラッキールーラ、皐月賞馬
ハードバージ、菊花賞馬プレストウコウ
天皇賞馬テンメイやリュウキコウ、
ヒシスピード、ヨシノリュウジン等の重賞
勝ち馬がいます。
カネミノブは、旧馬齢3歳秋の東京で
デビューし、初戦の新馬戦は5着に敗れ
ましたが、2戦目の新馬戦で勝ち上がり
4戦目の特別戦に勝って2勝目を挙げ
クラシックに名乗りをあげました。
年が明けて4歳になったカネミノブは
クラシック登竜門弥生賞で2着に入り
有力候補に躍り出て、皐月賞では6着に
敗れたものの、ダービーでは3着に入る等
実力があるところを見せました。
夏は札幌に遠征し、条件特別を勝って
3勝目を挙げると、秋に入ってセントライト
記念に1番人気で出走しましたが2着に
敗れ、その後西下して参戦した京都
新聞杯でも5着に敗退し、クラシック
最終戦菊花賞でも5着に終わるなど、
善戦はするものの、勝ち味に遅く、結局
クラシック制覇はなりませんでした。
年が明けて古馬になったカネミノブは
金杯(東)から始動して2着に入り、続く
中京記念での4着後に転厩し、移籍後
最初のレースとなった京王杯スプリング
ハンデでは1番人気に推されましたが、
シービークインの4着に敗れるなど、
決め手に欠けるところがあって勝ち星には
なかなか恵まれませんでした。
続いてカネミノブはアルゼンチン共和国杯
に参戦。
このレースにはハクバタロー、タイホウ
ヒーロー、アマミプリンス、ホッカイノーブル
などの重賞優勝馬が出走したものの、
実績馬が少ないこともあってカネミノブは
1番人気に推されました。
レースはワールドサバンナが逃げ、アマミ
プリンスが続き、カネミノブが3番手の
好位置を進み、その後ろからハクバタロー
ホッカイノーブルが続き、パワーシンボリは
最後方からという展開で進みました。
第4コーナーでカネミノブも仕掛けて
先頭との差を詰めて直線の勝負へ。
ワールドサバンナが逃げ込みを図る中
ハクバタローが内をつき、大外をついた
カネミノブは鋭く伸びて、直線半ばで
先頭に立つと、外から猛然と追い込んで
来たパワーシンボリをおさえて優勝を飾り
念願の重賞初制覇を果たしました。

この勢いのまま、次に出走した日本経済賞
でも好位から抜け出し、2着に3馬身差を
つけて圧勝。
重賞2連勝となり、カネミノブはついに
本格化しました。

春の勢いのまま、秋競馬での活躍が期待
されたカネミノブでしたが、毎日王冠、目黒
記念では強豪相手とはいえ、共に僅差の
2着敗れるなど、なかなか勝ちきれません
でした。
そして続く天皇賞秋では前代未聞の
カンパイが発生するなど、ペースを
乱されたのか、5着に敗退してしまい
ました。
その後、カネミノブは年末の大一番
有馬記念に挑みました。
このレースには、ダービー馬サクラショウリ
TTGの一角菊花賞・天皇賞馬グリーン
グラス、菊花賞馬プレストウコウ、天皇賞馬
ホクトボーイとエリモジョージ、二冠牝馬
インターグロリア、古豪ヤマブキオーや
カシュウチカラ、メジロイーグル、カネミカサ
メジロファントム、リュウキコウの重賞
勝ち馬が出走するなど、豪華メンバーが
顔を揃えました。
1番人気は菊花賞をレコード勝ちした
プレストウコウで前走の天皇賞での5着が
影響したのか、カネミノブは9番人気という
低評価での出走となりました。
レースはスタートしてメジロイーグルと
エリモジョージの先行争いで始まりましたが
結局メジロイーグルが逃げ、続いてエリモ
ジョージ、その後ろからインターグロリア、
カネミカサが続き、カネミノブは5,6番手
グリーングラス、サクラショウリ、ホクト
ボーイは中団から、プレストウコウ、リュウ
キコウは後方からという展開となりました。
軽快な逃げを展開するメジロイーグルは
第3コーナーでペースを上げ、後続馬も
一斉に仕掛ける中、メジロイーグルが
先頭で直線の勝負へ。
直線に入ってメジロイーグルが突き放しに
かかるとエリモジョージは失速、粘り込みを
図るメジロイーグルを道中 内々を通って
いたカネミノブが鋭く伸びて馬群から抜け
出し、逃げ粘るメジロイーグルを交わして
先頭に立ち、外から追い込んで来た
インターグロリアを退け、レコードタイムで
優勝を飾り、悲願の八大競走制覇を
ついに果たしました。

