ハイセイコーのブログ -22ページ目
昨日、東京競馬場で行われました第75回
毎日王冠は1番人気の3歳馬シックス
ペンスが直線に入って鋭く伸び、ゴール前
で古馬のホウオウビスケッツをクビ差
差し切って優勝を飾り、重賞2勝目を挙げ
ました。
2着には4番人気のホウオウビスケッツ
3着には5番人気のエルトンバローズが
入り、2番人気のローシャムパークは
必死に追い込むも10着に敗れました。

そして、昨日フランスのパリロンシャン
競馬場で行われた第103回凱旋門賞は
2番人気のブルーストッキングが先行から
力強く抜け出して優勝。
2着には7番人気のアヴァンチュール、
3着には6番人気のロスアンゼルスが入り
1番人気のソジーは4着に敗れ、日本から
参戦したシンエンペラーは12着に終わり
ました。
そして凱旋門賞のレース中に競走を
中止した地元フランスのアヤザークは
残念ながらその後亡くなったとのことです。
同馬は今年4月のガネー賞でG1初制覇。
昨年に続き、2年連続の参戦となった
今回の凱旋門賞を最後に、現役を引退して
種牡馬入りすることが決まっていただけに
この華やかな舞台で悲劇が起きてしまった
ことは本当に残念で、悲しい限りです。
アヤザークのご冥福を心からお祈り
いたします。

今週は、京都競馬場で牝馬クラシック
三冠目第29回秋華賞が行われます。
秋華賞は昭和期、4歳(現3歳)牝馬
クラシック路線の3冠目という位置づけで
1970年にビクトリアカップが創設され
ました。
その後1975年にエリザベス女王の来日
を記念して1976年にエリザベス女王杯が
創設されと距離や競走条件はビクトリア
カップを踏襲したものの、エリザベス女王
への敬意を表するため、ビクトリアカップ
からの引き続きではなく第1回エリザベス
女王杯として行われ、1995年まで牝馬
クラシック3冠目という位置づけで4歳
牝馬限定競走として行われていました。
その後、1996年に牝馬競走体系の
見直しに伴い、エリザベス女王杯は競走
条件が4歳牝馬限定から4歳以上牝馬に
変更され行われることになりました。
このエリザベス女王杯の位置づけの
変更により、エリザベス女王杯に代わる
4歳牝馬クラシックの3冠目として新たに
秋華賞が新設され、現在に至っています。
思い出の馬は、昭和50年旧名称での
最後の牝馬クラシック3冠目となった
第6回ビクトリアカップ優勝馬ヒダロマン
です。
ヒダロマンの父は昭和を代表する万能型
種牡馬ダイハードで代表産駒には
スイートフラッグ、スカイリーダ、タマホープ
スリーヨーク、コウイチサブロウ、スイノ
オーザ、インターグッド、トウホーパール等
がおり、弟にはアルゼンチン共和国杯や
オールカマーを勝ったブルーマックスが
います。
ヒダロマンは昭和50年の牝馬クラシック
組で同期には最速女王テスコガビー、
アンセルモ、トウホーパール、ヨネミノル
カバリダナー等がいます。
ヒダロマンは旧4歳1月の京都でデビューし
新馬戦で2着となった後、4戦目の
未勝利戦で初勝利を挙げました。
しかし、デビューが遅く、春に勝利を積み
上げられなかったため、春の牝馬
クラシック戦線に参戦することはできません
でした。
その後、夏の新潟の条件戦で2勝目を
挙げると、秋の京都での特別戦を連勝して
4勝目を挙げ、ギリギリで間に合った
当時の牝馬クラシック最終戦ビクトリア
カップに参戦しました。
この年の牝馬クラシック戦線では伝説的
名牝テスコガビーが圧倒的な強さを見せて
桜花賞、オークスの2冠を制し、3冠牝馬
間違いなしと言われていました。
テスコガビーもビクトリアカップを目指して
調整をしていましたが、9月にはゲート
練習中に右前球節挫創で9針も縫う重傷を
負い、その後は順調だったものの、
10月には調教中に捻挫をしてしまったため
ビクトリアカップへの出走を断念し、牝馬
3冠制覇の夢は叶いませんでした。
春の絶対的女王が出走することが出来ず
主役不在の中、レースには桜花賞2着の
ジョーケンプトン、オークス3着馬トウホー
パールの他カバリダナー、上り馬エース
コスモ、グリーンファイト等が出走し、
エースコスモが1番人気に推され、新鋭
ヒダロマンは4番人気での出走となり
ました。
レースは不良馬場の中、スタートすると
各馬なるべく馬場の良い外を走りながら
ジョーケンプトンがスローペースで逃げ
その後ろからハマノシャープ、カバリダナー
が続き、グリーンファイトは中団から
ヒダロマン、トウホーパールとエース
コスモは後方からという競馬となりました。
第3コーナーでカバリダナーが先頭に並び
かけようとする中、ヒダロマンも外から
一気に仕掛けて直線の勝負へ。
直線に入って内をついて伸びた
ヨドフレーヤとエースコスモが競り合いを
演じる中、外からカバリダナーが追い込み
更にその外からヒダロマンが豪脚を繰り
出して追い込み、エースコスモ以下を
一気にまとめて差し切って優勝を飾り
牝馬クラシック3冠目の女王に輝きました。

