根拠のある適切な批判に対し、「誹謗・中傷はやめろ」、「袋たたきだ」、「批判はやめろ!」などと感情的、感覚的に抑え込もうとする意見(ネット上の書き込み)については、警察がきちんと取り締まったほうがよい。もちろん、法に触れるような表現の意見や根拠のない意見は適切な批判とは言えないので、それも取り締まるのは当然である。
根拠のある適切な批判に対し、「誹謗・中傷はやめろ」、「袋たたきだ」、「批判はやめろ!」などと感情的、感覚的に抑え込もうとする意見(ネット上の書き込み)については、警察がきちんと取り締まったほうがよい。もちろん、法に触れるような表現の意見や根拠のない意見は適切な批判とは言えないので、それも取り締まるのは当然である。
ウクライナが米欧から供与された長距離射程の兵器でロシア領を攻撃することを欧米が認めれば、ロシアと欧米の戦いになるとプーチンが警告している。
この論理で行けば、中国や北朝鮮、イランから供与された兵器でロシアがウクライナ領を攻撃しているので、欧米は中国や北朝鮮、イランを攻撃してよいということになる。
自分たちがすでにやっていることを欧米やウクライナがやることは認めないと、よく言えるなあと感心してしまう。ロシアには、恥とかプライドという概念がない。他人からどう思われようと、どんな手段を使っても領土を奪えればそれでいいと考える。第二次世界大戦直後、日ソ中立条約を破り、ロシアが日本に侵略し、領土を奪い、日本人を強姦、殺害したことが思い出される。総裁選に立候補している高市氏は、ロシアによるウクライナ侵略をみて、「ロシアは信用できないと改めて胸に刻んだ」と話していた。本当に今刻んだのか。今まで、心のどこかでロシアを信用していたのだろうか。もしかしたら、何度も恩をあだで返されてきた韓国のことも、日本の国会議員は心のどこかで信用しているのだろうか。こうだから、昔から、そして今後も、日本はずっと欧米をはじめ世界各国から外交においてはバカにされ騙され続けてきた(損をしてきた)のである。「正直者は馬鹿を見る」とは、日本のためにあるような言葉である。
少し専門的になるとコメントできず、出演している専門家に逆質問をするだけのコメンテーターをよく見る。いつも決まった人達だ。
コメントをするのがコメンテーターの仕事であり、質問は進行係である司会者の仕事である。大勢の国民に自分の仕事ができない姿を見せて、恥ずかしくないだろうか。
的確なことや新しい視点からの分析等を言えない場合、だれかに質問するのではなく何か言いようがあるだろう(一般的なことや個人的な感想など)。仕事放棄はいけない。
青森出身の王林さんが、ドラマやバラエティで活躍中だ。今日も「ヒルナンデス!」で街レポをしていたが、明るくて話もおもしろい。
芸能界には、新興宗教をやっている人が結構いる。そのような家庭に生まれた人もいるのだろうが、広告塔として利用するために巧みに勧誘された人も多いだろう(実際広告塔としてその宗教の中で活躍している)。
王林さんは純粋なので、勧誘されないように気を付けてもらいたいし、信者たちも良い人(?)には手を出さないでほしいと思う。
自民党総裁選立候補者9人がそろった。自民党本部には巨大なポスターが掲げられた。まるで、北野武氏の映画のポスターのようだ。
立候補者たちは、これから政策発表や論戦、合同記者会見、情報番組での主張等々、膨大な「言葉」を語ることになる。しかし、それらの言葉には、実行や実現において何の保証も無い。言ったもの勝ちである。後から、行わなかった理由はいくらでも付けられる。無責任で詐欺まがいの、ご立派な「言葉」は一切いらない。立候補者に、他の人と異なる政策があったとしても、それに取り組むのか、取り組めるのか、実現できるのか、全く不明である。私の想像を言うと、他の候補者がが言わないような一見素晴らしく見える政策は、首相になってからも現実的には不可能なことであろう(様々な所から強い反発を受けるため)。
論戦も合同記者会見もしなくてよい。立候補者は、何も話さなくてよい。国民や政治家達の客観的判断(正当で適切な判断)を妨げてしまうだけである(それが目的なのであろうが)。国民もテレビにしがみついて、実行性の保証が全くないただの詭弁や嘘、だまし言葉を、食い入るように聞くものではない。その姿を誰かに見られたら、バカみたいに見えてしまうだろう。
