ハイセイコーのブログ -3ページ目
昨日、京都競馬場で行われました
第57回マイラーズカップは道中2番手を
進んだ1番人気のアドマイヤズームが
直線に入って抜け出し、2024年朝日杯
フューチュリティステークス以来となる
重賞2勝目を飾りました。
そして、アドマイヤズームに騎乗した
武豊騎手も1994年ノースフライト以来
32年ぶり3回目の優勝を飾りました。
2着に内から追い込んだ9番人気の
ドラゴンブーストが入り、3着には
5番人気のベラジオボンドが入りました。

今週は、京都競馬場で伝統の第173回
天皇賞(春)が行われます。
天皇賞は、日本中央競馬会が春・秋に
年2回施行する中央競馬の重賞競走
(GⅠ)で、第1回とされる「帝室御賞典」は
1937年(昭和12年)に行われていますが
日本中央競馬会が前身としている
「エンペラーズカップ」まで遡ると
1905年(明治38年)に起源を持ち、日本
で施行される競馬の競走では最高の
格付けとなるGⅠの中でも長い歴史と
伝統を持つ競走となっています。
帝室御賞典は戦局悪化のため1944年
(昭和19年)秋に中止され、終戦後の
1947年(昭和22年)春に「平和賞」の
名称で再開され、同年秋から天皇賞と
改称され現在に至っています。
現在は賞金のほか、優勝賞品として
皇室から楯が下賜されており、天皇賞を
「盾」と通称することもあります。
これはあくまでも私の勝手な持論ですが
最近は距離が長いと言って天皇賞春を
回避する馬や天皇賞春の距離を短くする
案も出ているようですが、天皇賞春での
1週目のホームストレッチでの期せずして
上がる大歓声やレース中の各馬の駆け
引きを見てきた私にとっては本当に
残念な状況です。
確かに馬にかかる負担は大きいと
思いますが、天皇賞の3200mを避けたり
こなすことが出来ないようでは、凱旋門賞
に行っても勝てるはずはありません。
凱旋門賞は、距離は天皇賞春より短くても
天皇賞春よりスタミナとスピードが必要です。
時代の流れとはいえ、最近の天皇賞春の
出走メンバーは寂しくなっているように
感じます。
今年はクロワデュノールが参戦すると
いうことで、とても有難いし、楽しみです。
昭和期の王道路線のように無理に
出走させることは、もちろん反対ですが、
距離や様々な状況に負けることなく、強い
勝ち方をしてくれる名ステイヤーが
誕生してくれることを祈っています。
思い出の馬は、最後に長寿記録で名馬
シンザンに挑んだ昭和45年第61代
天皇賞馬リキエイカンです。
リキエイカンの父は昭和を代表する万能型
種牡馬ネヴァービートで代表産駒には
皐月賞馬マーチス、オークス馬ルピナス
桜花賞・エリザベス女王杯を制したインター
グロリア、最強障害馬グランドマーチスや
クニノハナ、ダイイチオー、メジロスイセイ
ハシクランツ、走る労働者トウフクセダン
ヨシノリュウジン、タニノチェスターなど
馬名をあげれば切りがない程中央・地方
問わず、数多くの重賞勝ち馬を輩出し
日本競馬に多大な貢献をしてくれた
名種牡馬でした。
リキエイカンは昭和44年のクラシック組で
同期にはダービー馬ダイシンボルガード
菊花賞馬アカネテンリュウ、皐月賞馬
ワイルドモア、天皇賞馬メジロアサマや
ミノル、ハクエイホウ、タカツバキ、
ダテハクタカ、カネハヤテ、アカツキテル、
ニューキミノナハ等の重賞勝ち馬がいます。
私が初めて競馬を見たのは昭和44年の
日本ダービーで、当時は単なる馬名から
ミノルとタカツバキを応援していました。
応援していた1番人気のタカツバキが
スタート直後に落馬し、場内が騒然となる
状況に子供心に衝撃を受け、更に最後の
直線でのダイシンボルガードとミノルとの
壮絶な死闘に感動しました。
このダービーでの衝撃と感動によって
私は競馬にのめり込み、それ以来ずっと
競走馬ファンとして長年競馬を見続けて
います。
よって昭和44年の競走馬達は特に
印象に残っています。
リキエイカンは旧馬齢3歳夏の札幌で
デビューし、新馬戦を圧勝。
その後、関西に戻って条件特別を勝ち
