先週、4年ぶりに京都競馬場で行われ

ました伝統の第71回日経新春杯は

1番人気のブローザホーンが直線で鋭く

伸びてサトノグランツとサヴォーナとの

競り合いに勝ち、前走の競走中止からの

見事な復活優勝を飾りました。

2着には4番人気のサヴォーナ、3着には

3番人気のサトノグランツが入りました。

今年もレース直前に実況アナからの

「今年も全馬の飛躍と無事を祈って」

との言葉にテンポイントに想いを

馳せながら、涙しました。

 

今週は中山競馬場で今年の関東の古馬

戦線を占う重要なレース第65回アメリカ

ジョッキーカップが行われます。

 

アメリカジョッキークラブカップは1960年

に日米友好の一環としてニューヨーク

ジョッキークラブから優勝杯の贈呈を受け

創設されました。

最近ではレース名をAJCCやアメリカJCC

と表記していますが、昭和期ではAJC杯の

略称が一般的でした。

そして西の日経新春杯と並んで大阪杯や

春の天皇賞に向けて今年緒戦として関東

の有力古馬達が参戦するレースでも

あります。

 

思い出のレースは、オンワードガイが

優勝した昭和48年第14回アメリカ

ジョッキークラブカップです。

オンワードガイの父は天皇賞や有馬

記念等に優勝した内国産種牡馬

オンワードゼアでオンワードガイは後に

オンワードゼアの代表産駒となりました。

 

オンワードガイは昭和46年のクラシック組

で同期にはダービーの常識を覆して優勝

した二冠馬ヒカルイマイ、菊花賞馬ニホン

ピロムーテー、天皇賞馬ベルワイドや

カツタイコウ、ヤシマライデン、ゼンマツ等

がいます。

オンワードガイは旧馬齢3歳の札幌で

デビューするものの、当時の新馬・未勝利

競走での距離の短さやダート戦が

合わなかったのか、4戦連続で2着が

続きました。

しかし、東京に帰り未勝利を脱出すると

条件特別に勝って連勝、その勢いのまま

3歳王者決定戦、当時の朝日杯3歳

ステークスに出走し、ベルワイド、ヤシマ

ライデンやカツタイコウ等の同期達を

やぶって優勝を飾り、一躍関東の

クラシック候補に躍り出ました。

 

年が明けて4歳になったオンワードガイは

京成杯に出走しましたが、4着に敗れ、

この後体調を崩し、それでも何とか

ダービーへの出走に漕ぎつけるも20着に

惨敗してしまいました。

その後、夏の札幌に参戦し、オープン競走

に勝って何とか菊花賞に駒を進めましたが

ニホンピロムーテーの3着に入る等、

善戦はしたものの、敗れてしまいました。

 

年が明けて古馬になったオンワードガイは

重賞戦線での活躍を期待されましたが、

レースでの惨敗が続きました。

しかし、その後、夏の北海道シリーズに

遠征すると、北海道の水が合うのか

函館記念では、これまでの負けが嘘だった

かのように直線で力強く抜け出し、コーヨー

やタクマオー等をおさえて1番人気に応え

優勝を飾りました。

その後オンワードガイは東京に戻って秋の

天皇賞や有馬記念に参戦しましたが、勝つ

ことは出来ませんでした。

 

