ハイセイコーのブログ -32ページ目
先週、中山競馬場で行われました伝統の
第73回スプリングステークスは1番人気の
シックスペンスが最後の直線で一気に
突き抜け、粘るアレグロブリランテに
3馬身半差をつけて優勝、無敗の3連勝で
重賞初制覇を果たしました。
2着には9番人気のアレグロブリランテ、
3着には4番人気のルカランフィーストが
入り、上位3頭が皐月賞への優先出走権を
手にしました。

今週は、中京競馬場で伝統のGⅠ競走
第54回高松宮記念が行われます。
高松宮記念は4歳(現3歳)以上の馬
による重賞として1967年創設された
中京大賞典を前身として1970年に
高松宮宣仁親王から優勝杯が下賜
されたのを機に1971年より高松宮杯に
改称して新設されました。
1995年までは毎年6、7月に行われて
いましたが、1996年の競走体系の整備
により、距離を芝1200m短縮の上、
GⅠ競走に格上げされ、春の短距離王
決定戦として位置づけられました。
その後1998年に現名称の高松宮記念に
改称され、2000年からは施行時期も
現在の3月に変更されました。
昭和から平成前期においては、
宝塚記念の後に行われる前半戦最後を
飾る重賞競走高松宮杯として行われて
いたため、ハイセイコーをはじめ、
トウショウボーイやナリタブライアン等、
競馬史上に残る名馬達が参戦しており、
数々のドラマや出来事が起こるレースでも
ありました。
思い出の馬は、記憶に残るガラスの重戦車
メジロアルダンです。
メジロアルダンの父は京成杯、NHK杯に
優勝した名種牡馬ノーザンテーストの血を
引くアスワンで、姉には初の牝馬クラシック
3冠を制した名牝メジロラモーヌがいます。
メジロアルダンは昭和期最後の年となった
昭和63年のクラシック組で同期には
ダービー馬サクラチヨノオー、皐月賞
天皇賞に勝ったヤエノムテキ、菊花賞
天皇賞に勝ったスーパークリークの他
芦毛の怪物オグリキャップやサッカー
ボーイ等がいます。
メジロアルダンは血統的にもクラシック
制覇に向けたメジロ一族の期待の
星でしたが、生まれつき脚元が弱かった
ため、デビューは大幅に遅れ、旧馬齢
4歳になった3月の東京の未勝利戦と
なってしまいました。
奇しくもこの日には皐月賞トライアル
スプリングステークスが行われていました。
この未勝利戦は初戦でしたが、無事に
勝利をおさめ、続く条件特別戦でも勝利し
2連勝を飾りました。
そしてこの日もまた奇しくもは出走が
叶わなかった皐月賞が行われ、ヤエノ
ムテキが勝利を飾った日でした。
何とかメジロアルダンをダービーに出走
させたい陣営は、出走の権利を得るため
故障発生により競走生命を絶たれる
危険があることを覚悟して、当時の
ダービートライアルだったNHK杯への
出走に踏み切りました。
そしてメジロアルダンもその期待に応え
アタマ差の2着に入り、ギリギリでダービー
出走への権利を獲得しました。

ダービーに出走する権利を得たメジロ
アルダンでしたが、中2週でダービーという
厳しいローテーションでの出走となり、
もともと脚元が弱いメジロアルダンの脚の
状態は良くありませんでした。
そして迎えた選ばれし24頭による
日本ダービーはサッカーボーイが1番
人気に推され、皐月賞馬ヤエノムテキは
2番人気、3番人気はサクラチヨノオーで
メジロアルダンは6番人気での出走となり
ました。
レースは先行集団にいたメジロアルダンが
第4コーナーで一気に差をつめて上がって
行き、直線に入るとサクラチヨノオーを
交わして先頭に立ち、このまま押し切って
メジロ一族に初のダービー制覇かと思われ
ましたが、サクラチヨノオーが二の脚を
使って差し返し、メジロアルダンは悲願
達成目前で、サクラチヨノオーに差し返され
アタマ差の2着に敗れてしまいました。

日本ダービー後、さすがに今までの無理が
限界を超えてしまい、メジロアルダンは
骨折が判明、長期休養を余儀なくされて
しまいました。
1年後、5歳になって復帰を果たしたメジロ
アルダンはオープン特別を快勝して、
当時の高松宮杯に参戦しました。
このレースには安田記念に勝った同期の
バンブーメモリーやオークス馬コスモ
ドリーム、牝馬クラシックで活躍した
シヨノロマンやダイユウサク等が出走し、
メジロアルダンは1番人気に推されました。
レースはダイユウサクが逃げ、その後から
シヨノロマンが続き、メジロアルダンは
4、5番手を進み、バンブーメモリーと
コスモドリームは中団からの競馬と
なりました。
第3コーナーでメジロアルダンが一気に
仕掛けると、第4コーナーでダイユウサクに
並びかけ、直線に入ってからは鋭く伸びて
他馬を引き離して先頭に立ち、追い込んで
来るバンブーメモリーに2馬身半差を
つけて圧勝、重賞初制覇を果たしました。

