ハイセイコーのブログ -12ページ目
昨日、東京競馬場で行われました第73回
府中牝馬ステークスは5番人気のセキトバ
イーストが好位追走から直線で抜け出して
重賞初制覇を飾りました。
2着には3番人気のカナテープ、3着には
2番人気のラヴァンダが入り、1番人気に
推されたカニキュルは8着に終わりました。

今週は、函館競馬場で伝統の第61回
函館記念が行われます。
函館記念は現行の函館記念が創設される
以前、1951年から1964年まで函館記念
というオープン特別競走の形式で競走が
施行されていました。
その後1965年に4歳(現3歳)以上の
競走馬によるハンデキャップの重賞競走
として創設されました。
函館競馬場で行われる重賞競走では
最も歴史が長く、昭和期における歴代
優勝馬には名立たる名馬達が名を連ねて
います。
2006年より夏季競馬を盛り上げるために
設けられたサマー2000シリーズの
第2戦に指定され、2025年からは
第1戦に指定されています。
思い出の馬は南関東・名古屋から
中央へと渡り歩いた昭和57年第18回
函館記念優勝馬カズシゲです。
カズシゲの父はマイラー系種牡馬ボールド
アンドエイブルで代表産駒にはニチドウ
アラシ、セーヌスポート等の重賞勝ち馬が
います。
また、カズシゲの弟には日本ダービーや
有馬記念などに優勝したダイナガリバーが
います。
カズシゲは旧馬齢3歳の時に南関東の
大井競馬でデビューし、南関東では
3歳~5歳の3月までで重賞勝ちは
無いものの24戦10勝の成績を残し、
その後名古屋競馬に移籍して6歳の1月
までに10戦5勝を挙げ、地方での通算
成績34戦15勝の成績を引っ提げて
1982年1月に中央競馬に移籍しました。
その年にやはり名古屋から移籍して来る
ヒカリデュールもそうですが、ハイセイコー
やゴールドイーグル、マルイチダイオー
カツアール、サンチャイナのような地方での
重賞勝ちは無かったためか、それほど
騒がれることはありませんでした。
ただカズシゲの場合、地方でもダートより
芝コースでの好走が見られることから、
ダートより芝コースに適性があったように
思われます。
カズシゲは中央での初戦、オープン競走に
出走すると僅差の4着に好走。
そして次に中央競馬の重賞競走である
マイラーズカップに挑みました。
このレースにはダービー馬オペックホース
快速馬サクラシンゲキ、オークス馬
ケイキロクやサニーシプレー、オーバー
レインボー等の古馬の精鋭達が参戦。
カズシゲは14頭立ての10番人気での
出走となりました。
レースは快速馬サクラシンゲキが
ハイペースで逃げ、その後からアグネス
ベンチャー、ハッピープログレスが続き
オペックホースとカズシゲは後方から
という展開で進みました。
快調に逃げるサクラシンゲキは最後の
直線でも逃げ脚を伸ばし、このまま逃げ
切るかと思われましたが、内からカズシゲ
が物凄い脚で追い込み、ゴール前で
サクラシンゲキを交わして優勝を飾り、
中央での初勝利を挙げると共に重賞
初制覇を果たしファンを驚かせました。

続いてカズシゲはサンケイ大阪杯に
出走して僅差の3着に入るなど、
マイラーズカップでの優勝がフロックでは
ないことを証明しました。
そして勢いのままにカズシゲは続いて
天皇賞春、宝塚記念に挑みましたが、
さすがにここは荷が重たかったのか
いずれノレースも6着に敗れました。
次にカズシゲは当時の高松宮杯に参戦。
このレースにはサンケイ大阪杯を制した
サンエイソロンや前年の宝塚記念を制した
同じ地方競馬出身のカツアールが出走
しました。
レースはドウカンシャトーが逃げ、カズシゲ
が2番手を進み、その後ろからぴったりと
カツァールとサンエイソロンが続きました。
第3コーナーでカズシゲが仕掛けて早くも
先頭に立ち、そのまま直線の勝負へ。
カズシゲが逃げ込みを図る中、内から
サンエイソロン、外からアグネスシャトーが
追い込みましたが、カズシゲの逃げ足は
止まらず、サンエイソロンを抑えて優勝を
飾り、2つ目の重賞を獲得しました。