そして続く阪神大賞典でヒダロマンは
初めての対戦となる古馬の牡馬を相手に
3着に入るなど、大善戦しました。
年が明けて古馬になったヒダロマンは
京都記念に出走。
1番人気はメジロジゾウ、ヒダロマンは
2番人気に推されました。
レースはハンデ軽量のトムハンデンが逃げ
ヒダロマンはいつものように後方からの
競馬となりました。
第4コーナーで各馬一団となって直線の
攻防へ
直線に入って各馬が横一線になる大混戦
の中、内からメイセイヒカリ、真ん中から
ナラサンザンとヒダロマンが鋭く追い込み
3頭による競り合いとなりましたが、
ナラサンザンがクビ差ヒダロマンを押さえて
優勝を飾り、ヒダロマンは惜しくも2着に
敗れました。

その後ヒダロマンは天皇賞春に挑み
ましたが、6着に終わりました。
秋に入ってオープン競走7着、続く朝日
チャレンジカップでは11着に大敗して
しまいました。
しかし、その後ヒダロマンは京都大賞典に
参戦。
このレースには骨折後、菊花賞に向けて
復活にかける貴公子テンポイントをはじめ
天皇賞馬エリモジョージ、シンザンの仔
シルバーランドやロングファスト、トリデ
ジョウ等の精鋭が出走し、ヒダロマンは
前走の大敗からか、14頭中12番人気
という低評価での出走となりました。
レースはバンブーホマレが逃げ、
トウカンタケシバ、エリモジョージが先行し
注目のテンポイントは中団から、続いて
シルバーランド、パッシングベンチャと
ロングファストが続き、ヒダロマンは
例によって後方からの競馬となりました。
第3コーナーから第4コーナーにかけて
エリモジョージがバンブーホマレを交わしに
かかると、テンポイントも一気に仕掛けて
直線の勝負へ。
内からトウカンタケシバ、真ん中から
テンポイントが先頭に躍り出ようとする
ところへ、外からパッシングベンチャが
鋭く追い込んでテンポイントを交わして
先頭に立ち、その外からヒダロマンも
猛然と追い込み、テンポイントは
差し切りましたが、パッシングベンチャには
3/4馬身届かず、惜しくも2着に敗れて
しまいました。
この京都大賞典でのレースがヒダロマンに
とっての最後の見せ場となりました。

当時はまだ古馬牝馬に対するレース
体系が整備されていなかったため、
ヒダロマンはその後も重賞レースに出走
するも、なかなか勝つまでには至りません
でした。
年が明けて6歳になったヒダロマンは
現役を続けましたが、着順表示板に
のるのがやっとで、11月に行われた
京阪杯でシルバーランドの4着を最後に
引退し、繁殖のため、北海道に旅立って
行きました。
記録によりますと
1978年からヒダロマンは繁殖入りした後
3頭の産駒を輩出し、その内の1頭は
4勝を挙げる等、活躍したものの、代表
産駒には恵まれませんでした。
1986年の産駒が最後の産駒となり
ましたが、その後ヒダロマンがどのような
運命を辿ったについての記録が無いのが
本当に残念です。
今週は京都競馬場で牝馬クラシック3冠目
第29回秋華賞が行われます。
チェルヴィニア、ステレンボッシュ
ミアネーロ、クリスマスパレードに注目して
います。
今週も全人馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
昨日、中山競馬場で行われました秋の
G1シリーズ開幕戦第58回スプリンターズ
ステークスは骨折休み明けの9番人気の
ルガルが、前半3ハロン32秒1という
超ハイペースを3番手で追走し、直線で
鋭く抜け出してG1初勝利を飾り、デビュー
7年目の西村淳也騎手に涙のG1初勝利を
プレゼントしました。
2着には直線で内から鋭く追い込んだ
5番人気のトウシンマカオ、3着には大外
からメンバー最速の上がりで追い込んだ
4番人気のナムラクレアが入り、1番人気の
サトノレーヴは直線で伸び脚を欠いて
7着に敗れました。