秋に入ってメジロアルダンはメジロ一族が
永年執念を燃やす天皇賞に向けて
毎日王冠から復帰しましたが、怪物オグリ
キャップ、イナリワンの前に3着に敗れ
ました。
そして迎えた記念すべき第100回
天皇賞秋では直線でメジロアルダン、
スーパークリーク、オクリキャップの
3頭による叩き合いの大接戦を演じ
ましたが、わずか及ばず、またしても
3着に惜敗してしまいました。

そしてレース後に不治の病と言われる
屈腱炎を発症し、再び長期休養に入る
ことになってしまいました。
約1年休養後、6歳になったメジロ
アルダンはオールカマーから復帰し
1番人気に推されたものの、4着に
敗退しました。
そして再び迎えた天皇賞秋では、オグリ
キャップ、ヤエノムテキ、バンブーメモリー
の有力馬達が出走する中、最後の直線で
内をついて鋭く伸びて先頭に立ったヤエノ
ムテキをメジロアルダンが必死に追い
込んで、ヤエノムテキに迫りましたが、
アタマ差捉えきれず2着に敗れ、またしても
メジロ一族の悲願達成にはなりません
でした。

そして続く有馬記念では2番人気に
支持されましたが、オグリキャップの奇跡の
復活勝利の前に10着と大敗してしまい
ました。
年が明けて7歳になったメジロアルダンは
現役を続行し、西下して日経新春杯に
参戦しましたが4着に敗れ、レース後には
再び右前屈腱炎を発症したため、3度目の
長期休養を強いられました。
秋になってオープン特別で復帰を果たした
メジロアルダンでしたが、全盛期の力は
見る影もなく6着に敗れてしまい、続く
ジャパンカップでも14着に大敗し
レース後、今度は左前脚に繋靭帯炎を
発症したため、引退することになりました。
引退後は北海道で種牡馬となり、内国産
種牡馬不遇の時代の中で、産駒数は
少なかったものの、オープン馬や勝ち馬を
輩出しました。
記録によりますと
2000年10月に種牡馬として中国へ
輸出され、北京の牧場で繋養されました。
しかし、2002年6月18日、種付け中の
心臓発作のため、17年の生涯に幕を
下ろしました。
今週は中京競馬場で第54回高松宮記念
が行われます。
ナムラクレア、トウシンマカオ、ママコチャ、
マッドクールに注目しています。
そして、このレースを最後に引退する
メイケイエールを応援し、今週も全馬の
無事を祈りながらレースを見ます。
先週、阪神競馬場で行われました桜花賞
トライアル第58回フィリーズレビューは
11番人気のエトヴプレが好スタートを
切って逃げ、直線に入ってからもスピード
が鈍ることなく逃げ切って優勝を飾り
重賞初制覇を果たしました。
2着には1番人気のコラソンビート、
3着には12番人気のセシリエプラージュが
入り、この3頭が桜花賞への優先出走権を
獲得しました。