その後、カズシゲは夏の北海道シリーズの
函館記念に参戦しました。
このレースには桜花賞馬ブロケードと
リーゼングロス、後の天皇賞馬メジロ
ティターン、後に安田記念を制する
キヨヒダカ、最重量ハンデを背負った
キタノリキオーやオーバーレインボー
トドロキヒホウ、サニーシプレー等
豪華メンバーが顔を揃えました。
カズシゲは斤量59キロが懸念されたのか
8番人気という低評価での出走となり
ました。
レースはトップハンデのキタノリキオーが
逃げ、プロケード、キヨヒダカ、サニー
シプレーが先行し、カズシゲは中団からの
競馬になりました。
第3コーナーで各馬が一斉に仕掛け、
今度はブロケードが先頭に立つと、外から
サニーシプレー、内からカズシゲが差を
詰めて直線の勝負へ。
直線でカズシゲとサニーシプレーが抜け
出して一騎打ちとなりましたが、最後は
カズシゲがサニーシプレーを振り切って
優勝を飾り、重賞3勝目を挙げました。

しかし、この勝利がカズシゲにとっての
最後の勝利になってしまいました。
高松宮杯、函館記念を連勝したカズシゲは
秋緒戦となる京都大賞典に1番人気に
支持されて出走しました。
最後の直線で抜け出して先頭に立つも
外から追い込んできたメジロカーラに
ゴール前で差されて2着に敗れてしまい
ました。

その後、ジャパンカップで6着に好走するも
続く有馬記念では13着に大敗しました。
年が明けて7歳になったカズシゲは現役を
続行し、休み明けのオープン競走6着後、
宝塚記念に参戦。
ハギノカムイオーが華麗な逃げを
展開する中、カズシゲも終始ハギノ
カムイオーをマークして2番手を進み
直線の勝負にかけましたが、ハギノ
カムイオーは直線で更に差を広げて
圧勝し、カズシゲも大健闘しましたが
2着に終わりました。

昨年と同じように続いて高松宮杯に参戦し
連覇を狙いましたが、ハギノカムイオーに
またしても華麗な逃げを展開され、最後の
直線で外から追い込み差を詰めたものの
3着に敗れました。

