昨日、東京競馬場で行われました

クラシックの前哨戦、伝統の第59回

共同通信杯トキノミノル記念は1番人気の

マスカレードボールが直線で抜け出し

前走の大敗から巻き返し、重賞初制覇を

飾りました。

2着には6番人気のカラマティアノス、

3着には外から追い込んだ4番人気の

リトルジャイアンツが入りました。

今週は東京競馬場で今年初のGⅠ競走

第42回フェブラリーステークスが行われ

ます。

フェブラリーステークスはJRAが施行する

ダート重賞競走では、最も古い歴史を持つ

競走で、1984年に前身となるフェブラリー

ハンデキャップ競走として創設されました。

1994年にはGⅡ昇格し、それと共に

名称もフェブラリーステークスに改称され

ました。

その後、中央競馬と地方競馬の交流競走

が拡大される中で1997年には中央競馬

のダート重賞競走として初めてGⅠ競走に

格付けされ、国内の上半期のダート最強馬

決定戦として位置付けられています。

 

思い出のレースはロバリアアモンが勝った

昭和59年記念すべき第1回フェブラリー

ステークスです。

ロバリアアモンの父はサーペンフロで

代表産駒には重賞勝ち馬のランニング

フリー、サーペンプリンス、トーワトリプル

メジロシートン、マルブツサーペン等が

います。

また兄には京成杯を勝ったファースト

アモンがいます。

ロバリアアモンは昭和57年のクラシック組

で同期にはダービー馬バンブーアトラス

皐月賞馬アズマハンター、菊花賞馬

ホリスキーや快速馬ハギノカムイオー

エリモローラ、アンドレアモン等がいます。

ロバリアアモンは旧馬齢4歳1月の東京の

ダートの新馬戦で見事1番人気に応えて

新馬戦を快勝しました。

その後、芝のレースでは3戦して勝て

なかったものの、ダート競走では2戦2勝

を挙げる等、ダートに適性を見出した

ロバリアアモンはその後、ダート競走を

中心に出走することになりました。

 

