昨日、東京競馬場で行われました第62回

アルゼンチン共和国杯はトップハンデ

58.5キロを背負い道中は最後方から

レースを進めた10番人気の8歳馬

ハヤヤッコが直線に入って外から猛然と

追い込み、ゴール前でクロミナンスを

とらえて優勝を飾り、2022年の函館記念

以来となる3つ目の重賞を獲得しました。

まさに1991年(平成3年)の有馬記念での

ダイユウサク以来のあっと驚くハヤヤッコ

でした。

2着には1番人気のクロミナンスが入り

3着には6番人気のタイセイフェリークが

入りました。

今週は、京都競馬場で伝統の第49回

エリザベス女王杯が行われます。

1975年にエリザベス女王が来日した

ことを記念して1976年にエリザベス

女王杯が創設され、1995年まで牝馬

クラシック3冠目という位置づけで4歳牝馬

限定競走として行われていました。

その後、1996年に牝馬競走体系の

見直しに伴い、競走条件が4歳牝馬から

4歳以上牝馬に変更され、施行距離も

芝2200mに短縮され、更にエリザベス

女王杯に代わる4歳牝馬三冠の最終戦

として新たに秋華賞が新設されたことに

伴い、エリザベス女王杯は牝馬クラシック

を歩んできた旧4歳牝馬と古馬牝馬による

日本一の女王を争うレースという位置づけ

になりました。

 

思い出の馬は関西の英雄、二冠馬キタノ

カチドキの妹、第3回エリザベス女王杯

優勝馬リードスワローです。

リードスワローの父はリボー系種牡馬

フジオンワードで代表産駒にはナニワライト

サツキレインボー、ミホノフォード等が

います。

リードスワローは昭和53年牝馬クラシック

組で、同期には桜花賞馬オヤマテスコ、

オークス馬ファイブホープ、快速馬サニー

フラワー、天皇賞馬プリティキャスト、

サンエムジョオー等がいます。

 

リードスワローは二冠馬の兄キタノカチドキ

と同じ服部厩舎に入厩し、キタノカチドキの

主戦ジョッキー名人武邦彦騎手を背に

注目の中、旧馬齢3歳10月京都の新馬戦

でデビュー。

初戦は7着に敗れましたが連闘で臨んだ

新馬戦で初勝利を挙げました。

その後、リードスワローは、年内3戦、年が

明けて4歳になってから4戦、勝ち星に

恵まれませんでしたが8戦目の条件特別で

2勝目を挙げ、ぎりぎりで桜花賞に間に

合いました。

格上の挑戦となった桜花賞でリード

スワローは9番人気でしたが、直線で

鋭い追い込みを見せ、大混戦の中、オヤマ

テスコの僅差の4着と大健闘しました。

そして続くオークストライアル4歳牝馬特別

で5着とした後、オークスに挑戦しましたが

ファイブホープの5着に終わりました。

夏の札幌の条件特別で8着とした後、秋の

条件戦で3勝目を挙げたリードスワローは

エリザベス女王杯に駒を進めました。

このレースには桜花賞馬オヤマテスコ、

オークス馬ファイブホープ、後の天皇賞馬

プリティキャストやラブリトウショウ等が

出走し、前走の勝ちっぷりとキタノカチドキ

の妹ということもあったのか、リードスワロー

が1番人気に推されました。

レースはスタートで立ち遅れながらも逃げ

宣言をしていたプリティキャストがゆっくりと

ハナを奪い、オヤマテスコは4、5番手から

進み、その後ろからラブリトウショウ、

ファイブホープが続き、リードスワローは

後方からの競馬となりました。

第4コーナーでラブリトウショウとリード

スワローが一気に先頭との差を詰めて

直線の勝負へ。

内をついて逃げ粘るプリティキャストを

ラブリトウショウが交わし先頭に立つと

その後から猛然と追い込んで来たリード

スワローがラブリトウショウを一気に

交わして1馬身1/4の差をつけ、牝馬

クラシック最終戦で悲願の初重賞制覇を

果たしました。

しかし、続く古馬との対戦となった阪神

牝馬特別は7着に終わりました。

 