そして、この有馬記念での勝利が高く
評価され、カネミノブは昭和53年の
年度代表馬に選出されました。
年が明けて6歳になったカネミノブは
アメリカジョッキークラブカップから
始動しましたが、昨年の有馬記念で
やぶったサクラショウリとグリーングラスに
ワンツーフィニッシュを決められ4着に
敗れました。
続く中山記念でも同期のカネミカサの前に
4着に敗れ、オープン競走でも3着に
敗れると、秋まで休養に入りました。
秋緒戦は毎日王冠で復帰しましたが
シービークロスの豪脚の前に2着に敗れ
続いて天皇賞秋に参戦しましたが、不良
馬場が影響したのか10着に大敗して
しまいました。
そしてカネミノブは年内最終戦として
スピードシンボリ以来の連覇がかかる
年末の大一番有馬記念に出走しました。
昨年同様、このレースには春の天皇賞馬
カシュウチカラ、ダービー馬サクラショウリ
有馬記念に執念を燃やすグリーングラス
菊花賞馬インターグシケン、天皇賞馬
テンメイとホクトボーイ等、豪華メンバーが
揃いました。
レースは最初ボールドエイカンの逃げで
始りましたが、第4コーナーでは早くも
グリーングラスが先頭に立って直線の
勝負へ。
内埒沿いを走るグリーングラスの脚色は
衰えず、カネミノブは昨年と同様に直線で
スパートをかけようとした瞬間、不運にも
メジロファントムが斜行しながら目の前を
横切ったことで進路を塞がれてしまうなど
大きな不利を受け、それでも何とか立て
直して追い込んだものの、3着に入るのが
精一杯でした。
レース後、加賀騎手は猛抗議を行い
ましたが、着順が変わることはありません
でした。
結局、カネミノブは6歳時、6戦し善戦するも
勝つことは出来ませんでした。
年が明けて7歳になったカネミノブは現役を
続行し、初戦はアメリカジョッキークラブ
カップに1番人気に推されて出走し2着に
敗れましたが、続く目黒記念(春)では
斤量60キロを背負いながらも、サクラ
ショウリやカシュウチカラをやぶって
1年2ヶ月振りに優勝し、重賞4勝目を
挙げました。
その後、日経賞3着、続く宝塚記念では
不良馬場に泣かされ7着、中2週で
出走した当時の高松宮杯でも3着に
終わりました。
その後、夏を休養したカネミノブは秋緒戦
2年連続で2着に敗れていた毎日王冠に
参戦。
斤量59キロのトップハンデを背負った
カネミノブは2番人気で出走しました。
レースは、プリティキャストが大逃げを
打つ中、カネミノブは後方からレースを
進めました。
第4コーナーでメジロファントム、カネミノブ
が仕掛け、プリティキャストに並びかけて
直線の勝負へ。
内を通って逃げ込みを図るプリティキャスト
を大外からカネミノブ、内からキャプテン
ナムラの2頭が鋭く追い込んで競り合い
最後はカネミノブがキャプテンナムラを
振り切って勝ち、3度目の正直で勝利を
掴み、5つ目の重賞を獲得しました。

そして、この勝利がカネミノブにとっての
最後の勝利になりました。
続く目黒記念では4着、天皇賞秋でも
プリテイキャストの大逃げの前に4着に
敗れ、その後カネミノブは3度目となる
暮れの大一番有馬記念へ出走しました。
最後の直線でホウヨウボーイ、カツラノ
ハイセイコ、カネミノブの3頭が抜け出して
叩き合いとなりましたが、最後はホウヨウ
ボーイがカツラノハイセイコをハナ差
振り切って優勝を飾り、この歴史的
名勝負の中、7歳馬カネミノブも僅差の
3着に入り、最後の意地を見せました。