そして、このレースがカズシゲにとっての
現役最後のレースとなってしまいました。
私も記憶が曖昧で判りませんが、不確かな
情報では、カズシゲは高松宮杯出走後
休養に入りましたが、休養先で急死して
しまいました。
タラレバになりますが、弟にダービー馬
ダイナガリバーがいることからも、
もし無事で種牡馬になっていたらと思うと
本当に残念です。
今週は、函館競馬場で伝統の第61回
函館記念が行われます。
マコトヴェリーキー、マイネルモーント
ディマイザキッド、ランスオブクイーンに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
私事を書いてすみませんが、先月の
日付が変わった5月15日の夜中に母が
起きてトイレに行こうとしましたが、立ち
上がることができなくなり、救急車を
呼んで病院に搬送しました。
母は93歳だった7年前にも心不全
(電解質異常)で入院し、その後は
薬も飲まずに過ごしてきました。
立てなくなる数日前、咳や痰が激しくなり
熱も38.8度出たため、かかりつけ医で
診てもらいましたが、レントゲン検査では
肺に異常は認められず、風邪と診断され
血液検査でもCRP値にそれほどの
異常は認められなかったため、心不全は
疑われずに抗生物質や解熱剤を処方して
もらい、その結果、体調は落ち着いた
ようになりましたが、その後、2日間で急に
体重が2キロ増え、胸の圧迫感や脚の
むくみが酷くなったため、翌日再び、曜日の
関係で、かかりつけ医の父親の先生に
診てもらったところ、尿が出ているから
大丈夫と言われ帰宅しましたが、その日の
夜に状態が悪化し、救急搬送となって
しまいました。
救急隊の方達は本当に優しく迅速に
対応して下さり、搬送先の国立病院での
女性の先生もよく診て頂き、母は心不全の
疑いで入院となりました。
翌日、循環器科で検査と適切な処置を
受けました。
2日間で6リットルの水を抜いて、酸素
吸入等で血中酸素も安定し、2週間で
退院することができました。
ただ入院当初から主治医に病状の説明を
求めても忙しいとのことで対応して頂けず、
再三の申し入れで5日後にようやくサブの
先生から説明がありました。
しかし、その後、主治医から私の携帯に夜、
退院を煽る威圧的な連絡が2日連続で
あって、夜でも連絡できるなら、もっと早く
病状説明ができたのでは思い、非常に
嫌な思いをしました。
また、看護師も母に優しく接してきちんと
やってくれた看護師さんと高齢者だと
思って馬鹿にしているのか、雑に扱った
看護師もいて、極め付きは退院間近の日の
シャワー時、見守りと言いながら、ろくに
母の様子を見ていなかったのか、母は
シャワー室で転倒し、頭を強打してしまい
ました。
すぐに病院の方で脳神経外科の先生らが
レントゲン検査をして、その場では異常は
見つかりませんでしたが、サブの担当医
からは、今後は硬膜下血腫に注意して
下さいと言われ、不安が残る結果と
なりました。
その時の担当看護師からの謝罪は
ありましたが、看護師長が他の用事で
母のいる病室に来ながらも、こちらを
全く無視して謝罪すらなかったのが
本当に残念です。
もちろんよくやってくれた看護師さんも
多くいて感謝していますが、主治医と
対応が悪い看護師がいたことは本当に
残念でなりません。
夜中、少ない人数で多くの患者を見
なければならないので、看護師さん達も
忙しくて大変なのは判りますが、
忙しい中でもきちんと対応が出来ている
看護師さんもいただけに、それができない
看護師がいるのは残念だし、患者の家族
からすると、とても不安になります。
母は全くボケてはいないので、看護師に
今日はこういうことをされたと、対応が
良かった場合も、悪かった場合も名指しで
私に報告してくれるので、入院時の様子が
手に取るように分かりました。
母は55歳の時に胆石、90歳で脊柱管
狭窄症と右肩腱板断裂の手術、
93歳の時に心不全、94歳の時お風呂で
転んで肋骨にヒビ、そして98歳の時に
頚椎症性脊髄症で非常に危険を伴う
難しい手術を受けて、整形外科の先生の
おかげで奇跡的に回復し、その後も全く
認知症にもならず、リハビリを受けながら
普通の生活を送ってきました。
今回の百歳を前に発症した心不全で、
今度こそは無理かと覚悟しましたが、
今回も奇跡的に生還し、6月晴れて
百歳を迎えることができました。
お世話になった医療関係者の皆さんや
親身になって相談や対応をして下さった
ケアマネージャーさんに心から感謝
したいと思います。
本当にありがとうございました。
母のことで長々と書いてしまい申し訳
ありません。
それではいつもの競馬関連の投稿に
戻ります。
昨日、阪神競馬場で行われました春の
グランプリレース第66回宝塚記念は
スタートしてハナを奪い道中軽快に逃げた
7番人気で武豊騎手騎乗のメイショウ
タバルが最後の直線でも失速することなく
最後は3馬身差をつけて優勝。
G1初制覇を飾ると共に宝塚記念を
連覇した父ゴールドシップとの親子制覇を
果たしました。
そして松本オーナー、石橋調教師、武豊
騎手、本当におめでとうございます。
「馬がつないでくれる縁というか、人が
つなぐ馬との縁、そういうのを感じます」
と言った武豊騎手の言葉に感動しました。
これが競馬なんだと改めて思いました。


