昨日、中山競馬場で行われました

2024年中央競馬のラストを飾るG1競走

第41回ホープフルステークスは1番人気の

クロワデュノールが直線で抜け出して

圧勝し、無傷3連勝でG1初制覇を

果たしました。

2着には6番人気のジョバンニ、3着には

17番人気のファウストラーゼンが入り

ました。

また有馬記念後にディープボンドと

スタニングローズの引退が発表され

ましたが、更に新たにダービー馬

シャフリヤールと牝馬クラシック二冠馬

スターズオンアースの引退が発表され

ました。

第二の馬生での活躍を心から期待して

います。

本当にお疲れさまでした。

 

2024年もあと2日を残すのみとなり、

競馬を見ていると時が経つのは本当に

早く感じられます。

そして、今年も数々の功績を残した

名馬達が天国へと旅立っていきました。

 

ハナズゴール(15歳) 1月6日 没

第19回チューリップ賞、第48回京都牝馬

ステークスや豪州でのオールエイジド

ステークスに優勝しました。

蹄葉炎のため亡くなりました。

 

ロジック(21歳) 1月20日 没

第11回NHKマイルカップに優勝しました。

 

カルストンライトオ(26歳) 2月7日 没

韋駄天と呼ばれ、第38回スプリンターズ

ステークスに優勝しました。

老衰のため、亡くなりました。

 

ビートブラック(17歳) 2月14日 没

14番人気という低評価を跳ね返し、

第145代天皇賞・春に優勝しました。

重度の骨折が原因で亡くなりました。

 

ドリームパスポート(21歳) 2月14日 没

第43回きさらぎ賞、第54回神戸新聞杯に

優勝し、皐月賞と菊花賞で2着、ダービー

では3着と頑張りました。

 

サンテミリオン(17歳) 3月4日 没

第71回優駿牝馬(オークス)で、この年の

牝馬クラシック三冠馬アパパネと歴史に

残る同着優勝し、そして第24回フラワー

カップにも優勝しました。

病気のため、亡くなりました。

 

サクラプレジデント(24歳) 3月19日 没

第78回中山記念、第39回札幌記念、

第37回札幌2歳ステークスに優勝しました。

 

リーチザクラウン(18歳) 3月29日 没

第41回マイラーズカップ、第49回

きさらぎ賞に優勝しました。

肺水腫のため亡くなりました。

 

フラワーパーク(32歳) 4月6日 没

第26回高松宮杯、第30回スプリンターズ

ステークス等に優勝し、1996年

最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬に

選出されました。

老衰のため、亡くなりました。

 

シルクフェイマス(25歳) 4月27日 没

第51回日経新春杯、第97回京都記念

第47回アメリカジョッキーカップ優勝等

3度の重賞制覇の他、2004に年は

天皇賞・春3着、宝塚記念2着、有馬記念

3着等とGⅠ競走でもたびたび上位争いに

加わりました。

心不全のため、亡くなりました。

 

ノーリーズン(25歳) 5月7日 没

15番人気という低評価を跳ね返し

第62回皐月賞に優勝しました。

2010年に種牡馬を引退後は相馬野馬追の

騎馬隊として活躍する等、第二の馬生でも

注目を集めました。

 

ロジャーバローズ(8歳) 6月25日 没

12番人という低評価で挑んだ第86回

東京優駿(日本ダービー)に優勝しました。

疝痛の悪化により亡くなりました。

 

イシノサンデー(31歳) 8月18日 没

四白流星のグッドルッキングホースで

第56回皐月賞、第35回京都金杯等に

優勝しました。

老衰のため、亡くなりました。

 

ゼンノエルシド(27歳) 9月1日 没

第18回マイルチャンピオンシップ、

第46回京成杯オータムハンデに

優勝しました。

老衰のため、亡くなりました。

 