今週は、東京競馬場で第75回毎日王冠が
行われます。
毎日王冠は4歳(現3歳)以上の馬による
重賞競走として1950年に創設されました。
1981年にジャパンカップの創設に伴い、
天皇賞(秋)の施行時期が1ヶ月繰り
上げられてからは天皇賞秋の前哨戦
として位置づけられ、1着馬には
天皇賞秋の優先出走権が与えられて
います。
距離は創設当初は芝2500mでしたが、
1984年から天皇賞秋の距離が2000m
に短縮されたことに伴い、本競走も
1800mに短縮され現在に至っています。
昭和期は天皇賞秋や有馬記念に向けた
古馬による秋初戦のレースとなって
いましたが、現在は秋のマイルや中距離
路線に向けた古馬や3歳の有力馬達が
秋の初戦として出走しており、天皇賞秋や
マイルチャンピオンシップ等の秋のG1
戦線を占う上での重要なレースとなって
います。
思い出の馬は、シルバー・ブロンズ
コレクター 昭和51年第27回優勝馬
ハーバーヤングです。
ハーバーヤングの父は昭和を代表する
ステイヤー系種牡馬セダンで代表産駒
にはダービー馬コーネルランサーをはじめ
天皇賞馬アイフルやスリージャイアンツ
逃げる精密機械トーヨーアサヒ、タケデン
ハクエイホウ、ヤシマライデン等がいます。
ハーバーヤングは昭和50年のクラシック
組で同期には二冠馬カブラヤオー、
天皇賞馬エリモジョージ、菊花賞馬
コクサイプリンス、有馬記念馬イシノアラシ
ロングホーク、ロングファスト等がいます。
ハーバーヤングは旧馬齢3歳秋の中山で
デビューし、初戦のダートの新馬戦では
2着に敗れましたが、2戦目の新馬戦で
初勝利を挙げました。
その後は惜敗が続き、年が明けて4歳に
なった2月の特別戦で後の菊花賞馬
コクサイプリンスやファイブワンをやぶって
2勝目を挙げ、クラシック戦線に
参戦しました。
この年の関東のクラシック戦線は
彗星のごとく現れたカブラヤオーが連勝
街道を突き進んでいました。
ハーバーヤングも弥生賞でカブラヤオーと
対戦し5着に敗れましたが、続くスプリング
ステークスでは関西のエース格のロング
ホークの2着に入り、実力のあるところを
見せました。
そして迎えた皐月賞ではカブラヤオーの
前に6着に敗れましたが、続く当時28頭
フルゲートで行われた日本ダービーで
ハーバーヤングは11番人気で出走
しました。
レースは競馬史上に残る狂気の逃げを
展開したカブラヤオーをハーバーヤングは
直線で追い込み、見せ場をつくり1ましたが
最後は力尽き、それでも3着に入る好走を
見せました。
続く日本短波賞で6着後、ハーバーヤング
は、夏を休養して秋競馬に備えました。
そして迎えた秋緒戦のセントライト記念では
1番人気に推されたものの、イシノアラシの
2着に敗れてしまいました。
その後西下して菊花賞に参戦しました。
菊花賞の直前でカブラヤオーがまさかの
故障により出走を断念という波乱の中
ハーバーヤングはイシノアラシ共々
関東の期待を背負って3番人気に推され
出走しましたが、夏を越して本格化し、
当時菊花賞トライアルだった京都新聞杯に
勝ったコクサイプリンスの前に、またしても
3着に敗れてしまいました。
その後、ハーバーヤングは当時行われて
いたクモハタ記念に出走し、古馬達と
初めて対戦しました。
このレースには天皇賞馬カミノテシオや
後の天皇賞馬アイフル、快速馬サクラ
イワイ等、古馬の精鋭達が参戦し
ハーバーヤングは1番人気に支持され
ました。
レースは快速馬サクライワイが逃げる中
3番手を進んだハーバーヤングは最後の
直線でロイヤルスプリンタとの激しい競り
合いを演じ、ゴール前でクビ差競り勝って
重賞初制覇を果たしました。

