明日は、中京競馬場で高松宮記念が行われます。
昔は、中京で高松宮杯として中京の2,000Mで行われていました。 思い出のレースは、やはり、昭和49年優勝のハイセイコーです。 怪物であり、英雄であるハイセイコーが初めて中京競馬場に
出走するとあって、多くの観衆が中京競馬場に詰めかけました。
レースはかつてのクラシック候補で関西の期待であった
ヨドヒーローが先行して引っ張り、直線でハイセイコーが難なく
抜け出して、大歓声の中、宝塚記念に続き圧勝しました。
ハイセイコーに対する観客の温かい声援とレースでの直線と
優勝した時の大歓声は忘れられません。
そして多くのファンからの「また来て」「また来いよ」の声援は、
本当に嬉しかったし、感動しました。
また、明日の高松宮記念では、高松宮杯時代にハイセイコー以外に 忘れられないレースがあります。
1つは悲運の名牝イットーが復活した昭和50年の高松宮杯です。
実力は誰もが一番であると言われたイットーでしたが、度重なる
怪我とあの快速馬キュシューローレルの悲劇に巻き込まれる等、
悲運に見舞われ、いつしか人は彼女を悲運の名牝と呼びように
なりました。
中京の吉村アナウンサーの「まだイットーが逃げている、まだ
イットーが逃げている、あの悲運の名牝と言われたこの馬が
はたして中京競馬場で蘇るのか」の名アナウンスが忘れられ
ません。
そしてイットーは優勝し、見事に蘇りました。
もう一つは、私が競馬史上最強の世代と思っている昭和47年組
で宝塚記念に優勝し、続いて高松宮杯に出走して、優勝を
目前にしてゴール前200Mで骨折して倒れ、 この世を去った
ハマノパレードです。
ゴール前でのあまりにも悲しい出来事に私は、声を上げ、
ショックでしばらく呆然としていました。
今は予後不良の場合は、苦しみを防ぐため安楽死の処置が
取られますが、当時はまだそのような制度にはなっておらず、
人によっては、馬は経済動物だの家畜だのという認識があった
ため、ハマノパレードは骨折後に痛みで苦しんでいたものの、
軽減措置もされないまま、翌日にと殺場に送られ、その日の内に
馬肉として売られたそうです。
俗にいうハマノパレード事件です。
しかし、このことが明るみに出て、批判されたことから、その後
安楽死の制度が確立されたことから、ハマノパレードの死して
残した功績は、大きかったと思います。
昭和48年のあまりにも悲しい出来事として、私の記憶に残って
います。
明日の高松宮記念も人馬の無事を祈っています。