年明けて古馬になったロバリアアモンは

やはり芝では苦戦したものの、ダートの

条件特別等を2勝してオープン入りを

果たし、続く芝のオープン競走でも

ダスゲニーやハワイアンイメージ、ドウカン

ヤシマをやぶって本格化しました。

年が明けて6歳になったロバリアアモンは

芝の重賞競走金杯に参戦するも7着に

敗退しましたが、続くダートの準オープン

競走を快勝し、初のダートの重賞競走

として創設された現在のフェブラリー

ステークスの前身となるフェブラリーハンデ

キャップに出走しました。

このレースにはダートのオープン特別を

大差で勝利し、続くダートで行われた

中日新聞杯でも2着馬に2秒以上の差を

つけてレコードで大差勝ちしたアスコット

エイトや皐月賞馬ハワイアンイメージ

後の重賞勝ち馬キョウエイレア等が

出走しました。

この年は雪が多く降り、前週の中山の

AJCCもダートに変更されており、この日も

東京競馬場のコース周辺には雪が多く残り

当日は快晴ながらもダートはビチャビチャの

酷い不良馬場の中でレースは行われました。

1番人気は圧倒的支持を集めたアスコット

エイトで、ロバリアアモンは2番人気で

レースに挑みました。

レースはスタートして予想どおりアスコット

エイトがスピードを活かして軽快に逃げ、

その後ろからキョウエイレア、ハワイアン

イメージが続き、ロバリアアモンは後方から

レースを進めました。

各馬が全身泥だらけになる中、アスコット

エイトは綺麗なままの姿で直線の勝負へ。

直線に入って更に脚を伸ばしたアスコット

エイトが今回もこのまま圧勝劇を

演じるのかと誰もが思った瞬間、外から

真っ黒になって追い込みのスペシャリスト

吉永正人騎手を背にしたロバリアアモンが

まるで脚に水かきが付いているかのように

ベチャベチャのダートで水しぶきを

あげながら豪脚を繰り出して追い込み、

逃げ込みを図るアスコットエイトを

ゴール前で捕らえて優勝を飾り、

記念すべき第1回の優勝馬に輝きました。

その後、評価が低かったダート競走の

レース体系も徐々に整備され、重賞競走も

どんどん増えていき、1998年からは

フェブラリーステークスはGⅠ競走に

格付けられ、現在、年明け最初のGⅠ競走

として行われています。

初の重賞競走となった第1回フェブラリー

ハンデキャップに優勝し活躍が期待された

ロバリアアモンでしたが、その後レースで

善戦するも勝ち星には恵まれず、7歳に

かけて16連敗を喫してしまいました。

年が明けて8歳になったロバリアアモンは

初戦のオープンステークスを久しぶりに

快勝しましたが、この勝利がロバリア

アモンにとっての最後の勝利となりました。

この年夏の函館の青函ステークスで

最下位の7着に終わったのを最後に引退し

種牡馬になりました。

内国産種牡馬不遇の時代でありましたが

地方の重賞に優勝する代表産駒を輩出

する等、種牡馬としても成績を残しました。

記録によりますとロバリアアモンは

2000年8月1日に用途変更となっている

だけで、その後の消息が不明となっている

のが、とても残念です。

 

今週は東京競馬場で今年初のGⅠ競走

第42回フェブラリーステークスが行われ

ます。

エンペラーワケア、ミッキーファイト

ガイアフォース、ペプチドナイルに

注目しています。

今週も全人尾馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、東京競馬場で行われました春の

マイルG1を見据える伝統の第75回東京

新聞杯は3番人気のウォーターリヒトが

直線で大外から鋭く伸びてゴール前で

まとめて差し切って優勝を飾り重賞初制覇

を果たしました。

2着は2番人気のボンドガール、3着には

16番人気のメイショウチタンが入り、1番

人気のブレイディヴェーグは直線で伸び

きれず4着に敗れました。

今週は、東京競馬場でクラシックの前哨戦

第59回共同通信杯トキノミノル記念が

行われます。

共同通信杯は1967年に創設された

4歳(現3歳)馬限定の重賞競走

東京4歳ステークスが前身で1969年より

トキノミノル記念の副称がつけられました。

副称となっているトキノミノルは1951年の

皐月賞、東京優駿(日本ダービー)優勝馬

で生涯戦績10戦10勝(内レコード7回)を

記録し、無敗のままクラシック二冠を制した

ものの、日本ダービー優勝からわずか

17日後に破傷風で死亡してしまったため

その後、トキノミノルはダービーに勝つ

ために、この世に生まれて来た幻の馬

として今でも語り継がれています。

東京4歳ステークスは1983年より共同

通信杯4歳ステークスに改称された後

2001年より現名称となりました。

優勝馬からはゴールドシップ、イスラ

ボニータ、ディーマジェスティ、エフ

フォーリア、ジャスティンミラノが皐月賞を

制し、カブラヤオー、サクラショウリ

ミスターシービー、ダイナガリバー、

アイネスフウジンがダービーを制する等

春のクラシックに向けた重要な前哨戦

として位置づけられています。

 

思い出の馬は、怪物ハイセイコーの時代

一瞬の輝きを放った昭和48年第7回

優勝馬スピードリッチです。

スピードリッチの父は、昭和を代表する

大種牡馬パーソロンで、代表産駒には

三冠馬シンボリルドルフをはじめ、

ダービー馬サクラショウリ、天皇賞馬メジロ

アサマ、桜花賞馬ナスノカオリ、ダイアナ

ソロン、オークス馬カネヒムロ、ナスノ

チグサ、トウコウエルザ等、挙げれば切り

がない程、数多くの名馬を輩出しました。

そして兄には日本短波賞を勝ったミネラル

シンボリがいます。

 