その後、8歳になったカネミノブは
引退レースとしてアメリカジョッキークラブ
カップに出走し、同じく出走していた
ホウヨウボーイの4着に入り、このレースを
最後に引退しました。
引退したカネミノブは種牡馬となり、内国産
種牡馬不遇の時代の中で中央での重賞
勝ち馬を3頭や地方でも重賞勝ち馬を
輩出するなど、活躍したと思います。
記録によりますと
種付け件数は次第に少なくなったため、
1991年を最後にシンジケートが解散となり、
シンジケート解散後も1993年までは
功労馬として牧場で繋養されていましたが
1994年8月16日に用途変更になって
以降は行方不明になってしまいました。
有馬記念に勝って年度代表馬となった
競走馬が行方不明になった事は当時も
大きな話題となり、しかも繁殖牝馬を
引退していた母カネヒムロが当時JRAの
関連施設で功労馬として暮らしていたことも
あって物議を醸しました。
屠殺場に送られた、当て馬になっている等
の噂がありましたが、その後の消息も
未だに不明となっていることが本当に
残念です。
今週は東京競馬場で第63回アルゼンチン
共和国杯が行われます。
レーベンスティール、ホーエリート
ディマイザキッド、スティンガーグラスに
に注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、京都競馬場で行われました
クラシック最終戦第86回菊花賞は1番
人気のエネルジコが直線で抜け出して
勝利し、G1初制覇を飾りました。
2着には追い込んだ2番人気のエリキング
3着には13番人気のエキサイトバイオが
入りました。

今週は、東京競馬場で伝統の第172回
天皇賞秋が行われます。
天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から
帝室御賞典という名称で行われました。
帝室御賞典は戦争のため昭和19年に
戦争のため中止され、昭和22年春に
平和賞の名称で再開し、同年秋からは
天皇賞と改称され現在に至っています。
そして創設以来、当初は1度優勝した馬は
再出走を認めないとされてきましたが、
昭和56年に制度が廃止され、過去の
優勝馬も再出走が可能になりました。
またその後、スタミナよりもスピードの強化
を重視する意見などにより、賛否両論が
あったものの、昭和59年から秋の天皇賞
は施行距離が2000mに短縮され、更に
古馬の最高峰として位置づけられてきた
天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬
も出走が可能になり、これにより各馬は
様々な選択肢が取れるようになりました。
天皇賞への再出走が可能となったことで
引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬
同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが
見られることで新たな天皇賞に変貌
しましたが、一方で距離が短くなったことで
東京競馬場での1周目のストレッチで沸き
起こる大歓声が聞けなくなったことが
残念であると共に強い馬よりスピード馬を
つくることが、本当に世界の競馬に対応
できるのかという懸念も生まれました。
中距離馬にも天皇盾の夢をということでは
仕方がないことかも知れません。
私個人としては古馬の最高峰という伝統は
継承して欲しかったと今でも思っています。
思い出の馬は、競走生命をかけて世界を
相手に戦えることを証明し、世界への扉を
開いた偉大な勇士キョウエイプロミスです。
キョウエイプロミスの父はイギリスの
2000ギニーやチャンピオンステークスに
勝ち、中距離馬として高い評価を得た
ボールドリックで海外ではアイルランド
ダービー馬のアイリッシュボールを出す等
一定の成功を収めましたが、日本では
キョウエイプロミスの他テイオージャがいる
くらいで活躍馬には恵まれませんでした。
キョウエイプロミスは昭和55年のクラシック
組で、同期にはダービー馬オペックホース
有馬記念馬アンバーシャダイ、天皇賞馬
モンテプリンス、菊花賞馬ノースガスト
皐月賞馬ハワイアンイメージ、快速馬
サクラシンゲキやオーバーレインボー、
サーペンプリンス、ドロップロード等の
重賞勝ち馬がいます。
キョウエイプロミスは名門高松厩舎に
入厩し、旧馬齢3歳夏の札幌でデビュー
しましたが7着に敗れ、初勝利したのは
4戦目の暮れの中山の未勝利戦でした。
年が明け4歳になったキョウエイプロミスは
東京で2連敗後、3月の小倉2戦目の条件
特別を勝って2勝目を挙げると皐月賞への
出走をかけて、格上の皐月賞トライアル
スプリングステークスに挑みましたが、
13着に大敗し、その後クラシック戦線に
出走することはありませんでした。
その後、キョウエイプロミスは夏の函館に
遠征して3勝目を挙げると、函館記念に
挑戦しましたが、同期のサーペン
プリンスの5着に終わりました。
レース後、キョウエイプロミスは脚部
不安を発症して長期休養を余儀なく
されてしまいました。
1年間休養後、古馬になったキョウエイ
プロミスは8月の函館の条件戦で復帰して
2着に入り、その後東京に戻って条件戦で
2着に入るも、目黒記念では10着に大敗。
それでも暮れのステイヤーズステークスで
僅差の2着に入るなど、復調の兆しを
見せました。
年が明け6歳になったキョウエイプロミスは
条件特別を快勝すると長距離レースの
ダイヤモンドステークスに参戦。
前年のステイヤーズステークスで敗れた
ピュアーシンボリに圧勝し、遅まきながら
重賞初制覇を果たしました。