ヴァーミリアン(22歳) 9月12日 没

第25回フェブラリーステークスをはじめ

帝王賞、ジャパンカップダート等に優勝し、

長期間にわたってダート王の座に君臨、

当時の日本競馬史上最多となるGI/JpnI

9勝をマークしました。

疝痛のため、亡くなりました。

 

マグナーテン(28歳) 9月16日 没

第53回毎日王冠、第44回アメリカ

ジョッキーカップ、第36、37回関屋記念に

優勝しました。

 

デルタブルース(23歳) 10月8日 没

第65回菊花賞や第39回ステイヤーズ

ステークスに優勝、そして豪州で行われた

メルボルンカップに日本馬として初めて

優勝を飾りました。

蹄葉炎のため、亡くなりました。

 

メイショウサムソン(21歳) 11月26日 没

野武士の異名を持ち、第73回東京優駿

(ダービー)、第135回天皇賞(春)

第136回天皇賞(秋)、第66回皐月賞、

第51回産経大阪杯等に優勝し、

2006年最優秀3歳牡馬、2007年

特別賞に選出されました。

心不全のため、亡くなりました。

 

馬1頭1頭それぞれにはいろいろな思いを

込めて応援している多くのファンがいます。

私達は、競走馬達から夢や勇気や希望と

感動をもらいました。

私達はあなた達の名前や功績をこれからも

けっして忘れることはありません

天国でゆっくり休んで下さい。

本当にお疲れさまでした。

そしてありがとうございました。

 

今年も私の拙いブログを見に来て

頂いた方、そしてコメントや「いいね」を

して頂いた方、本当にありがとうござい

ました。

来年も自分が見て来た名馬達の功績や

思い出をブログに書いていこうと思い

ますので、今後ともよろしくお願い致します。

2025年も皆様にとって良い年であります

ことを心から祈っています。

どうか良い年をお迎えください。

昨日、中山競馬場で行われました暮れの

大一番第69回有馬記念はファン投票

史上最多投票を得たドウデュースが

脚部不安のため、直前で出走を取り消す

という波乱を予感させる中で行われました。

レースはゲートが開いて1番人気の

アーバンシックとプログノーシスが大きく

出遅れ、逃げ馬不在の中でダービー馬

ダノンデサイルが超スローペースで逃げる

展開に。

直線に入って逃げ粘るダノンデサイルを

馬場の真ん中からレガレイラとシャフリ

ヤールが猛然と追い込んでダノンデサイル

を交わして2頭の競り合いとなり、最後は

ハナ差でレガレイラが勝ってGⅠ2勝目を

挙げました。

また、3歳牝馬による勝利は1960年の

スターロツチ以来64年ぶり2頭目の

快挙となりました。

2着にはダービー馬の意地か10番人気の

シャフリヤール、3着には2番人気の

ダービー馬ダノンデサイルが入り、1番

人気に推されたアーバンシックは6着に

敗れました。

今年も出走して頑張った全15頭に心から

拍手を送ると共に全馬が何事もなく、

無事に完走することが出来て本当に

良かったです。

またこの有馬記念を最後に、引退を表明

したディープボンド、スタニングローズは

本当にお疲れさまでした。

第2の馬生に幸多からんことを心から

祈っています。

 