年が明けて古馬になったハーバーヤングは
1番人気で金杯に出走しましたが、アイフル
の3着に敗れ、その後はアルゼンチン
共和国杯でまたしてもアイフルの5着に
敗れると日本経済賞では2着と惜敗。
秋緒戦の京王杯オータムハンデでも3着に
敗れるなど、脚質が追い込みのせいか
追い込むも届かないという競馬が続き
なかなか勝つことは出来ませんでした。
そして秋の天皇賞を目標に毎日王冠に
参戦しました。
このレースには菊花賞馬コクサイプリンス
オークス馬トウコウエルザ、白い逃亡者
ホワイトフォンテン、古豪イナボレス等
個性あふれるメンバーが出走し、ハーバー
ヤングが1番人気に推されました。
スタートすると大方の予想どおりホワイト
フォンテンが逃げ、その後ろからウエスタン
リバー、そしてこのレースを最後に中央を
去るカネオオエ、コクサイプリンスが続き
ハーバーヤングは中断からの競馬となり
ました。
第4コーナーで各馬が一斉に仕掛けて
直線の攻防へ。
ホワイトフォンテンが早々と失速する中
内をついたコクサイプリンスが先頭に
躍り出て、ハーバーヤングも内をついた
ものの、前をふさがれてなかなか抜け
出せませんでしたが、一瞬、前が開いた
隙を狙って鋭く抜け出し、コクサイプリンス
を交わして先頭に立つと、外から追い
込んで来たミトモオーをおさえ1番人気に
応えて優勝。
2つ目の重賞を獲得しました。

続く目黒記念でも1番人気に支持され
ましたが3着に敗れと、次に悲願である
天皇賞秋に駒を進めました。
レースはホワイトフォンテンが最初に
ハナを奪って先頭に立つもロングホークが
ホワイトフォンテンを交わして大逃げを
打つ展開となり、スタンドからはどよめきが
起きました。
ロングホークが逃げ切りを図ろうとする中
第4コーナーで一気に仕掛けたアイフルが
直線でロングホークを交わして先頭に立ち
ハーバーヤングも必死で追い込みましたが
届かず2着に敗れ、悲願達成はなりません
でした。

続く有馬記念は9着に終わりましたが、
年が明けて6歳になったハーバーヤングは
トップハンデ59キロを背負って金杯に出走。
新鋭のニッポーキングやベロナスポート
古豪キクノオーを相手に差し切って優勝。
3つ目の重賞を獲得すると共にこの年の
古馬路線での活躍が期待されました。
しかし、この勝利がハーバーヤングに
とっての最後の勝利となってしまいました。
続くAJC杯で4着に敗れるとトップハンデ
60キロを背負ったダイヤモンドステークス
では6着、同じハンデ60キロを背負った
京王杯スプリングハンデでも7着に終わり
このレースがハーバーヤングにとっての
最後のレースとなりました。
引退後ハーバーヤングは中山競馬場で
乗馬になったとの情報がありますが
ハーバーヤングが、どのような最期を
むかえたかの記録が無いのが本当に
残念です。
今週は、舞台を東京競馬場に移し、伝統の
第75回毎日王冠が行われます。
ローシャムパーク、ヨーホーレイク
ダノンエアズロック、ニシノスーベニアに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、中山競馬場で行われました第70回
オールカマーは直線で最内をついた
1番人気のレーベンスティールが直線で
前が詰まる場面があったものの、狭い内を
こじ開けて鋭く伸び、ゴール寸前で逃げる
アウスヴァールを捉えて優勝を飾り、
重賞3勝目を挙げました。
2着は10番人気の逃げたアウスヴァール
3着には12番人気のリカンカブールが入り
2番人気のステラヴェローチェは6着に
敗れました。