続いてキョウエイプロミスは春のG1戦線を
締めくくるグランプリ競走宝塚記念に挑戦。
このレースには天皇賞馬モンテプリンス
菊花賞馬ノースガスト、前年の優勝馬
カツアールやメジロティターン、快速馬
サクラシンゲキ等が出走、グランプリ競走に
相応しいメンバーが顔を揃えました。
7番人気に推されたキョウエイプロミスは
サクラシンゲキが逃げる中、第4コーナーで
モンテプリンスに並びかけるなど、大いに
見せ場をつくって4着に入るなど、
半年間で一流のオープンクラスと
互角に戦えるまでに本格化しました。
夏は札幌に遠征し、札幌記念では9着に
敗れるも、秋に入って毎日王冠に参戦。
このレースには有馬記念を制したアンバー
シャダイ、クラシックトライアル三冠馬の
サンエイソロンやメジロティターン、メジロ
ファントム、カツアール、ジュウジアローなど
重賞勝ち馬が出走。
レースは、まさかの逃げる形になった
アンバーシャダイを4番手から進んだ
キョウエイプロミスが最後の直線で馬場の
真ん中から鋭く伸びてアンバーシャダイを
交わして先頭に立ち、外から追い込んで
来たサンエイソロンを振り切って優勝を
飾り、重賞2勝目を挙げました。

この勢いで続く天皇賞秋では3番人気に
支持され出走しましたが、7着に敗退。
続く目黒記念では1番人気に推されるも
13頭立ての12着と惨敗してしまいました。
続いてキョウエイプロミスは有馬記念に
挑戦し、15頭中13番人気という
低評価での出走となりました。
レースは、宝塚記念優勝後に繋靭帯炎を
発症して休養し、有馬記念でファン投票
1位に選ばれた責任感から脚元は限界に
近い状態だったにも係わらずファンの声に
応える形で危険を承知で出走を決めた
モンテプリンスが果敢に先行する中、
キョウエイプロミスも積極的に3番手を追走。
最後の直線でアンバーシャダイが先頭に
立ち、連覇かと思われましたが、外から
ヒカリデュールが豪脚を繰り出して
アンバーシャダイを交わして優勝を飾り
キョウエイプロミスもアンバーシャダイに
続いて3着に入るなど大健闘を見せました。