更に当時の西の3歳チャンピオン決定戦
阪神3歳ステークスに出走すると、後の
桜花賞馬ヒデコトブキをやぶって初重賞
優勝を飾り、クラシックに名乗りを
挙げました。
しかし、この年の最優秀3歳馬には
西のリキエイカンではなく、東の朝日杯
3歳ステークスに勝った私も大好きだった
ミノルが選出されました。
年が明けて4歳になったリキエイカンは
京都の4歳ステークスで4勝目を挙げると
東上してクラシックに挑みました。
しかし、スプリングステークス8着、
皐月賞は、23頭中の16着に惨敗。
それでも私が初めて見た不良馬場で
行われた日本ダービーでは、4着に入る
大健闘を見せ、実力のあるところを
見せました。

その後、リキエイカンは夏の札幌に遠征し
初の古馬相手にオープン競走で5勝目を
挙げると札幌記念に参戦。
ここでも皐月賞馬マーチスやメジロタイヨウ
フイニイなどの古馬の精鋭達を相手に
僅差の2着に入るなど大健闘を見せました。
続いて菊花賞制覇を目指すリキエイカンは
現在の京都新聞杯で、当時の名称で
菊花賞トライアルだった京都杯に
出走しましたが大差の6着に惨敗。
そして迎えた菊花賞、このレースには
ダービー馬ダイシンボルガード、
ダービーで死闘を演じた尾形厩舎の
四天王と言われたミノルとハクエイホウ、
京都杯の勝ち馬キングスピードや
カネハヤテ、ウチュウオー、マサファイター
などの重賞勝ち馬や後に戦後最大の夏の
上り馬と言われたアカネテンリュウが出走。
1番人気はアカネテンリュウ、尾形四天王
ミノルが2番人気、ハクエイホウが3番人気
に支持され、リキエイカンはダービー馬
ダイシンボルガードに次ぐ5番人気での
出走となりました。
レース当日は曇り、重馬場の中、ゲートが
開きスタートして、激しい先頭争いの中
ハクエイホウがハナを奪って逃げ、先行
集団にはキングスピード、スマノアラシと
リュウースパーションがいて、ダイシン
ボルガードとリキエイカンは中団を進み
ミノルとアカネテンリュウは後方からという
入れ替わりが激しい展開で進みました。
第3コーナーでアカネテンリュウと
リキエイカンが仕掛けて先頭集団に
取りつき、第4コーナーではアカネ
テンリュウが一気にハクエイホウを
交わして先頭に立って直線の勝負へ。
直線に入って外からリキエイカンが鋭く
伸びてアカネテンリュウを交わしに
かかりましたが、アカネテンリュウが
直線で寄れながらも先頭を譲らず、
リキエイカンをおさえて優勝を飾り、
リキエイカンは惜しくも2着に敗れは
しましたが、実力のあるところを示しました。

しかし続く阪神大賞典では1番人気に
応えられず、大差の4着に敗れました。
年が明けて古馬になったリキエイカンは
現在の日経新春杯である日本経済新春杯
からスタートし、3着に敗れましたが、続く
スワンステークス、オープン競走に勝って
連勝を飾り、天皇賞の前哨戦サンケイ
大阪杯は4着と不覚を取りましたが、続く
オープン競走を圧勝し、天皇賞春に駒を
進めました。
このレースには菊花賞馬アカネテンリュウ
重賞競走の常連で尾形厩舎のフイニイや
シュンサクオー、ダテハクタカ、ヨコズナ
ハクセンショウ等の重賞勝ち馬が出走。
1番人気はアカネテンリュウが支持され
リキエイカンは2番人気での出走と
なりました。
レースはホウウンが先手を奪って逃げ
2番手にハクセンショウ、フイニイと
リキエイカンは中団、アカネテンリュウと
ダテハクタカは例によって後方からの
競馬となりました。
第3コーナーでフイニイが仕掛けて
上がっていくと、リキエイカンとアカネ
テンリュウも先行集団に取りつき
第4コーナー手前ではフイニイが2番手に
上がると、外からアカネテンリュウ、内から
リキエイカンも菊花賞を再現するように
一緒に上がって行き、4頭が一団となって
直線の勝負へ。
逃げ込みを図るホウウンを内から
リキエイカン、外からアカネテンリュウが
追い込み、直線半ばで内から鋭く伸びた
リキエイカンがホウウンを交わして先頭に
立ち、追い込んで来た野平祐二騎乗の
フイニイを抑えて優勝を飾り、菊花賞での