今週は中山競馬場で第41回ホープフル

ステークスが行われます。

ホープフルステークスは近年の日本競馬に

おいては2歳馬競走の開始時期の早期化

に加え競走距離が多様化しており、特に

中距離競走の充実ぶりが顕著になって

いることから、2013年まで阪神競馬場の

芝2000mで施行していたGⅢのラジオ

NIKKEI杯2歳ステークスを2014年より

中山競馬場の芝2000mに変更のうえ、

2歳中距離路線の頂点となる競走として

位置づけてGⅡに昇格させました。

2017年1月、前年より日本グレード

格付け管理委員会、並びにアジアパターン

委員会へ行っていた格付昇格の申請が

承認され、同年度よりGⅠ競走と

施行されることになりました。

従前よりJRAにおける2歳馬限定の

GⅠ競走は12月に2レース施行されて

いましたが、これによりJRAの2歳GⅠ

競走は芝コースでの競走が12月に

3レースも集中することになりました。

これにより混合のホープフルステークスと

阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯

フューチュリティステークスの内、どの勝ち

馬を、何を根拠に最優秀2歳牡馬・牝馬

として選出するのか、更に12月の1ヶ月で

3つの2歳馬のGⅠレースを行うことが

本当に必要なのか、GⅠレースの増え

過ぎは逆にGⅠの価値を下げてしまって

いるのではないのか。

伝統のレースがGⅢに格下げになっている

例もあって違和感を覚えざるを得ません。

 

更に元々は1年の締め括りとしての

レースがグランプリレース有馬記念で

あったのに、いつの間にかホープフル

ステークスになってしまっているとは。

但し、2025年はようやく元の通りに

有馬記念が最後の締め括りのレースに

なるとのことなので、ひとまずはホッと

しました。

 

今週は今年1年の中央競馬重賞のラストを

飾るホープフルステークスが行われます。

アマキヒ、クロワデュノール、マスカレード

ボール、マジックサンズに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

今年最後のレースを観ます。

昨日、京都競馬場で行われました

2歳マイル王決定戦第76回朝日杯

フューチュリティステークスは5番人気の

アドマイヤズームが直線で抜け出して

圧勝し、未勝利戦に続く連勝でG1初制覇

を果たしました。

2着には2番人気のミュージアムマイル、

3着には9番人気のランスオブカオスが入り

1番人気に推されたアルテヴェローチェは

5着に終わりました。

今週は、中山競馬場で今年の競馬を

締めくくるドリームレース、第69回

有馬記念が行われます。

有馬記念は、1955年当時の日本中央

競馬会理事長であった有馬頼寧氏が

中山競馬場の新スタンド竣工を機に

暮れの中山競馬場で日本ダービーに

匹敵する大レースを行いたいと提案し

当時としては他に類を見ないファン投票で

出走馬を選出する方式が採用され、

1956年(昭和31年)に最初は中山

グランプリの名称で創設されました。

しかし、第1回中山グランプリの興奮も

冷めやらぬ1957年1月に創設者である

有馬理事長が急逝してしまいました。

これまでの有馬氏の多大な功績を称える

ため、第2回開催から有馬氏の名前を

とって有馬記念に名称を変更し、これ以来

中央競馬の一年を締めくくるレースとして、

そしてファンが自ら投票して選んだ名馬達

による日本一決定戦というドリームレース

として定着し、現在行われています。

 