スピードリッチは昭和48年のクラシック組

で同期には怪物ハイセイコーをはじめ

ダービー馬タケホープ、天皇賞馬イチフジ

イサミやカミノテシオ、重賞勝ち馬ホウシュウ

エイト、ディクタボーイ、ホワイトフォンテン、

ユウシオ、カネイコマ、ヌアージターフ、

クリオンワード等がいます。

昭和48年の関東のクラシック戦線は

3連勝で朝日杯3歳ステークスを制して

最優秀3歳牡馬に選出されたレッド

イーグルが骨折のため戦線を離脱し、

1月に大井から中央競馬に移籍した怪物

ハイセイコーがまだ中央でのレースに

出走していなかったため、混戦模様を

呈していました。

スピードリッチは旧馬齢3歳12月の中山の

デビューし、見事新馬戦を快勝しました。

続く条件特別は後の重賞勝ち馬ヌアージ

ターフには先着したものの、タケデン

パワーの2着に敗れました。

そして年が明けて4歳になったスピード

リッチは条件特別に出走し、1番人気に

推されましたが後のダービー馬タケホープ

の前に2着に終わりました。

続いてスピードリッチは格上の挑戦となる

クラシックの前哨戦、東京4歳ステークスに

挑みました。

このレースには後のダービー馬タケホープ

3歳時に9戦5勝を挙げている快速馬

ユウシオや後の弥生賞でハイセイコーを

苦しめたニューサント等が出走し、

1番人気には京成杯で2着のニューサント

が推され、スピードリッチは5番人気での

出走となりました。

レースはロッキーダイヤが逃げ、その後ろ

からユウシオ、ニューサント、ベルロイヤル

が続き、スピードリッチは好位中団、そして

タケホープは後方からの競馬となりました。

向こう正面でユウシオが早くも先頭に立つと

ニューサント、ベルロイヤルが続き、

ユウシオが各馬を引き付けながら直線の

勝負へ。

直線に入ってユウシオが更に脚を伸ばして

逃げ粘る中、ニューサントとベルロイヤルが

脱落し、代わりに内からスピードリッチ、

外からタケホープが追い込み、ゴール前で

僅かにスピードリッチがユウシオを捕らえて

優勝。

重賞初挑戦で初勝利を挙げると共に

クラシック戦線に堂々と名乗りを挙げました。

しかし、スピードリッチはその後、スプリング

ステークスでハイセイコーの6着に敗れると

続く皐月賞では8着、ダービーでは14着に

敗れるなど、クラシック戦線で活躍する

ことは出来ませんでした。

その後、スプリンターズステークスで3着に

入る等しましたが東京4歳ステークス以降

勝つことは出来ず、5歳秋の条件戦を

最後に競馬場から姿を消してしまいました。

その後のスピードリッチについての記録は

なく、スピードリッチがどのような運命を

辿ったかの記録が無いのが残念です。

 

今週は東京競馬場で第59回共同通信杯

トキノミノル記念が行われます。

サトノカルナバル、マスカレードボール

レッドキングリー、ネブラディスクに

注目しています。

全馬の無事を祈ってレースを見ます。

昨日、東京競馬場で行われました

フェブラリーステークスの前哨戦第39回

根岸ステークスは、スタート直後にタガノ

ビューティーが落馬するという波乱の中

2番人気のコスタノヴァが直線で豪快に

抜け出し、2着に4馬身差をつけて圧勝。

重賞初制覇を果たしました。

2着には3番人気のロードフォンス、

3着には7番人気のアルファマムが入り

1番人気のフリームファクシは直線で

いつもの伸びが見られず6着に敗れました。

今週は、東京競馬場で伝統の第75回

東京新聞杯が行われます。

東京新聞杯は古馬による重賞競走として

「東京杯」の名称で1951年に創設され

ました。

創設当初は東京競馬場の芝2400mで

天皇賞春の前後に行われていましたが、

1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し

併せて施行時期も1月下旬から2月上旬

に行われるようになりました。

天皇賞春を意識していたレースだった

ためか、昭和30年代から昭和40年代

初期の優勝馬にはオートキツやコマツ

ヒカリ等のダービー馬をはじめ、天皇賞馬

タカマガハラやタケシバオー、菊花賞馬

アカネテンリュウ等、競馬史上に残る

名立たる名馬達が名を連ねています。

昭和40年代頃は施行距離も金杯と同じ

2000mであったため、私の中では金杯の

再戦レースというイメージが今でも強い

ですが、1984年より距離も東京競馬場の

芝1600mに短縮されたことで、今までの

天皇賞春に向けたレースではなく、安田

記念等、春のマイル路線に向けたレース

という位置づけに変わりました。

 