主張したことは絶対に守り、実現できなかったら国民をだました罪で、首相はもちろん議員を辞職するというルールを作るのであれば、私も立候補者たちの主張をまともに聞くだろう。いや、議員や党員、党友の投票で選ばれるしくみになっているから、やはり立候補者たちの主張を聞く意味はないか。私が投票できるわけではない。本来であれば、むしろ様々なしがらみのあるこれらの人々以外の一般国民による直接投票で首相になる党首を決めるのが良いと思う。
マスコミは、立候補者たちの「選挙活動中の言葉」を伝えるのではなく、これまでの発言の遍歴や不適切な言動(暴言や詭弁による説明拒否、裏金、証拠隠し、その他の不正行為)、派閥関係、行った仕事の客観的な成果など(レジ袋有料化の妥当性やワクチン手配の遅れ、健康保険証の廃止等々)、「これまでのこと」を紹介するだけでよい。確実なことは、これまでの言動しかないのだから。
今日のネットニュースに、小室眞子さんが、ポニーテールの旦那に手を握られている写真が掲載されていた。
今、弟の進路も話題になっているが、彼女がICUではなく学習院に行っていれば、彼と出会うこともなく、全く別の恥ずかしくない(公表できるような)交友関係を築き、それなりの人と結婚して豊かな生活を送られたであろう。今や、実家に旦那と一緒に訪れることもできない家族関係であり、正常な状態ではなくなってしまった。
彼女は、親や皇室から離れたいから意地になったのか、それとも熱愛だったのか、真意はわからないが、いつか自分の人生を後悔する時がこないことを祈りたい。
皇室の方々の教育は、その経験と伝統のある学習院が最適だと思う。違う学校だとどうなるのか、三兄弟や家族の実態から実証済みであろう。
東日本のある高校で、生徒に対するパワハラ、人権無視(先輩によるもの)の奇妙な市中パレードがあったそうだ。少し調べてみたら、人種差別や強制髪切りパレードなどが行われていたようだが、事実かどうかはわからない。現在は、市中パレードが有志、運動会は同調圧力で実質全員参加という情報があるが定かではない。もし事実であれば、田舎ゆえに社会から見落とされ、批判をされずに今まで続いてきたのだろう。
以前、応援練習がひどすぎて、新入生の中には毎日自殺を考えていたという生徒もいたという記事もあった。現在の応援やパレード(応援団は汚い恰好か肌に色を塗って変な髪形、女子は幼稚園児や太ももを出したチャイナ服など)の写真や記事、過去の情報などがネット上にあったが、私には少し気持ち悪さ、怪しさが感じられた。すぐに問題になる都会とは異なり、閉鎖的な社会で悪習が続いてきている可能性もある。
別の点から指摘をすると、県内では偏差値の高い学校らしいが、生徒たちは高校の偏差値が仮に標準レベル(50位)であったとしても奇妙な目立つ格好をして市中パレードや街宣車でさわいだりできるだろうか。全国的に見たこの高校のレベルや人権、ハラスメントに関する知識などがあまりよくわからない田舎の市民を相手に、虚栄心を爆発させている大自慢パレードにも見える。
もう、こういうことをやる時代ではない。全国に全てをオープンにできる、健全で明るい高校をめざす時代である。「伝統の継承」というのは、ゆがんだ気持ちの悪い昭和の形式ではなく、精神の話でなければいけない。
小学1年生が、目的も訳も分からずにタブレットの使い方を教えられている。小学生たちは、視覚や情報量、操作利便性を限定されて(本やノートとタブレットを比較して)、学ぶことになる。気の毒である。テレビゲームのようで興味関心を高め、学習効率も上がるというが、学習内容に対する集中力や学習内容の定着においては、紙ベースより何割も落ちていたという研究結果もある。
21年度から本格的にスタートした、文科省による「GIGAスクール構想」によるものだが、私には子どもの発達段階や学習効率(タブレットでは、いくつかの情報を見比べたり早く調べたり記憶したりする際の自由度が低い)を無視した学習方法だと思う。小学校では紙ベースの教科書や資料、ノートを使って、自分の手で文字を書いたり自由に好きな場所へ書き込みをしたり様々な表現方法を使って模造紙にまとめたりするなどしながら、多くのことができるように、基礎基本をしっかり学べるようにしたほうがよいと思う。タブレットやコンピューター中心の学習は、中学に行ってから使ったほうが、学習内容や操作方法の学びも効率的にできると思う。