思い出の馬は、天馬、空をいくと言われた

第21回優勝馬トウショウボーイです。

トウショウボーイの父は昭和を代表する

名種牡馬テスコボーイで代表産駒には

皐月賞馬ランドプリンス、二冠馬キタノ

カチドキ、牝馬二冠馬テスコガビー

天皇賞馬サクラユタカオーやホクトボーイ

菊花賞馬インターグシケン、桜花賞馬

オヤマテスコとホースメンテスコ等

挙げれば切りがないほど多くの名馬達を

輩出しました。

母はソシアルバターフライで重賞勝ち馬の

トウショウピットや後にエイティトウショウや

トウショウペガサスの母となるソシアル

トウショウを世に送り出しました。

トウショウボーイは昭和51年の

クラシック組で同期には後にTTG時代と

呼ばれた貴公子テンポイントやグリーン

グラスの他、ダービー馬クライムカイザー

天皇賞馬ホクトボーイ、ニッポーキング等

がいます。

トウショウボーイは体の弱いところがあって

旧馬齢4歳1月の東京での新馬戦で

ようやくデビューを果たしました。

デビュー前から評判となり注目を集めて

いたトウショウボーイは、その期待に応え

3馬身差をつける圧勝で初戦を飾りました。

なおこの新馬戦には後にTTGの一角

としてライバル関係となるグリーングラスが

4着、後にミスターシービーを産むシービー

クインが5着に入っており、伝説の新馬戦

として今でも語り継がれています。

その後、トウショウボーイは条件特別を

連勝し、関東のエースとして皐月賞に挑み

ました。

この年の皐月賞は、例年は中山競馬場で

行われていましたが、組合側のストライキ

により、開催は順延となり、東京競馬場で

行われることになりました。

このレースには東上後、東京4歳

ステークスとスプリングステークスに快勝

した関西の星テンポイントが出走。

東西の両雄が初めて激突するということで

競馬ファンは大いに盛り上りました。

レースはスタートして関東3歳チャンピオン

ボールドシンボリが逃げ、テンポイントが

先行し、トウショウボーイは中団から進み

ました。

向こう正面でテンポイントが一旦下げる中

トウショウボーイは先行集団に入り、その

トウショウボーイをマークするように

テンポイントも仕掛けて、直線の勝負へ。

直線に入ってトウショウボーイが鋭く伸びて

先頭に立つと、一気に他馬を引き離し

外から何とか追い込んで来たテンポイント

に5馬身差をつけて圧勝。

キャリア3戦での皐月賞勝利は昭和40年

のチトセオー以来11年ぶりで、5馬身もの

大差をつけての勝利は昭和35年の

皐月賞を6馬身差つけて勝った名馬コダマ

以来16年ぶりの快挙となりました。

皐月賞での圧勝によりトウショウボーイは

ダービーで当時存在した単枠指定を受け

1番人気に推されました。

しかし、レースでは押し出されるように

先頭に立って逃げたトウショウボーイ

でしたが、直線に入って闘将加賀騎手騎乗

のクライムカイザーがトウショウボーイの

他馬を怖がる弱点をついて、一気に強襲

してトウショウボーイの前を横切って抜き

去って先頭に立ち、一瞬怯んだトウショウ

ボーイは態勢を立て直して追走するも

届かず、2着に敗れてしまいました。

そしてテンポイントもレース中に脚を痛め

7着に敗退となってしまいました。

 

ダービー後、トウショウボーイは北海道に

戻り、1ヶ月の休養後、札幌記念に出走。

このレースにはダービー馬クライム

カイザーも参戦したことで札幌競馬場には

多くのファンが詰めかけました。

レースはトウショウボーイがスタートで立ち

後れて後方からの競馬となってしまい、

最後の直線で猛然と追い込み、クライム

カイザーにはダービーでの雪辱を果たした

ものの、砂の王者グレートセイカンには

クビ差届かず、2着に敗れてしまいました。

 

その後、トウショウボーイは菊花賞に向け

西下し、秋緒戦の菊花賞トライアル神戸

新聞杯に出走すると、1番人気に応え

クライムカイザーに5馬身差をつけて

驚異のレコードタイムで圧勝。

続く京都新聞杯でも再びクライムカイザー

を退けて勝ち、菊花賞に駒を進めました。

菊花賞当日は重馬場となり、距離への

不安も囁かれたトウショウボーイでしたが

単枠指定を受け、1番人気に推されました。

骨折から復帰し、最後のクラシック制覇に

執念を燃やすテンポイントは2番人気に

推されました。

このレースでトウショウボーイは

テンポイントをはじめてする各馬に

徹底的にマークされるという厳しい展開と

重馬場に苦しみ、それでも直線で一旦先頭

に立ったものの、直後にテンポイントに

交わされ、ついにテンポイントの悲願達成

かと思われましたが内をついた当時はまだ

伏兵だったグリーングラスが内をついて鋭く

伸びて優勝を飾り、トウショウボーイは

3着に終わりました。

 

