天然記録 -78ページ目
小エビとアボカドのトマトクリーム

 

 
チョコシフォン

 

 
せっかくなのでスペシャルランチ

 

今年の7月にオープンしたばかりの人気店

 
近隣にも飲食店があり、そこに止めるとちと厳しい

 
駐車場は広いんだけど、人気なのでオープンしてすぐ埋まってた

今、悪魔はあらゆる手を使って

甘い言葉で仮想空間に誘導しようとしている

それを選んだ人は魂が永遠に搾取され続けるディストピア行きなのかも

それもワンネスという事ならオカシイ話なんだけど

すべての地球上の物を最終的には救済するという事なので

間違ってムーンショット計画に魂が行ってしまったとしても

そんなに心配しなくていいのかも?

早く、この世界が大逆転してほしい

念のため、政治家は悪の手先なので信用してはいけないし

宇宙、宇宙人関係もすごいけど信用してはいけない

すべてはこのゲームの善悪プログラムだと思う

 

旧約聖書はそれよりも古いシュメールのものを書き直し

別の文化や歴史の文脈・設定に置き換えた話

蛇・太陽・月・土星の崇拝は全ての主要宗教の基盤

 

 

 

↑より抜粋

 

今この「補遺(ほい)編」を書くにあたって

振り返って感じる最大の「ポカ」は、

神風というものに対する考察であろう。

「神風が日本の勝利に少なからず貢献した」と書いた。

ところが今振り返ってみると

私がこれまでずっと展開していた日本教の理論から言えば

「神風は日本軍の勝利にほとんど貢献していない」ということだ。

そのことに気付かせてくれたのは

歴史学者服部英雄の著、「蒙古襲来」である。

この著作の冒頭に次のような言葉がある。

 

「クビライハーンの目的は、日本の鉱物資源のうち

火薬の材料となる硫黄の確保にあった。

火山の多い日本は硫黄産出国だったが

そに硫黄を元(蒙古)の敵国である宋(そう)にのみ

輸出をしており、利敵国だった。」

 

この時代火薬の原料である硫黄が

元の狙いであることにまったく気が付かなかったのは

迂闊としか言いようがない。

確かに、日本はこの時代鉄砲を使用しておらず

海の向こうで火薬が発明されたことについてまったく無関心であった。

しかし、中国大陸ではすでに火薬の時代だったのだから

気付かなかったのは情けない話である。

日本全土を征服できなくても、九州さえ手に入れば

そのメリットは限りなく大きい。

日本には明白な「軍人差別」がある。

それならば当然気が付くべきだったのだ。

 

「神風とは現実の軍事力によって

国家が守られたと認めたくない連中の夢想だ」

 

ということを、である。

 

鎌倉時代の元寇(げんこう)に際して

朝廷や公家や神道関係者が

「侵略軍を撃退したのは神風であって武士団ではない」

と主張したことについて

根底に軍人あるいは軍隊の有用性をまったく認めないという

偏見および差別感があることに気が付くべきだった。

 

「蒙古襲来」の著者は、当時の史料の分析で

 

「元軍が撃退されたのは日本の武士の奮戦(軍事力)

によるものであって神風(などという霊力)によるものではない」

 

と見事に証明して見せたのである。

 

日本最高の武神(ぶしん)である

八幡大神(応神天皇)を祀った神社が

元軍上陸の時にあっけなく焼け落ちてしまった事実が

現実の軍事力というものを否定したい朝廷

あるいは神道関係者にとって最大の問題だったのである。

このままでは

「八幡神は外国の侵略に対して何の防壁にもならなかった」

ということになってしまうことである。

そこで、多くの歴史学者が今でも元寇を分析する際に

一級史料として用いる

「八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)」が書かれた。

このタイトルは「無知で愚かな童(のような人間)に

八幡大神の霊験を教える」ということであり

蒙古の軍船がたった一晩で撤退したのは

筥崎宮(はこざきぐう)が焼かれたことに怒った神が夜中に出現し

蒙古の軍船に神矢を浴びせたからだと説明している。

その部分を現代語訳で紹介しよう。

 

白衣の神が弓矢を射かけた。

その神は30人、恐怖で我を失った(船上の)

蒙古人は、筥崎の街が燃える焔(ほのお)が海に映るのをみて

「海が炎上している」「海から火が燃えだした」

「船が燃え始める」と驚き我先に逃げ出した。

蒙古兵は朝にはきれいに退去して姿を消し

静かな海のみがあった。

 

