鎌倉時代の元寇の真実 | 天然記録

 

 

↑より抜粋

 

今この「補遺(ほい)編」を書くにあたって

振り返って感じる最大の「ポカ」は、

神風というものに対する考察であろう。

「神風が日本の勝利に少なからず貢献した」と書いた。

ところが今振り返ってみると

私がこれまでずっと展開していた日本教の理論から言えば

「神風は日本軍の勝利にほとんど貢献していない」ということだ。

そのことに気付かせてくれたのは

歴史学者服部英雄の著、「蒙古襲来」である。

この著作の冒頭に次のような言葉がある。

 

「クビライハーンの目的は、日本の鉱物資源のうち

火薬の材料となる硫黄の確保にあった。

火山の多い日本は硫黄産出国だったが

そに硫黄を元(蒙古)の敵国である宋(そう)にのみ

輸出をしており、利敵国だった。」

 

この時代火薬の原料である硫黄が

元の狙いであることにまったく気が付かなかったのは

迂闊としか言いようがない。

確かに、日本はこの時代鉄砲を使用しておらず

海の向こうで火薬が発明されたことについてまったく無関心であった。

しかし、中国大陸ではすでに火薬の時代だったのだから

気付かなかったのは情けない話である。

日本全土を征服できなくても、九州さえ手に入れば

そのメリットは限りなく大きい。

日本には明白な「軍人差別」がある。

それならば当然気が付くべきだったのだ。

 

「神風とは現実の軍事力によって

国家が守られたと認めたくない連中の夢想だ」

 

ということを、である。

 

鎌倉時代の元寇(げんこう)に際して

朝廷や公家や神道関係者が

「侵略軍を撃退したのは神風であって武士団ではない」

と主張したことについて

根底に軍人あるいは軍隊の有用性をまったく認めないという

偏見および差別感があることに気が付くべきだった。

 

「蒙古襲来」の著者は、当時の史料の分析で

 

「元軍が撃退されたのは日本の武士の奮戦(軍事力)

によるものであって神風(などという霊力)によるものではない」

 

と見事に証明して見せたのである。

 

日本最高の武神(ぶしん)である

八幡大神(応神天皇)を祀った神社が

元軍上陸の時にあっけなく焼け落ちてしまった事実が

現実の軍事力というものを否定したい朝廷

あるいは神道関係者にとって最大の問題だったのである。

このままでは

「八幡神は外国の侵略に対して何の防壁にもならなかった」

ということになってしまうことである。

そこで、多くの歴史学者が今でも元寇を分析する際に

一級史料として用いる

「八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)」が書かれた。

このタイトルは「無知で愚かな童(のような人間)に

八幡大神の霊験を教える」ということであり

蒙古の軍船がたった一晩で撤退したのは

筥崎宮(はこざきぐう)が焼かれたことに怒った神が夜中に出現し

蒙古の軍船に神矢を浴びせたからだと説明している。

その部分を現代語訳で紹介しよう。

 

白衣の神が弓矢を射かけた。

その神は30人、恐怖で我を失った(船上の)

蒙古人は、筥崎の街が燃える焔(ほのお)が海に映るのをみて

「海が炎上している」「海から火が燃えだした」

「船が燃え始める」と驚き我先に逃げ出した。

蒙古兵は朝にはきれいに退去して姿を消し

静かな海のみがあった。

 

注目すべきは、蒙古軍が一夜で撤退したのを神風ではなく

筥崎の神の奮戦によるものだとしていることだ。

この話はあまりにも荒唐無稽な神話であることは誰の目にも明白だろう。

ただし、実際に文永の役でも弘安の役(こうあんのえき)でも

暴風雨があって元軍が悩まされたことは

元軍に参加した高麗(こうらい)側の記録にもある。

そこで、そのうちにこの話が神によって起こされた

大暴風雨(神風)によって元軍は一夜で撃退されたという

多くの人が納得しやすい話に改められていったのである。

そして、もう一つ見逃してならないのは

日本侵略に失敗した側の元や高麗も

その敗因を大暴風雨のせいにしたことである。

つまり、我々は日本軍に敗北したのではない

大暴風雨という想定外の事象さえなければ

この戦いには勝つことが出来た、という弁明である。

「敵側も神風が吹いたことを認めている」

という形になり、ますます神風神話が強化されていくことになる。

 

卓越した歴史家までもが「八幡愚童訓」をすっかり信頼した。

きわめて残念であると服部は述べ

「状況に合致しない不自然な記述や

神のみが戦ったとする文脈が多すぎた。

徹底して排除せねばならない」

つまりその内容はまったく信用できないと主張する。

 

この「蒙古襲来」の内容を私なりにまとめれば

元の侵略軍は鎌倉武士の奮戦によって撃退された。

それが歴史上の事実である。

にもかかわらず、彼らの貢献を認めたくない

天皇、公家、神道関係者は、その勝因を

八幡神の霊験であるとし、それを正当化するために

神風という概念をでっちあげた、ということである。

まったく同感であり、この点については

元寇についてこれまで述べてきた自説を修正したいと思う。

 

「八幡愚童訓」は、武士というものをきわめてマヌケで

臆病な存在として描いている。

そんな彼らに日本が防衛出来たはずがない。

本当に日本を侵略から守ったのは

愚劣な武士ではなく神風だ、と言いたいからであろう。

問題は、なぜ祖国を侵略から守った英雄たちを

そこまで侮辱するかということだ。

神風という霊験を強調するためにしても

世界の常識から見てあまりにもおかしいではなか。

 

そういう立場から言えば

じつは「八幡愚童訓」は、超一級史料でもある。

“動物を殺さない”弥生文化の継承者である

朝廷や神道関係者が、いかに現実の軍事力の効用を無視し

軍人を差別していたかが如実にわかるからである。

 

日本の歴史学の三大欠陥のうち

 

「滑稽とも言うべき史料至上主義」

「日本史の呪術的側面の無視ないし軽視」

「権威主義」平たく言えば「日本仏教史の権威」

 

などと呼ばれる人の著作でも頭から信用するな、ということである。

 

この巻おわり