ハイセイコーのブログ -34ページ目
先週、東京競馬場で行われました第74回
東京新聞杯は、直線で内をついた
7番人気の7歳馬サクラトゥジュールが
逃げ粘るウインカーネリアンを差し切って
優勝、7歳にして重賞初勝利を飾りました。
2着には連覇を目指した4番人気のウイン
カーネリアン、3着には8番人気のホウオウ
ビスケッツが入り、スタートで出遅れた
1番人気マスクトディーヴァは必死に追い
込んで来たものの、6着に敗れました。

今週は、京都競馬場で伝統の第117回
京都記念が行われます。
京都記念は1942年に5歳(現4歳)以上
の古馬による春と秋の年2回施行する
ハンデキャップ競走として創設されました。
第二次世界大戦の影響による中止や
施行距離や競走条件等の変更を経ながら
春・秋年2回行っていましたが、1984年に
秋の競走が廃止され、以来年1回の施行
となりました。
伝統のレースだけあって歴代優勝馬には
名立たる名馬達の名前が連なっています。
思い出のレースは、転厩で覚醒した
メジロスイセイが勝った昭和48年第56回
京都記念です。
メジロスイセイの父は昭和を代表する
万能型種牡馬ネヴァービートで代表産駒
には皐月賞馬マーチス、オークス馬
ルピナス、天皇賞馬リキエイカン、
桜花賞馬インターグロリア、中山大障害馬
グランドマーチスやダイイチオー、トウフク
セダン、ハシクランツ等、多くの名馬達が
います。
メジロスイセイは旧馬齢3歳の夏の福島で
デビューしましたが、なかなか勝つことは
出来ず、6戦目の未勝利戦でようやく
勝つことが出来ました。
その後、4歳になって8戦するも、下級
条件戦で1勝を挙げたのみで、この年の
10月には売却され、所属厩舎も関西の
梅内厩舎へ転厩しました。
年が明けて5歳になったメジロスイセイは
徐々に成績が安定し、復帰した6月の
条件戦でいきなり勝って3勝目を挙げ
秋には条件特別を2つ勝って5勝目を
挙げると、その勢いのまま格上の京都記念
に挑戦し、後の天皇賞馬ヤマニンウェーヴ
の2着に入る大健闘を見せました。
その後京阪杯ではロングワンの7着に
敗れたものの、暮れの条件特別を快勝
すると、徐々に能力が開花し始めました。
年が明けて6歳になったメジロスイセイは
金杯や日経新春杯に出走し、勝つまでは
至らなかったものの、入着するなど、重賞
競走でも安定した成績を残せるように
なってきました。
その後、小倉日経賞を圧勝して待望の
オープン入りを果たすと、北九州記念では
初めて重賞競走で1番人気に推され
ましたが、惜しくも2着に敗れました。
そして続く朝日チャレンジカップでも、後の
天皇賞馬タニノチカラや桜花賞馬アチーブ
スター、シンザンミサキ、ディクタボーイ等
の実力馬をおさえ1番人気に推された
ものの、タニノチカラの5着に敗れました。
そして迎えた第56回京都記念。
このレースには天皇賞馬ヤマニンウェーヴ
桜花賞馬アチーブスター、重賞勝ち馬
ロングワン、サカエカホー、マツカオリ等の
精鋭達が出走してきました。
そんな中でメジロスイセイは天皇賞馬
ヤマニンウェーヴを押さえ1番人気に
推されました。
レースはシバタケが逃げ、サカエカホーと
ランドホマレが先行し、メジロスイセイは
中団より後ろから、天才福永洋一騎乗の
ヤマニンウェーヴは後方からの競馬と
なりました。
第3コーナーから第4コーナーにかけて
福永騎手騎乗のヤマニンウェーヴが
一気に仕掛けて先行集団に追いつくと
トップハンデ60キロも何のその、直線で
ヤマニンウェーヴが抜け出して先頭に立ち
このまま押し切るかと思いましたが、
直線で内から外に出したメジロスイセイが
鋭い追い込みで一気にヤマニンウェーヴを
差し切り、昨年2着の雪辱を果たして優勝。
屈辱の売却を乗り越えて、重賞初制覇を
飾りました。

今週は、京都競馬場で天皇賞春に向けて
第117回伝統の京都記念が行われます。
巻き返しを図るプラダリア、マテンロウレオ
ルージュエヴァイユ、ブレイヴロッカーに
注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、東京競馬場で行われました第38回
根岸ステークスは、1番人気のエンペラー
ワケアが、直線で堂々と抜け出し3連勝で
重賞初制覇を飾りました。
2着は6番人気のアームズレイン、
3着には2番人気のサンライズフレイムが
入りました。