年が明けて古馬になったリードスワローは

緒戦の金杯は12着に大敗し、その後も

やはり古馬の牡馬との対戦の中で、

なかなか勝つまでには着順掲示板に載る

精一杯でした。

しかしその後、小倉大賞典でアグネス

プレスの2着、スワンステークスで天皇賞

ホクトボーイの3着に入る等の健闘を見せ

阪急杯に駒を進めました。

このレースには女傑アイノクレスピン、

アグネスプレス、オヤマテスコや前年の

覇者スリーファイヤー等が出走し、リード

スワローは8番人気と低評価での出走と

なりましたが、直線で鋭く抜け出し、古馬に

なってからの初勝利を挙げ、2つ目の

重賞を獲得しました。

しかし、この勝利がリードスワローに

とっての最後の勝利となりました。

続く金鯱賞でもニチドウアラシの3着に

入るなど健闘したものの、まだ牝馬の

レース体系が構築されていない時代だった

こともあって、レースでの苦戦が続きました。

年が明けて6歳になったリードスワローは

現役を続行し、3戦しましたが、勝つことは

出来ず、連覇を狙った阪急杯8着を最後に

現役に別れを告げました。

引退後、リードスワローは繁殖にあがり

6頭の産駒を輩出したものの、代表産駒

には恵まれませんでした。

 

記録によりますと

1996年2月に死亡したとのことですが

死因については不明であることが

とても残念です。

享年21歳でした。

 

今週は、京都競馬場で第49回エリザベス

女王杯が行われます。

レガレイラ、ホールネス、シンリョクカ

シンティレーションに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、東京競馬場で行われました伝統の

第170回天皇賞秋は道中最後方から

レースを進めた2番人気のドウデュースが

直線に入って、大外から一気に追い込んで

豪快に差し切って優勝を飾りました。

2着に9番人気のダービー馬タスティエーラ

3着に8番人気のホウオウビスケッツが入り

1番人気に推されたリバティアイランドは

直線で伸びず13着に敗れました。

今週は、東京競馬場で伝統の第62回

アルゼンチン共和国杯が行われます。

アルゼンチン共和国杯は日本とアルゼン

チンの友好と親善の一環として1963年に

アルゼンチンジョッキークラブカップ

(ARJC)の名称で創設されました。

1974年にアルゼンチンの競馬が

ジョッキークラブから国の管轄へ移管

されたことに伴い、1975年から現在の

名称になりました。

そして1984年のグレード制導入と重賞

格付けの全面見直しに伴い、それまで

年2回施行されていた伝統の秋の目黒

記念競走が廃止される代替として施行

時期を今までの5月から秋の目黒記念が

行われていた11月に移行し4歳(現3歳)

以上の馬によるハンデキャップ競走として

東京競馬場で施行されるようになりました。

 

思い出の馬は、鋭い追い込みでファンを

魅了した遅咲きの名ステイヤー アイフル

です。

アイフルの父は昭和を代表する

ステイヤー系種牡馬セダンで代表産駒

にはダービー馬コーネルランサー

天皇賞馬スリージャイアンツ、逃げる

精密機械トーヨーアサヒ、ハクエイホウ、

ヤシマライデン、ハーバーヤング等が

います。

アイフルは昭和49年のクラシック組で

同期には二冠馬キタノカチドキや

ダービー馬コーネルランサー、カーネル

シンボリ、快速馬ニシキエース、キクノオー

スルガスンプジョウ、インターグッド等が

います。

アイフルは旧馬齢3歳秋の東京で

デビューし、5頭立てで3頭が同着という

非常に稀なケースの新馬戦で初勝利を

挙げました。

その後、年が明けて4歳になった

アイフルは条件特別に勝って2勝目を

挙げ、クラシックへの登竜門弥生賞に

挑みましたが8着に終わり、クラシックへの

参戦は叶いませんでした。

そして、皮肉にもダービー当日の条件

特別でアイフルは3勝目を挙げました。

その後、アイフルは4戦連続で2着となり

年が明けて古馬となったアイフルは更に

2着や3着を繰り返し、堅実性はあった

ものの、なかなか勝つまでには至りません

でした。

4歳から5歳にかけて惜敗が続き、15戦

勝利から遠ざかったアイフルでしたが、

7月の中山の条件特別で勝つと、続く

新潟での条件特別も勝って連勝を飾り

次に挑んだクモハタ記念ではハーバー

ヤングの3着に終わったものの、暮れの

条件競走に勝って6勝目を挙げました。

 