2着には1番人気のベラジオオペラ、
3着には10番人気のジャスティンパレスが
入り、2番人気に支持された紅一点の
レガレイラは11着に終わりました。
また、実況アナからの宝塚記念でのファン
ファーレはオリジナルファンファーレで
全ての人馬の無事を願って作られたとの
コメントに、30年前のライスシャワーに
思いを馳せながら、涙が溢れました。
今週は、東京競馬場で第73回府中牝馬
ステークスが行われます。
府中牝馬ステークスは現在中央競馬で
行われる4歳(現3歳)以上の牝馬限定
重賞競走としては、最も長い歴史を持ち
1953年に東京牝馬特別の名称で
創設され、その後名称は幾度かの変遷を
経て1992年から現在の名称となりました。
創設時は東京競馬場の芝2000mでハンデ
キャップ競走として行われていましたが
距離は1955年より芝1600mに、負担
重量は1969年より別定に変更。
1996年にエリザベス女王杯が古馬にも
開放され4歳(現3歳)以上の牝馬限定戦に
改められると本競走は距離を芝1800mに
延長し、エリザベス女王杯の重要な前哨戦
として位置づけられ2014年から2024年
までは本競走の1着馬にエリザベス女王杯
への優先出走権が与えられていました。
2025年より前年まで開催されていた
マーメイドステークスの競走条件を引き
継ぎ、開催時期を6月に、更に負担重量を
グレード別定からハンデキャップに
変更され、行われることになりました。
今週は、東京競馬場で今年から開催
時期が変更となり6月となった第30回
府中牝馬ステークスが行われます。
ラヴァンダ、カニキュル、カナテープ
シングザットソングに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました春の
マイル王決定戦第75回安田記念は
2番人気のジャンタルマンタルが好位
追走から直線で鋭く抜け出し、3回目の
G1勝利を果たしました。
2着には9番人気のガイアフォースが入り
1番人気に推されたソウルラッシュは
直線で追い込むものの3着に敗れました。

今週は阪神競馬場で春のG1戦線を
締めくくる第66回宝塚記念が行われます。
宝塚記念は有馬記念と同様にファン投票
で出走馬を決め、上半期の締めくくりを
飾る競走として関西地区の競馬を
華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され
阪神競馬場の新スタンドが落成した翌春の
昭和35年(1960年)に創設されました。
「あなたのそして私の夢が走ります」の
杉本アナの名実況でもおなじみの夏の
グランプリレースとして親しまれています。
思い出の馬は、宝塚記念史上、唯一中京
競馬場で行われた宝塚記念の覇者、
日本ダービー馬の仔テルテンリュウです。
テルテンリュウの父は、ダービー馬ロング
エースで代表産駒には日経新春杯や
神戸新聞杯に勝ったスピードヒーローや
ワイドオー等の重賞勝ち馬がいます。
テルテンリュウは昭和54年のクラシック組
で同期にはダービー馬カツラノハイセイコ
皐月賞馬ビンゴガルー、菊花賞馬ハシ
ハーミットやリンドプルバン、ネーハジェット
リキアイオー、テルノエイト等の重賞
勝ち馬がいます。
テルテンリュウは旧馬齢3歳12月の
阪神でデビューして新馬戦を快勝。
続く条件特別戦でも、後の重賞勝ち馬
ネーハジェットをやぶって新馬・特別を
連勝し、いわゆるエリートコースに乗って
クラシックに名乗りを挙げました。
年が明けて4歳になったテルテンリュウは
4歳緒戦としてシンザン記念に参戦するも
5着に敗れてしまいました。
続く条件特別でもカツラノハイセイコの
2着に敗れ、その後もきさらぎ賞では
ネーハイジェットの2着、続く毎日杯でも
後の菊花賞馬ハシハーミットの3着に
敗れるなど、勝ち星に恵まれないレースが
続きました。
そのため、テルテンリュウは皐月賞を
回避してオープン特別に出走し、4歳に
なって初めて勝利して3勝目を挙げると
ダービーを目指し東上しました。
そして当時はダービートライアルだった
NHK杯に参戦すると、このレースに
出走していた後のダービー馬カツラノ
ハイセイコやヨシノスキー、テルノエイト等
をやぶって勝利し、重賞初制覇を
果たすと共にダービーに向けての有力
候補に躍り出ました。
本番のダービーでは3番人気に推された
テルテンリュウは、後方から徐々に
仕掛けて上がって行って、いい手応えで
最後の直線に入るとリキアイオーを
交わして先頭に立ち、内に斜行しながら
差して来たカツラノハイセイコと競り合う等
大いに見せ場は作ったものの3着に
敗れました。