年が明け7歳になったキョウエイプロミスは
現役を続行しましたが、脚部不安が再発し
再び長期の休養を余儀なくされてしまい
ました。
秋に入ってキョウエイプロミスは前年に
制した毎日王冠で復帰して3着に入り、
そして再び天皇賞秋に挑みました。
このレースには天皇賞の春秋連覇を狙う
アンバーシャダイ、桜花賞馬リーゼン
グロス、本格化したタカラテンリュウ、後の
天皇賞馬モンテファストやイーストボーイ
ミスラディカルなどが出走。
1番人気はタカラテンリュウでキョウエイ
プロミスは2番人気での出走となりました。
レースはスタートして大方の予想どおり
タカラテンリュウがハナを奪って逃げ、
キョウエイプロミスは2番手を追走、
その後ろからアンバーシャダイが続き
イーストボーイは中団、モンテファストは
後方から競馬となりました。
東京競馬場で行われる最後の3200mの
天皇賞の1週目の正面スタンド前では
イーストボーイが引っ掛かり気味に
2番手にあがり、タカラテンリュウが淡々と
逃げる中、第3コーナーでキョウエイ
プロミスとイーストボーイが仕掛け、
第4コーナーではアンバーシャダイも
仕掛けてタカラテンリュウとの差を縮めて
直線の勝負へ。
内をとおって逃げ粘るタカラテンリュウを
キョウエイプロミスが一気に交わして
先頭に立ち、外から追い込んで来た
アンバーシャダイとカミノスミレを突き放し
悲願の天皇賞優勝を飾り、ついに堂々と
一流馬の仲間入りを果たしました。

天皇賞を勝ったキョウエイプロミスは2年
連続で日本馬が惨敗しているジャパン
カップに日本代表馬として駒を進めました。
この時、元から悪かった脚も限界に達して
おり、高松調教師もキョウエイプロミスの
脚が壊れ、ジャパンカップが最後の
レースになるかも知れないと思うほど
厳しい状況での出走となりました。
そして迎えた第3回ジャパンカップ、
日本からは有馬記念や天皇賞を制した
アンバーシャダイ、天皇賞馬メジロ
ティターン、快速馬ハギノカムイオーや
タカラテンリュウ、ミスラディカル等が参戦。
1番人気はアイルランドのハイホークで
キョウエイプロミスは16頭中10人気での
出走となりました。
レースはハギノカムイオーが快速を活かし
後続を30馬身以上離す玉砕的な逃げを
展開し、キョウエイプロミスは6番手からの
競馬となりました。
第3コーナーでハギノカムイオーが失速
するとイギリスのエスプデュノールが
今度は先頭に立ち、アンバーシャダイも
差を詰めて直線の勝負へ。
最後の直線に入ってアンバーシャダイが
エスプデュノールを交わして先頭に立つか
という見せ場をつくりましたが、外から
アイルランドのスタネーラがもの凄い脚で
追い込み、キョウエイプロミスも負けずに
鋭く伸びてスタネーラに食らいつき、
2頭による激しい叩き合いとなりましたが
最後はスタネーラがアタマ差で優勝し、
キョウエイプロミスはあと一歩のところで
優勝に届きませんでした。
しかし、2着に敗れはしたものの、
日本馬として初の連対を果たすなど、
今後の日本馬の活躍に大いに希望を
与えてくれました。

しかし、その激走の反動は大きく、キョウ
エイプロミスは、レース中に右前脚繋靱帯
不全断裂を発症し、場内が騒然とする中
コースから馬運車での退場となってしまい
ました。

最後は競走生命を絶ってまで頑張った
キョウエイプロミスのその痛々しい姿に
多くのファンは、今後の行方を心配し、
涙しました。
キョウエイプロミスは、何とか安楽死は
免れたものの、競走能力喪失と診断され
そのまま引退となってしまいました。
そして、この天皇賞とジャパンカップでの
2着が高く評価され、キョウエイプロミスは
1983年の最優秀5歳以上牡馬に
選出されました。
引退後、キョウエイプロミスは1984年から
種牡馬となり、勝ち馬は出したものの、
代表産駒を残すことは出来ませんでした。
記録によりますと
1994年に種牡馬を引退し、その後は
功労馬として余生を過ごしていましたが、
2003年に26年の生涯に幕を下ろし、
天国に旅立ったとのことです。
今週は、東京競馬場で伝統の第172回
天皇賞秋が行われます。
マスカレードボール、メイショウタバル
ホウオウビスケッツ、ロードデルレイに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