今週は、中山競馬場で秋のGⅠ競走の
緒戦となる第58回スプリンターズ
ステークスが行われます。
スプリンターズステークスは1967年に
4歳(現3歳)以上の馬によるハンデ
キャップの重賞競走として創設され、
昭和期においては中央競馬で行われる
唯一の短距離の重賞レースでした。
その後、1年を締めくくるスプリント系の
大レースを開催しようとする機運が高まり
1990年レース体系の見直しに伴い、
スプリンターズステークスはGⅠ競走に
格上げされ、更に短距離系の競走体系の
整備により、秋競馬で最初に行われる
GⅠ競走として現在は定着しています。
思い出の馬は、日の丸特攻隊の異名を
取った快速馬サクラシンゲキです。
サクラシンゲキの父は短距離系
種牡馬のドンで、母は名牝スターロッチの
血を引くアンジェリカ、弟には天皇賞馬
サクラユタカオーがいます。
サクラシンゲキは昭和55年のクラシック組
で同期にはダービー馬オペックホース
有馬記念馬アンバーシャダイ、天皇賞馬
モンテプリンス、菊花賞馬ノースガスト
皐月賞馬ハワイアンイメージ等がいます。
サクラシンゲキは旧馬齢3歳夏の函館で
デビューし、新馬戦を快勝すると続く特別
レースを持ち前のスピードでレコード勝ち
して連勝し、その勢いのままに函館3歳
ステークスに出走すると、ここでも初の
1番人気に応えて、逃げ切り勝ちで無敵の
3連勝を飾り、クラシックに名乗りを挙げ
ました。
しかし、関東に戻った9月にアクシデントに
見舞われ、左後ろ肢を剥離骨折したため
休養せざるを得なくなりました。
年が明けて4歳になったサクラシンゲキは
オープン戦で復帰し、クラシック戦線に
参戦しました。
しかし、クラシック1冠目の皐月賞では
不良馬場にスピードを殺され10着と大敗。
その後オープン競走で久しぶりに4勝目を
挙げ日本ダービーに駒を進めました。
当時、27頭で行われた日本ダービーで
距離を不安視されていたサクラシンゲキは
好スタートを切ってハナを奪って軽快な
逃げを展開し、最後の直線でもゴール
手前まで逃げ粘る等、4着に敗れはした
ものの、大いに見せ場をつくり、大健闘
しました。
夏を休養したサクラシンゲキは古馬との
交流戦となる京王杯オータムハンデに
1番人気に支持されて出走。
ここでもスタートすると持ち前のスピードで
逃げを展開し、第4コーナーで後続馬に
差を縮められるも、直線に入ると逆に
差を広げて後続馬を引き離し、そのまま
逃げ切って重賞制初覇を果たしました。

続いて菊花賞を目指してセントライト記念
に出走しましたが5着に敗退したため、
菊花賞への出走は叶いませんでした。
その後、オールカマー5着、ダービー卿
チャレンジトロフィーで2着となり、続く
オープン競走で逃げ切り勝ちした後
有馬記念に参戦、プリテイキャストを
おさえて果敢な逃げを展開しましたが、
10着に終わりました。
年が明けて古馬になったサクラシンゲキは
ダートのオープン競走で3着後、スプリン
ターズステークスに出走。
このレースには皐月賞馬ハワイアン
イメージやシャダイダンサー、ブラビオー等
が出走し、サクラシンゲキは1番人気に
推されました。
レースはいつものように好スタートを切った
サクラシンゲキがハナを奪って軽快な
逃げを展開し、その後ろからシービー
キャロル、そしてハワイアンイメージが
サクラシンゲキをマークするような形で
進みました。
マイペースで逃げたサクラシンゲキは
先頭で直線に入ると、再び加速して
後続馬を引き離し、最後は6馬身差を
つけて圧勝。
2つ目の重賞を獲得しました。