思い出の馬は、1980年を最後に廃止と

なってしまったクモハタ記念最後の覇者

であり、昭和56年第31回東京新聞杯

優勝馬ドロッポロードです。

ドロッポロードの父はグレイソブリン系の

マイラー系種牡馬ドンで、代表産駒には

快速馬サクラシンゲキをはじめ、ブルー

マックス、ニシノミラー、ダイシンフブキ、

マークヒリュウ等の重賞勝ち馬がいます。

ドロッポロードは昭和55年のクラシック組

で同期にはダービー馬オペックホース、

天皇賞馬モンテプリンス、有馬記念馬

アンバーシャダイ、皐月賞馬ハワイアン

イメージ、菊花賞馬ノースガスト、快速馬

サクラシンゲキ等がいます。

ドロッポロードは旧馬齢4歳1月の中山の

新馬戦でデビューし、初戦は9着だった

ものの、2戦目の新馬戦で初勝利を挙げ

ました。

その後、4戦目の条件特別競走を勝って

2勝目を挙げ、何とかぎりぎりでダービーに

出走できたものの、距離の疑問か20着に

大敗してしまいました。

その後、夏の新潟遠征で3勝目を挙げると

秋の重賞路線に参戦。

京王杯オータムハンデは5着だったものの

菊花賞トライアル、セントライト記念で

モンテプリンスの2着に入ると、ドロッポ

ロードは西下して菊花賞に挑みました。

しかし、善戦はしたものの、やはり距離の

壁なのか、5着に敗れました。

その後、東京に戻り、今は廃止となって

しまったクモハタ記念に出走しました。

 

クモハタ記念は顕彰馬クモハタを記念して

1951年に創設されました。

秋の天皇賞の翌週、中山競馬冬開催の

トップを飾る重賞競走であり、当時3200m

だった秋の天皇賞や2500mの有馬記念

に対し、距離の適性がない短・中距離系の

古馬や菊花賞を回避した当時の4歳馬

(現3歳)にとっての年末の大一番として

実施されていました。

1981年から同時期にジャパンカップが

創設され、ほぼ同条件下で行われていた

ダービー卿チャレンジトロフィーが

この時期に開催が移動したことにより

役目を終え、クモハタ記念は1980年を

もって、残念ながら廃止されることになって

しまいました。

 

最後の開催となるクモハタ記念には

春のクラシック組からリンドタイヨー

ハーバーシャレードの他、重賞勝ち馬の

サクラゴット、ミスカブラヤ、フジアドミラブル

が参戦。

ドロッポロードは1番人気に推されました。

レースはアズマデライトが先手をとって

逃げ、その後ろからカブラヤオーの妹

ミスカブラヤが続き、ドロッポロードは

中団から、サクラゴット、リンドタイヨー、

フジアドミラブルは後方からの競馬と

なりました。

第4コーナーでミスカブラヤ、リンドタイヨー

が仕掛けて直線の勝負へ。

直線に入ってアズマデライトが逃げ粘る中

内をついたドロッポロードが馬群を割って

鋭く伸びて先頭に立ち、外から追い込んで

来たフジアドミラブルをおさえて優勝。

最後のクモハタ記念優勝馬になると共に

重賞初制覇を果たしました。

年が明けて古馬となったドロッポロードは

5歳の初戦として金杯(東)に参戦。

このレースには同期で皐月賞馬の

ハワイアンイメージやキタノリキオー等の

実力馬が出走しました。

その古馬初戦となったレースで1番人気に

推されたドロッポロードは、人気に応えて

優勝。

2連勝で重賞2勝目を挙げました。

続いてドロッポロードは東京新聞杯に出走。

このレースには天皇賞馬の古豪カシュウ

チカラ、クモハタ記念組からフジアドミラブル

リンドタイヨー、ミスカブラヤやダービーでは

3着だった同期のテイオージャが参戦。

このレースでも1番人気に推されたドロッポ

ロードは直線で鋭く伸びて差し切り、フジ

アドミラブルに2馬身半差をつけ、人気に

応えて圧勝。

重賞競走3連勝を飾り、一流古馬への

仲間入りを果たすと共に、本格化しました。

しかし、この勝利がドロッポロードにとっての

最後の勝利となってしまいました。

古馬戦線の主役に躍り出て今後の活躍が

期待されたドロッポロードでしたが、

その後、骨折を発症してしまったため、

引退となり、再び競馬場に帰って来る

ことはありませんでした。

引退して骨折の治療後、1985年から

種牡馬となったドロッポロードは、昭和期の

内国産種牡馬不遇の中にあって、代表

産駒は出せなかったものの、少ない産駒の

中から中央でのオープン馬や地方での

勝ち馬を輩出する等、立派な成績を残し

ました。

 

記録によりますと1996年に種牡馬を

引退となっていますが、その後ドロッポ

ロードがどのような余生を送ったのか

最期はどのように亡くなったのかという

記録が存在しないのがとても残念です。

 

今週は東京競馬場で伝統の第75回

東京新聞杯が行われます。

ボンドガール、ウォーターリヒト、

オフトレイル、ブレイディヴェーグに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。