明けましておめでとうございます。

皆様にとって2024年が素晴らしい年に

なりますよう、お祈り申し上げます。

今年も私が見て来た思い出の名馬達の

ことを書いて行こうと思いますので、

どうぞよろしくお願い致します。

 

いよいよ今年70周年を迎える中央競馬が

開幕し、今週は中山競馬場で伝統の

第73回中山金杯が行われます。

 

中山金杯は1952年に5歳(現4歳)以上の

馬による重賞として金杯の名称で創設され

ました。

1966年から1995年までは京都競馬場

でも同名の競走(現京都金杯)が行われて

いたが、1996年より東西の金杯を

区別するため現名称に変更されました。

創設時の施行距離は芝2600mでしたが

1960年(昭和35年)に新年最初の

重賞として創設されたアメリカジョッキー

クラブカップ(AJCC)と入れ替わる形で、

1961年より芝2000に短縮され

時期もAJCCとの交換で新年最初の節の

開催になり、新年度の中央競馬の開幕を

飾る重賞として現在定着しています。

 

思い出の馬は、中央で生涯76戦を無事に

走り抜いたことから「初代走り労働者」

「無事是名馬」と言われたイナボレスです。

イナボレスの父ヘリオスは重賞4勝(京都

記念2回京都盃、阪神大賞典)を挙げ、

1960年と1961年に2年連続で最良

スプリンターに選出されました。

但し、イナボレスの母ボーレスクインの

母系を辿っていくと、アングロアラブに辿り

つくため、イナボレスは純粋なサラブレッド

ではなく、サラブレッド系種という扱いに

なり、このことが後に数奇な運命を辿る

ことになりました。

イナボレスは史上最強の世代と言われて

いる花の昭和47年組で同期には

ダービー馬ロングエース、皐月賞馬ランド

プリンス、菊花賞馬イシノヒカル、天皇賞馬

タイテエム、有馬記念馬タニノチカラ、

ハクホオショウ等、蒼々たるメンバーが

いました。

イナボレスは旧馬齢3歳8月の中山で

デビューし、初戦は2着だったものの、

2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げました。

しかし、その後はなかなか勝ち星には

恵まれず、3歳時は7戦1勝に終わり

ました。

 

年が明けて4歳になったイナボレスは

5月の条件戦で2勝目をあげましたが

この年感冒の流行のため、遅れて施行

されたクラシック戦線にも参戦することは

出来ませんでした。

秋に入って条件戦に勝って3勝目を

挙げると条件馬の身でありながら

オールカマーに参戦。

当然のことながら11頭中9番人気の

低評価での出走となりましたが、

下馬評を覆し、ハクホオショウ、オンワード

ガイ等の有力馬を抑えて優勝。

デビュー17戦目にして重賞に初挑戦し、

初制覇を果たしました。

4歳時は13戦3勝、2着2回 うち重賞を

初制覇と健闘しました。

 

年が明けて古馬となったイナボレスは、

飛躍を期待されましたが、東の金杯6着を

皮切りに重賞レースに出走するものの、

なかなか勝てずに10連敗を喫してしまい

ました。

10月に条件戦に戻ってようやく勝利し

何とか5勝目を挙げました。

5歳時は14戦してわずか1勝に終わり

ました。

 

年が明けて6歳になったイナボレスは

前年同様に金杯から始動しました。

このレースにはオークス馬ナスノチグサや

3歳チャンピオンのトクザクラ、古豪メジロ

ゲッコウ、ラファール、古馬の新鋭

ブルスイショーやユウシオ等、多彩な

メンバーが顔を揃えました。

1番人気はブルスイショーで近年の不振も

あってかイナボレスは51キロという

軽ハンデながら17頭中12番人気での

出走となりました。

レースはサンポウが逃げ、サンヨウコウと

ユウシオが先行し、ブルスイショーは中団

から進み、イナボレスは後方からの競馬と

なりました。

直線に入ってハンデ戦らしく横一線となり

内をついたサンポウが逃げ粘る中、馬場の

中央からイナボレスが今までのうっぷんを

晴らすかのように鋭く伸び、追い込んで

来たインタープライドをクビ差おさえて

優勝。

2年ぶりの重賞2勝目を手にしました。

この勝利で、ついにイナボレスは本格化

したかと思われましたが、続く東京新聞杯

ではユウシオの11着に大敗。

その後もなかなか勝ち星には恵まれません

でしたが、成績が安定し、掲示板には載り

続けるようになりました。

6月には大井で行われた第1回中央招待

競走に出走し、地方のゴールドイーグルの

2着に敗れたものの、中央馬では最先着と

なりました。

そしてオールカマー6着後、11月の目黒

記念 (秋)に出走。

このレースにはカミノテシオ、スガノホマレ、

イチフジイサミ、ヌアージターフ等の

強力馬が参戦する中で5番人気の

イナボレスは直線で外から鋭く伸びて

カミノテシオやイチフジイサミを抑えて

圧勝し、重賞3勝目を挙げました。

しかし、続くクモハタ記念では6着に敗れ

6歳時は11戦2勝、うち重賞2勝となり

ました。

 

年が明けて7歳となったイナボレスは

オープン戦2着でスタートし、続くアルゼン

チン共和国杯3着の後、宝塚記念では

ナオキの4着と健闘し、健在ぶりを示し

ました。

秋に入って連覇を狙った目黒記念でも

13頭中11番人気という低評価でしたが

キクノオーの3着に入り、トウコウエルザ

イチフジイサミやカミノテシオに先着する等

大健闘しました。

しかし、続く天皇賞(秋)は12着と大敗し、

さすがに限界とも言われましたが、12月の

愛知杯で6番人気ながら直線で豪快に

差し切って優勝を飾り、重賞4勝目を挙げ

ました。

しかし、この勝利がイナボレスにとっての

最後の勝利となりました。

7歳時は13戦1勝 うち重賞1勝となり

ました。

 

年が明けて8歳になったイナボレスは

現役を続行。

金杯から始動すると今では考えられない

異常なローテーションで出走を続け、

春秋天皇賞や安田記念、高松宮杯を

はじめ、主な重賞競走でイナボレスの名

を見ないレースは無いとも言われました。

引退する最後の年は19戦もし、勝つことは

出来ませんでしたが、掲示板には8回も

載るなど、イナボレスは最後まで故障を

することもなく、よく酷使に耐えて頑張った

と思います。

前年に優勝した愛知杯5着を最後に引退。

本来なら種牡馬になるパターンでしたが

サラ系という血統面で大きなハンデを

背負っていたために種牡馬になることを

断念せざるを得ませんでした。

種牡馬にはなれませんでしたが、栗毛の

四白流星という美しい馬体から、東京

競馬場の誘導馬として採用されました。

しかし、記録によりますと

1980年代後半までは活動していましたが

その後は行方不明となってしまった

ようです。

中央での通算成績76戦8勝、2着8回

3着7回。うち重賞4勝

イナボレスのように3歳から8歳まで

中央競馬で76戦も無事に走り、重賞を

4回も勝てる馬は、もう二度と現れないと

思います。

 

今週は中山競馬場で伝統の第73回

中山金杯が行われます。

私の金杯のイメージは、荒れる金杯という

イメージが強いです。

エピファニー、マイネルクリソーラ、リカン

カブール、オークス以来のゴールデン

ハインドに注目しています。

記念すべきJRA70周年となる2024年の

競馬も東西の金杯でスタートします。

2024年も全馬の無事を祈りながら

レースを観ます。