今週は、中山競馬場で皐月賞トライアル
第73回スプリンターズステークスが
行われます。
スプリングステークスは3着までの馬に
皐月賞への優先出走権が与えられる
トライアル競走で1952年4歳牡馬・牝馬
(現3歳)限定の芝1800mで施行される
重賞競走として創設されました。
その後、施行場や距離は幾度かの変遷を
経て、1960年以降は中山競馬場の
芝1800mで定着し、「皐月賞トライアル」
の副称がつけられました。
1964年には名称がフジテレビ賞
スプリングステークスに変更され、皐月賞
日本ダービーと続く春のクラシック路線
およびNHKマイルカップへの重要な
前哨戦として位置付けられています。
思い出の馬は、4歳で燃え尽きた孤高の
逃げ馬リキアイオーです。
リキアイオーの父は短・中距離系種牡馬
タンディで兄弟には目黒記念や中山記念
札幌記念に優勝したキタノリキオーが
います。
リキアイオーは昭和54年のクラシック組で
同期には怪物ハイセイコーの代表産駒
ダービー馬カツラノハイセイコをはじめ、
皐月賞馬ビンゴガルー、菊花賞馬
ハシハーミット、宝塚記念馬テルテンリュウ
リンドプルバン、ヨシノスキー、ネーハイ
ジェット、テルノエイト等がいます。
リキアイオーは旧馬齢3歳の札幌で
デビューをすると、いきなり新馬戦を
9馬身差つけて圧勝し、一躍注目される
存在となりました。
しかし、その後はレースに行ってムラがあり
北海道3歳ステークスは3着だったものの
京成杯3歳ステークスではシンガリの
11着に大敗してしまいました。
それでも続く5戦目の条件特別で5馬身差
のレコードタイムで圧勝する等、非凡な
才能を発揮して2勝目を挙げ、当時の
3歳ナンバーワン決定戦だった朝日杯
3歳ステークスに挑みましたが、後の
皐月賞馬ビンゴガルーの前に6着に
敗退しました。
年が明けて4歳になったリキアイオーは
緒戦の京成杯は6着に敗れたものの、
ここからリキアイオーの怒涛の快進撃が
はじまりました。
2戦目のオープン競走でビンゴガルーと
ヨシノスキーをやぶって3勝目を挙げと
続く東京4歳ステークスでは逃げ切って
再びビンゴガルーをやぶり、重賞初制覇
を飾りました。
そして迎えたクラシックの登竜門弥生賞
でも持ち前のスピードで逃げを展開し、
2着のヨシノスキーに4馬身差をつけ、
見事1番人気に応えて圧勝。
重賞2勝目を挙げました。
今の時代ならば、このまま皐月賞に向かう
のが通常ですが、当時は過酷なローテー
ションを取ることが多く、リキアイオーは
皐月賞トライアル、スプリングステークス
に出走することになりました。
このレースには関西から3連勝中の
カツラノハイセイコをはじめ、毎日杯に
勝ったハシハーミット、デイリー杯3歳
ステークスを制したニホンピロポリシーが
参戦し、関東のビンゴガルーやヨシノ
スキーも出走する等、皐月賞の前哨戦に
相応しいメンバーが揃いました。
レースは弥生賞同様、スタートして予想
どおりリキアイオーが逃げる展開となり
直線に入ってカツラノハイセイコの猛追を
受けましたが、何とかクビ差カツラノ
ハイセイコを押さえて優勝を飾り、重賞
3勝目を挙げると共に破竹の4連勝で
皐月賞に王手をかけました。
そして迎えた本番の皐月賞でリキアイオー
は当然のごとく、1番人気に推されました。
レースはリキアイオーに公然と先行争いを
挑むとレース前に宣言していたカシマセイ
カンがその宣言通り、執拗にリキアイオー
に絡んでいったため、2頭が激しく競り合う
展開となりました。
第3コーナーでカシマセイカンを振り切った
リキアイオーでしたが、前半に脚を使って
しまったためか、直線で余力が無くなって
しまい、ビンゴガルーやカツラノハイセイコ
に交わされ、4着に敗れてしまいました。

そしてリキアイオーは血統的な距離への
不安が囁かれる中、日本ダービーに
駒を進めました。
しかし、リキアイオーに更なる試練が訪れ
ます。
日本ダービーでの枠順抽選でリキアイオー
は27頭中、8枠26番というダービー
としても逃げ馬としても致命的な不利な
枠を引き当ててしまいました。
レースは内枠を引いたカシマセイカンが
先手をとって逃げ、リキアイオーもスタート
良く飛び出して、上手く内に切れ込んで
4番手を追走する展開となりました。
第3コーナーで徐々に上がっていった
リキアイオーは第4コーナーで先頭に立ち
26頭を引き連れて最後の直線へ。
大きな不利を跳ね返し見せ場をつくった
リキアイオーでしたが、やはり距離が
長すぎたのか、直線に入ると失速し、
カツラノハイセイコの前に8着に敗れて
しまいました。
しかし、先行馬が総崩れとなる中、
26番という不利な大外からの競馬となった
リキアイオーの8着は本当に立派だったと
思います。