そして続いて出走した高松宮杯で4着に
敗れたテルテンリュウは秋に入り、
菊花賞の前哨戦、神戸新聞杯で4着に
敗れると、その後体調を崩してしまい、
菊花賞への出走は叶いませんでした。
復帰戦となった暮れの愛知杯では
2着に入ると、年が明けて古馬になった
テルテンリュウは金杯に参戦して2着に
入り、古馬戦線に向けていいスタートを
切りましたが、続く日経新春杯では1番
人気に推されるも9着に大敗してしまい
ました。
しかし続くオープン競走を勝って久しぶりに
5勝目を挙げたテルテンリュウは天皇賞春
に挑みましたが、ニチドウタローがレコード
タイムで優勝を飾る中、6着に終わりました。
続いてテルテンリュウは、当時の古馬の王道
路線を歩み、この年宝塚記念史上唯一
中京競馬場で行われました夏のグランプリ
競走、宝塚記念に挑みました。
このレースには前走の天皇賞春を制した
ニチドウタロー、有馬記念馬カネミノブ
天皇賞馬テンメイ、オークス馬アグネス
レディーやリンドプルバン、メジロイーグル
ハシクランツ等、グランプリレースに
相応しい古馬の精鋭達が顔を揃え、この
強豪馬が揃う中でテルテンリュウは
1番人気に支持されました。
レースは不良馬場という過酷な環境で
行われました。
ゲートが開きスタートすると快速を活かして
メジロイーグルが逃げ、ハシクランツ、
カネミカサが続き、テルテンリュウは4番手
カネミノブ、ニチドウタロー、アグネス
レディーは中団、リュウキコウ、リンド
プルバンは後方から、テンメイは最後方
からというレース展開になりました。
第4コーナーでハシクランツとカネミカサが
仕掛けて逃げるメジロイーグルを捉えて
直線の勝負へ。
直線馬場の真ん中からハシクランツが
先頭に立ち、内からはメジロイーグルが
差し返し、外からカネミカサが必死で
追い込む中、内からテルテンリュウが
豪快に追い込んで、ハシクランツと
カネミカサを差し切って優勝を飾り
第21代夏のグランプリホースに輝きました。
しかし、この勝利がテルテンリュウに
とっての最後の勝利となってしまいました。

続いてテルテンリュウは高松宮杯に駒を
進めましたが、繋靭帯炎を発症したため
出走取消となってしまい、以降復帰を
目指したものの、テルテンリュウが再び
競馬場に姿を現すことはありませんでした。
競走馬を引退したテルテンリュウは翌年の
1981年から九州で種牡馬となりました。
記録によりますと
1984年 わずか2年間の供用で早世と
となっており、死因についての記述が残って
いないのが残念です。
今週は阪神京都競馬場で夏のグランプリ
競走「あなたのそして私の夢が走る」
第66回宝塚記念が行われます。
ドゥレッツァ、ベラジオオペラ、
ショウナンラプンタ、ロードデルレイに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