アカネテンリュウへの雪辱も果たし、
第61代天皇賞馬に輝きました。

続いてリキエイカンは、宝塚記念に参戦
しましたが、王者スピードシンボリの前に
大差の5着に敗れ、その後、この年は
オープン競走を1勝するに止まりました。
年が明けて6歳になったリキエイカンは
当時、天皇賞は1度勝つと二度と出走する
ことは出来なかったため、他の重賞競走を
探りながら参戦しましたが、メジロ記念と
言われた宝塚記念ではしんがり負けを
喫するなど低迷し、函館記念と札幌記念で
2着に入ったものの、これが精いっぱいで
この年の勝利はオープン競走の1勝に
終わりました。
年が明けて7歳になったリキエイカンは
現役を続行し、重い斤量を背負うのを
嫌ったのか、堅実性を狙ったのかは
今となっては不明ですが、重賞競走には
出走せずに京都と阪神でのオープン競走
のみに出走し、6戦して2勝を挙げ、5月の
オープン競走での7着を最後に引退し
1972年から北海道で種牡馬になりました。
しかし、内国産種牡馬不遇の時代にあって
活躍馬を出すことは出来ず、1984年に
種牡馬も引退となりました。
昭和期においては、馬主や牧場の考え方
にもよりますが、種牡馬としても用が
無くなれば天皇賞や有馬記念に勝とうが
年度代表馬選ばれようが、処分されて
しまうような時代でした。
実際にリキエイカンも廃用となって危うく
処分されそうになりましたが、故郷の
鮫川牧場に引き取られ、以後は功労馬
として大切にされて余生を送りました。
いつしかリキエイカンことも忘れられて
いました。
しかし、シンザンと同期で青森の牧場で
余生を送っていた二冠牝馬カネケヤキが
サラブレッドの長寿記録を更新するのでは
という新聞報道で再び脚光を浴び、
カケケヤキが見事に記録を更新したものの
34歳と230日で亡くなると、今度は同期の
五冠馬シンザンに注目が集まりました。
シンザンは1995年11月19日に
カネケヤキが記録したサラブレッドの日本
最長寿記録を更新し、更に翌1996年
5月3日にはタマツバキ(アングロアラブ
の名馬)が持っていた軽種馬の
日本最長寿記録も更新しました。
この時に天皇賞馬リキエイカンがまだ
存命しているとの新聞報道があって、
この報道に私は歓喜しました。
シンザンは1996年7月13日に老衰により
35歳102日の長寿の大記録を残して
亡くなりましたが、この大記録に今度は
天皇賞馬リキエイカンが挑みました。
記録によりますと
2001年7月2日、リキエイカンは老衰で
亡くなりましたが、このときの馬齢は
35歳88日であり、シンザンの最長寿記録
である35歳102日にあと14日と迫る
長寿でした。
最後の最後にシンザンに果敢に挑んで
大いに見せ場をつくって天国に旅立った
リキエイカン、私にとって本当に記憶に
残る名馬でした。
今週は、京都競馬場で伝統の第173回
天皇賞(春)が行われます。
クロワデュノール、アドマイヤテラ
ヘデントール、スティンガーグラスに
注目しています。
名牝リバティアイランドが亡くなってから
早いもので1年が経ちました。
あのような悲劇が二度と起こらぬよう
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、中山競馬場で行われました
クラシック初戦、第86回皐月賞は
スタートしてハナを奪って逃げた
1番人気のロブチェンが最後の直線で
リアライズシリウスとの叩き合いを制し、
最後まで先頭を譲らず逃げ切って優勝を
飾りました。
2着には4番人気のリアライズシリウス、
3着には9番人気のライヒスアドラーが
入りました。

今週は京都競馬場で春のマイル戦線を
占う上で重要となる第57回マイラーズ
カップが行われます。
マイラーズカップはマイル路線の拡充
および短距離系の馬にも活躍の場を
設けることを目的として、1970年に創設
され、現在はGⅠ競走である安田記念や
ヴィクトリアマイルの前哨戦として位置
づけられていて、春の短距離路線を歩む
馬にとって重要なレースとなっています。