年が明けて6歳になったアイフルは格上の

金杯に出走。

このレースには前年の有馬記念を制した

イシノアラシやヤマブキオー、ハーバー

ヤング、ホワイトフォンテン、イナボレス等、

重賞優勝馬が出走する中、4番人気に

推されたアイフルは、道中は中団を進み、

第4コーナーで仕掛けて先頭集団に迫り

直線に入ると鋭く伸びて抜け出して勝ち

重賞初制覇を果たしました。

その後、東京新聞杯2着、中山記念では

ヤマブキオーの2着、そして京王杯SHでも

再びヤマブキオーの3着に終わりましたが

続くアルゼンチン共和国杯では、中団から

レースを進めたアイフルは直線で鋭く

伸びて先頭に立ち、必死に追い込んで来る

ヤマブキオーとオウプレスをおさえて優勝。

2つ目の重賞を獲得しました。

この勝利で本格化を果たしたアイフルは

秋に向けての活躍が期待されました。

秋に入ってオープン競走でヤマブキオーを

やぶって勝ったアイフルは念願の古馬の

最高峰、秋の天皇賞に駒を進めました。

この天皇賞には有馬記念馬イシノアラシ

菊花賞馬コクサイプリンス、若き精鋭

ロングホーク、ハーバーヤングやライバル

ヤマブキオー等が出走しました。

1番人気はイシノアラシ、アイフルは4番

人気での出走となりました。

レースは大方の予想に反してホワイト

フォンテンではなく、ロングホークが逃げる

展開となりアイフルは中団、イシノアラシは

後方から進みました。

直線に入ってロングホークが逃げ脚を

伸ばす中、アイフルが鋭く追い込んで、

逃げるロングホークを捕らえ、外から

伸びてきたハーバーヤングをおさえて

優勝を飾り、念願の天皇賞制覇を果たし

ました。

この天皇賞制覇の勢いのまま、有馬

記念に出走しましたが、この年のスター

ホースであるトウショウボーイ、テンポイント

の一騎打ちの前に3着に終わりました。

年が明けて7歳になったアイフルは現役を

続行してアメリカジョッキークラブカップに

出走し、1番人気に推されましたが、前年の

菊花賞を人気薄で制したグリーングラスと

ヤマブキオーの前に3着に敗れ、続く

オープン競走でも再びヤマブキオーの

3着に敗れてしまいました。

しかし、次に出走した中山記念では逃げる

グレートセイカンを直線で内から鋭く伸びて

先頭に立ち、ヤマブキオーが伸びを欠く中

コクサイプリンスや追い込んで来たトウフク

セダンを振り切って優勝を飾り、重賞4勝目

を挙げました。

続いてアイフルは前年優勝したアルゼン

チン共和国杯にトップの斤量59キロを

背負って出走しました。

当日はあいにくの不良馬場でしたが、

アイフルは1番人気に推されました。

レースは中山記念と同じようにグレート

セイカンが逃げ、カミノリュウオーが

先行する中、第3コーナーで3番手に

つけたアイフルは直線に入って外を通って

鋭く伸びて、内をとおって粘り込みを図る

グレートセイカンを残り200mで交わして

先頭に立つと、更に差は広がり最後は

独走状態になって圧勝。

5つ目の重賞を獲得しました。

そして次に夏のグランプリ競走宝塚記念に

参戦しましたが、3強と言われたトウショウ

ボーイ、テンポイント、グリーングラスの

前に4着に敗れてしまい、この宝塚記念が

アイフルにとっての最後のレースとなり

ました。

レース後、アイフルは前脚の筋を痛め、

更にその後、不治の病と言われている

屈腱炎を発症したため、アイフルは競走

生活に別れを告げることになりました。

通算成績43戦12勝、2着13回、

3着10回、連帯率は6割近く、複勝率は

8割を超えという素晴らしい成績を残し

ました。

引退後は日本中央競馬会が購入し、

1978年から九州種馬場で種牡馬となり

ましたが、内国産種牡馬が不遇の時代

にあって長距離系、更に九州地区という

場所的なことからも繁殖牝馬にも恵まれず

代表産駒には恵まれませんでした。

 

記録によりますと

1982年に九州種馬場から離れると

10年間は繋養先を転々とし、廃用寸前の

危機もありましたが、アイフルを助けたい

とするファンの活動により日本軽種馬協会

那須種馬場に引き取られ、その後は

功労馬として元気に余生を過ごしました。

しかし1999年4月4日、アイフルは

放牧中に転倒し、自力で起き上がることが

出来なくなってしまったため、安楽死の

処置が取られ、持ち前の末脚で一気に

天国に駆け上がっていきました。

享年29歳でした。

 