注目すべきは、蒙古軍が一夜で撤退したのを神風ではなく

筥崎の神の奮戦によるものだとしていることだ。

この話はあまりにも荒唐無稽な神話であることは誰の目にも明白だろう。

ただし、実際に文永の役でも弘安の役(こうあんのえき)でも

暴風雨があって元軍が悩まされたことは

元軍に参加した高麗(こうらい)側の記録にもある。

そこで、そのうちにこの話が神によって起こされた

大暴風雨(神風)によって元軍は一夜で撃退されたという

多くの人が納得しやすい話に改められていったのである。

そして、もう一つ見逃してならないのは

日本侵略に失敗した側の元や高麗も

その敗因を大暴風雨のせいにしたことである。

つまり、我々は日本軍に敗北したのではない

大暴風雨という想定外の事象さえなければ

この戦いには勝つことが出来た、という弁明である。

「敵側も神風が吹いたことを認めている」

という形になり、ますます神風神話が強化されていくことになる。

 

卓越した歴史家までもが「八幡愚童訓」をすっかり信頼した。

きわめて残念であると服部は述べ

「状況に合致しない不自然な記述や

神のみが戦ったとする文脈が多すぎた。

徹底して排除せねばならない」

つまりその内容はまったく信用できないと主張する。

 

この「蒙古襲来」の内容を私なりにまとめれば

元の侵略軍は鎌倉武士の奮戦によって撃退された。

それが歴史上の事実である。

にもかかわらず、彼らの貢献を認めたくない

天皇、公家、神道関係者は、その勝因を

八幡神の霊験であるとし、それを正当化するために

神風という概念をでっちあげた、ということである。

まったく同感であり、この点については

元寇についてこれまで述べてきた自説を修正したいと思う。

 

「八幡愚童訓」は、武士というものをきわめてマヌケで

臆病な存在として描いている。

そんな彼らに日本が防衛出来たはずがない。

本当に日本を侵略から守ったのは

愚劣な武士ではなく神風だ、と言いたいからであろう。

問題は、なぜ祖国を侵略から守った英雄たちを

そこまで侮辱するかということだ。

神風という霊験を強調するためにしても

世界の常識から見てあまりにもおかしいではなか。

 

そういう立場から言えば

じつは「八幡愚童訓」は、超一級史料でもある。

“動物を殺さない”弥生文化の継承者である

朝廷や神道関係者が、いかに現実の軍事力の効用を無視し

軍人を差別していたかが如実にわかるからである。

 

日本の歴史学の三大欠陥のうち

 

「滑稽とも言うべき史料至上主義」

「日本史の呪術的側面の無視ないし軽視」

「権威主義」平たく言えば「日本仏教史の権威」

 

などと呼ばれる人の著作でも頭から信用するな、ということである。

 

この巻おわり

 

徳川家康のお墓、日光東照宮は

三代将軍家光が建てたらしいけど

家光の「光」は明智光秀の「光」との俗説も

三代目にして血筋が入れ替わってる?

 

 

↑より抜粋

 

日本は、神仏混淆の国であるから実質的に国教は2つあり

「神道の神殿」は出雲大社で「仏教の神殿」は東大寺大仏殿

それに「国王の宮殿」である天皇御所が続くと

考えればいいではないかと思うかもしれないが

出雲大社に祀られているのは神道の最高神アマテラスではなく

オオクニヌシなのである。

アマテラスが祀られている伊勢神宮が第一位に入るのならばわかるが

オオクニヌシは通常あり得ない。

忌憚(きたん)なく言えば、オオクニヌシは「負け組」であり

アマテラスのような「勝ち組」ではない。

それなのになぜナンバー1の神殿に祀られているのか?

 

なぜ「負け組」の神様が「勝ち組」の神様より大きいのか?

そこで注目しなければならないのは

「何事も話し合いで決める」

「話合いで決めたことは必ず正しくうまくいく」

という聖徳太子の憲法17条で宣言されていることが

それよりも古い時代の神話の中でも実践されていたということだ。

「国譲り」である。

つまり、出雲大社がナンバー1であるのは

オオクニヌシを祀ったということよりも

オオクニヌシが実践した「話し合いによる国譲り」つまり

「和の精神」を示す建物であるからではないか、と考えられるのである。

 

ここで考えて頂きたいのは

本当にオオクニヌシはアマテラスの要請を受けて

「話し合いによる国譲り」をしたのだろうか、という点である。

オオクニヌシは苦労して苦労してようやく国造りを成功させた。

そこへ突然アマテラスの使者がやって来て

「私の孫にこの国を譲りなさい」と頭ごなしに命令したのである。

神話では「待ってください、息子たちと話し合わせてください」

とオオクニヌシは答えた。

しかし息子の一人はアマテラスの使者に反抗し封じ込められ

もう一人は自殺した。

その上でオオクニヌシは「穏やか」に

アマテラスに国を譲ったことになっているが

本当にそうだろうか?