昭和期においては、まだレース体系が
現在ほど整っておらず、出走できるレース
も限られていたためか、歴代の優勝馬や
出走した馬にはクラシック優勝馬をはじめ
現在のGⅠ優勝馬等、名立たる名馬達の
名前が連なっています。
思い出の馬は、関西の早いヤツと
言われたロングハヤブサです。
ロングハヤブサの父は中距離系
種牡馬ラッキーソブリンで代表産駒には
スプリンターズステークスを制した
シンウルフやスズマッハ、ホウエイソブリン
ラッキーゲラン、ラビットボール、ニホンピロ
ラックなどの重賞勝ち馬がいます。
ロングハヤブサは昭和59年のクラシック
組で、同期には皇帝シンボリルドルフ、
皇帝のライバルだったビゼンニシキ、
宝塚記念を制したスズパレードやニシノ
ライデン、スズマッハ、ダイゼンシルバー、
ミスタールマン、ゴールドウェイなどの
重賞勝ち馬がいます。
ロングハヤブサは旧馬齢3歳夏の函館で
デビューし、1戦目の新馬戦はクビ差の
2着に敗れましたが、2戦目の新馬戦を
快勝すると、続く条件特別も8馬身差を
つけて圧勝。
そして続く重賞初挑戦となったデイリー杯
3歳ステークスにも勝って重賞初制覇を
果たし、更に続く西の3歳チャンピオン
決定戦、阪神3歳ステークスにも勝利して
怒涛の4連勝を飾り、この年の最優秀
3歳牡馬に選出されました。

しかし、その後故障が判明したため、春の
クラシックへの出走は叶わず、長期の
休養を余儀なくされてしまいました。
約10ヶ月の休養後、当時の菊花賞
トライアル京都新聞杯で復帰したロング
ハヤブサでしたが、18頭中の13着に
大敗し、続くクラシック最終戦菊花賞に
挑むも、距離も合わなかったのか
シンボリルドルフの三冠達成の前に
しんがりの18着に惨敗しました。
この大敗を期にロングハヤブサ陣営は
短・中距離路線への舵を切りました。
そして1番人気で挑んだCBC賞でしたが
ハッピープログレスの前に6着に
終わりました。
年が明けて古馬になったロングハヤブサは
西の金杯から始動、このレースには
ロング一門から3頭が出走するという
異例の中、ロングハヤブサは最後の
直線で一旦先頭に立ちましたが、惜しくも
僅差の4着に敗れました。
その後も中京記念は10着に大敗、続く
マイラーズカップでも4着に敗れましたが
次のオープン特別で1年4ヶ月ぶりに
勝利を掴みました。
その後、新潟大賞典5着、阪急杯3着に
敗れた後、脚部不安を発症したため、
秋競馬に出走することなく再び休養に
入りました。
年が明けて6歳になったロングハヤブサは
約8ヶ月の休養後、昨年4着に敗れた
マイラーズカップで復帰しました。
このレースには阪神大賞典を連覇した
シンブラウン、後にマイラーズカップを
制し、中央・地方合わせて82戦23勝を
挙げた無事是名馬のミスターボーイや
グアッシュアウト、ドミナスローズ、キタヤマ
ザクラ、イズミスター、タニノブーケなど、
多種多彩な重賞勝ち馬が出走。
ロングハヤブサは6番人気という低評価
での出走となりました。
レースはスタートしてシンブラウン、ドミナス
ローズ、タニノブーケの激しい先頭争いで
始まり、ドミナスローズが2頭を振り切って
先頭に立って逃げ、ロングハヤブサは
5番手を追走という展開で進みました。
軽快に飛ばすドミナスローズをロング
ハヤブサが第4コーナーで仕掛けて
先頭との差を詰めて直線の勝負へ。
逃げ込みを図るドミナスローズを
直線半ばでロングハヤブサが鋭く伸びて
交わして先頭に立ち、外から追い込んで
来た1番人気のマツコトブキをおさえて
2年2ヶ月ぶりに3つ目の重賞優勝を飾り
ました。

続いてロングハヤブサはスプリンターズ
ステークスに参戦。
1番人気はユキノローズが推され、ロング
ハヤブサは2番人気での出走となりました。
レースは、1番人気のユキノローズが
出遅れるという波乱のスタートで始まり
エフテーエリザベスが逃げ、2番手に
タカラスチール、3番手にロングハヤブサ
ドウカンテスコは中団から、出遅れた
ユキノローズは後方という競馬に
なりました。
第4コーナーで外からタカラスチールと
