去る時代平成があれば、来る時代令和があります。
そんな中でウオッカ死すとのニュースがあり、衝撃が走りました。
あの歴史的名馬クリフジ以来64年ぶりの牝馬による日本

ダービー制覇は、記憶に新しいところです。
牧場では、この歴史的名馬を必死で救おうとしたんでしょうね。
右後肢第3指骨粉砕骨折を発症し、手術でボルトで固定するも

両後肢に蹄葉炎を発症し、回復が見込められないため、苦渋の

決断により、安楽死の処置が取られたとのことです。
そのニュースを知った時、41年前に悲劇の死を遂げた貴公子

テンポイントを思い出しました。
テンポイントのあの大手術から41年経った今もなお、馬の骨折を

治すのは、まだ無理なんですね。
異国の地で新時代令和を待たずに、静かに亡くなってしまった

平成を代表する名馬ウオッカ。
本当に淋しい限りです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

また、北海道より心配なニュースも飛び込んできました。

ディープインパクトの種付けが中止されたり、ロードカナロアや

キタサンブラックの種付けが一時中止されたり、キンギカメハメハが免疫低下により昨年後半から種付けを行っていないとの

こと。
名馬達が無事に回復し、元気になってくれることを心から

祈っています。

 

今週は、ドバイに年度代表馬であるアーモンドアイが

ドバイ・ターフに出走します。

あの目を見張る豪脚を披露し、圧勝して世界をアッと

言わせて欲しいですが、豪脚だけに脚にかかる負担も

相当なものになります。

私は、未だにあのホクトベガの悲劇が忘れられないので

人馬無事にレースが終了することを一番に思っています。

もう日本の宝を失いたくありません。

そう言いつつも、頑張って欲しいです。

 

日本では大阪杯が行われます。

私は、昭和人なのでどうしてもサンケイ大阪杯のイメージが

強く、GⅠレースということに違和感を隠し切れません。

昔、サンケイ大阪杯は元々春の天皇賞の前の前哨戦または

ステップレースだっただけに、何でこのタイミングでGⅠレース

なのでしょうか。

中距離の大阪杯狙いの馬と天皇賞狙いの馬との混合戦の

面白味としたいのでしょうか。

あまりGⅠレースの乱立はして欲しくはありません。

但し、明日の出走馬は豪華メンバーがそろいました。

ダービー馬、有馬記念馬、皐月賞馬の他、重賞勝ち馬が

ずらり揃った近年まれにみる面白い対戦です。

 

大阪杯での思い出の馬は、まだサンケイ大阪杯と言っていた

時代の昭和50年優勝馬スカイリーダです。

400キロちょっとの小さな体でしたが、後方から繰り出す

切れのある追い込みは、印象に残っています。

まさに小さな巨人でした。

あの歴史的名馬タニノチカラを後ろから差したのは、この馬

だけだと思います。

イチフジイサミが優勝した春の天皇賞で、向こう所面でしんがり

まで下がった時、名アナウンサーの杉本アナが「昭和48年春の

天皇賞タイテエムを思い出すスカイリーダだしんがりだ」と言った

名実況は忘れられません。

私が行っていた牧場めぐりツアーに来ていた人の中に

スカイリーダのファンの方がいて、種牡馬の後廃用になり、

その後の消息は不明とされていて、もうとっくに亡くなったと

思っていたようでしたが、偶然テレビの取材中、スカイリーダが

存命していることが判り、それを知らせてあげると、とても喜んで

いました。

スカイリーダはその牧場で天命を全うしたと思っています。

人はそれぞれ大好きだった馬や忘れられない馬がいます。

だから競馬は面白いし、奥が深くやめられません。

明日は、中京競馬場で高松宮記念が行われます。

 昔は、中京で高松宮杯として中京の2,000Mで行われていました。 思い出のレースは、やはり、昭和49年優勝のハイセイコーです。 怪物であり、英雄であるハイセイコーが初めて中京競馬場に

出走するとあって、多くの観衆が中京競馬場に詰めかけました。

レースはかつてのクラシック候補で関西の期待であった

ヨドヒーローが先行して引っ張り、直線でハイセイコーが難なく

抜け出して、大歓声の中、宝塚記念に続き圧勝しました。

 ハイセイコーに対する観客の温かい声援とレースでの直線と

優勝した時の大歓声は忘れられません。

そして多くのファンからの「また来て」「また来いよ」の声援は、

本当に嬉しかったし、感動しました。

また、明日の高松宮記念では、高松宮杯時代にハイセイコー以外に 忘れられないレースがあります。

1つは悲運の名牝イットーが復活した昭和50年の高松宮杯です。

実力は誰もが一番であると言われたイットーでしたが、度重なる

怪我とあの快速馬キュシューローレルの悲劇に巻き込まれる等、

悲運に見舞われ、いつしか人は彼女を悲運の名牝と呼びように

なりました。

中京の吉村アナウンサーの「まだイットーが逃げている、まだ

イットーが逃げている、あの悲運の名牝と言われたこの馬が

はたして中京競馬場で蘇るのか」の名アナウンスが忘れられ

ません。

そしてイットーは優勝し、見事に蘇りました。

もう一つは、私が競馬史上最強の世代と思っている昭和47年組

で宝塚記念に優勝し、続いて高松宮杯に出走して、優勝を

目前にしてゴール前200Mで骨折して倒れ、 この世を去った

ハマノパレードです。

ゴール前でのあまりにも悲しい出来事に私は、声を上げ、

ショックでしばらく呆然としていました。

今は予後不良の場合は、苦しみを防ぐため安楽死の処置が

取られますが、当時はまだそのような制度にはなっておらず、

人によっては、馬は経済動物だの家畜だのという認識があった

ため、ハマノパレードは骨折後に痛みで苦しんでいたものの、

軽減措置もされないまま、翌日にと殺場に送られ、その日の内に

馬肉として売られたそうです。

俗にいうハマノパレード事件です。

しかし、このことが明るみに出て、批判されたことから、その後

安楽死の制度が確立されたことから、ハマノパレードの死して

残した功績は、大きかったと思います。

昭和48年のあまりにも悲しい出来事として、私の記憶に残って

います。

明日の高松宮記念も人馬の無事を祈っています。