今週は、東京競馬場で伝統の第74回
東京新聞杯が行われます。
東京新聞杯は古馬による重賞競走として
「東京杯」の名称で1951年に創設され
ました。
創設当初は東京競馬場の芝2400mで
天皇賞春の前後に行われていましたが、
1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し
併せて施行時期も1月下旬から2月上旬
に行われるようになりました。
天皇賞春を意識していたレースだった
ためか、昭和30年代から昭和40年代
初期の優勝馬にはオートキツやコマツ
ヒカリ等のダービー馬をはじめ、天皇賞馬
タカマガハマやタケシバオー、菊花賞馬
アカネテンリュウ等、競馬史上に残る
名立たる名馬達が連なっています。
昭和40年代頃は施工距離も金杯と同じ
2000mであったため、私の中では金杯の
再戦競走というイメージが今でもあります。
1984年より距離も東京競馬場の
芝1600mに短縮され、この変更により
天皇賞春に向けてというより、安田記念等
春の古馬マイル路線に向けたレースという
位置づけに変わりました。
思い出のレースは超音速の異名をとった
快速馬スガノホマレが勝った昭和48年
第23回東京新聞杯です。
スガノホマレは花の昭和47年の
クラシック組で、同期にはダービー馬
ロングエース、皐月賞馬ランドプリンス、
菊花賞馬イシノヒカル、天皇賞馬タイテエム
有馬記念馬タニノチカラ、ストロングエイト、
ハクホオショウ、ヒデハヤテ、トーヨーアサヒ
タケクマヒカル等、蒼々たるメンバーが
います。
スガノホマレの父は私が日本の競馬史上
最強馬と思っている五冠馬シンザンで
シンザン自身は一度もレコードタイムでの
勝ちはありませんでしたが、スガノホマレは
生涯成績45戦8勝の内5回をレコード勝ち
する等、超音速の快速馬としてファンを
魅了した名馬でした。
スガノホマレが成し遂げたレコードタイム
5回の記録はタケシバオーと並んで
JRAでのタイ記録となっています。
スガノホマレは旧馬齢3歳夏の新潟で
デビューし、当時は可能だった2戦目の
新馬戦で初勝利すると続くオープン競走で
レコード勝ちをし、その後の福島3歳
ステークスでも2度目のレコードタイムで
優勝し、快速馬としての片鱗を早くも
のぞかせました。
しかし、続く関東3歳チャンピオン決定戦
朝日杯3歳ステークスではトクザクラの
5着に敗れ、3歳戦を終えました。
昭和47年のクラシック戦線は馬インフル
エンザの影響で日程が大幅に変更される
という前代未聞の事態となりました。
年が明けて4歳となったスガノホマレは
6月に復帰すると、いきなりオープン競走で
皐月賞馬ランドプリンスを3度目のレコード
タイムでやぶって4勝目をあげ、何とか
この年7月に延期され行われた七夕
ダービーへの出走に漕ぎつけましたものの
多くの有力馬達が出走する中、23着に
大敗してしまいました。
しかし、その後出走した日本短波賞では
出遅れながらも1番人気のイシノヒカルを
はじめ、ハクホオショウ、タカイホーマを
相手に直線で見事な追い込みで差し
切って優勝を飾り、秋に期待を繋げました。
菊花賞を目指し秋初戦のセントライト記念
2着後に西下し、クラシック最終戦、菊花賞
に出走しました。
第3コーナーで先頭に立つ等、見せ場を
作りましたが、結局7着に敗退しました。
その後、当時は内国産種牡馬の奨励と
保護策の一環として父内国産馬限定競走
として行われていた愛知杯に出走。
1番人気に推されましたが、同じシンザンの
仔のシンザンミサキの2着に敗れてしまい
ましたが、続くCBC賞では4度目のレコード
タイムで快勝する等、改めて非凡な
スピードを見せつけました。
年が明けて5歳となったスガノホマレは
春の天皇賞を目指してAJC杯に出走、
直線で差し返すなど健闘したものの
オンワードガイの2着に敗れました。
そして今では考えられないような過酷な
ローテーションで東京新聞杯に
参戦しました。
このレースには前走の金杯でハクホオ
ショウやタケフブキ、タケデンバード、
ゼンマツ等をやぶって優勝したクリイワイや
古豪アカツキテル、スイノオーザ、ヤシマ
ライデン、トーヨーアサヒ、ラファール等が
出走しました。
レースはトーヨーアサヒの逃げで始まり
2番手を追走していたスガノホマレは
第3コーナーで一気に勝負に出て、
トーヨーアサヒを交わして先頭に立ち
内からワンサバンナや外から猛然と追い
込んで来るクリイワイを頭差押さえて
優勝を飾り、レコードタイムにはなりません
でしたが、13年間2000mで行われた
歴代の東京新聞杯の中で1番早い
タイムで優勝を飾り、3個目の重賞を
獲得しました。

今週は東京競馬場で伝統の第74回
東京
新聞杯が行われます。
初のマイル戦のマスクドディーヴァ、
ジャスティンカフェ、ウンブライル、
アヴェラーレに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、中山競馬場で行われました伝統の
第65回アメリカジョッキークラブカップは
不良馬場のなか行われ、3番人気の
チャックネイトが直線で抜け出し、ボッケ
リーニとの競り合いをハナ差制し、重賞
初制覇を果たしました。
2着には2番人気の8歳馬ボッケリーニ、
3着には5番人気のクロミネンスが入り、
1番人気のマイネルウィルトスは5着に
敗れました。

今週は、舞台を東京競馬場に移して
フェブラリーステークスの前哨戦第38回
根岸ステークスが行われます。
根岸ステークスは1987年に旧馬齢4歳
以上の馬によるダートの重賞競走として
創設されました。
競走名の「根岸」の由来は、横浜市中区の
地名で江戸末期に日本初の近代競馬場
である根岸競馬場(後に横浜競馬場)が
設置され、現在の天皇賞や皐月賞等の
GⅠレースを1942年まで行っていました。
現在、跡地は根岸森林公園・根岸競馬
記念公苑になっていて、今は1等馬見所
のみが残っており、老朽化が進んでいる
ものの、その圧倒的な存在感は今でも
古の競馬ロマンを現在に伝えています。
ぜひこうした競馬の歴史上で貴重な建物は
きちんと整備を行った上で残して頂き、
後世に伝えていって欲しいと思います。


今週は、東京競馬場でダートの重賞競走
第38回根岸ステークスが行われます。
ダート戦線は入れ替わりが激しく、本当に
難しいです。
アルファマム、エンペラーワケア、
サンライズフレイム、フルムに注目して
います。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