ロングハヤブサ、内からドウカンテスコと
エフテーエリザベスの4頭が横一線に
並んで直線の勝負へ。
内からドウカンテスコが鋭く伸びて一気に
先頭に立ち、馬場の真ん中から
タカラスチール、外からロングハヤブサが
必死に追い込みましたが、わずか届かず
ドウカンテスコが優勝を飾り、ロング
ハヤブサは惜しくも2着に敗れました。

その後ロングハヤブサは京王杯スプリング
カップを5着とした後、GⅠ競走となった
安田記念に出走して積極的な競馬を
展開して3着に入るなど、天皇賞馬
ギャロップダイナを相手に大健闘しました。
この勢いのまま、ロングハヤブサは
阪急杯に参戦。
このレースには前走の安田記念で2着に
入ったホリノカチドキやコーリンオー
マルブツサーペン、ドミナスローズなどの
重賞勝ち馬が出走。
ホリノカチドキが圧倒的1番人気に
支持され、トップハンデを背負ったロング
ハヤブサは3番人気での出走となりました。
レースは、スタートして激しい先頭争いの中
ホリノカチドキが先頭に立って逃げ、
2番手にコーリンオー、ロングハヤブサは
3番手から進み、ドミナスローズ、
セントシーザーは中団からという展開に
なりました。
第4コーナーでロングハヤブサ、マルブツ
サーペン、コーリンオーが仕掛けて差を
詰め、ホリノカチドキが先頭で直線の
勝負へ。
内からマルブツサーペン、セントシーザー、
馬場の真ん中からホリノカチドキ、外から
ロングハヤブサの4頭が横一線になっての
叩き合いとなり、最後はロングハヤブサが
3頭を振り切って勝利し、重賞4勝目を
挙げました。

そして、続いてロングハヤブサは当時
2000mで行われていた高松宮杯に参戦
しましたが、距離の不安と連戦の疲れも
あったのか、18頭中の10着に敗れました。
夏を休養したロングハヤブサは秋に入って
オープン特別で復帰して2着に入り、
秋競馬での活躍が期待されましたが、2番
人気に支持されたスワンステークスでは
まさかの10着に惨敗してしまいました。
そして続いてロングハヤブサは目標と
していたマイルチャンピオンシップに
挑みました。
このレースにはスワンステークスに圧勝し
後に天皇賞や安田記念を制する良血馬
ニッポーテイオーをはじめタカラスチール
ダイナシュガー、トウショウペガサス、
コーリンオー、ホリノカチドキなどの
名うての名マイラー達が出走しました。
ニッポーテイオーが圧倒的1番人気に
支持され、ロングハヤブサは5番人気での
出走となりました。
レースは、大外からホリノカチドキがハナを
奪って逃げ、2番手にアサクサエリート、
先行集団にはリキサンパワー、ドミナス
ローズ、トウショウペガサスがいて、ロング
ハヤブサ、ニッポーテイオー、ダイナ
シュガー、タカラスチールは中団からという
展開で進みました。
第4コーナーでは各馬一団となり、ホリノ
カチドキ、ドミナスローズ、コーリンオー
ロングハヤブサの4頭が並んで直線の
勝負へ。
内で逃げ粘るホリノカチドキを外から
ロングハヤブサが交わして一旦先頭に
立ちましたが、内からタカラスチールと
ニッポーテイオーが鋭く追い込んで、
今度はタカラスチールが一気に交わして
先頭に立ち、ニッポーテイオーとロング
ハヤブサも必死に差し返しましたが、
タカラスチールがニッポーテイオーを
ハナ差おさえて優勝を飾り、ロング
ハヤブサもニッポーテイオーにクビ差に
迫る僅差の3着に敗れはしましたが、
まだ実力があるところを見せました。

しかし、その後脚部不安を発症したため
ロングハヤブサは、マイルチャンピオン
シップを最後に引退し、引退後は
1988年から故郷の北海道で種牡馬に
なりました。
但し、当時は内国産種牡馬不遇の時代で
あったため、中央、地方で共に勝ち馬を
輩出したものの、代表産駒には恵まれ
ませんでした。
記録によりますと
1995年11月28日付で用途変更となり、
種牡馬を引退し、その後は引退名馬
繋養展示事業の助成対象馬として
日高ケンタッキーファームで余生を
送りました。
そして2007年7月1日ロングハヤブサは