年が明けて6歳になったオンワードガイは

現役を続行。

アメリカジョッキークラブカップ、当時の

略称名AJC杯に出走しました。

このレースには天皇賞馬で古豪のメジロ

ムサシや快速馬スガノホマレ、孤高の

ブロンズコレクターのソロナオール、雨女

ラファール、ヤシマライデン等が出走

しました。

1番人気は今度こその期待を集めた

ソロナオール、2番人気はスガノホマレ

オンワードガイは4番人気となり、海外

遠征で体調を崩していたメジロムサシは

5番人気となりました。

レースは稍重の馬場の中、ラファールが

逃げ、ぴったりとスガノホマレが2番手を

進み、オンワードガイとメジロムサシは

後方から、いつものように最後方からは

ソロナオールという展開となりました。

直線に入って、内をついたラファールと

スガノホマレが競り合いながら逃げ込み

を図り、ソロナオールが大外から内に

切り込みながら追い込んで来る中、

馬場の真ん中をついたオンワードガイが

直線で鋭く抜け出して先頭に立ち、逃げ

粘るスガノホマレを差し切って優勝。

3つ目の重賞を獲得しました。

更に続く目黒記念も制して4つ目の重賞を

獲得すると共に名実ともに古馬重賞戦線

の主役に躍り出ました。

今週は中山競馬場で第65回アメリカ

ジョッキークラブカップが行われます。

近年、昔から言われていた八大競走や

それに相当する勝ち馬の出走がなく、

今年もメンバー的には小粒感は

否めませんが、ボッケリーニ、ラーグルフ、

モリアーナ、チャックネイトに注目して

います。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを

観ます。

2024年の初戦、中山競馬場で行われ

ました第73回中山金杯は5番人気の

リカンカブールが直線で抜け出し、追い

込んで来たククナを振り切って優勝。

重賞初制覇を果たしました。

2着には8番人気のククナ、3着には

6番人気のマイネルクリソーラが入り、

1番人気に推されたエピファニーは道中

折り合いがつかず、11着に敗れました。

 

今週は4年ぶりに京都競馬場で第71回

日経新春杯が行われます。

日経新春杯は日本経済新春杯の名称で

1954年に創設され、1979年より日経

新春杯に改称されました。

東のアメリカジョッキークラブカップと

並んで春の天皇賞に向けて、今年緒戦

として西の古馬達が参戦するレースでも

あります。

 

思い出のレースは名脇役だったイースト

リバーが優勝した昭和50年第22回

日経新春杯です。

日経新春杯というと、あれから46年が

経った今でもテンポイントの悲劇を

思い出してしまいます。

私にとってこのレースは忘れられない、

そして決して忘れてはいけないレースだと

思っています。

あのテンポイントの悲劇以来、45年以上

たった今でも日経新春杯のレースに限って

発送直前に必ず実況アナが例え開催

場所が違っていた場合でも「今年も全馬の

無事を祈って」と言っているように、改めて

レース中に事故が起きることなく、全馬の

無事を祈る象徴的なレースとなっています。

毎年、実況アナがレースの直前に

「全馬の無事を祈って」と言うたびに

私は涙が溢れてしまいます。

 

イーストリバーの父インディアナは昭和を

代表する長距離系種牡馬で、代表産駒

にはタケホープやベルワイド等がいます。

イーストリバーは昭和48年クラシック組で

同期には怪物ハイセイコーをはじめ

タケホープ、イチフジイサミ、ホウシュウ

エイト、ディクタボーイ等がいます。

イーストリバーは旧馬齢4歳1月の京都で

デビュー、新馬、特別を連勝しクラシックに

名乗りを挙げました。

しかし、春のクラシック最終切符をかけて

毎日杯に出走しましたが、ホウシュウエイト

の8着に敗れ、春のクラシックに参戦する

ことは出来ませんでした。

その後、オープン競走を連勝し、秋に入り

クラシック最終戦菊花賞を目指し、当時

菊花賞トライアルレースだった京都

新聞杯に出走するも6着に敗れ、本番の

菊花賞でもハイセイコーとタケホープ

による史上に残る名勝負の中、見せ場も

なく、7着に敗退しました。

それでもその後、オープン競走でディクタ

ボーイやトーヨーチカラをやぶって優勝し、

当時は暮れに行われていた阪神大賞典に

駒を進めましたが、ディクタボーイの5着に

敗れてしまいました。

 

年が明けて古馬になったイーストリバーは

天皇賞、宝塚記念、高松宮杯に参戦するも

高松宮杯でハイセイコーの4着に入るのが

やっとでした。

その後、夏の小倉に参戦すると、小倉

日経賞を快勝。

続く北九州記念では4着に敗れましたが

京阪杯では9番人気という人気薄でしたが

ホウシュウリッチやエリモマーチス、古豪

ロングワンを相手に直線で豪脚を披露して

優勝を飾り、初重賞を獲得しました。

しかし、続く阪神大賞典では6着に敗退して

しまいました。

 