息子2人は殺されたも同然ではないか。

私は、オオクニヌシは徹底的にアマテラスに逆らったのだと思う。

しかし刀折れ矢は尽き、アマテラスに敗北した。

あるいは自殺したのかもしれない。

だからこそ、その怨念を恐れたアマテラスは

自分を祀る神殿より大きい神殿を、オオクニヌシに提供したのであろう。

 

日本は「負け組」に「勝ち組」が名誉を譲る国である。

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し

武蔵が勝利を収めた「船島(ふなじま」は

後に巌流島(がんりゅうじま)と呼ばれた。

巌流は「負け組」の佐々木小次郎の流儀だ。

いや、もっと大きい、日本を真っ二つに分けた

天皇家の南北朝の争いにおいても

勝ったのは北朝だが明治になって正統とされたのは

負けた南朝のほうであった。

外国では絶対にあり得ないことだ。

 

平安時代、藤原氏はライバルの豪族をすべて倒して

中央の官職を独占した。

その最後のライバルが、天皇を父に持ちながら

藤原氏に対抗するため臣籍(しんせき)に降下した源氏一族であった。

しかしその最後のエースであった左大臣源高明(みなもとのたかあきら)

も藤原氏に陥れられ失脚した。

それが安和(あんな)の変(969年)で

冷泉(れいぜい)天皇の時代である。

しかしその後「勝ち組」の藤原道長は

自分の彰子(しょうし)付きの女官紫式部に

「臣籍降下した源氏の若者がライバルを退けその息子が皇位につく」

という物語を書かせた。

ご存じ「源氏物語」である。

これがイギリスなら「エリザベス女王付きの女官が

ライバルのメリー・スチュワートが勝ったという物語を書く」

ということだ。

エリザベス女王ならばその女官の首を切るだろう。

しかし道長は紫式部を応援していたのである。

世界の常識では絶対にあり得ないことだ。

 

ちなみに「源氏物語」はフィクションである。

フィクションでば現代もそうだが実在の人名は使わない。

だが「源氏物語」では

実在の人名を使っているところがたった2ヵ所だけある。

一つは「光源氏」で、個人名を明かしてはいないものの

実在した源氏一族の一員であることを明記している。

ライバルのほうは藤原氏ではなく

「右大臣家」とぼかしてあるのだが

主人公のほうは源氏一族と明記してある。

ここをぼかしてしまったら

源氏一族に対する怨霊鎮魂にならないからである。

ではもう一人は誰か?

源氏が父の帝の妻の一人(藤壺)と不倫して生まれた子

そして後に皇位につき

源氏一族の「右大臣家」に対する勝利を確定させる人物。

この天皇の名を覚えておられるだろうか?

それは冷泉帝なのである。

実際の歴史では冷泉帝の時代に源氏は永久に失脚した。

しかしフィクションの世界では冷泉帝の時代に源氏は

ライバルに対して確定的な勝利を収めるのである。

わざわざ冷泉帝という実在の人物の名前が使われていること自体

きわめて意図的であるということがわかるだろう。

しかもこれを書いたのは源氏一族ではなく

藤原一族に属する紫式部なのである。

 

そろそろお気付きだと思うが

じつは「和」と「怨霊鎮魂」は固く結び付いている。

一つの概念と言っていい。

病気にたとえるとよくわかると思うが

怨霊鎮魂というのはじつは「失敗」なのである。

すでに病気になってしまい鎮魂という手術が必要な状態だからだ。

どんな病気でもそうだが手術が必要なほど悪化する前に

そうならないように手を打つことが大切だ。

それが和を保つことなのである。

なぜ怨霊が発生するのか。

それは怨念を抱いてこの世を去った者がいるからだ。

その結果、常に「勝ち組」となった藤原氏は

「負け組」となった源氏一族や菅原道真を

せっせと怨霊鎮魂しなければならなかったのである。

 

もっとも良いのは「勝ち組」や「負け組」が出来ないようにすることだ。

出来るだけ競争しないように、話し合いで和を保つ。

 

 

「魏志倭人伝」には、卑弥呼の跡を一族の女性である

台与(トヨ)が継いだとされている。

じつは大分県というのは旧国名で言えば

大部分は豊前国ではなく豊後(ぶんご)国なのだが

この2つの国を合わせて古来から何と呼ぶかご存じであろうか?