老衰のため、26年の生涯に幕を下ろし
天国に旅立って行きました。
今週は、京都競馬場で第57回マイラーズ
カップが行われます。
ベラジオボンド、ウォーターリヒト、
ファーヴェント、アドマイヤズームに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、阪神競馬場で行われました牝馬
クラシック開幕戦第86回桜花賞は
道中、中団を進んだ1番人気の
スターアニスが直線で力強く抜け出し、
牝馬クラシック1冠目を手にしました。
2着には5番人気のギャラボーグ、
3着には12番人気のジッピーチューンが
入りました。

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目
第86回皐月賞が行われます。
皐月賞は1939年に当時の日本競馬会が
イギリスの2000ギニーに範をとり、4歳
(現3歳)の牡馬・牝馬限定の横浜農林省
賞典四歳呼馬として創設され、第1回は
横浜競馬場で行われました。
そして東京優駿競走、阪神優駿牝馬
(現:優駿牝馬)、京都農林省賞典四歳呼馬
(現:菊花賞)、中山四歳牝馬特別
(現:桜花賞)と共に五大特殊競走として
位置づけられ、東京優駿競走、京都
農林省賞典四歳呼馬と共に日本の
クラシック三冠競走として確立しました。
終戦後の1947年からは名称を
農林省賞典に変更され、1949年からは
名称を皐月賞に変更され、現在に至って
います。
日本ダービーは最も運のある馬が勝つ
菊花賞は最も強い馬が勝つと
称されるのに対し、皐月賞は最も速い馬が
勝つと言われています。
思い出の馬は、パワーあふれる重戦車の
異名を取ったハワイアンイメージです。
ハワイアンイメージの父はスワップス系の
中距離系種牡馬ファーザーズイメージで
代表産駒にはホッカイノーブル、エリモ
ファーザーの中央での重賞勝ち馬や
地方競馬での重賞勝ち馬などがいます。
そして姉にはスプリンターズステークスを
2連覇した快速馬メイワキミコ、妹には
カブトヤマ記念を制したプロメイドがいます。
ハワイアンイメージは昭和55年の
クラシック組で、同期にはダービー馬
オペックホース、菊花賞馬ノースガスト
天皇賞馬モンテプリンス、天皇賞、
有馬記念を制したアンバーシャダイや
快速馬サクラシンゲキ、ドロッポロード
オーバーレインボー、トウショウゴッド
サーペンプリンスなどの重賞勝ち馬が
います。
ハワイアンイメージはハイセイコーが繋養
されている北海道の明和牧場で誕生して
ハイセイコーと同じ鈴木勝太郎厩舎に
入厩し、増沢騎手が主戦ジョッキーに
なりました。
ハワイアンイメージは旧馬齢3歳12月の
中山でデビューし、1戦目の新馬戦は
12着に大敗しましたが、2戦目の新馬戦
では7番人気ながら快勝し、初勝利を
挙げました。
年が明けて4歳になったハワイアン
イメージは条件戦を2連勝して3勝目を
挙げ、クラシックに名乗りをあげました。
そして重賞初挑戦となった東京4歳
ステークスでは、9頭立ての8着と
惨敗したものの、続く弥生賞では
3着に入り、そして皐月賞トライアル
スプリングステークスでも2着に入るなど
能力が開花し始めたハワイアンイメージは
クラシックの一冠目皐月賞に挑みました。
このレースには、3勝を挙げて東上して来た
後のダービー馬オペックホース、弥生賞を
制したトウショウゴッド、後の天皇賞馬
モンテプリンス、スプリングステークス
優勝馬サーペンプリンスや快速馬サクラ
シンゲキなどが出走しました。
皐月賞当日は雨が降り、不良馬場という
最悪のコンディションでの競馬となりました。
1番人気はトウショウゴッドで、ハワイアン
イメージは4番人気での出走となりました。
レースは、ハワイアンジュエルがハナを
奪って逃げるも、向こう正面に入って
サクラシンゲキが交わして先頭に立ち、
ハワイアンイメージは3番手から、オペック
ホースとトウショウゴッドは中団から進み
サーペンプリンスとモンテプリンスは
後方からという展開で進む中、
第3コーナーの手前で1番人気のトウショウ