年が明けて6歳になったイーストリバーは

現役を続行し、日経新春杯に参戦しました。

このレースには小さな馬体ながら鋭い追い

込みでタニノチカラをやぶる等、前年の

春秋の京都記念を連覇し優勝したスカイ

リーダや公営から鳴り物入りで移籍して

きたサンチャイナ等が出走。

1番人気はスカイリーダでイーストリバーは

2番人気に推されました。

レースは天才福永洋一騎手騎乗のランド

グレースが絶妙なペースで逃げる中、

サンチャイナは中団から、スカイリーダは

後方から進み、イーストリバーは最後方

からの競馬となりました。

直線に入って、ハシストームが最内を

ついて一気に先頭に立ち、大外を回った

スカイリーダが外から懸命に追い込む中

やはり内をついたイーストリバーが鋭く

伸びて、ハシストームをゴール手前で

捕らえ、差し切って優勝。

2つ目の重賞を獲得し、春の天皇賞に

向けて名乗りをあげました。

しかし、続く京都記念では63キロの斤量を

背負ったタニノチカラの競馬史上に残る

圧勝劇の前に全く歯が立たず、大差の

3着に敗れました。

そして、イーストリバーは、この京都記念が

生涯最後のレースとなり、二度と競馬場に

姿を現すことはありませんでした。

 

今週は4年ぶりに京都競馬場で

第71回日経新春杯が行われます。

サトノグランツ、サヴォーナ、リビアングラス

ブローザホーンに注目しています。

 

テンポイントの悲劇から今年で46年の

歳月が流れました。

今年もテンポイントに想いを馳せながら

そして、全馬の無事を祈りながらレースを

観ます。

明けましておめでとうございます。

皆様にとって2024年が素晴らしい年に

なりますよう、お祈り申し上げます。

今年も私が見て来た思い出の名馬達の

ことを書いて行こうと思いますので、

どうぞよろしくお願い致します。

 

いよいよ今年70周年を迎える中央競馬が

開幕し、今週は中山競馬場で伝統の

第73回中山金杯が行われます。

 

中山金杯は1952年に5歳(現4歳)以上の

馬による重賞として金杯の名称で創設され

ました。

1966年から1995年までは京都競馬場

でも同名の競走(現京都金杯)が行われて

いたが、1996年より東西の金杯を

区別するため現名称に変更されました。

創設時の施行距離は芝2600mでしたが

1960年(昭和35年)に新年最初の

重賞として創設されたアメリカジョッキー

クラブカップ(AJCC)と入れ替わる形で、

1961年より芝2000に短縮され

時期もAJCCとの交換で新年最初の節の

開催になり、新年度の中央競馬の開幕を

飾る重賞として現在定着しています。

 

思い出の馬は、中央で生涯76戦を無事に

走り抜いたことから「初代走り労働者」

「無事是名馬」と言われたイナボレスです。

イナボレスの父ヘリオスは重賞4勝(京都

記念2回京都盃、阪神大賞典)を挙げ、

1960年と1961年に2年連続で最良

スプリンターに選出されました。

但し、イナボレスの母ボーレスクインの

母系を辿っていくと、アングロアラブに辿り

つくため、イナボレスは純粋なサラブレッド

ではなく、サラブレッド系種という扱いに

なり、このことが後に数奇な運命を辿る

ことになりました。

イナボレスは史上最強の世代と言われて

いる花の昭和47年組で同期には

ダービー馬ロングエース、皐月賞馬ランド

プリンス、菊花賞馬イシノヒカル、天皇賞馬

タイテエム、有馬記念馬タニノチカラ、

ハクホオショウ等、蒼々たるメンバーが

いました。

イナボレスは旧馬齢3歳8月の中山で

デビューし、初戦は2着だったものの、

2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げました。

しかし、その後はなかなか勝ち星には

恵まれず、3歳時は7戦1勝に終わり

ました。

 

年が明けて4歳になったイナボレスは

5月の条件戦で2勝目をあげましたが

この年感冒の流行のため、遅れて施行

されたクラシック戦線にも参戦することは

出来ませんでした。

秋に入って条件戦に勝って3勝目を

挙げると条件馬の身でありながら

オールカマーに参戦。

当然のことながら11頭中9番人気の

低評価での出走となりましたが、

下馬評を覆し、ハクホオショウ、オンワード

ガイ等の有力馬を抑えて優勝。

デビュー17戦目にして重賞に初挑戦し、

初制覇を果たしました。

4歳時は13戦3勝、2着2回 うち重賞を

初制覇と健闘しました。

 

年が明けて古馬となったイナボレスは、

飛躍を期待されましたが、東の金杯6着を

皮切りに重賞レースに出走するものの、

なかなか勝てずに10連敗を喫してしまい

ました。

10月に条件戦に戻ってようやく勝利し

何とか5勝目を挙げました。

5歳時は14戦してわずか1勝に終わり

ました。

 