しかし、今までの過酷なローテーションでの
疲れが限界を超え、ダービーで燃え尽きて
しまったかのように、ダービー後に函館に
遠征し函館記念に出走するも大差の
シンガリの11着に大敗し、秋の中京で
行われた地方競馬招待でも8着に敗れて
しまいました。
その後、リキアイオーは脚部不安を発症し、
休養に入ったものの、リキアイオーが再び
競馬場に姿を見せることはありません
でした。
引退後、種牡馬となったリキアイオーは
内国産種牡馬不遇の時代でしたが、
中央での重賞勝ち馬は排出できなかった
ものの、地方での重賞勝ち馬を輩出する等
内国産種牡馬として立派な成績を残したと
思います。
記録では1998年に種牡馬を引退と
ありますが、リキアイオーがその後、
どのような最期を迎えたのかの記録が
無いのが、とても残念です。
今週は中山競馬場で皐月賞トライアル
伝統の第73回スプリングステークスが
行われます。
ペッレグリーニ、コスモブッドレア、
ルカランフィースト、巻き返しを図る
ジュンゴールドに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、中山競馬場で行われましたクラ
シックの登竜門、第61回弥生賞ディープ
インパクト記念はミルコ・デムーロ騎手騎乗
の6番人気の伏兵コスモキュランダが
後方待機から向こう正面から第3コーナー
で一気に仕掛けて先頭に並びかけ、直線
に入ってからも、いい脚を長く使って押し
切って優勝し、重賞初制覇を飾りました。
2着には3番人気シンエンペラー、3着には
9番人気のシリウスコルトが入り、1番
人気のトロヴァトーレは6着、2番人気の
ダノンエアズロックは7着に敗れました。
人気馬が敗れる中、今年のクラシック戦線
は混戦模様が予想される結果となりました。

今週は、阪神競馬場で第58回フィリーズ
レビューが行われます。
フィリーズレビューは1967年に創設
された4歳(現3歳)牝馬による重賞競走で
阪神4歳牝馬特別(桜花賞トライアル)
というレース名でしたが、1983年には
報知杯4歳牝馬特別と改称され、
2001年からは現名称のフィリーズ
レビューとなりました。
思い出のレースは牝馬最強世代の中で
幻の桜花賞馬ダイワテスコが勝った
昭和52年第11回阪神4歳牝馬特別
(現フィリーズレビュー)です。
ダイワテスコの父はキタノカチドキや
トウショウボーイをはじめとする数多くの
代表産駒を残した昭和を代表する
大種牡馬テスコボーイです。
ダイワテスコは牝馬最強世代とも言われる
昭和52年の牝馬クラシック組で同期には
関西3強と言われた牝馬二冠馬インター
グロリア、オークス馬リニアクイン、アイノ
クレスピンの他、マサキビゼン、フジビゼン
セーヌスポート、メイワキミコ、メイワロック
スリーファイヤー等、多くの名牝がいます。
名門尾形厩舎に入厩したダイワテスコは
旧馬齢3歳夏の札幌でデビューし、新馬戦
2戦はダートが合わなかったのかいずれも
3着に敗れましたが、4戦目の未勝利戦で
初勝利を挙げました。
年が明けて4歳になったダイワテスコは
新春4歳牝馬ステークスでメイワロックや
セーヌスポートをやぶって優勝し、続く
オープン競走でも牡馬のアローバンガード
をやぶって3連勝を飾り、堂々と関東の
牝馬クラシック候補に名乗りを挙げました。
桜花賞の最有力候補としてダイワテスコは
西下し、当時の桜花賞トライアルだった
阪神4歳牝馬特別に参戦しました。
このレースには、西のファインニッセイや
ケイシルバー等が出走しましたが、
この時点では後に関西最強トリオと
言われたインターグロリアやリニアクイン
アイノクレスピンも、まだ条件特別に優勝し
台頭してきた牝馬に過ぎませんでした。
レースは悲劇の快速馬キシュウローレルの
妹メイショウローレルが姉を彷彿させる
スピードあふれる逃げを展開し、ダイワ
テスコは2番手を追走、その後ろから
ケイシルバーが続き、ファインニッセイは
中団よりやや後ろからという競馬になり
ました。
ファインニッセイが第3コーナーで一気に
仕掛けて先頭集団に追いつく中、
スピードが落ちることなくメイショウローレル
が先頭で直線へ。
逃げ込みを図るメイショウローレルを
直線の真ん中からダイワテスコ、外から
ケイシルバーとファインニッセイが追い
込みを図る中、鋭く伸びたダイワテスコが
ゴール手前でメイショウローレルを計った
かのように差し切って優勝。
4連勝で重賞初制覇を果たしました。

このダイワテスコの強烈な勝ち方により
本番の桜花賞では圧倒的な1番人気が
予想されたため、ダイワテスコは当時
存在した単枠シード馬となりました。
しかし、枠順抽選で引いた枠は不運にも
阪神の1600mでは不利といわれている
8枠21番になってしまいました。
更に不運は重なり、大本命と見られていた
ダイワテスコは桜花賞の当日に右前
深管骨瘤のため出走を取り消すことに
なってしまいました。
タラレバになってしまいますが、もしダイワ
テスコが出走していたならと思うと残念で
なりません。
今週は、阪神競馬場で桜花賞トライアル
第61回フィリーズレビューが行われます。
先週の弥生賞同様、まだ各馬が成長
途上であり、抜きん出た馬がいないため、
非常に難しいレースですが、
コラソンビート、ドナベティ、バウンシー
ステップ、シカゴスティングに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