ゴッドがズルズルと後退し、故障のため
競走を中止するという波乱の競馬に
なりました。
第3コーナーから第4コーナーにかけて
ハワイアンイメージが仕掛けて2番手に
上がり、オペックホースも先頭との差を
一気に詰めて直線の勝負へ。
直線では各馬が馬場の良い外に
持ち出す中、内を通ったハワイアン
ジュエルが逃げ粘り、外からはハワイアン
イメージが交わしにかかり、大外からは
オペックホースが強襲して、ハワイアン
イメージとオペックホースとの叩き合いに
なりましたが、最後はハワイアンイメージが
オペックホースをクビ差おさえて優勝を飾り、
重賞初制覇を果しました。

しかし、続いて6番人気で出走した
日本ダービーでは、やはり距離の壁が
あるのか、27頭中14着に大敗してしまい
ました。
その後、ハワイアンイメージはクラシック馬
では異例となる、当時は残念ダービーとも
言われ、福島で行われていたラジオ短波賞
に参戦。
このレースでハワイアンイメージは
ダービー5着のハーバーシャレード
オークス4着の牝馬ジュウジアローに次ぐ
3番人気と、皐月賞馬としては低い評価に
なりましたが、レースでは先行策から直線
入り口で先頭に立ち、そのままゴールまで
先頭を譲らず、皐月賞馬の貫禄を見せて
優勝を飾り、2つ目の重賞を獲得しました。
夏を無事に越したハワイアンイメージは
クラシック最終戦となる菊花賞には全く
目もくれず、クラシック馬としては
異例となるローカル路線を歩み、福島
民友カップ、福島記念に優勝して、
クラシック馬による福島競馬での連勝に
福島の競馬ファンは大いに盛り上がり、
喜びました。
この勢いのまま、ハワイアンイメージは
有馬記念に挑みましたが、力およばず
7着に終わりました。
年が明けて古馬になったハワイアン
イメージは金杯3着、スプリンターズ
ステークス3着、中山記念5着と善戦は
したものの勝ちきれず、その後も芝の
表舞台よりローカルやダート戦に数多く
出走し、5歳時は9戦するもオープン
特別の1勝に終わり、6歳時は骨折による
長期休養を余儀なくされながらも5戦して
オープン競走の1勝、7歳時は10戦して
オープン特別を3勝するも重賞競走では
良い成績をあげることは出来ませんでした。
無事是名馬を地で行くように8歳まで
現役を続けたハワイアンイメージでしたが
8歳での2戦目となる当時のフェブラリー
ハンデキャップ競走での7着を最後に
現役を引退し、1984年3月4日には
中山競馬場で引退式が行われました。
引退後、ハワイアンイメージは生まれ
故郷である北海道の明和牧場で種牡馬と
なり、初年度こそシーズン途中からの
スタートだったため、種付け頭数も13頭と
少なかったですが、2年目以降は毎年
50頭前後を数えるなど、同じ明和牧場で
繋養されているハイセイコーの人気には
及ばなかったものの、初年度産駒からは
オープン特別2勝、重賞のAJCC2着、
エプソムカップ3着となったハワイアン
コーラルを出すなど、父ファーザーズ
イメージの後を継ぐ中堅種牡馬として
今後の活躍が期待されていました。
しかし、記録によりますと
1990年10月14日の午後、翌年の
種付けシーズンに備えて体力づくりに
励んでいたハワイアンイメージは、軽い
運動を終えた後、放牧地で気持ち
良さそうに走っていましたが、ふとした
拍子にトモを激しくひねって、腰の
あたりから地面に崩れ落ちるように転倒し
右後脚の大腿骨を骨折、検査の結果、
予後不良と診断され、安楽死の措置が
取られました。
やはり15歳という若さで逝ってしまった
父ファーザーズイメージと同じように
ハワイアンイメージもまた13歳という
若さであっという間に天国に旅立って
しまいました。
今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目
第86回皐月賞が行われます。
グリーンエナジー、カヴァレリッツオ
パントルナイーフ、バステールに
注目しています。
今週も全人馬達の無事を祈りながら
レースを観ます。