その後、トップハンデ59キロを背負って
1番人気に推された京王杯SHに
出走しましたが直線半ばでシンボリ
フレンドに交わされて2着敗れ、続く
安田記念でもトップハンデ59キロを背負い
やはり1番人気に推されたサクラシンゲキ
でしたが、斤量59キロが影響したのか、
最後に交わされて3着に敗れてしまい
ました。
夏を休養にあてたサクラシンゲキは
秋緒戦に前年に優勝した京王杯オータム
ハンデに出走。
やはりトップハンデ59キロとなりましたが
1番人気に推されました。
このレースでもサクラシンゲキはゲートが
開くとすぐにハナを奪って逃げを展開し
斤量59キロを背負いながらも最後まで
失速することなく、後の菊花賞に優勝する
ミナガワマンナや外から追い上げたメジロ
クラウンをアタマ差退け、逃げ切り勝ちをし
2連覇を果たしました。
続くオープン競走でも難なく2着に6馬身差
をつけて圧勝すると、この年に創設された
国際招待競走第1回ジャパンカップの
日本代表に選出され出走しました。
第1回となるジャパンカップには米国から
メアジードーツ等3頭、カナダからフロスト
キング等3頭が出走し、日本からはサクラ
シンゲキ、有馬記念馬ホウヨウボーイや
無冠の帝王と言われたモンテプリンス等が
出走しました。
レースはカナダ代表でこれまで出走した
全てのレースでハナを切る快速馬
ブライドルパースとの逃げ対決の様相と
なりました。
ゲートが開くとサクラシンゲキは果敢に
ハナを奪い、ブライドルパースを抑え、
単独で先頭に立って玉砕的な逃げを
展開しました。
外国馬を含めた14頭を引き連れ、
日本代表として快速馬の意地をかけて
玉砕覚悟で逃げているサクラシンゲキの
姿を見て涙が溢れました。

最後はメアジードーツのレコード勝ちの
前に9着に終わったものの、先頭のままで
入った直線でも最後まで逃げ粘り、最後は
力尽きて散っていったサクラシンゲキの
姿は今でも忘れられません。
レース後、玉砕的な逃げで場内を沸かした
サクラシンゲキのレースぶりは競馬ファンの
心を捉え、日の丸特攻隊と評されました。
そしてサクラシンゲキはこの年の優駿賞
スプリンター賞に選出されました。
年が明けて6歳になったサクラシンゲキは
現役を続行し、連覇を狙って思い出の
スプリンターズステークスに出走。
当時あった単枠指定の1番人気に推され
トップハンデ59キロを背負いながらも
いつものように持ち前のスピードで逃げ
ましたが、終始マークされていた桜花賞馬
ブロケードに最後に交わされて2着に敗れ
続くマイラーズカップでもトップの斤量
58キロを背負い単枠指定の1番人気に
推されましたが、勝利目前のゴール前で
惜しくもカズシゲにクビ差交わされ再び
2着に敗れてしまいました。
そして続く宝塚記念でも果敢に逃げを
展開し、先頭で直線に入りましたが8着に
終わり、このレースがサクラシンゲキに
とっての最後のレースとなりました。
サクラシンゲキの種牡馬シンジケートが
組まれたため、10月に引退を発表。
10月31日天皇賞秋当日の東京競馬場で
引退式が行われました。
引退後、1983年から北海道静内町で
種牡馬となったサクラシンゲキは当時
内国産種牡馬不遇の時代であったため
いい繁殖牝馬には恵まれませんでしたが
そんな厳しい環境の中でも重賞優勝馬や
多くの勝ち馬を出す等、種牡馬としても
十分活躍しました。
記録によりますと
1994年8月17日、食欲が無くなったこと
から検査を受けたところ、腸の動きが
悪いことはわかったものの、食欲が落ちた
原因は不明でした。
しかし翌日からサクラシンゲキの容態は
急変し、発汗激しく苦しみだし、目の輝きは
次第に薄れ、うつろな状態になりました。
通常なら安楽死をとる重篤な状態でしたが
シンジケート種牡馬であったため、保険
会社の同意が必要であったため、すぐに
安楽死の処置をとることは出来ずに
サクラシンゲキは苦しみ続けました。
8月20日夜、危篤状態に陥ってから丸1日
経過した時、それまで横になって寝ていた
サクラシンゲキが苦しさに耐え切れなく
なったかのように全身を振るわせて立ち
上がり、そしてそのまま崩れ落ちて息を
引き取り、天国に旅立ってしまいました。
享年18歳。
その後の解剖により、サクラシンゲキの
死因は盲腸の破裂だったそうです。
あれだけ頑張ったサクラシンゲキの最期は
あまりにも悲惨な最期となってしまいました。
9月2日にサクラシンゲキは火葬されて
納骨され、今は北海道新ひだか町の
桜舞馬公園(オーマイホースパーク)で
静かに眠っています。

今週は中山競馬場でスプリント王決定戦
第58回スプリンターズステークスが
行われます。
サトノレーヴ、ナムラクレア、マッドクール
トウシンマカオに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