今週は東京競馬場で第62回アルゼンチン

共和国杯が行われます。

セレシオン、ショウナンバシット、

サヴォーナ、ミクソロジーに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、京都競馬場で行われました

クラシック最終戦第85回菊花賞は2番

人気のアーバンシックが直線で鋭く伸びて

他馬を引き離して優勝を飾り、最後の

1冠を獲得しました。

2着に4番人気のヘデントール、3着には

7番人気のアドマイヤテラが入り、1番人気

に推されたダービー馬ダノンデサイルは

直線で追い込んで来たものの6着に敗れ

ました。

今週は、東京競馬場で伝統の第170回

天皇賞秋が行われます。

天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から

帝室御賞典という名称で行われました。

帝室御賞典は戦争のため昭和19年に

戦争のため中止され、昭和22年春に

平和賞の名称で再開し、同年秋からは

天皇賞と改称され現在に至っています。

そして創設以来、当初は1度優勝した馬は

再出走を認めないとされてきましたが、

昭和56年に制度が廃止され、過去の

優勝馬も再出走が可能になりました。

またその後、スタミナよりもスピードの強化

を重視する意見などにより、賛否両論が

あったものの、昭和59年から秋の天皇賞

は施行距離が2000mに短縮され、更に

古馬の最高峰として位置づけられてきた

天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬

も出走が可能になり、これにより各馬は

様々な選択肢が取れるようになりました。

天皇賞への再出走が可能となったことで

引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬

同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが

見られることで新たな天皇賞に変貌

しましたが、一方で距離が短くなったことで

東京競馬場での1周目のストレッチで沸き

起こる大歓声が聞けなくなったことが

残念であると共に強い馬よりスピード馬を

つくることが、本当に世界の競馬に対応

できるのかという懸念も生まれました。

中距離馬にも天皇盾の夢をということでは

仕方がないことかも知れません。

私個人としては古馬の最高峰という伝統は

継承して欲しかったと今でも思っています。

 

思い出の馬は、数奇な運命を辿った

昭和53年第78回優勝馬名牝トウメイの仔

テンメイです。

テンメイの父は長距離系種牡馬ルイス

デールで代表産駒には福島記念を勝った

シュランダーやキヨヒホウ等がいます。

母は天皇賞や有馬記念に優勝し、牝馬

初の年度代表馬にも輝き、私も子供心に

大好きだった名牝トウメイです。

テンメイは昭和52年のクラシック組で

同期には外車マルゼンスキー、ダービー馬

ラッキールーラ、菊花賞馬プレストウコウ、

有馬記念馬カネミノブ、皐月賞馬ハード

バージ、ヒシスピード等がいます。

 

名牝トウメイの仔として生まれ注目された

テンメイは旧馬齢3歳秋の京都で

デビューし、初戦の新馬戦は4着に敗れた

ものの、3戦目の未勝利戦で初勝利を

挙げました。

年が明けて4歳になったテンメイはその後

なかなか条件戦を勝つことは出来ず、春の

クラシック戦線への出走は叶いません

でした。

しかし、7月の中京で2勝目を挙げると

関西に戻って条件戦を2連勝して4勝目を

挙げ、ぎりぎりでクラシック最終戦菊花賞に

参戦することが出来ました。

この菊花賞には春のクラシック組から

ダービー馬ラッキールーラやカネミノブ、

菊花賞トライアルのセントライト記念や京都

新聞杯に優勝し本格化したプレストウコウ

等が参戦し、1番人気はダービー馬

ラッキールーラで、距離に疑問があると

思われていたプレストウコウは3番人気

となり、名牝トウメイの仔とはいえ、重賞

初挑戦となるテンメイは9番人気での

出走となりました。

レースは九州が生んだ快速馬オサイチ

セイダイが逃げ、その後ろからラッキー

ルーラが続き、カネミノブは4番手

プレストウコウは中団、そしてテンメイは

後方からの競馬となりました。

第3コーナーの手前でラッキールーラが

早くも先頭に立つと、テンメイも仕掛けて

一気に3番手まで上がっていきました。

第3コーナーの下りでテンメイとメグロ

モガミがラッキールーラを交わして

直線の勝負へ。

直線に入ってテンメイとメグロモガミが

競り合いを演じ、テンメイが僅かに先頭に

立つと、実況の杉本アナは「テンメイ先頭、

テンメイ先頭、テンメイが先頭だ、トウメイが

待っているぞ」と母の名前も出して

名実況が飛び出し、私もテンメイを

応援していましたが、外からまさかの

グスタフの仔のプレストウコウが強襲し、

テンメイをゴール前で差し切って優勝。

テンメイは惜しくも2着に敗れてしまい

ました。

そしてテンメイは続くオープン競走で3着、

阪神大賞典でも2着と好走し、菊花賞が

フロックではないことを証明しました。

 

