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シンプルライフを探して

2009年1月もはや物質的不足はない。
食料品、日用品、クルマと中古ながら家をもつのに豊かさを実感できないのは何故か?
大量消費社会にメスを入れながら感情の豊かさ、幸福感を追求する

中学からの友人が晴れて今月末にお店をオープンすることになった

確か初期のこのブログのなかでも触れたことのある旧友だ


かれのコーヒーにかける情熱はまさに「ぶれない志」そのものだ

熱く語るわけでもなく、かといって愚痴もほとんど聞いたことがない


同じ歳月の間自分は何をしてきたのだろう?

また何をしたいとか使命感をかんじる目標もない。

40といういい歳になったなあだけである


東国原知事のブログは日々の楽しみである

ストレートに感じることを激務にかかわらず更新されている

きっと高い「志」「使命感」が突き動かしているのだろう


ブログなんて思考停止してしまった途端に更新できなくなる

僕はそのいい例だ


「シンプルでありまたコンパクト」、「アンチ大量消費」「省エネルギー生活」

「自然治癒力、生命力」

このあたりが自分のぶれない軸になりそうなのだが・・・






昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」(NHK)無駄を省く達人が出ておられた

あらゆる業種の工場に赴き生産過程でのムダを徹底的に洗い出し再生させる

達人である


僕は現在就業中の物流センターを思いかえしながら見ていた。

現場に永らく勤める人達の「意識改革」とは言うけれど

誰でも初めは非効率さに疑問だらけのはずだ


「熟練」や「慣れ」とは一歩間違えると「後退や衰退」また「知恵や工夫」を

奪ってしまう。


僕がヒントにしたかったのはクルマの存在はどこまでがムダでどこから便利さや豊かさとの折り合いをつけるのか?という私的なテーマに限定してのことなのだが


特にエコの重責を担う「軽」自動車のカテゴリーについていろいろと関心が沸いているからというのもあるからだろうけどね








①田舎通勤(クルマを利用)⇒通勤電車地獄

②ノースーツ⇒カジュアルな服

③帰りに付き合いの一杯⇒クルマ通勤により皆無


この3点のおかげでどれだけ「自分らしさ」と「ひととの距離感」をたもてていることか?