その後、トウショウボーイはテンポイントと

共に有馬記念に出走。

このレースにはエリモジョージ、アイフル

フジノパーシアの3頭の天皇賞馬の他

二冠牝馬テイタニヤ、菊花賞馬コクサイ

プリンスやヤマブキオー、キクノオー

外車スピリットスワプス、ハーバーヤング等

蒼々たるメンバーが出走しました。

豪華メンバーが揃う中でトウショウボーイは

1番人気に推されました。

レースはスピリットスワプスが先手をとって

逃げ、コクサイプリンス、エリモジョージ、

グレートセイカンが先行し、トウショウ

ボーイとテンポイントは中団、その後ろから

フジノパーシア、キクノオーが続き、

アイフル、ヤマブキオーは後方からという

展開になりました。

向こう正面でエリモジョージが先頭に

立つと第3コーナーでトウショウボーイと

テンポイントも仕掛けて直線の勝負へ。

直線に入ってトウショウボーイが一気に

伸びて先頭に立ち、テンポイントも必死に

追い込みましたが、トウショウボーイが

日本レコードタイムで押し切って優勝。

2着にはテンポイントが入り、有馬記念

史上初めて4歳馬が1、2着を占めました。

そしてトウショウボーイはこの年の活躍が

高く評価され、年度代表馬と最優秀4歳

牡馬に選出されました。

 