GIGAスクール構想は、発達段階や小学生の実態を無視したもので、すぐやめてほしいくらいである。しかし、莫大なお金を使って子ども達のタブレットや充電保管庫、校内ネットワークなどを整備してしまったので、すぐにやめることはできない。教員免許更新講習もある政治家に言われて文科省がしぶしぶやり、多くの教員に迷惑をかけてきた。教員は自腹で講習料をはらい、長期休暇にやるので有給が解消できず、教える側の大学教員たちも困って世間話で終わっていた。当然今ではなくなったのであるが、それと同じような構造なのだろう。しかし、今回被害を被るのは教員ではなく子ども達だ。学習指導要領の改訂は約10年おきに行われるので、10年後にはだいぶ緩和されて以前の状態にある程度戻るだろうが、10年間は短い期間ではない。影響は大きい。
ICT教育(デジタルを活用して行う手法)は、例えば理科で実際に観察できない時に変化の様子を映像で見たり、社会で生産者のインタビューを聞いたり、算数の思考実験や図形の変化などを見たりなど、そのほうがよくわかる時に使えばよい。したがって、これまで通りNHKテレビや専用のネット配信で見ればよい。見ているだけ、限られた範囲内では理解は深まらない。自分のペースで、自由度の高い紙ベースで、ブロックなどを使って迷い考えながら自分の手を動かして学ぶことは非常に多い。
先のタブレットの効果について調べた大学では、主として長時間使うのではなく、紙ベースと比較して効果の高い場面でのみ短時間利用することを提言している。それが適切であり普通の考えであろう。
スーパーによってはコメが置いてある所もあるが、まだまだ置いていない店の方が多い。
1家庭1袋限定での販売になっているが、それと共に朝に在庫を全ていっきに店頭に並べるのではなく、お客さんには時間を教えずに5~6回に分けて店頭に並べたほうがよい。そうしないと、早朝や開店前からお客さんを並ばせることになるし、開店直後の9時や10時頃に暇じゃない人はお米を買えないということになる。
政府は大量にコメを保管しているのに、国民が数か月あまり、米が買えない状態が続いた。普通に考えれば、備蓄米を適切に流通させて国民が困らないようにすればよいのに、政府や官僚はしなかった。おそらく適切に流通させる能力がなかったから、怖くてやめたのだろう。
国家公務員上級試験の内容や今の人気投票のような国政選挙は、本当に臨機応変に総合的に国民のためになる仕事が素早くできる能力を見定めて振り分けるものになっているだろうか。それらとは全く関係のない別の試験内容、選挙制度になっているような気がする。兵庫県知事の言動が現在問題になっているが、あの人こそが国家公務員上級試験に合格した人を象徴していると思う。政治家たちは言わずもがなであろう。
貴景勝が2連敗し、今日から休場する。体のどこかが痛いということだが、これで何回目だろうか。本当に試合ができない程なのだろうか。横綱も初日から休場だ。ほとんどの関取が休場などせずに毎回14日間戦う。それが普通だ。しかし上位陣だけはすぐに休場する。休場しても給料はもらえるから、優勝(賞金)が無理そうだとわかったら、もうやめて家にいるのだろうか。確かに働かなくても給料がもらえるのであれば、あえて働くバカはいない。関取は本場所が主たる仕事であり、それをやらないで給料をもらえるという制度は改めたほうがよい。そうしないと、力士たちもすぐに休むだろう。
もし本当に相撲が取れない程の怪我なのであれば休むしかないが、スポーツ選手(や運動を仕事にしている人達)は、体力や技能だけではなく、強い心や強い体も必要だ。それを含めての「選手の能力」である。すぐに体をいためる上位陣達は、力士にふさわしい能力を身に付けていると言えるだろうか。
大相撲で14日間戦えない力士は、相撲が強い弱い以前の問題であり、毎回の試合に耐えられないような体ということなので、相撲はやめたほうがよい。横綱と大関は、ほとんどの力士がそうであるように最低条件として14日間戦える体を持った人にしたほうがよい。上位陣だけが弱い体、ボロボロの体なんておかしいだろう。試合に出られる体は当たり前のことであり、最低条件である。そんな弱い体、怪我だらけの体の人が最高位の横綱や次の大関なんていうのではいけない。
横綱も大関もそれ以下の力士も、けがによる休場5回に達したら、関取に耐えられない体ということで、関取から外して協会内の他の仕事に変えるか、やめさせるようにする。そして、負け越したら、横綱も含めて全員が降格するように制度を変えたほうがよい。
横綱は、悪い成績が続いたら降格できずに引退するしかないから、すぐに途中休場で逃げる方法をとっているのかもしれない。もっと自由にしてあげてほしい。そして横綱昇進の条件をもっともっと厳しくしたほうが力士たちのためである。すぐに横綱にするから、4場所5場所続けて休場してそのまま引退するしかなくなるのである。好きな相撲をもっと楽しく長くとらせてあげたい。