またこれが予想出来た以上にメリットが大きいのが

『自分ひとりの思考を深める時間がある』こと


吉本隆明氏の著「ひきこもれ」のなかでこの「こま切れにならない時間を持つ」こと

の重要性にいたく共感している


片道50分の田舎道だが8年目突入のプジョーは最高の思考カプセルと化している

20分くらいにしか感じないことも不思議ではない


ひらめき、気付き、脳内整理整頓、etc・・・

「そんな効能とっくに気付いてるよ」と言われそうである


今の仕事を紹介してくれたTさんに感謝

半年後に兼業トレ-ド再開予定




昨年11月に大型バイクを手放して以来

生活のスリム化、簡素化、質素化がすすんで気分は清清しい


年齢のせいでもないだろうが

同世代のスポーツ選手の動向にはアンテナを張っている

昨日は野茂選手の1000日振りのメジャー登板

本日は金本選手の2000本安打


数年前なら刺激を受けてだが、最近は勇気づけられている


桜の季節であるが、日本人の侘び寂びに触れるからなのだろうかパッと咲いてパッと散るのが

ひとつの美学のように謳われる

40までひとつの職種で全うする生き方は決して桜の華々しさではない。


ぼくは桜よりも地味だが年輪を刻む杉やヒノキの樹木の生き方が好きだ

花粉症の方には敵だが長年にわたり手入れをされたこの木たちは


木材として使われてからさらに樹齢と同じ長さの耐久性を持つと何かで

読みかじった記憶がある


大型バイクをまた手に入れたら今度はゆっくり、じっくり日本中を訪ねたい

人生は旅だと思うから





生産的発想が枯れているのが自分でもわかる。

こういうときはじっとしているのが最良の選択だ


ミスの連鎖や負の思考連鎖を起こしやすいから

ただジッとするのみやがてエネルギーが蓄積充填されて


ウソのように物事がはまりまくる時が必ず来る

最近の夜は、ジャパニーズ音楽徳永英明のご存知ボーカリストを

聞きながらアーモンドチョコとコーヒーで締めている


徳永の歌声は僕が今更言うまでもない。再発見に値するのが女性シンガー達の唄

の詩の奥行きを感じることだ。ほとんど僕が10代~20代にかけて発売されていた曲が並ぶわけだけど、当然女性の機微を感じる感性は当時持ち合わせていなかった


僕の20代から30代はブリットポップやロックを聴いていることが自己主張だった。

侘び寂びではないが少しは琴線にふれる感情が育んでくれているとしたら嬉しい。


歳を重ねる楽しみもボチボチ拾い見つけてきてるこの頃だ

僕の友人は僕を超越してヤフオクで小遣い稼ぎをしている

伝授したのは僕であったがその情熱はとうの昔に僕を超越して

しまっている


マイブームの中島らもの「固いおとうふ」を読んでいた。彼も12年のサラリーマン

時代があったと知ったのは新鮮だった。


彼は酒豪だったようで素面でいるほうが違和感があったらしいからツワモノだ

そんな彼もエッセイのなかで「40になると無茶がきかなくなると・・・」それでも

バンド活動、放送作家としてコントを書いてまた劇団にも情熱を注ぎ込んでいたのは

恐るべし、いや興味はまだまだつきない


僕は学生時代にはまったといえるモノがほとんどない。何事も中途半端で

大学も一浪、一留でギリギリ卒業すると24歳

バブルも弾けた直後の社会に放り込まれた。


「人のせいにしない。時代のせいにしない。」僕の流儀だ

同僚と飲みに行くのが極力イヤだったのはコレを散々聞かされるからだ


トレードしてる連中にもどこの証券会社は執行(注文の乗る早さ)が遅いだの

NYのマーケットの不調や大口の売買動向、外国人の売買動向、個別会社のIRまで

「ひとのせい」祭りだ


格差社会って嘆いてばかりいないで「ずるい奴よりズルく行こう!!」



睡眠が1ヶ月半ぶりくらいに深くなり始めた

実は現在使用中の抗うつ剤2種類のうち1種類をジェネリック(後発薬)に

変えた影響があると自分では見当をつけている


おかげで体調的に不具合が生じ「カラダが重い」「集中力が本当に持たない」

生産性のある活動がまるでできない。気分転換のはずの散歩も途中で引き返す

始末


5日ほど前から元の薬に戻して処方してもらったので自分自身で合点がいった。

ジェネリックは主成分は一緒だが、添加剤等が若干違うことがあると薬剤師さんが

言っておられた。


原因と結果がはっきりしてまた徐々に気力が戻りつつあるのは素直に嬉しい

トマト系の野菜ジュースが非常に美味しく飲めたのは何か関係あるのかな?


カラダはパーツ交換で復活とはいかないので上手に付き合っていきたい

もう40なんだから

僕は抗うつ剤を飲んでいるまた欠かせない。

2種類の薬で約6~7年ほど前からの付き合いになる。


最初は抑うつ症状とは分からず、慢性疲労症候群、燃え尽き症候群等

と自己診断していた。本を読み解くうちにどうやらうつ病だということが

なんとなく症状の傾向から理解できた


几帳面で真面目、融通が効かない、正義感が強い人に現れる傾向があるという

性格なんてそう簡単に変えられないし変えるつもりもない。


抗うつ剤にも相性があり今の薬に巡りあうまでに5箇所ほど心療内科を換えた

だろうか?


この心療内科というのは意志のウデ(技術)というより処方される薬との相性

がほぼすべて支配すると言っても過言ではない。僕はまだ少ないほうの運がいいほうなのかも知れない


おかげで日常生活をなんとかささえてもらっている。慣れれば気分が安定してそれだけで感謝できる。


トレードの集中力が前場しか持たないのでそこに特化するのもストレスを回避する自己防衛手段でもある



ここ最近、道路特定財源、暫定税率問題がニュースで溢れる日が続く

都市と地方格差のテーマも耳にタコ気味だ。


「必要な道路」vs「無駄な道路」いったい誰に優先順位がつけれるのか

不毛な比較でしかない。


僕の家は昔、郊外

今やや開け気味の準郊外(そんな言い方あるのか?)


切り開かれる山肌

大きな切り株が横たわる


今の道は対面2車線から4車線へと拡張中だ交通量からするとそれが

妥当とも言える。がしかし、


何て贅沢な国なんだろう日本てって思う。ミニバンっていったいいつ7人揃って

乗るんだろう?どれだけ買い物を満載すれば満足なんだろう?


もう大量消費活動はやめようよ。シンプル質素はなかなか清々しくて快適なんだけどなあ