年が明けて古馬になったトウショウボーイ

は前年の激戦の疲労からか脚部不安を

発症して休養に入りました。

それでも何とか立て直して天皇賞春を

目指し、関西に移動しましたが、再び

脚部不安を再び発症したため、出走を

断念しました。

その後、トウショウボーイは悲願の

天皇賞春を制し、意気上がるテンポイント

が出走する宝塚記念で復帰することとなり

東西の両雄が5度目の対戦をすることに

なりました。

しかし、休み明けのトウショウボーイの状態

が思わしくなかったため、今度こそは

期待でテンポイントが1番人気に推され

ました。

このレースには両雄の他、菊花賞馬

グリーングラス、ダービー馬クライム

カイザー、天皇賞馬アイフルや後の

天皇賞馬ホクトボーイ等、6頭の名馬達が

顔を揃え、少頭数ながらまさに夢の

グランプリレースとなりました。

スタートしてハナを奪ってトウショウボーイ

が逃げ、テンポイントもトウショウボーイを

マークして2番手を追走しました。

うまくスローペースで逃げたトウショウ

ボーイは直線に入ってもスピードは衰えず

必死で差を詰めるテンポイントを振り

切って優勝を飾り、またしてもテンポイント

は打倒トウショウボーイはならず、2着に

敗れました。

続いてトウショウボーイは当時の高松宮杯

に参戦し、最重量となる初の斤量62キロ

に加え、不得意の不良馬場での競馬と

なりましたが、第3コーナーで仕掛けた

トウショウボーイは直線に入って鋭く

伸びて先頭に立ち、そのまま2番手以下を

突き放して圧勝しました。

夏を無事に越したトウショウボーイは

天皇賞秋を目指し、オープン競走から

始動し、日本レコードタイムで2着に

7馬身差をつけて圧勝、予定どおり悲願の

盾を目指して天皇賞秋に参戦しました。

このレースには菊花賞馬グリーングラスを

筆頭に後の天皇賞馬カシュウチカラや

ホクトボーイ、ロングホーク、カーネル

シンボリ、大井の星シタヤロープ等が

参戦しました。

1番人気には当然のことながらトウショウ

ボーが支持されました。

レースはトウショウボーイが逃げる中、終始

グリーングラスに絡まれ、当日の馬場も

稍重の状態だったため、トウショウボーイの

スタミナは失われ、直線でトウショウ

ボーイは失速してしまい、初めて7着と大敗

してしまいました。

競走後、トウショウボーイは有馬記念を以て

引退し種牡馬入りすることが発表され

ました。

この有馬記念には打倒トウショウボーイを

目指し最後のチャンスとなるテンポイントを

はじめ、菊花賞馬グリーングラスとプレス

トウコウ、外車スピリットスワプス等が

出走し1番人気は充実著しいテンポイント

トウショウボーイは天皇賞秋での大敗が

響いたのか、2番人気となりました。

スタートして当初スピリットスワプスが

逃げると予想されていましたが、スピードの

違いと荒れた馬場を見越した名人武邦彦

騎手騎乗のトウショウボーイが逃げ、その

後からテンポイントが徹底的にマークして

2番手を進む形となり、両馬が後続を引き

離し、まさにトウショウボーイとテンポイント

によるマッチレースとなりました。

直線に入ってトウショウボーイと

テンポイントは一歩も譲らず競り合いとなり

直線半ばでテンポイントがトウショウボーイ

を交わして先頭に立つとトウショウボーイも

負けまいと差し返しましたが、3/4馬身

およばず2着に敗れました。

そしてトウショウボーイとテンポイントが

繰り広げたこのマッチレースは日本競馬

史上屈指の名勝負として今でも語り

継がれています。

予定通りトウショウボーイは有馬記念を

最後に引退。

翌1978年1月8日に東京競馬場で

引退式が執り行われました。

引退して北海道で種牡馬になった

トウショウボーイでしたが、いくら多くの

名馬達を輩出したテスコボーイの血を

引いていても当時の内国産種牡馬の評価

は低く、繁殖牝馬には恵まれませんでした。

そんな厳しい状況でしたが2年目の産駒の

ダイゼンキングが阪神3歳ステークス等を

制して1982年度の最優秀3歳牡馬に

選出され、トウショウボーイは同年度の

3歳リーディングサイアーとなりました。

翌1983年には、ほぼ唯一の一流牝馬

だったシービークインとの産駒のミスター

シービーがシンザン以来19年振り3頭目

そして父内国産馬としては史上初の

クラシック三冠を達成し、生産者を驚愕させ

ました。

また、初年度産駒の抽せん馬ラブリー

スターが重賞2勝を挙げる等、トウショウ

ボーイに対する評価が一変しました。

そして1984年、トウショウボーイはJRA

顕彰馬に選出されました。

その後もトウショウボーイは桜花賞馬

シスタートウショウとアラホウトクをはじめ

ダイイイチルビー、サクラホクトオー

ウンドストース、ハッシングショット等

父テスコボーイと同じように多くの重賞勝ち

馬を輩出し、不慮の事故で無くなった

テンポイントの分まで種牡馬としても

大活躍しました。

私も当時あった浦河種馬場でトウショウ

ボーイに会わせて頂き、触らせてもらい

ましたが、本当に皮膚が薄く、目がクリっと

して顔もとてもカワイイ馬でした。

 

記録によりますと

1992年8月5日早朝、トウショウボーイが

脚を痛がる素振りを見せ、すぐに検査が

行われた結果、やはり蹄葉炎を発症して

いることが判明。

獣医さんに種牡馬としてはだめでも生きて

いるだけでいいから助けて欲しいと頼み

以降は職員総出で懸命の治療と介護が

行われましたが、病勢は悪化する

ばかりで病状の進行は止められず、

9月半ばになると立っていることも出来なく

なり、蹄の部分が腐乱して軟骨が外に出る

までになってしまいました。

そして9月18日23時過ぎに、もうこれ以上

苦しませることは出来ないと農協幹部

全員の許可を得て、安楽死の措置が

執られ、奇しくも1978年に亡くなった

テンポイントと同じ病気で天国に旅立って

行ってしまいました。

享年20歳でした。

浦河種馬場で葬儀が行われた後、遺骨は

分骨されて種馬場とトウショウ牧場に

お墓が建てられています。

今週は中山競馬場で今年のクライマックス

第69回有馬記念が行われます。

今年も豪華メンバーが揃いました。

ラストランとなるドウデュース、アーバン

シック、スターズオンアース、ジャスティン

パレスに注目しています。

今年を締めくくる大一番、今週も全人馬の

無事を祈りながらレースを観ます。