本日、東京競馬場で行われました第15回ヴィクトリアマイルは

女王アーモンドアイが異次元の強さで圧勝しました。

昨年の有馬記念の前に発熱し、その影響なのか、9着に惨敗。

今年に入ってからは、ドバイに遠征したものの、コロナの影響で

不運にもレースが中止となって帰国を余儀なくされるなど、体調が

心配されていました。

昭和期、私が好きだったニットウチドリという名牝がいて、牝馬の

クラシックでは2冠を制し、その勢いで有馬記念でも2着に健闘

するなど大活躍しましたが、古馬になってAJC杯で大敗すると、

その後は、燃え尽きたかのように全く走らなくなってしまいました。

そのことがずっと頭をよぎっていました。

パドックでも貫禄で落ち着いているのか、元気がないのか、とても

気になりましたが、燃え尽きるどころか、貫禄をもってまさに格の

違いをまざまざと見せつけてくれました。

昭和期に京都記念で63キロを背負った天皇賞馬タニノチカラが

持ったままで、大差で優勝した場面を見て、衝撃を受けましたが、

今回のアーモンドアイの圧勝劇にも衝撃と共に感動しました。

おもわずアーモンドアイに向かって深々とお辞儀をしてしまい

ました。

美しいレース、美しい勝ち方とはこのことではないでしょうか。

まさに世界に誇る日本の宝です。

涼しい顔で優勝しましたが、疲れが取れない面もあるようなので、

体調面を十分注意しながら、今後のレースに挑んで欲しいと

思います。

関係者の皆様、おめでとうございます!

 

明日、京都競馬場で伝統のレース第68回京都新聞杯が

行なわれます。

昭和時代、京都新聞杯は神戸新聞杯と共に菊花賞前哨戦として

重要なレースとして位置づけられていましたが、レース体系

変更により2000年からは秋から春に移り、菊花賞トライアル

レースからダービートライアルレースとなりました。

昭和人の私としては、未だに違和感がありますが・・・。

 

思い出のレースは、今年はハイセイコーの没後20年に因んで、

ダービー敗退後、ハイセイコーの秋初戦となった昭和48年に

行われました第21回京都新聞杯です。

怪物であり、スターホースであるハイセイコーが関西に初お目見え

するということで、ひと目怪物ハイセイコーを見ようと大勢の

ファン競馬場に詰めかけました。

ハイセイコーは、神戸新聞杯優勝のホウシュウリッチはじめとする

関西勢に徹底的なマークにあったものの、ダービー馬タケホープ、

ホウシュウリッチ、シャダイオー、ヌアージターフ等を何とか

振りったかと思った瞬間、伏兵のトーヨーチカラにすくわれて

敗れてしまいました。

当時、私は愛鳥のエサを購入するため、今年3月で83年の

歴史を閉じた東急デパート東横店に来ていて、家電売り場で

テレビ観戦をしていました。

そこには大人から子供まで大勢の人達が怪物ハイセイコーを

見るため集まっていて、ハイセイコーが負けた瞬間、あぁ~という

悲鳴やため息があたりを包み、ざわついていたのを記憶して

います。

古き良き時代の光景でしょうか、今では閉店したデパートでの

良い思い出です。

 

今回のダービートライアルとなった京都新聞杯の優勝馬からは、

アグネスフライトやキズナがダービー馬となっており、トーセン

ホマレボシやサトノラーゼン等、ダービーで上位に来た馬も

多くいるため、侮れません。

今年の牡馬クラシック路線は先の皐月賞を見ても判るとおり、

休み明けでも他馬を圧倒したコントレイルとサリオスが飛び抜けた

存在です。

この2頭に挑戦状を叩きつける馬は現れるのか注目ですが、

やはり一番手は大物感たっぷりのアドマイヤビルゴでしょうか。

昨年亡くなった近藤オーナーの悲願をかけて、このレースを勝って

無敗のまま、ダービーで無敗のコントレイルやサリオスと対戦で

きるのか注目です。

また、サトノ一門からは、プリンシバルSにサトノフウジンが

参戦し、注目です。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

 

本日、5月4日は、私が大ファンであった名馬ハイセイコーの

命日で早いもので、今年で没後20年なります。

 

当時、牧場めぐりツアーで、お世話になっていた牧場関係者の

方に前々からハイセイコーに何かあったらすぐに駆けつけるので

知らせて欲しいとお願いしていたものの、その日が永久に来ない

ことを祈っていました。

しかし2000年5月4日、ついにハイセイコーが亡くなったという、

できれば永遠に聞きたくなかった訃報が入りました。

一般ニュースでもトップに報道され、翌日のスポーツ紙は各紙

一面で怪物であり国民のアイドル馬であったハイセイコーの

死亡を伝えました。

牧場の方から、告別式(お別れの会)の日程も教えて頂き、

ハイセイコーファンである高校時代からの友人2人と共に

お別れ会に参列のため、北海道に向かいました。

お別れの会は、5月18日に新冠町にあるレ・コード館で行われ、

牧場関係者の他、主戦ジョッキー増沢元騎手やJRAからの

代表者、全国から来たファン等、大勢の人達が参列しました。

私が東京から送ったお供物も祭壇に飾って頂き、献花により、

ハイセイコーに最後の別れを行いました。

多くのマスコミが取材に来ていて、献花の時にはフラッシュを

たかれるは、インタビューをされる等、少々戸惑いましたが

ハイセイコーファンとして見送りをできたことは本当に良かった

と思っています。

翌日は、ハイセイコーの終焉の場所である、当時の明和牧場に

行き、牧場の方からハイセイコーが最後に横たわっていた放牧地

の場所を教えて頂き、友人と共に手を合わせました。

その放牧地にはハイセイコーの生きていた痕跡が生々しく残って

いて、つい最近まで元気に過ごしていたであろう在りし日の

ハイセイコーの勇姿を思い浮かべながら、しばらく感慨にふけり

ながら佇んでいました。

亡くなった時、既に調教師となっていた増沢騎手がたまたま

北海道にいたことも、何か強い繋がりを感じざるを得ません。

あれから早いもので20年の歳月が流れました。

競馬は面白いもので、強い馬が人気があるわけではありません。

記録だけでなく、ドラマがあった馬がファンの記憶に残ります。

ハイセイコーはマスコミが作り上げた偶像であるとかいう人も

いますが、過酷なローテーションの中で、勝っても負けても、

いつも全力で一生懸命に走ったハイセイコーの姿に人々は心を

打たれ、子供から大人まで老若男女を問わずに愛されたんだ

と思います。

私も苦しい時や辛い時はハイセイコーを思い出し、そしてどんな

時でも、いつも全力で一生懸命に頑張ってきました。

また、私もファンレターや年賀状を出しましたが、現役時代は

府中市ハイセイコー様で、引退後は北海道ハイセイコー様で

郵便物が届けられたというエピソードがあります。

更にマガジンでは、競走馬で初めて表紙を飾る等、日本の歴史

において、昭和48年の顔となっています。

これほど国民的な名馬は、もう二度と現れないと思います。

私は命ある限り、ハイセイコーのことを語り継いでいきたいと

思っています。