そう、「豊の国」なのである。

「古事記」の時代からすでにそうなのだ。

これが「トヨの国」を意味するということは充分に考えられる。

ちなみに卑弥呼が個人名ではなく称号であるように

台与も実名ではなく称号であろう。

言霊信仰の強い日本人にとって

女性の権力者の実名を呼び捨てにするなどということはあり得ないからだ。

 

不思議なのは、邪馬台国は卑弥呼の跡を

女性の台与が継いだことでもわかるように

女系優先の国家なのに、それと同じものであるはずの

大和朝廷は男系優先の国家となっていることだ。

どこかで原理が変わったのである。

その原理が変わった時に、「時期女王」になることを予定されていた

「トヨ」は、一体どうなったのだろうか?

殺害されたか追放されたか、いずれにせよ

そうしなければ男系優先の国家にならない。

その「トヨ」が仮に平穏な人生を送ったとしても

予定されていた女王になれなかったのだから

その死はこの世に不満を抱いた死であり

放っておけば大怨霊になる。

 

まさに出雲大社にお祀りしたオオクニヌシのように丁重に祀らねばならない。

つまり、それが宇佐神宮の比売大神(ひめおおかみ)なのではないだろうか。

そう考えれば比売大神が神功・応神母子に

挟まれるようにして祀られている事実もなかなか暗示的と言える。

原理が変わったのがまさにこの時代で

だからこそ「加害者」である2人は「比売大神」を祀らねばならず

そしてここから実質的にスタートした

男系優先の天皇家の始祖が応神天皇であるが故に

和気清麻呂(わけのきよまろ)はここに神託を求めに来たのだ、と

説明出来るからである。

 

2015年〈平成27年〉11月30日

漫画家水木しげるさんが亡くなられた。

水木さんと私は、ある意味で同志であった。

 

「オオクニヌシは大和朝廷の神話にあるように

話し合いで国を譲ったのではない。

オオクニヌシは激しい怨念を抱いて死んだのだ。

だからこそ、その大怨霊を鎮めるため

出雲大社という巨大な神殿が必要だったのだ」

 

という古代史への解釈において、まったく一致していたからである。

それについては「水木しげるの古代出雲」に詳しいが

その中で水木さんは

 

「オオクニヌシが個人の名前ではなく代名詞とか役職名とかで

オオクニヌシと名のっていたのは5~6人いたんじゃないか」

 

と述べている。

つまりオオクニヌシとは称号という説である。

まったく同感であり、その通りだと思う。

言霊という信仰から考えてみても

オオクニヌシが実名であるはずがない。

オオクニヌシは通説でも多くの別名を持っている。

「オオモノヌシ」とか「オオナムチ」である。

ちょうど徳川将軍が何人もいたのと同じことだと考えれば

最後に「出雲王国」を失った人物が結果的に

「オオクニヌシ」と呼ばれているが

その先代も先々代も歴史上存在したのではないかということである。

あるいは、本当は出雲王国の王者の称号は

「オオナムチ」であったが大和はそれを滅ぼした時

最後の王者に「大国主」を贈ったのかもしれない。

国を失った人は「国主」ではないのに(本当の国主は天皇家)

「大国主」と呼んであげるということだ。

 

抜群の賢者ではあったが不幸な死に方をし

子孫も絶滅した厩戸皇子(うまやどのおうじ)が

後に聖徳太子と呼ばれたようにである。

そう言えば日本武尊(やまとたけるのみこと)という

これ以上は無いほど素晴らしい称号を持つ

小碓尊(おうすのみこと)も、きわめて不幸な死に方をしている。

これも、気付くべきことであった。

 

いわゆる六歌仙 (ろっかせん )と呼ばれる人々も怨霊である。

正確に言えば怨霊になる恐れがあるので

鎮魂された存在であることも当然気付いていい話であった。

六歌仙というのはまさに聖徳太子のように

後から「贈られた称号」である。

 

つづく