年が明けて6歳になったイナボレスは

前年同様に金杯から始動しました。

このレースにはオークス馬ナスノチグサや

3歳チャンピオンのトクザクラ、古豪メジロ

ゲッコウ、ラファール、古馬の新鋭

ブルスイショーやユウシオ等、多彩な

メンバーが顔を揃えました。

1番人気はブルスイショーで近年の不振も

あってかイナボレスは51キロという

軽ハンデながら17頭中12番人気での

出走となりました。

レースはサンポウが逃げ、サンヨウコウと

ユウシオが先行し、ブルスイショーは中団

から進み、イナボレスは後方からの競馬と

なりました。

直線に入ってハンデ戦らしく横一線となり

内をついたサンポウが逃げ粘る中、馬場の

中央からイナボレスが今までのうっぷんを

晴らすかのように鋭く伸び、追い込んで

来たインタープライドをクビ差おさえて

優勝。

2年ぶりの重賞2勝目を手にしました。

この勝利で、ついにイナボレスは本格化

したかと思われましたが、続く東京新聞杯

ではユウシオの11着に大敗。

その後もなかなか勝ち星には恵まれません

でしたが、成績が安定し、掲示板には載り

続けるようになりました。

6月には大井で行われた第1回中央招待

競走に出走し、地方のゴールドイーグルの

2着に敗れたものの、中央馬では最先着と

なりました。

そしてオールカマー6着後、11月の目黒

記念 (秋)に出走。

このレースにはカミノテシオ、スガノホマレ、

イチフジイサミ、ヌアージターフ等の

強力馬が参戦する中で5番人気の

イナボレスは直線で外から鋭く伸びて

カミノテシオやイチフジイサミを抑えて

圧勝し、重賞3勝目を挙げました。

しかし、続くクモハタ記念では6着に敗れ

6歳時は11戦2勝、うち重賞2勝となり

ました。

 

年が明けて7歳となったイナボレスは

オープン戦2着でスタートし、続くアルゼン

チン共和国杯3着の後、宝塚記念では

ナオキの4着と健闘し、健在ぶりを示し

ました。

秋に入って連覇を狙った目黒記念でも

13頭中11番人気という低評価でしたが

キクノオーの3着に入り、トウコウエルザ

イチフジイサミやカミノテシオに先着する等

大健闘しました。

しかし、続く天皇賞(秋)は12着と大敗し、

さすがに限界とも言われましたが、12月の

愛知杯で6番人気ながら直線で豪快に

差し切って優勝を飾り、重賞4勝目を挙げ

ました。

しかし、この勝利がイナボレスにとっての

最後の勝利となりました。

7歳時は13戦1勝 うち重賞1勝となり

ました。

 

年が明けて8歳になったイナボレスは

現役を続行。

金杯から始動すると今では考えられない

異常なローテーションで出走を続け、

春秋天皇賞や安田記念、高松宮杯を

はじめ、主な重賞競走でイナボレスの名

を見ないレースは無いとも言われました。

引退する最後の年は19戦もし、勝つことは

出来ませんでしたが、掲示板には8回も

載るなど、イナボレスは最後まで故障を

することもなく、よく酷使に耐えて頑張った

と思います。

前年に優勝した愛知杯5着を最後に引退。

本来なら種牡馬になるパターンでしたが

サラ系という血統面で大きなハンデを

背負っていたために種牡馬になることを

断念せざるを得ませんでした。

種牡馬にはなれませんでしたが、栗毛の

四白流星という美しい馬体から、東京

競馬場の誘導馬として採用されました。

しかし、記録によりますと

1980年代後半までは活動していましたが

その後は行方不明となってしまった

ようです。

中央での通算成績76戦8勝、2着8回

3着7回。うち重賞4勝

イナボレスのように3歳から8歳まで

中央競馬で76戦も無事に走り、重賞を

4回も勝てる馬は、もう二度と現れないと

思います。

 

今週は中山競馬場で伝統の第73回

中山金杯が行われます。

私の金杯のイメージは、荒れる金杯という

イメージが強いです。

エピファニー、マイネルクリソーラ、リカン

カブール、オークス以来のゴールデン

ハインドに注目しています。

記念すべきJRA70周年となる2024年の

競馬も東西の金杯でスタートします。

2024年も全馬の無事を祈りながら

レースを観ます。