年が明けて古馬となったテンメイは

復帰戦のサンケイ大阪杯は8着に終わり

ましたが、母トウメイが2連覇した

マイラーズカップで牝馬二冠を制した

インターグロリアの2着に入るなど今後の

活躍が期待されました。

秋に復帰したテンメイはオープン競走を

2着とした後、東上し母も優勝した秋の

天皇賞に挑みました。

この天皇賞には菊花賞で敗れたプレス

トウコウやカシュウチカラ、重賞2連勝中の

リュウキコウや後の有馬記念馬カネミノブが

参戦しました。

1番人気はリュウキコウでテンメイは5番

人気での出走となりました。

昭和40年にシンザンが勝って以降、1番

人気の馬がことごとく敗れているという

秋の天皇賞。

この年の天皇賞も予想外のアクシデント

から始まりました。

枠入り直後にパワーシンボリがゲートに

噛みついてスタートできず、発走のやり直し

(カンパイ)という珍事が発生し、一旦

ゲートから出て、かなり走ってしまった

馬達は呼び戻され、発走前のファン

ファーレから再びやり直すという前代

未聞のトラブルが発生したことで、

場内は騒然となりました。

場内が騒然とする中、再スタートとなった

レースはダンケンジが最初のハナを奪って

逃げましたが、1週目の正面スタンド前で

大歓声に興奮したのか、プレストウコウが

暴走気味に先頭に立ち、向こう正面に

入ると10馬身近い差をつけて逃げるという

予想外の展開の中、ダンケンジ、カネミノブ

が続き、カシュウチカラとテンメイは後方

から、1番人気のリュウキコウは

最後方からという縦長の展開となりました。

第4コーナーで一気に各馬がプレストウコウ

との差をつめて直線の攻防へ。

プレストウコウが更に逃げ脚を伸ばす中

内からカシュウチカラ、外からテンメイと

リュウキコウが追い込み、最後はテンメイが

鋭く伸びて逃げるプレストウコウをゴール

前で半馬身差交わして優勝。

初重賞制覇が天皇賞となると共に、史上

初の母子天皇賞制覇を成し遂げました。

同一馬主、同一調教師、同一騎手による

勝利となったほか、母トウメイと同じ大外

12番枠からの半馬身差勝利という、

まさに偶然とは思えない、神に導かれた

運命の勝利となりました。

その後テンメイは阪神大賞典で1番人気に

推されましたが、6着に敗退してしまい

ました。

年が明けて6歳になったテンメイは現役を

続行したものの、重賞競走で敗退が続き

それでも中京で行われた京都大賞典で

後の菊花賞馬ハシハーミットやリュウ

キコウ、メジロイーグル等をやぶって

レコード勝ちする等、まだまだやれるという

姿を見せましたが、この勝利がテンメイに

とっての中央での最後の勝利となりました。

この年の有馬記念を最後に引退する予定

となっていましたが、長距離血統が

嫌われたのか、どこの牧場からも声が

掛からず、日本中央競馬会による買上も

実現しなかったため、テンメイは現役を

続行せざるを得なくなりました。

その後、テンメイを種牡馬として引き取る

という人物が現れたため、テンメイは宝塚

記念を最後に引退しました。

しかし、テンメイを種牡馬にする約束で

購入した方が約束を違え、岩手や水沢で

て競走馬生活を続けていることが判明。

この事実に馬主や調教師の元には抗議の

電話や手紙が殺到。

ついには「テンメイを守る会」が結成され、

ファンが地方で走るテンメイをずっと見守り

続け、引退後は「テンメイを守る会」に

テンメイは譲渡され、生まれ故郷の藤沢

牧場で種牡馬となりました。

しかし、内国産種牡馬不遇の時代にあって

ステイヤー系種牡馬のテンメイは繁殖牝馬

にも恵まれず、目立った活躍馬を送り出す

ことは出来ませんでした。

 

記録によりますと

1993年10月7日、左前脚骨折のため

安楽死の処置がとられ、母トウメイより

先に天国に旅立ってしまいました。

享年19歳でした。

 

今週は、東京競馬場で伝統の第170回

天皇賞秋が行われます。

ドウデュース、リバティアイランド

ソールオリエンス、ジャスティンパレス

に注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。